昨日は約25kmをサイクリング。mimosaという所に行って来た。
スクンビットを南下して30分程すると、「ももたろう」の看板が見えてきた。
すき焼きしゃぶのようで、結構大型店。
間もなく日の丸のような看板が見えてくると、中古自転車販売店でした。
市場のおっさんが配達に使うような大型荷台車が6500B、オレ好みの軽快車26インチが3500Bと、日本の新車よりも高めで売られていた。
左右物見しながら65分でミモザに到着。
入場するつもりはないが念の為チケット価格尋ねたら600Bだと。
なんかの間違いだと思う。
アンバサダーシティー前でUターンして折り返し。
途中にジュラシックパークテーマ館みたいなのがあった。
帰路はサード、ブッカウ経由でチョンプーの店に寄り、
「これがバイカーオママの電話番号だ。コボリがDVDを持って来ている事を伝えてくれないか」
チョンプーがダイアル回すと昨日と違って即応答があった。そして、やりとりからしてママに間違いないと確信。 ヤッタネ! 終にコンタクトに成功、やっと漕ぎ付けた感じがした。
電話終えるとチョンプーの説明は、「明日バイカーオ連れて来ると言ってた」と。
こつ然と姿消して行方不明→どうやらまだこの地に居るらしい→電話番号ゲットまでこぎ付けた。
今滞在ではもう無理だと思っていただけに、為せば成る、オレの執念が勝ったというところかな。
1年前の初のアパート体験。そこに偶々バイカーオが居た。
そしてその天真爛漫ぶりからは想像できない運命を背負って生きなければならないバイカーオ。物心付いた時、母親はどう説明するだろうか。
今は2歳半。5歳になるくらいまでは見届けたい気持ちはあるが、その頃にオレはまだタイ通いが続いているかは分からない。
2:17頃がFloating market (BGM:sunny by Bony M.)
夕方、パクソイで客待ちしていたハムを発見。
「6時だよな、忘れるなよ」と声をかけると、ハムは、
「コレ、バイカーオ・ママの番号だ」と。
で、その場でオレの携帯から電話するも、呼び出してはいるが繋がらなかった。
たぶん覚えているだろうが、半年前に一度会ったきりだから、「コボリ」と名乗ってもピンとくるかどうか。
それに、オレの下手なタイ語よりもタイ人同士の方がいいだろうなあ。
「そうだ、代わってチョンプーに電話してもらおう」
この番号が間違ってない事を祈るのみ・・・
もうチョコの在処を知ったみたい。オレのバッグをまさぐっていたから。
これは18日の写真。そして昨晩はパーティで、オレ達も終盤ちょこっと参加したが盛況だった。
いいねえ、ノートは。wifi繋がればどこでもネットが出来る。
この坊やとはほぼ毎日顔合わす。
見降ろすとこんな姿が・・・
隠し撮りのつもりだったが、ファランがしっかり見ていた。
親指突き立てて、good job!、ヤッタネ!、と。
目覚めてはいるけど、身体が動かない。
疲れているのかな。
結局、8時前に起きて、溜まっていた写真ビデオを整理編集して書き戻す作業をしていたら2.5時間も掛かってしまった。
昨夕、バイカーオに会えると期待してハムとの約束時間に行ったが、現れなかった。
やはり彼はタイ人か。
仲間との飲食終えてから彼の居場所に再度行ってみると、居ました。
「どうして来ないんだ」
「なんたらかんたら・・・」とタイ語で、正確には聞き取れない。
分ったことは、ハムが知っているのは母親の居場所ではなくて、母親の友達の居場所を知っているそうだ。つまり、友達に訊けば母親の消息が判明するのではとの事。
まぁ、なんでも良いけど頼りはハムしかいないから、彼の意に沿って今夕6時に待ち合わせ。
今度こそ約束守ってもらいたいな。
このbabyには初めての花火体験?
今、Thai&Euro foodのお店、[star light]に来ています。
ホントはダオカフェのつもりだったけど、子供達も客も誰一人居なかった。
Uターンして引き返しても時間持て余すだけなら先へ進もうとやって来ました。
ビアリオ小瓶が40Bとリーズナブル。
free wifiの看板は一切ないけれど、有無を尋ねたら、「使えます」と。
やはり聞いてみるもんだな。
まったりファランが左後方にひと塊。右側にもパラパラと。
オレも見習って、ちょいの間、ここでまったりしようか。
ただ今ローカルタイム15時丁度のカオノイ・ストリートです。
昨日は距離数にカウントするほどチャリンコには乗らなかった。
でも、動かなかった訳ではない。
Hさんのバイクのケツに跨って買い物に行ったりでね、
昨日までの累計走行:349km
夕方からHさんアパートのベランダで仲間と会食。
PMさんはもつ鍋を、Hさんは出し巻きを作ってくれるが、料理心の無いオレは見てるしかない。
なんか申し訳ない様な・・・
話しも弾んでいろいろ情報交換。楽しい時間は早く過ぎるというのはこういう場合だろうな。
場所替えて次の店へ。明日も明後日もあるし、まだまだ先も・・・、ここいらで今日は潮時とするも、時計見遣ればまだ10時台。
体調が戻ったというのに、こんな時間に床に就くのはもったいない。
一人で行ったね。
この頃ハースはチョンプーの店に定着したが、この時間帯では閉店で彼も居なかった。
次のソイにはウェンとパットが居た。
ウェンによると、今のアパートに14000B払っているらしい。
新築だし、道から見えるベランダも立派。おそらく相応の部屋だと思われるが、家賃だけならオレの倍以上。
「高くないの?」
「高い」
「オレは6000Bだよ。探せばいくらでもある」。
ウェンは此処は3月まで住んで、次は考えるそうだ。
真ん前のPアパートガーデンにタイ人男たちがたむろしているのが見える。そん中の一人にバイタク運ちゃんのハムハムがいた。
期待せずに、「バイカーオ母娘の行方はまだ掴めないだろうね」と呟いたら、
ハムハムは、「母親がビーチに近いMSで働いているらしい」と。
そんなら何故教えてくれない、と言いたいところだが、彼は普段は寡黙な人で、訊かれれば答えるが自らはあまり喋らない人物。
今日案内してくれるそうだ。夕方5時と約束、とりあえず行ってみよう。
今滞在初期は「こつ然と行方不明」と知って残念、中頃にはチョンプーの店に現れて希望が出て来た。
もしかすると、希望が今日明日中に叶うかも知れない。
DVD捨てずにおいて良かった。
帰路、Sfoodの前を通過。
ここは半年前は理知的なお姉ちゃん相手が相手してくれたので来ていたが、彼女も見かけなくなっていたのでパスしてた。でも客は以前より大幅に増えているのは知っていた。
横目に見ながら歩いているとファランテーブルから、「welcome」のシグナルが・・・
3人席に加えてもらうと、ベルギー、オーストラリア、イングランドと判明。
「半年前は此処にはよく来ていたもんだ」と自己紹介すると、
イングランドは、「この店は私が買い取った。看板は前のままだが、近く、SA・food&Drinkと替えるつもりだ」と。
この人がオーナーのsteveと判明。
スティーブが言うには、「明後日月曜日にパーティやるから来ないか」と。
「何時に?」
「7時頃がいいよ」
「OK、必ず来るよ」
そこへ、奥から、「ストロベリー!」。見ればあのハワイアン。
真ん前のPマンションが彼の住まい。
彼もいつもこの界隈で飲んでいるようだ。
いつでも気楽に立ち寄れそうな店がまたひとつ増えた。
サードを流していると子犬がうずくまっているのを発見。
たぶん捨てられたか、野犬の子として生まれ育犬放棄されたか。
もしかするとエサくれる人間かも・・・、
しかし、警戒心が邪魔して・・・、
間合いを測り兼ねている様です。
パイリーンも、チョコあげた子供も、ダオカフェの子供達も、初対面の時はこの様だった。
昨日は昼夜合わせての走行が8km、累計346kmとなった。
前半に比べると、風邪もあったけど明らかにペースが落ちてきた。
そろそろレンタルバイクにしてもいい頃かな。
2009年にチャーン島でレンタル以来だから4年ぶりで、問題はパタヤの様な交通量下ではまだ経験がない事。まっ、おばちゃん達や歳を召したファラン達も軽快にやっているから大丈夫だろうと思ってはいるが・・・
半径10kmはチャリンコ範囲。バイクだと数倍に広がる。そうなればアドベンチャーツーリングも可能となり、景色も違って来そうだ。
昨夜の歓迎パーティ風景です。
イギリス組はアップ了承済み。邦人組は了承得てないが、構わないよね。
予定通り?、風邪はほぼ全快と、体調戻ってきた。
今朝は06:35起床で19度と少しヒンヤリした。
昨晩はPMさんが無事パタヤ到着で軽くプレ歓迎会。が、この時間帯になると結構冷えていたから、一枚長袖羽織って正解だった。寒気団は去ったと思っていたが戻って来たのかな。
今日の本番歓迎会に向けて、昨日はサンマパーティ用にポイぺト市場まで食材買出しに出掛けた。
近くのスーパーで済ますことも出来るけど、散歩がてら片道2kmほど歩いてね。
徒歩ならスクンビット横断は歩道橋を渡れば問題なしも、チャリンコとなる大変。
横断道路はノース、サウスにそれぞれあるが、そこまでは数キロ先。
横着して、車の途切れた時に横断してしまおうという作戦。
スクンビットロードはバンコクからウタパオ基地方面に流れる大動脈。信号か赤にならない限り車が途切れると事はないが、この信号がやたら長い。
クロスするにはコツが要ります。少なくなった頃見はらかって、「渡るぞ、渡るぞ、ハイ渡ります、ハイ渡りました」てな感じでね。これで中央分離帯まで。ここから向こう側にはまたこれを繰り返す。
下手すりゃ横断するだけで10分以上要することもある。
とにかくタイは車優先社会だから事故れば轢かれ損だ。
日本では人命救護を第一とするがタイでは加害者はまず逃げ出すそうだ。理由は現場に残っておれば袋叩きにされるからとか。
ビデオは昨日14:10頃、車量がこんなに少ないことは滅多にありません。
12/27、バイク事故を目撃したのは0:17~の方向でした。
今日こそは休肝日と思っていたけど、1本だけ飲んでしまった。
でも8時にはベッドに入った。パタヤ最早就寝ではないか。
今朝は鼻水も止まった。この3日ほど無駄にした気分だが2ヶ月の長丁場だからそんな事もあるだろう。
この分で行けば明日朝には全快と期待。
民度と国際親善度
アランとガーンが喧嘩別れしたとウワサで聞いた。
イギリスナイトデー以来、イギリス人もあまり見かけなくなった。
こんな事になりゃ母ちゃんの店もあっがたりだ。オレ達が埋め合わせしてもたかが知れてる。
前のホテルにはロシア人が大挙して住んでいるのだが、このテーブルに加わる事は少ない。
言葉の面だと思うが、一人若い24歳の兄ちゃんは英語も堪能。彼はプーチンが嫌いだと言ってた。
あの通りこの通りでも、接した外国人は北欧系、西ヨーロッパ系が多い。何故か?
いわゆる民度の発達した国だ。
対してロシア、オルガルヒが台頭しつつとも、国として世界から尊敬集めているとは思えない。
中国・韓国に至ってはアウトオブマター。
こうした観察すると、民度と国際親善は相関関係にあるように思える。
(独断と偏見です)
来月分の家賃支払いに行ったらオーナーは、「明日で結構です、その時電気水道の清算もしましょう」。
催促される前に届けようと考えるのは、やはり日本人か、・・・
前半は歳相応以上に走り抜けた感あり。
それで疲労が溜まって風邪ひいた。か、どうかは分からないが、母ちゃんとこで薬もらったがあまり効いている感覚が無い。今朝も鼻水は止まらないし、倦怠感はまだある。
昨夜も節制するつもりが2本だけ飲んでしまった。
でも、今日は完全休肝日に当てようとHさんと相談した。何故なら明日はPMさんが来る日。軽くでも歓迎の宴をするだろうから、体調回復させておかないとね。
子供たちと会えなかった。
土曜日に行ったが会えなかった。
後で知ったが、その日はタイの子供の日だったそうだ。
祝日かは知らないけれど、催しか行事に行ったかもね。
そして翌日の日曜日、また行ってみた。
でも、居なかった。一時間コーラーで過ごしたが、
最後にスタッフに、「この子たちが来たらこの写真を渡して下さい」と、お菓子添えて預けておいた。
まだ1ヶ月あるからね。折をみて来ようと思っている。
このところ、夕方からのパターンも固まってきた。
母ちゃんとこで仲間と飲食。その後はナムケーン、テンモーへ移動。
ここにはいつもハースかウェンが居る。
彼らはいつもオレのレベルに合わせてくれるから助かるが、この前はもう一人のイングランドが加わって同国人同士でベラベラ喋りはじめた。このレベルだと聞き取れないが、「talking about visa?」というのは何となく分った。そして、「そう、ビザの話だ」と。
どうやら彼らもタイ当局のビザ政策に不満を持っているようだと知った。
昨日の外出は両替と、朝食用のパンとミルク買いにBig Cのみ。
昨日から鼻水が出ている。
明け方は布団を取ると悪寒も。
連日動いて来たからたぶん蓄積疲労性感冒かと思う。
そんなんでちょっと一休みとします。
今朝からパソコンが絶不調。
USBが認識されませんとあってマウスが使えない。
再起動すると直っていたものだが今度は5回リセットやっても動かない。
ダウンさせ、暫く時間置いて起動したら、直った。
W8はこんなトラブルが結構多いらしい。
一昨日の午後はbooze loungeへ行ってきた。
カオノイからカオタロを何回か周回していたら、ダークサイドの遊び方が分かってきたような・・・
見たような顔だけど誰だったかなあ。
それに、「kobori」と呼んでいるという事はオレを知っているという事か。さて、誰?
ハースが「ソイ」と呼んだ。
アッ、そうか、あのキーマオソイだ。
彼女、一年前のPアパートに滞在中、前の雑貨屋で昼間から酔っ払い姿をさらしていた。
半年前の滞在ではソイはバンコクに行ったと聞いていたが戻って来ていたのか。
一年前は目が怖かった。酔ったせいもあろうが目が座っていた。
ところが今は全体に表情が柔らかくなっていて前よりも若く見えている。
道理で直ぐには気付かなかったはず。バンコクで修業したのかなあ。
これでこの通りで軽口言える知り合いおばちゃんは7,8人にはなったろうか。
昨晩は一年前に(隠し?)撮った写真を見せにパソコン持ってソイの店に行った。
あられもない酔っ払い姿を見て、「これ撮っていたの?」
「そうだよ、欲しかったらプリントしてあげるけど、どうする」。
「欲しい」。
暫く見かけなかったウェンも居た。一週間程ペチャブンという所へ行ってたそうだ。
PC持って来たなら早速youtube。運よく、Pアパートの電波が拾えた。UKポップスをサーチする中tom jonesのlove me tonight。ウェンによるとtom jonesはまだNo.1の歌手だそうだ。
ここの4,5軒先でパーティーをやっていた。
この類のパーティは食傷気味だけど、子供も参加していたからビデオ撮りさせてもらった。
なんか大人のマネをするのが可愛いね。
ビデオの被写体に子供はピッタリ。
ままごと一人遊びをしていたパイリーンにチャチャ入れたら怒られた。
17:50頃でまだ明るい。
昨晩は日本人4人とマイケルさんカップルのみ。何故かイギリス組は一人もおらず。
一昨晩、soi 11を流していると食堂雑貨屋にファランがたむろしていて、「来ないか」とサイン送っていたのを思い出した。で、昨晩行ってみると客は皆無。
何処の国も飲兵衛は気まぐれなんかな。
昨日の走行:8km、累計:302kmと、ついに300超達成。
今日は子供たちが言っていたシップイットの日。午後はダオカフェへ行ってみよう。
「あの小父さん、本当に来てくれるかなあ」と、きっと話し合ってると思うから。
写真とチョコ、お菓子も持って行こうか。それに子供たちが撮ったビデオを見せにパソコンも前かごに積んで。
チャリンコでスクンビット横断するのは結構難儀です。
The way to T.T
この前は徒労に終わったから、大回りになるけど今日はモスク通りからsoi 24をたどろうと考えた。
この道はすでに2回も走っているから難無く、soi 24にもスンナリ入れた。
目的地もすぐ発見。
13時半頃だった。大柄のファランがバイクでオレと同時に到着。もしかするとあのファランがオーナーかと後で思った。
昼間だからか客は皆無。間違いないのは値段も相応だし、ここは確実にファラン向けの店。プールサイドにはまったり出来そうなバーコーナー、ライブステージ、スクリーンもあって立派な物。
ただロケーションからすると、これにペイできるほど常連客がやってくるのだろうか。
だとすれば、この近辺にもファランの増殖とは、恐るべし。
レッドカレー(100B)とご飯、ビアレオ(60B)を注文。時間掛かったね。仕込みからやってるかと思った。ライスの量はこれもファラン向けだろうね、多すぎる。
味は、カッ、辛い。結局、1/3は残してしまった。
帰りはこの道なりに進めばカオノイ方面に出るはず。数百メートル進むと、見た事あるような風景が・・・
そうだ、2日前におばちゃんに道を尋ねたところだ。な~んだ、あの道で良かったのか。
あと数百メートル進んでおれば良かったんだけど、オレの土地勘・方向感は間違ってなかったと自身を慰めるしかなく、今日の探訪は無事終了。
Mabyailia 24から入ってsoi 9へ抜ける道で1本作ってみた。
冒頭にカメラがブレているのは犬が近づいて来たからです。
野犬恐怖症になってしまったか
最後の直線に入って数百メートル進んだ右側に道を尋ねた食堂があります。
(BGM: my girl)
こっちにいると微塵も感じないが、バンコクはエライ事になりそうとか。
母ちゃんツバメは今、バンコクでデモ隊に加わっているらしい。
旗色は黄色とか(反タクシン派)。
13日は主要道路封鎖?、
インラク首相、一旦退陣表明しないと騒動は収まらないか。
それが無ければ、クーデターが14日のうわさも。
タイの行方には関知しないけど、帰国までまだ1ヶ月以上あるが、
せめて空港まで押し寄せない様願うばかり・・・
以下、ニュース記事を抜粋
反政府派は13日のデモで、政府総合庁舎、高架電車BTSアソーク駅前、ルムピニ公園、パトゥムワン交差点(MBKセンター前)、ラチャプラソン交差点(セントラルワールド前)、戦勝記念塔(BTSビクトリーモニュメント駅)、ラープラーオ5差路の7カ所を占拠する計画。
反タクシン元首相・反タイ政府派がバンコク封鎖を目指す大規模なデモ「バンコク・シャットダウン」を計画している13日、バンコク都内の病院、銀行、ショッピングセンター(SC)、コンビニエンスストア、証券取引所などは通常通り営業する予定だ。
バンコク郊外のスワンナプーム空港当局は搭乗する便の出発時刻の遅くとも4時間前には空港に向かい、高架電車BTS、エアポートリンク、地下鉄MRTなどを利用するよう呼びかけている。
今朝は23度と、今滞在朝の気温としては最高。昨日昼は31度まで上昇と、寒気団は完全に去った模様。
そんな日中、昨日探訪に要した距離は10km(累計273km)。ついにT.Tにたどり着いた。
(この項後日書く予定)
15本飲んだのは、
マンチェスターからやって来たイングランドカップルでした。
6時頃来た時はイギリス人仲間5人ほどがやっていた。
オレも付き合い、1本だけ飲んで中座し、遊歩道へ。
今回はこの辺りもあまり来なくなったが、半年前まではタレー姉ちゃんとの会話はタイ語練習に有用と知って、スラングや卑猥語も教えてもらったもんだ。
途中でHさんから、今帰って来たところで母ちゃんとこでやっていると。
ほんなら今からそっち行くわ。
着くと、カップルだけがまだ居た。
あれから時間も経っているし、前には空き瓶がズラリ。
「もうだいぶん飲んだでしょう、何本くらい?」
「10本かそこら」
4人でbeatlesやら何やら話した。
ファランレディは酔っぱらった勢いでか、訊いてないことまで喋り出す。
「この相方は私を強くずっと抱きしめてくれるからハッピーだ」と。
そうですか、御馳走様。
母ちゃんも売り上げ増えて気分いいのか、シャッター降ろそうとしない。
結局、0時直前まで開けていた。
翌日、あのカップルは何本飲んだのと母ちゃんに訊いてみたら、
「15本」
「レディが10本で、男が5本だっただろうよ」とは、同席していた他のイギリス人の感想。
さすがにこの二晩はカップルは姿を見せていなかったが、昨晩はやって来た。
そして、このテーブルには新たなイギリス人が参加。
差し詰めイギリスナイトとなって、オレ達は肩身狭かった。
チャリンコパワーで見つけた
新規なスポットを探訪しよう。
目指すはカオノイのもっと先、ブーンサンパンsoi 9から入ってマブヤイレアsoi 24に抜けたところにあるT.T。
soi 7は標識があったから次のsoiのはず。ところが次には標識が無かった。
でも前後にはこの道しかないから単に標識が外れているだけだろうと先に進んだ。
人通りも少なく民家も点在程度のこのエリアにも英語看板があり、ある所ではファランが所在無げにしていた。
ついにこんな所くんだりまで来てしまったか。
しかし、T.Tが見つからない。
おばちゃんに尋ねた。おばちゃんはオレのタイ語がまずいのかキョトンとしている。代わりに飯を食べていたオッチャンが来て、「タノンニーソイバーアライクラップ、このソイは何番ですか?」と尋ねると、オレの知らない単語ばかり出てきよった。オレはこのソイが9であるかどうか知りたいだけなんだけど。
今日は諦めよう。だが勉強になった。こんな所にも人が居て生活を営んでいる。そしてこの街は思っている以上に広い事が実感できた。
帰りはタラート近くのテント食堂でまたも定番のカオパットで昼食、40バーツ。
このままアパートに帰ってもなあ。そうだ、ダオカフェに寄ってみよう。
キレイなプールがあって、ファランが9人いた。
ダークサイドに行き始めて気付いたが、初対面の場合は、「何処の何者?」風情で迎えるんだな。
ここはそういうエリアなのか。オレも顔見知りになればニコニコで迎えてくれるかと期待はするが・・・
ビアチャーンを注文。
プールでは3人の子供がはしゃいでいる。
オレのテーブル近くに泳いで来た時、「サヌックマイ、楽しいかい?」
「うん、楽しい」
オレが口もぐもぐさせているのを見て、
「ギンアライ、何食べてんの?」
「ロンタムギンノイ、ちょっと食べてみる?」というと、みんな水から上がって来て手を差し出す。
そしてちゃーんとワーイする。エライ、やはり躾だな。
「ターイループ、写真撮ってえ」
数枚撮ってから、「君たち、好きに写していいよ、こうやったらビデオにもなるよ」と教え、カメラを渡したらこんな映像になっていた。
さすがはお姉ちゃん、ナレーターみたいに喋っているが、このレベルはオレにはチンプンカンプン。
(7歳の妹が写したもの。最後のコマはオレを撮っていたのでこの先カット)
ここらで視線を感じた。おばちゃんやファランも何人かこちらを見ている。
フラ~と入って来て、子供たちとコミュニケーション取れている不思議なアジア人とでも映ったのだろうか。
お姉ちゃん(9歳)が、「何処に住んでいるの」
「自転車で20分のところのARNだよ、知っている?」
「知っている」
更に、「此処には次いつ来るの?」
「君たちはいつもここで遊んでいるのかい?」
「毎日じゃない。次はシップイットソーンに」と、どうやら学校が休みの時だけ来るようだ。
このカフェも子供達も一期一会のふれあいでヨシと思っていたが、「次いつ来るの?」と尋いてくるという事は・・・
咄嗟に、「また来るよ、君たちが撮った写真プリントして持ってくるからね」と約束した。
自転車に跨る所まで追って来て、「バーイ・バーイ」と手を振る。
「よっ、よさないか、歳とるとプチ・ウルルンくるじゃねえか」。
子供達にも一時の、オレもまた良い時間つぶしになったよ、有難う子供達。
来週、必ず行くからね。
今朝7時の気温は22度。
昨日昼間はダークサイドを漕いでいたら汗だくと、真夏並み。
オレの腕は皮がメクれてきた。それだけ直射日光に晒されてるという事か。
ようやく寒気団も去った模様。こうでないと避寒を求めて南国に来た意味が無い、良し・よし。
テーマは、ふ・れ・あ・い - チョコ編
ここのアパートに住んでいるファランの言語はフランス語らしいと解ってきた。
1階突き当りの部屋の前で一人で泣いているファラン系女児を発見。
「チョコあげるから、泣かないで」。
女児は泣き止んだが、知らん人からそう言われてもね、警戒表情がありあり。
その時撮った写真がコレ。
後日、クリーンスタッフおばちゃんが別な女児の相手をしていた。
ここでもおばちゃんに、「チョコあげてもいい?」
女児はワーイをしながら手を伸ばしてきた。可愛いもんだ。
そして、おばちゃんが、「この子は写真の子だよ」と。
「エッ、」、目を疑った。
髪型が全く違う。それにあの警戒心丸出しの表情とも違う。
アパートオーナーのチュンさんが言うには、「この子はスゴイ我儘だよ」と。
なんでも自分でハサミ使って自分の髪の毛を切ったそうな。
見苦しいので理髪店へ連れて行き、整髪したから印象が違うのだと。
そして3度目に会った時は自ら、「チョコくれ」と要求する。
「クンチューアライクラップあなたの名前は何ですか?」
「パイリーン、3歳」
「ポムチューコボリ、ヤークジャペンプアンガップクン、ヤールームナ、コボリです、君と友達になりたいな、忘れないでね」。
この頃にはもうすっかり懐いていた。
Hさん新アパートを訪問すると階下ではいつも5人の子供が遊んでいる。
ここで箱開けると2粒しか残ってない。子供は3人、さぁどうするか。バナナを食べていた子以外の2人にあげたら3人全員が階段まで付いて来て困ったね。
「次に来る時もっと持ってくるからね、待っていなさい」
たぶん子供達には今後はオレがチョコに見えるのではないだろうか。
子供達とのふ・れ・あ・い・はチョコが役立ちます。
昨晩はキレイな三日月がくっきりと
このところ生活パターンが定まってきた。
午前中はパソコン。
ネット、ブログ更新やメール、それに映像編集が最も時間取られる。
カット、ペースト、音楽挿入してレンダリングすると3分物でも1時間掛かる。
それをyoutubeにアップすると、更に一時間半も掛かる(日本の我が家は5分)。
タイのwifiはアップロードは速度が遅いようだ。
だから起きるなりすぐレンダリングとアップロードを仕掛けておいて、その間に髭剃り、洗濯、朝食、雑用を済ますようにしている。
午後からはふれあいを求めて探訪に出掛ける。
半年前、アパート探し途中に寄ったソイ17のフード店を覗くとタイ語で、
「随分見かけなかったねえ、何処かに行っていたの?」
このおばちゃんとは1回だけなのに覚えていてくれたのか。
「日本に帰っていたんだ、住んでないよ」
瘡蓋見て、「その傷どうしたの、ちゃんと薬塗ってるの?」
「これ60Bで買ったけど、良い薬かい?」とチューブを見せると、
「良いの買ったね」。
この店、おばちゃんが一人で切り盛りしていて、大通りに面していないから静か。
ちょっと高めなのが難点だけど、
「明日は鶏肉スープ作る日だから、また来てね」。
英語もスムーズに話せる中々のインテリおばちゃんです。
このおばちゃんから聞いた。
コンビニで売られている最安ビールcheersブランドは、ハイネケン同等(系列、子会社?)だそうです。
Mabprachan reservoir - la guinguette club編
ロングサイクリングだったから体力に余裕があれば帰路に寄ってみようと思っていたスポット。
小さい入口から入ると外見から観たイメージとは大違い。
東屋風な屋根に大きめのスツール。それにキレイなプールもあり、ファランがまったりとしていた。
こうした場面、本当にファランは恰好好いなあと思う。
ビアチャーンでリラックスしている最中、突然制服姿の男女数人が固まってやって来た。その中の一人がオレの席にきて資料を見せながらいきなりタイ語でなんたらと。「私はタイ人でありません。英語で話して下さい」。
女は単語程度しか話せなかったが、資料を見るとどうやら身障者子供支援の募金活動してる団体らしいと推測できる。「つまり、寄付をして下さいということだね」。女はうなづいた。
50バーツ紙幣を渡すと次の客へと一人一人に要請している。あれでは客は断れん。
ウマい募金活動するもんだなあと感心した。
そして、此処を離れようとしたら自転車がパンクして、この日の苦難が始まった。
昨日は、20日目にして何もしない休養日とした。
おかげで一日の出費はたった225B。食事二回、ビール2本、テンモー2切れ、これだけなんだけど、偶にはいいか。
でも、なにもしないと言っても部屋に籠っているわけではない。昼ビーチへ行ってみたらテント村は昨日撤去されて広々としている。その分人が少なく見えたが錯覚か。
それに、セントラルからバリハイ丘が見渡せない。チャイナからPM2.5がここまで流れているとは思わないが、昼間こんなにモヤったの見たのは初めて。
夕方、母ちゃんの店でビアチャーン1本。日本人はオレだけ(あとでHさんがコーラー飲みに来たが)。
あのフィアンセもやって来た。
「オレがドイツ語で知っているのは、ダンケシェンと、イッヒリッヒリーベくらいだけど、合っているかい?」
「ちょっと違う」と発音直された。
楠田枝里子似がやって来たね。この方この前初めてみた女性だ。
Hさんは、「だいぶん歳こいとるで」と言っていたが、たぶんそう。しかもキレイなストレートヘアーはカツラに見えるのだが。
いろんな国籍、新おばちゃん達も現れるなと、ここに居るだけでも結構一期一会が楽しめる。
その足でブッカウへ流すとハースが一人で居ました。
このところウェンを見かけないが、拠点を替えたのだろうか。
ハースが、「飲もうよ」
オレが逆に、「好い店を見つけたんだ(母ちゃんの店の事)、行ってみないか。ここから500mのところだけど」
これにはハースが返事する前にチョンプーとシスターが「ノー」と遮る。
ブッカウバーが閑散としていた。R-conは壊滅。左端にファランが一人いただけ。8時頃だったからまだ早すぎたかも。その通りをセカンドへ抜けても同じだった。姉ちゃん達はヒマ持て余し気味だが、所々ファランが大挙して集まってる店もある。
遊歩道も似た様なもんだった。整備前は座るところがあって外国人とレディの怪しげな会話光景を散見していたものだったが、整備後は座るところが無い。
今更ゴーゴーに行ってもね。
やっぱりWに戻ろうか。
この夜は何故か此処も客少なし。
で、座るといつもの通り、注文してないのにビアチャーンとアイスが届いた。
10時には部屋に帰ったが、偶にはこんな日もあっていいか。
Mabprachan reservoir - 住んでみたい編
そろそろ飯を。
food&drinkのある看板の店に行くと食い物は隣の店と紹介された。
ビアチャーン小60Bとシーフード焼き飯(60B)を注文したね。待ってる間に奥からファランが現れた。
「ようこそ、日本人ですか?」
もし、韓国人・中国人ですかと聞かれたらこの店には二度と来ないだろうけど・・・
彼はイングランドからでこの店のオーナー。ビジネスとしてやってるそうだ。
「日本も寒いでしょう?」
「そうです、だから日本をエスケイプして来たんですよ」
「その気持ち分るよ、イギリスも今頃の気候はテレブルだ」と。
今回は飯とビール小瓶だけで済ませたが、屋外のバーカウンターは好い雰囲気だった。
お姉ちゃん達は客が居ないせいもあって所在無げにしていたが、もしこの近辺に宿借りていたなら夜風に吹かれながら飲むビールは格別なはず。喧騒パタヤにもこんな所があるんだな。
試しに一週間ぐらい住んでみようかと思わせるくらい絶好のポイントを探し当てた気分になった。
そこで彼女、携帯取り出した。もちろん通話相手は誕生パーティ主役のカーステンさん。
I love youなんたらと・・・
暫くして、「コボリも此処にいるよ」と言いながら携帯を振り、オレに話せと言う。
こんな時何を話せばいいんだ。
「Hi,I'm kobori。ドイツに無事着いたらしいね、良かった。あのビデオ、ドイツでちゃんと見れるかい?・・・」
これに対するカーステンの返事が聴き取れない。
対面でゆっくり話してもらえれば大方理解できるが、音声だけでは心許ない。オレのレベルは所詮この程度。しかもドイツ訛りだし、オレも酔っぱらっていてはね。
フィアンセに電話戻すと、なんたらかんたらと最後の言葉が、「100万バーツ送ってね」だった。
真相は解らないが、「この国際結婚、たぶんウマく行かないね」とは、あとで仲間内のヒソヒソ話。
数日前にもファランと、タイでは珍しい?淑女然としたレディのカップルがオレ達にテーブルに同席となった。始めは和気あいあいと、ところがアルコールが進んだ頃、男が「take me home!」と言って険悪な雰囲気になって席を立ち、歩き始めた。レディがあとを追っかける。暫くしてレディが一人で何事も無かったかの様に平然として戻ってきた。何があったか知らないけれど、この淑女を翌日、違う場所で見かけた。
外国人とタイレディのカップル。
同床異夢の感を更に強くした。
昨日の走行、ジョムティエンまで18km 累積:226km
Jomthien Bar Street
天気は好いのだけど、モヤが掛かったような空気です。
2014年元旦の夕陽。
Mabprachan reservoir - 家族に乾杯スタイルトーク編
ここから南へ数キロの所にサイアムカントリーオールドコースがあって2,3年前宮里藍ちゃんがLPGA大会で優勝した所。今年も2月に行われるそうだが、オレは直前に帰国とあって残念。
英語看板はあちこちで散見したからこのエリアにもファランが多く住んでいるという事だね。
釣り人発見。
「ハロー、トックプラー?こんにちわ、魚釣り?」
「トックアライロー何が釣れるの?」
見せてもらったら30cm強の魚がイケス籠に。仕掛けのエサはチヌを釣る時のような肉団子を針の上から固めて池に垂らす。
魚の名前は現地で「ラン」というそうだ。
釣る瞬間をビデオ撮りさせてもらう了解を得て10分ほど構えていたが釣果なし。
「シエチャイ・オッガートナー残念この次ね」と先に進めた。
水際広場で子供を遊ばせていた親子(孫連れ?)を発見、近づいた。
「ハロー、ワンニーアッガーディ・ドゥレンガップルークマイこんにちわ、好い天気ですね、お子さんとさんと散歩ですか」とオレから話しかけた。
「日本人ですか?、南無妙法蓮華経で一度日本へ行った事があります。日本はキレイで私は好きです」と。嬉しいね、こういう人たちに出会えると。
彼は片言日本語と、少し英語も話せた。
「タイに何年住んでいるんですか?」
「いや、住んではいません。長期のホリディを取りながら来たり帰ったりしてるだけです」。
「イントネーションが自然だから住んでいるもんだと思っていました」
4声発音は難しいが、イントネーションについてはPアパートのお姉さんや他の人からも「チャットディ」と言われた事がある。つまり、覚え立ての頃にカセットテープが擦り切れるほど聴いて真似てを繰り返していた事が今になって役立っているようだ。
でも、あんまり長話になると馬脚を現してしまうからね。
最後に子供に「チョーブチョコレートマイ、チョコ好きですか?」と言ったら警戒心からか、ウンともスンとも返事しない。パパがそのまま訊き直すと女児は頷たね。パパにも一つ、オレも一緒に食べた。
いい空気が流れた一期一会だったな。
また一つ歳を重ねると思えばおめでたくはないけれど、ここは義理で、
サワディ・ピー・マイ、新年おめでとうございます
大晦日の夕方、仲間内で飲み始めた。
ビデオ撮りが頭にあったから早めに切り上げ、一旦部屋に戻り酔いを醒まして行くつもりが
ウトウトしてしまい、気がつけばカウントダウン開始40分前。
自転車飛ばしたら15分前に到着と、危うくセーフだった。
昨晩の新年祝い花火ショーはノースから撮った。
過去2回はサウス付近だったので大変な混雑だったが、ノースはそれほどでもないと推測していたらその通りだった。
おかげでチャリンコでも帰路はスイスイ。ナムケーン、ドゥディも所々で新年カラオケやっていた。
さっき周辺を流してみたけどカウントダウン時の喧騒は跡形もない。平和です。
日本の様に社寺にお参りするわけでもなく、正月の雰囲気は全くありません。
新年祝い花火2014(正味7分のショーでした)
1/4が過ぎて疲れも出て来た。
7時に目覚めたが身体が動かない。
昼間は走って夜は飲食の連日だから、これでは残り3/4が持たない。
少しペースを落とそう。昨日まで186km走行。
あと十数時間で2014年を迎える。
昨日はカウントダウン花火撮影ポイントを探しに出掛けた。
遊歩道はテント村と化し、二人が横になって歩けないほど。
花火見物で殺到するポイントに何故このタイミングに設置するのか、タイ人の考えは解らない。
テントが途切れたノースピア辺りが良さげ。
少し南のビーチ・チェアーで寝そべって撮るのも良し。
今年もなんとか乗り切れたかな。
では、来年も良き年でありますように・・・
真ん前のバーがパーティやっていた(アパート近くのラウンジWから)