翌早朝のフライトに備えて夕方、バンコクに着いた。
素泊まりでいいからとMホテルを予約していた。
ところが、800バーツの部屋はベッドが半分占める程と狭い。
クローゼットも無し。ロケーションが良いだけに、このエリアでは800ならこんなもんか。
まぁ、寝るだけだからいいや。
wifiはロビーと、レストランで使えるとの事(部屋は不可)。
ガーデンレストランでメシ食いながらネットやっていると、画面に興味を示したファラン顔の坊やが、「タムアライユー何してんの?」とやって来て、チョコあげると喜んでいた。
喰い終えると近くのジャーマンビアへ。
ここも昔はよく遊んだところだが、この日は客入りは少なかった。
ここもビアチャーン小瓶が95Bとなっていて、パタヤの50Bに慣れているとスゴク高い。
ホテルに戻る道の両脇には怪しいネオンが・・・
それらしきレディが待機しているところから・・・、想像した。
デモ隊に遭遇
久しぶりのバンコクだから懐かしいところをあっちこっち周りたい。
カウボーイに向かうとsoi 19でバリケード張っていた。
バリケードに入るには手荷物チェックされる。
「なにも無いよ、このデジカメぐらいだ」で、通してもらい進んだ。
その先から巨大なスクリーンと、ガンガン音が、
アソク交差点は東西南北半径100M以上に亘り占拠状態だった。
老若男女がリーダーの演説に呼応して気勢上げている。
テントで寝泊りしているのか、ペブリ方向にはドームも出現している。
シャットダウン作戦から1ヶ月でまだこの状態とは、
大動脈がこんなマヒでは経済的損失も大きかろう
明日の空港行きはスクンビットでタクシー拾うからsoi19で左折だろうなと想像していたら、
その通りだった。
元を質せばインラクが実兄のタクシンに恩赦を与える法案を上程したのが発端。
縁故、側近、身内政治がまかり通るタイの政治。
選挙で勝つには勝っても、数で押し切るほどタイの民主主義は熟してないと思う。
インラク首相も首相府を離れて、新たな執務室は明らかにしてないとか。
このアソクから北へ3km程離れたラチャプラソン交差点が激しい。
爆発物で幼子の犠牲者も出て来たとなれば、政変の声が聞かれるのも、そろそろかも・・・
2014.2.11.午後9時頃のアソク交差点の様子(0:49頃がBTSアソク駅方向)
帰国数日前に東京都心は45年ぶりの積雪で、空港が麻痺とニュースが流れていた。
間もなくそんな寒い所へ帰るんだなと思うも、そんなのは覚悟できている。
実際に関空に降り立った時は6度だったけど心構えはできているから堪えなかった。
そして帰国2日目の朝に窓越しから見えるのはボタン雪で、屋根道路には積もっていた。
この雪景色も、偶には好いものだと思う。
ところが予期せぬ寒さには堪えたね。
南国のこの地でこんな寒気に包まれるとは思ってもいなかった。
12/21のパーティーの夜、マイケルさんやオレも半そでに短パンで、
ブルブルしながらもなんとか過ごせた。
ところが、ゲーオちゃんは辛抱堪らんと厚着を取りに帰ったから、
タイ人にとっては我慢できなかったろうね。
方やフィンランド人は、国は今時期マイナス31度だからこんなの暖かいとのたまう。
連日の寒さで、夜は長ズボンにジャンパーを重ねる事もしばしば。
おかげで、風邪ひいて3日程ロスしてしまった。
動き回れて防寒着兼用のトレーナー類が来期以降は必須かも。
帰国2日目に我が家から見た雪景色(2014.2.14.午前9時前)
帰国から早10日が過ぎて、パタヤが遠くなりにけり。
いつもながらタイモードからジャパンモードに戻すには時間が掛かる。
滞在中、よく働いてくれたノートPCが帰国と同時にダウン。
というのは、バンコクを飛び立ち後、機内で起動したらUSBマウスが動かず。
帰宅して電源入れると今度は充電ランプが点灯せずと、ついに入院(修理出し)させて一昨日
退院してきました。
ハイビジョン編集はwindows8が欠かせないから、これが無ければ先に進めない。
で、撮ったビデオ3時間と写真660枚を基に、日記メモと照らしながらボチボチ再開しよう。
ロストバゲージか
関空には定刻に着陸。
ターンテーブルに排出されるバゲージを待ったが、オレのが中々出てこない。
疎らになったところで係員に尋ねた。
「私のバッグが出てきません」
「どんな形状ですか?」
「かくかくしかじかの・・・」
「では、見てきます」
カーテン裏に行って戻ってきて、
「残っていませんでした」
ターンテーブルから降ろされてまだ引き取り手がないバッグが床に3個あった。
係員が、「この中にありませんか?」
一つに半透明ナイロン袋に収まっている形大きさが似ているバッグがあった。
で、結び目を解いてみると、なんとオレのではないか。
いったい誰が何の為にナイロン袋を?
像想していなかったので全く気付かなかった。
確かに台北空港では雨が降っていたが、それなら他の人のもそうしていたはず。
誰かが小さな親切でやったのなら大きなお世話だったね。
遅くなるほど外は冷えてくるから気は逸っていたのに、これで電車2本は遅れた。
初和食は関空からの帰路スーパーに寄って、肉じゃが70B、餃子80B、牛丼80Bの占めて230Bを買って家路に着いた。
(2ヶ月も居るとバーツ建てで考えてしまう)
ドアー開けてブレーカー上げると電気は点いたが、ガスは一旦停止手続きをしていたから使えない。
当初の帰宅予定時刻が午後2時頃だったから5時頃に点検供用開始となるよう出発前に手配していたが、予定機がフライトキャンセルで数時間遅れた為に点検立会いに間に合わなかった。
この時期に湯が使えないなんて、と思っても今の時間からガス屋さんが来てくれる訳でもないし、
でも電気だけでも使えてよかったよ。チンしてなんとか食べれたし、暖も取れたからね。
ライフラインとはよく言ったもの。
電気・ガスの有り難味を知った。
雨の台北桃園空港に着陸寸前(2014.2.12.午前11:50頃)
最後の朝を迎えた。
午後には当地を離れてバンコクで一泊し、明早朝の空港行きに備える事にした。
ここに居られるのもあと数時間。
最終荷造り終えたら、見慣れた(見飽きた)光景ではあるが、周辺をひとっ走りしてからおさらばすることにしよう。
昨日、ピムちゃんに帰国の挨拶に行ったら、次来るときにソーメン・ツユ・ラー油を、お金払うから買って来て欲しいと頼まれた。
スティーブは4月にイングランドに帰り、スタートさせたばかりの店はアンに任せて、8月に戻って来るとの事。「また会おう、ナイスな出会いだった」と彼は言っていた。
いいねえ。彼らはアジア人を見下しているという邦人もいたが、少なくともスティーブはリスペクトを持って接してくれた英国紳士と映る。
夕方にはsomママとjoshuaが会いに来てくれた。
ビザ関係が順調なら母息子はイギリスに渡ってしまうから、次に来た時はもう居ない可能性が大だが、この日の話では5月はまだ此処に居るようだ。そして2年でまた戻って来るとの事。
joshuaには、「オレがイギリスに遊びに行った時はテイクケーしてくれよ」と頼んでおいたが、今の齢ではピンときてないようだった。
今はテキサスに住んでいるデーンとsomとの電話に、共通の話題として時々オレの名前が出てくるそうだが、こそばゆく感じる。
そしてsomからは、「私達これからもずっと友達でいましょうよ」と、暫しのお別れとしたが感動的な時間だった。
ハースは居なかったので、シスターにオレのメッセージ託した。
ウェンもおらず、パットにメッセージ託した。
する事(挨拶)終えたらスッキリしたね。無性に飲みたくなった。
で、最後はやっぱりWへ。
ワンダおばちゃんにも挨拶。
ここでは初めて日本人と会った。近くのコンドーに宿とっていてソンクラーン明けまですむそうだ。
何度か顔合わせた程度のちょっと怖い感じのスキンヘッドファランが来た。
お互いに、「ヤー!」。
「オレ、明日日本に帰るんだ」
ファランも、「オレも明日イギリスに帰るんだ」と。
「コレ食べないか」と差し出してきたのが虫の揚げ物。
「遠慮するよ」というとこのファランは自分の口に放り込んだ。
とにかく、今回もなんとか無事で、有終の美で結べたかな、と自分では思っている。
明日は寒い日本か。
大阪の予想最高気温が9度なら、自宅に着く夜には5度くらいになっているかな。
想像しただけで身体がブルってきそう。
暖かい南国で頭も身体も弛緩しきっているから、風邪には気をつけないとね。
2ヶ月旅の垢を落とした頃には、また想い出話で再開しようと思っている。
少し休みます。
行き先変更してバリハイ岬へサイクリング。
その足でプラタムナックを坂越えして紳士の殿堂キンナリーへ行って来た。
帰路タプラヤロードはほゞ下り坂で楽チン。
このコース16kmと、これで600km超えた。我ながらようやるよ、この歳で。
帰国前カウントダウン始まっているから思い残し無い様にしたかった。
そのひとつが、久しく無縁だったウォーキングストリート。オーソドックスにhappyに入店するとほぼ満席。ファラン:アジア人は5:5若しくは、4:6でアジア人が多い。そのアジア人は殆どが日本人と見たが、この地で唯一日本人が幅を利かせられるスポットか。
店内もマイナーチェンジしていて、バーファイン700、レディースドリンク130Bと値上がっていた。
少し間を空けるとこれだからね。
最後はまたもWへ
いつになく賑わっていた。タイレディにファランおばちゃんが踊っている。男も加わって、その内ワンダおばちゃんがオレにも踊れと催促したが、もうそんなパワーは残っていなかった。
アパートの戻ったのは0時過ぎていた。
今朝は最後の洗濯。夕方には乾くだろうからそれを待って荷造りしよう。
今日の内に今回知り合いお世話になった方、食堂のおばちゃん達、夜にはハースやウェンにパット、スティーブにも帰国の挨拶に行こう。
終わってみれば2ヶ月なんてアッという間
イヤな事や楽しかった事、感動も、今回もいろいろあった。
何も無いのは一見良さげ。でも、それでは面白くないから、終り良ければ全てヨシとしよう。
最後の日曜日を静かな朝で迎えた。
と言うのは、平日は毎朝7時頃から学校のスピーカーから大音量が流れて来る。
8:05頃から国歌斉唱が始まり、授業内容によってか、その後も延々と続く場合もある。
始めはウルサイと思っていたが慣れだね。国歌のメロディがすっかり頭に入った。
好いメロディだと思うよ、タイの国歌は。
ライブバーは昨夜で6日連続で入店。
レベル的にはお金を払ってまで聞きたいとは思わないと昨晩一緒した音楽に造形深いOさんと意見が一致。ただ、知ってるoldiesが流れると自然と聴き入るね。
600超えなるか
昨日昼間のダークサイドサイクリングが8.8km。
夜のライブバー徘徊などで約5km移動して、今時点での累計距離は584kmとなって、600間近。
例えば今日辺りmabprachanへ一っ走りすれば一気に超える。
残ったチョコ1枚半を前籠に積んで、ラストランやってみようかと思案中。
ただ今、またカオノイのstar lightに来てこれを書いています。
その前にダオカフェに寄ったけど、あの子供たちは居なかった。
特に行く当てはないけれど、当分の見納めだからね。
何度も走ったこの道を目に焼き付けておこうと思っている。
このあとはカオタロを抜け、途中のBN辺りで一杯やるかも。
14:38、star lightにて
ブログも連続55日書いているが、都度題材を思いつくもんだと我ながら思う。
それは毎日なにがしらの変化があるからで、その変化を求めてやって来たから題材に困る事はないけど、ただ滞在疲れと相まって書くのがシンドクなって来たのも事実。
でも、こちらで書けるのは泣いても笑ってもあと4回だから、最後のひと踏ん張りとしようか。
帰国後はしばらく休みたい心境。
ミック・ジャガー似
今宵の寝酒もWにしよう。
着くといつものカウンターには初見のファランが座っていた。
注文を言わなくても持って来るレディが、「あっちの席にする?」と目配せすると、そのファランが、「こんにちわ」と。
「一人?、一緒いい?」。
オーストラリア人と自己紹介し、「国ではトヨタ、ホンダ等日本製品で溢れている。どうしたら日本は優秀な製品を作れるんだ?」等、外人特有の褒め殺しっていうやつか。
その内、ファラン二人組が入って来た。で、瞬間思ったね。アッ、ミック・ジャガーだ。
左からオーストラリア、国籍不明、ドイツ、スウェーデン(ミック・ジャガー)で、
国籍不明以外はみんな初対面。
0:17頃にmick jagur, look at meと言っているのはオレです。
(承諾得てないので、数日置いて削除予定)
ライブバーからの帰路、ハースがチョンプー店を後にしてるところでバッタリ。
ハースが、「最近来ないな。奢るから明日早い時間に来いよ」と。
で、6時半ごろ行ってみたらシスターが、「散髪に行ったきりまだ戻って来てない」と。
「そうか、あとで来る」と言い残して、その間に邦人仲間とビール1本。
7時半ごろ行ったら居ました居ました、ハースと新顔ファラン、それにウェンの3人が。
ウェンとはあれ以来で、とても気にしていて、後悔の気持ちを伝えてきた。
「もう終わった事だ。せっかくハースが奢ってくれるのだから、忘れて楽しく飲もう」。
でも、ウェンはその間にもare you all right?を連発していた。
ウェンは現在失業の身だから長居している。来月帰国したら職探しから始めると言っていた。
ハースとチョンプーは10年以上も付き合っているそうだ。彼も年1回、次はnovemberに来タイの予定とか。そして二人共この界隈に宿をとるそうだから、お互い健康体である限り、一年内にまた再会できそうだ。
ウェンとはちょっとした事はあってもたったそれだけ。「雨降って地固まる」で、友情が続けられるパーソナリティと見た。
新顔はニューヨークからで、ドクターと名乗っていた。なんでも千葉大学で教えた経験があり、片言日本語も発してた。
ファランに奢ってもらったのは初めて。
日常ではあり得ない国際親善がここでは日常茶飯。好いねえこんなの。
誰がなんと言おうとも今後も、ファラン、おばちゃん、邦人と、全方位で付き合いたいもんだ。
ただし、フリーランサーおばちゃんには気をつけろとは学習したよ。
フライトキャンセル
中華航空から、「搭乗予定便がキャンセルになった。ついては同日早朝発便に振り替える」と
メールがあった。
そうなら前日BKKで一泊か、同日未明にタクシーチャーターして空港直行とするか二つに一つの選択肢しかない。
総合的に勘案してタクシーチャーターする事に決めた。
これで、あと5昼夜過ごせる事になった。
ほゞ2ヶ月滞在して、正直言えば疲労感もある。
この地に慣れてるとは言え、よその国であるし、我が家でもないところから致し方ないか。
これで、2ヶ月滞在を2回体験した事になる。
過ごし方、ペース配分にも考慮しながらやって来たが、次は?
2ヶ月は長すぎるような、1ヶ月では物足りないような・・・
桜の頃には輪郭が浮かんで来るだろうか。
今滞在初めて散髪した。
日本なら仕様あれこれ聞かれるが、此処では「短くカットしてくれ、任せる」と伝えたら、刈り込み入れてタイ人スタイルになってしまった。
70バーツにチップ10プラスして80B。円に換算すると250円か、安いな。
ピムちゃんとこに残してあったビール1本を飲み乾してきた。
ピムちゃんに、次来るときはソーメンとつゆを買ってきて欲しいと頼まれた。
日本に7年も住んでいたというからソーメンが好きだっただろうな。
ディスコに連れてって
3夜連続でライブバーに行って来た。
前2夜は道端カウンターに、今夜は中席の口パクレディのカウンターに着席。
レディが、「日本人でしょう?」
「メチャーイ、ペンコンヨーラマン、いいえ、私はドイツ人です」と、見え透いた軽いジョークで始まった。
レディの名前はサーサちゃん、30歳だって。
その内、左と右のレディも寄って来たりして、「アジア人は相手にしないのよ」とは大違い。
結局コミュニケーションが取れたからだと思う。
驚いたことには2日続けでオレがチャリンコをあそこに止めてあのカウンターに座っていた事を知っていたというから、レディ達は客の動きをちゃんと見ているという事か。さすがプロフェッショナル。
サーサちゃんにディスコに連れて行けとせがまれたけど、タイ人のそれは留まる事を知らない、当に踊り狂うというのを知っているから、「オッガートナー、次の機会に」として置いた。
顔見知りになると集られると知っているから今晩はどうしようか。
セントラルの、昔ドルフィン像があった辺りでこんな飾り付けがあった。
マイクモールのビーチ側でやっていた。
2月に入って寒気も去ったようだ。
6:30で23度、昼は直射日光が射さないベランダでも30度まで上がるから、直射下では体感35度くらにはなっているだろうか。
今季節日本の一桁気温を想像すると、・・・ここは天国に思えて来た。
そんな暑さの中、チャリンコ漕いでジョムティエン発空港行きのバス予約に行って来たが、
3日前から受け付けるとの事で、徒労に終わった。
チャリンコは少々の距離はなんのその。堪えるのはアップダウンだ。
で、帰りは比較的フラットなテップラシットからスクンビット経由にすると、遠回りになるもこちらの方が楽だった。
またwonderfulに行って来た。
昨晩の口パクシグナルレディは見えず。
仕方なく昨晩と同じ位置でライブバンド聴きながら一方、ファランとレディのコミュニケーション取り方や間合いを観察していた。
で、思ったね。
「私らはアジア人は相手にしないのよ」って書いたけど、あれはオレの勘違い。
始めからドリンク奢ってワイワイやれば相手してくれる。
ただ、ドリンク奢りたくなるようなレディは中々見つからないから敬遠してただけだ。
客もいろいろ、レディもいろいろ・・・
いつの間にかあのレディを発見。昨晩と同じカウンターでファランのドリンクにありついていた。
割って入るわけにいかず、もう時間だなと思った頃、レディと視線が合った。瞬間see you tomo・・と口パクすると、レディもsee you、と。
南国の夜は、「酒とレディに、ミュージック」、
これかなあ。
仲間との会食終えたのは手頃な時間だが、南国の夜は長いから部屋に直行するには勿体ない。
まずaction streetに行ってみた。う~ん、閑散気味。
隣のR-con blue oceanがある2階建てのバーも訪ねてみたが、2階は全店閉店。1階も超閑散としてた。
この類のバーは何処も同じでパターンが読めるから無駄にマネー遣う必要もなかろう。
そうだ、レディはもう要らないから、今宵はライブミュージックに入り浸ろう。
こんな時チャリンコは便利。Uターンして5分でwonderful 2に到着した。
いつもは満席なのに、この時間は2割程度空いている。
1年前までは度々入った店だが、客筋はほゞファランオンリーで、アジア人はまず見掛けない。
いつも満席に近かったからレディも忙しく、「私らはアジア人は相手にしないのよ」にオレには映っていた。
前方カウンターの中に眩いレディが2人ほど居たのを知っていたが、listening to musicに集中のつもりで、この夜は敢えて道端に面したバンドが正面に見渡せるカウンターに陣取った。
しかし、その眩いレディの一人が、「こっちの席に移って来ない?」とオレに向けて口パクでジェスチャーするではないか。こんなの初めてだ。
で、この時印籠を取り出して、「アライナ、何ですか?」とやったら大受けだったね。
印籠とは何を隠そう、デカ耳の事です。
移ってもいいのだけど、ドリンク奢れ、あとの話も想像つく。
(眩いレディを隠し撮りです)
観察していると、レディはカウンター毎に担当しているみたいで他のカウンターに移動できないようだ。そうか、それで手招きジェスチャーなのか。
暫くARN村に籠っていたから、久しぶりに華やかな世界に触れると初期の頃を思い出して血が騒ぎ始めた面持になったね。
そのARN村に戻る途中、後ろから「コボリ」と。
振り返るとAちゃんではないか。
オレ達がまだあそこで飲んでいるではとやって来たそうだ。
「なら、あそこで飲もうではないか」と、この夜の寝酒はまたもW店となった。
彼はその後soi 6に向かうと言っていたが、そこら辺の話しを次聞かせてもらえるだろうか。
(Aちゃん、こんな事書いても良かったかな?)
で、残すは全昼夜過ごせるのは今日を含んで一週間しかないから、村も華やか世界も思い残すことなく堪能したいな。
だったら今夜も行ってみようか。
その時、満席でまた「アジア人は相手にしないのよ」になるか、「アラ、また来てくれたのね」になるか、その後の展開は、オレにも読めない。
バンド前に大柄ファラン2人が論争していたのでカメラを上に向け、音だけ拾った。
再びレイク方面へサイクリング。
目的は家族に乾杯・ふれあいトークだったが、出会えたのは1組だけ。
べっぴんママとその子供、7ヶ月だそうだ。
13時過ぎだったか、そろそろこの辺りでメシを、と探したが殆どがシャッター降ろしたまま。
前回はこの時間で営業やっていたのに何故?
そうだ、総選挙の日だった。
アルコール類と一体販売だからメシだけとしたら客は少ないか。
こんな場合は一層の事閉店がベターだろうな。
ペダルを漕いでいる最中、somママから電話があった。
「コボリ、今何処に居る?、メシ食べに行こうよ」、とここまでは聞こえたが、この先何を言ってるのか分からない。
オレの携帯、なんせ音質が悪い。部屋で耳清ませたら聞こえるのだが・・・
「今ダークサイドに居る。アパートに戻ったら折り返し電話するよ」と一方的に伝えておいて電話切った。
夕方、ママと息子が車でオレを迎えに来て、途中セントラルでポーンおばさん拾い、4人でウォーキングストリートのsea food店へ。この店は知らなかったが周囲は見覚えがある。
何を隠そう、somママが9年前に働いていた所の直ぐ近く。あの頃はjoshuaがこの世に生誕する事さえ夢想もできなかった時代。そのjoshuaが7歳になり、近く渡英する運命にあるとは・・・
ソンクラーン明けにはイギリスからパパが再来タイ。結婚証明書を添えてビザ申請すれば1週間ほどで下りる見込みとか。
そうなれば、5月頃には母息子で渡英となると、オレの次回滞在時には母息子はパタヤを離れているはずだから、実質的には昨晩が最後の晩餐となってしまった。
話しは戻るが入店したのは7時頃。
まだ酒類販売禁止は続いていたから諦めていたのに、
8時頃になると店側から、解禁すると嬉しい知らせが、
やはり、南国とビールは切り離せられない。
で、1本だけでは物足りない。
最後はw店へ。
昨晩は閉まっていたのに今宵は営業中。
昨日の反動からか、いつになく客が多い。
休肝日を作ろうとは思ってはいたがこの50日間、結局飲まない夜はなかった。
残り1週間余りも、休肝日は無さそうだ。
いつも友好的に飲んでいたウェンとだったが、昨晩は「言った、言わなかった」ですったもんだがあった。
帰国してから冷静になればまた触れる事になると思うが、結果として、ひとつ教訓を得たね。
それは国際社会と同じで、言われっ放しではダメ。言ってないことまで言ったことにされるのは心外。ここは反論しないと・・・下手な英語で言い返した。
副産的だが、「オレって、こんな事も結構英語で反論できるじゃん」と、まだ自信は無いけど・・・
もうひとつ、マルキンさんが教えてくれた「be carefull of thai ladies」。
これをフリーランサーに当てはめると・・・結論は導き出されつつある。
総選挙の行方
昨夕から予定通り、酒類販売禁止。
寝酒として缶ビール1本とコンビニに飛び込んだが、シールが貼られていて買えなかった。
今日は選挙本番日だが、ボイコット云々、どうなるのだろう。
帰国日も迫っているから気になるところ。
50日で500km
今日で50日目となった。
走行距離算出は至極簡単。
wikimapiaを使って足跡をなぞるだけで自動的に総キロ数が表示される。
これによると昨日はカオノイ方面コースが8.8kmとなった。
累計では479kmとなったから、もしかすると今日のコース次第で本日中に500km超えるかも・・・
今日2/1は予定通りなら明日の総選挙に備えて、夕方から酒類販売禁止、バー街も2夜続けて全休となるはず。
この予定通りならというのが曲者で、反政府勢力は選挙そのものをさせないと息巻いているから明日になってみないとどう転ぶか分からない。
とりあえず、予定通りに備えてビールは買い置きしたけど、あと2本くらい買い増した方がいいかも。
グラハム小父さん、ICU
昨夜は、ウェンとパット、韓国人、オレ達邦人二人と、国際親善(?)飲み会。
この席でグラハム小父さんと同じ、真ん前のPアパートに住んでいるパットに訊いてみた。
「しばらくグラハムさん姿見せないけど、アパートでも替えたの?」。
「彼は、バイク事故で入院、今はICU室に居る」と。
驚いた。
先月初めごろ、2日連続で一緒に飲んでいたのに突然見えなくなったから、
都合でアパートでも替えたのかとくらいにしか思っていなかった。
詳しくは知らないが、小父さんは運転しないから相手方バイクにぶつけられたという事か。
6,7月頃まで滞在と言っていたから、それまでは完全回復を祈りたいな。
そして、また「tomorrow never come」を聞かせてもらいたいもんだ。
最後はsteve-annの店でチャーンビール小とした。
チャリンコでの帰路はいつもsteve-annの前を通る。
パーティ以来だし、ここで寝酒としよう。
実は、今滞在始めの頃ちょっと気難しげな常連オーストラリア人がここにいた。
この人全く笑顔がなく、口をへの字に結んでいつも不機嫌そうに映っていた。
でも、スティーブやアンも居るし、前を通る時はいつも手を振って挨拶していた。
ついでにオーストラリア人にも・・・
すると、何日かしてからこのオーストラリアンも手を振って応えるようになった。
そしてまた何日かしてソイの店に行ったらこのオーストラリアンが居た。
ここで彼から初めて、「ミスタージャパニーズ!」と声かけられとは思いも寄らなかった。
この日は何故か彼は上機嫌だった。
で、思ったね。立ち止まらなくてもいい。顔見知りになれば手をあげて「サバイディ―マイ」と愛想振り撒けば友達になれるのではないかと・・・
以来、顔見知りには片手でハンドル、片手で挨拶しているが、自転車でも車は車だから、事故には気を付けよう。
R-con residence前で、ブタ丸焼きパーティやっていた。
中国新年イベント舞台は設営されていたが、開始は夜からの模様。
ブッカウ・コンビニ前でこんなのやっていた。
ぶっ掛け飯もツラくなり、味噌ラーメン(73B)喰いにノース8番ラーメンまで出かけた。
案外近い、チャリンコで15分程度だった。客筋邦人4割、タイ人(中国系?)6割といったところ。
とにかく雨が降らない。
オレが着いた翌早朝にザーッとあったきりで、その後は一滴も降ってない。
朝はこのスタイルが定着してしまった。
これもあと11朝日で終了。もっと居たい様な、もう引き上げてもいい様な、・・・
昨日は中国正月が始まったと書いてしまったが、本当は今日からだそうだ。
中国語看板があるレンキーの道路側にはこんなお飾りが。
予想通り、ランポーではイベントがあるとの告知。
サイクリング兼ねて行ってみようかな。
(一年前のランポー公園)
昨晩の寝酒はW店で、
半年前にビデオ撮りさせてもらったファラン系3人組の内、女児を除いた2人が居た。
一人はオレを覚えていたが、もう一人はオレのデカ耳を見た途端泣き出し走り去った。
「オイオイ、お遊びだよ」と、デカ耳外して見せたが、信じてもらえなかった。
とは言ってもバー街を毎夜チャリンコで通り抜けてはいるが、パターンは読めるからその気にならなかっただけ。
昨夜はaction streetを流した。ペダルを踏み込むのではなく両足で地面を蹴る速度でゆっくりゆっくり周回。いつも閑散としたエリアの割にはそこそこの入りだったかな。
若いキレイどころもそこそこ居たからその手が目的には狙い目かも。
オレは、冗談が通じそうなおばちゃんと視線が合ってしまい、こちらをチョイス。
何でもコラートから来たばかりと言ってが本当かな。
バーファインを訊いたところ、400Bと言ってたから値上げの波はこの方面にも及びつつあるのかも。
自分のドリンク(ビール小瓶)が70B、レディース120B、チップ10Bと一軒で計200Bも遣ってしまった。
ちょっと前まではこれを毎晩5軒ほど繰り返していたが、プチ・ロングを知ってから、なんと無駄を繰り返していたんだと自覚。
毎日がお祭りの街だけど、お祭りは偶にがいい。毎日だったら疲れる。
今日は中国の正月(春節)だそうだ。
遠く近くからも爆竹音が聞こえる。
中国系が多いというナクルアのランポー公園ではイベントやってるかも知れない。
出掛けてみようかな。
ただ今ローカルタイム午前10時で、気温28度と夏日和。
今日は暑くなりそうです。
再来週の今時間は関空へのフライト途上のはず。
月日の経過は早いもんだな。もうひと月半も滞在している。
これだけ居ると、タイ飯が美味しくなくなってきた。
安いのは良いのだが、いつもぶっ掛け飯ではね。
前の日に食べた和食「親子丼」は、正直言うと、「親子丼風味雑炊」といったところ。
無理して腹に収めたがもういい。
ぶっ掛け飯ダメ、和食ダメなら、何にする?
昼間からファランで賑わっているfood&drink店で昨晩はスパゲティにしたら、
95Bとビールが70Bで計15Bも値上がりしていた。
昨晩、仲間との会食中にsomママから電話があった。
「ソイドゥディで友達と飲んでいるところだ」と告げると、10分程でやって来た。
実は、息子Joshuaのパパがイギリスから来ていて、帰国したそうだ。
半年前にも聞いていたからある程度は想像していたが、somママと息子joshuaがいよいよ渡英する事になりそうだと聞いた。joshuaは英市民になるだろうが、somママは数年は同居するがいつかはまたパタヤに戻りたいとの願望があるらしい。
(joshuaが生まれる2年前からの経緯を述べないと解りづらいが、ここは割愛)。
9年前にはみんなでカラオケに行ったりした仲だが、この地の残っているのは今はsomのみ。
一年前のハイシーズン最中のアパート探しに不安のオレにPアパートを探し出してくれたのがこのsom。
この縁があって、ハースらイギリス人と、またバイカーオとも出会えたし、オレにとってはgood old friendというところ。
somママが言うには、
ずる休み無断欠勤すれば罰金取られ給料が減る仕組み。ところが、よんどころない人をアテンドする為の欠勤なら公休と認めてくれるそうだ。そこで店の女マネージャーに電話するから、私がコボリと一緒に居る事を話してくれないかと。
お安い御用だ。以前にも一度この類のアリバイ工作してあげたが、今回も、
「私はコボリという名で、日本人です。
somとこの5日間過ごしています。
まだ下手なのでタイ語をこれ以上話せません、ゴメンナサイ。
お待ちください、somに替わります」
たったこれだけでsomママは喜んでくれた。
早ければソンクラーン後にビザが認可されるかも知れないとの事だから、今回が当面最後の顔見になるかも知れない。
出会いがあれば必ず別れがある。これも人生のひとコマ。
という所へ行って来た。
思い立って2年越し。実はチャリンコで可能かどうか、片道25kmだから微妙な所。往路は行けるだろうけど復路はどうか。そんなんで延期延期としていたが、昨日はPMさん、Hさん、オレがバイクのケツに跨って行って来た。
高さ160mの山壁に黄金の仏陀彫刻。説明より動画が一番だね。
途中、ガイヤーンの昼飯を食べ、先に進むと海に出た。
このエリアにはさすがにファランの姿は見えず、ローカル人専用ビーチか。
でも、ここは一体どこなのか。あとで地図で確認しようと、近くの人にビーチの名前を尋ねると、「ナームラン」とか言っていた。それで今調べているが朝からwifi繋がらず。
その後繋がってサーチしてみると有った。
こんな所まで来ていたのか。
17時頃パタヤに戻ると今日はBed raceの日と思い出した。
で、チャリンコ飛ばしてビーチロードに着くとセレモニーの最中だった。
今朝は7:20起きで、18度。
そして、ブログ書き始めた今9:00は24度と、風もなく快適。
昨日もカオノイ方面をサイクリング。通算でついに400km超達成。
star lightからbee nee辺りまでは緩やかな坂で車も少なく走り易い。
帰路は下り坂で、普通なら楽なはずなんだが、前輪ブレーキパッドが摩耗(後輪は壊れたまま)
した為、足を交互に地面に着けながらゆっくりゆっくり戻ってきた。
今日26日はビーチロードでbed raceとかが行われるそうだ。
どんな事やるかちゅうのは去年の動画検索で探せば・・・、仮装行列だね。
この時期に2月に掛けて滞在するのは初めての体験。
折角だから、これ書き終えたらビーチへ繰り出してみよう。
babyチワワとは一か月ぶりの再会。
18日目の時は眠ってばかりいたが、・・・
夕方、シスターから電話があった。
彼女からの連絡はアレしかないはず、「もしや母娘が?」
その通りで、「コボリ、早く来てくれ」だった。
パソコンにチョコ、けん玉玩具を前籠に積んで急いだ。
直線道路から母娘が視界に入いると、バイカーオがオレに向かって手を振っているではないか。
ママに教えられただろうが、ちょっと感動したね。
まずバイカーオに話しかけた。
「コボリだよ、覚えている?」
「ジャムダイディ、よく覚えている」とハッキリとタイ語で聞こえたね。
そうか、もうこんなにも喋れる様になったのか。
そして、パソコンを見せろの仕草。どうやらこの中に自分の映った映像が入っているのを知ってるみたい。
半年前に見せた時は自分の姿を不思議そうに見つめていたが、これはそういう機械であると認識出来るほど成長したという事か。
バイカーオは、「これは私」と指差してママに教えていた。
ママが居ない時に撮った映像なので、ママは、「これ、何処で撮ったの?」
「あそこ、Pアパートのランドリー屋で、これが姪っ子でバイカーオと同い年だよ」
見せ終えて、「ビデオの分はこのDVDに全て収めてあります」と渡すと、ママより先にバイカーオが受け取った。どうやら表紙の自分の写真が気に入ったみたい。
ママもこれからお仕事で、40分程の再会だったが、「今日の分も作って次回(半年以内)に持ってきます」と約束。これで、母娘がこの地に居る限り、電話番号も変えない限り、いつでも連絡取れる事になった。
短時間だったが、今滞在のハイライト部分かなと感じている。
ただ、感動ばかりではなかった。
実は、色黒のおばさん(デイブのワイフ)が同席していた。このおばさん、本当に気配りがない。
オレ達のやり取りに割って入ろうとするし、ビデオにも入ろうとする。
強制送還されたデイブは、よくもこんなのをワイフとしていたな、と改めて思った。
そして見た事のないもう一人のおばさんが、「コボリ」と言いながら背中を押そうとする。
オイオイ、初対面なのに気安過ぎはしないか。お邪魔虫そのもの。
奴らの魂胆は分っている。オレの気を惹いてドリンクを奢らせようとするのは見え見え。
そんな手に乗るものか。長居は無用と用事が終わると即退散したね。
帰国までにはもう一度母娘に会いたいが、その時は場所を替え、このおばさんたちが居ない所にしようと思っている。
41日目の朝を迎えた。ということは残りはもう19日だ。
昨夜の寝酒ビールはW店へ。ここもジャンパー着ていて正解だった。
ママに、「どうしてパタヤはこんなに寒いんだ」って訊くと、
「ベトナムでは雪が降っていて、私はそのニュースをTVで観た。だからタイも寒い」と
言っていた。
寒いと言ってもそこは南国。昼間はTシャツ半パンで十分で、日本の厳寒期に南国で過ごせるのは考えてみりゃ贅沢な話し。
これで3年連続だが、この味知ってしまうともう元には戻れない。
来年も再来年も、身体が動く限り、この時期はこの地で過ごしたいな。
街に出掛ける時はいつもソイドゥディを通るのだが、ファランが集まってチビリチビリやっている一角がある。で、観察していると朝から晩まで人切れがない。ファラン憩いの館というところか。
彼らも何をする訳でもなく、ただただこの地を満喫しているようだ。
マンチェスターからやって来たカップルがいよいよ今週帰国するそうだ。
「次はいつ?」と尋ねると、
「1年後」らしい。
マンチェスターの自宅からパタヤの住まいまでアブダビで乗継いで23時間を要する。
飛行機代は520ポンドと言っていたから9万円相当か。
15本飲んだ日の事は日記にも書いてあるから、あとで読み返せばいいオレにも想い出になるだろう。
カップルにもいっぱい想い出詰めて帰って欲しいな。
ハースもウェンもいつも同じ所で、チョンプーの店かソイの店に行けば必ず会える。
「今日は何処かへ行った?、何してた?」と訊かれると、
「レイクまで自転車で、ナジョムティエンまで自転車で行って来たよ」と答えると、
「oh you are so young !」。
二人共、2月末と3月初旬にそれぞれ帰国するそうだ。
ここ数日、走行距離が伸び悩み。昨日現在で累計396kmと400km手前で足踏み。
残り1/3で総計500kmは超えたいな。
ラストランに向けて、明日からは健全な(?)パタヤ生活に戻ろうか。
7時に目覚めて、ベランダに置いた温度計見ると17度。
部屋に居る分には快適だが、ベランダでネットやブログやってるからヒンヤリする。
昨晩はついにジャンパー着て外出したが、この時期の南国で冬服が役立つとは思わなかった。
バンコク非常事態宣言
当地はそんな空気は微塵も感じないが、以前にお姉ちゃんらに訊いたところ、「私らはタクシンを応援している。誰にも言わないでね」と言ってた。
現勢力下で選挙やっても結果は見えている。
選挙させずにタクシン勢力を引き摺り下ろすには・・・
ここまで来れば、政府、反政府も引くに引けない。
落としどころは・・・、
にっちもさっちも行かなくなり、双方疲れ切ったところに軍がクーデターで終結させるのでないか。
離タイまでまだ20日ほどあるが、クーデターニュースが聞こえてくるなら、
それは帰国後になりそうな予感がする。
少子化日本とは違い、ここは本当に子供が多い。
オレ達が遊んでもらっています。