ラジコンヘリ飛ばそうと持って来たが、風が強くて試せる場所が無かった。
今朝は久しぶりに無風状態か、あっても微風程度で23度と快適です。
無風ということは、10分程走ったあそこの広場で飛ばしてみようかな。
今日はイブだからバー街ではあっちこっちでパーティーやると思う。
タダ飯にはありつけるけど、却って飲み代が高くつくね。どうしようか。
まぁ、適当に流してみるつもりではいるが。
ハースと会う時はいつも、「今日は何処へ行った?、何してた?」と訊かれる。
「40kmほどのサイクリングに行って来たよ」。
「君は本当に若いな」。
ハースとはーつしか違わないけどね。
遅い時間にウェンがやってきて、彼も同じことを訊く。
彼の好きな所は、オレにも分かる英語で話してくれる事だね。本当にグッドガイと思う。
「新しい仕事は週7日、一日14時間労働だから疲れるよ」と。
「イギリスの年金は65歳からだが、自分がもらえる時代には70歳からになるだろうよ。
それまでどうして生活すりゃいいんだと、悩みは日本と同じらしい。
彼もリピーターだから格安チケットで来たと思うが、それでも580ポンドだと。
円なら10万円以上か。幸いにオレは1/3以下で来れるからラッキー。
夕方、自転車の空気入れに出掛けるとマイケルさん等はもうやっていて、
「コボリ、座れよ」
「まだ時間早すぎるよ」
でも、マイさんが「コボリ、ムーガターを作ってるから食べてって」と言うし、
「ヨッシャー分った、空気入れたらすぐ戻ってくる」。
スイス、オーストリア、オーストラリア、ノルウェー、日本(オレ)、あとはタイ人だから、国際ムーガターパーティか。
アイヴァーンさん(ミスターブリスベーン)はいつも上半身は裸で出っ腹をさらしているから、からかって
「あなたは何人のbabyを宿しているのですか?」
「3人だ、二人が男で一人が女だよ!」と軽妙な応答。
「実はオレも一人腹んでいるんだ」と上着を手繰り上げると、横のおばちゃんがオレの腹にタッチしながら「私も一人いるのよ」と見せる。
オレもタッチし返したね。
すると、おばちゃんが、「女にタッチすると金が掛かるのよ!」
こんなんやらで早一週間が過ぎたが、到着日がもう一ヶ月前の様に思える。
本日のコースは長距離だから空気圧高めにしておかないと。
しかし、借りたエアポンプの口径が合わない。
まっ、いいか。なんとか持つだろう。
朝は冷えるが今時間気温は上昇。体感32,3度はあるのではないか。
ポン・プラファー・ロードに達すると、広大な野原が見えてきて人が誰も居ない。
ここなら遠慮なくヘリを飛ばせるのではないかと思い付いた。
サイアムカントリーに近づくとゴルフ場に通ずる道端にはこんなモニュメントが。
このゴルフ場は数年前に宮里藍ちゃんが優勝したコース。
LPGAが開催されるコースだけあって、周囲環境も立派なもんです。さすがに名門コース。
チャリンコで走っていたファランと何人かすれ違ったから、同じことを考える輩がいるもんだと思った。
目指すは通称ラヨーン街道と呼ばれる36号線。
その手前で轟音が響いてきた。フェンスから覗くとゴーカートレースをやってるところだった。
36号線はチャーン島へ行った時などに車で通った事はあり、100km以上は出していた。
その高速道を自分でチャリンコで走るとは夢にも思わなかったね。
側道を遠慮がちに走ったけど、大型車の風圧でよろけそうになった。
3240号線で左折すると、きれいなお寺。ワットポンという名らしい。
真っ直ぐ進むと貯水池に到着。ここまで来れば土地勘はある。
ポン村で昼食は定番のカオパット。スープが付いていてこれが絶品。
まぁ、動き回って腹ペコの所為もあるのだけれど。
バーでコーラーを注文。ここでもファランが昼間からやっていたね。
「Japanese?、今晩ここでパーティーがあるよ」と。
夜までここに居て、飲んでチャリンコで帰れるわけがない。
その先の広場では家族に乾杯・トークを何回かやったところ。
行ってみると、居ました、可愛いbabyとママが。
ママに断った上でbabyに「チョコ食べる?」
こんな姿を見せてくれます。
ママが拭き取ろうとすると、「ちょっとこのままで撮らせて」。
カウントダウンのイベントスケジュールを確認する為にバリハイ岬へ行ってみた。
ところがスケジュール看板はおろか、ステージ等の基礎工事が始まったばかりの様子。
例年なら、25日からプレイベントが始まるはずだが、あと4日間で完成するのかな。
ピアーの尖端付近ではファランのおばちゃん2人組が釣りをやっていた。
ちょうど一匹目が釣れたところだったらしく、記念の魚(サヨリ風)を写真を撮っていたね。
「これ食べる」って言っていた。今回は釣具を持参しているから、暇があればオレも此処に来てみようか。
ブッシ―
マイケルさんから電話があって、「コボリ、昨日はすまんかった。携帯部屋に置いてもんだから出れなかった。メールもさっき読んだところだ。お詫びに奢るから来ないか」と。
行ってみたらマイケルさんカップルの他に、若いレディも居て、英語で結構喋っている。
レディがマイケルさんにメールを読んでもらっていたから、嫌でも聞こえてくる。メールの相手は男からで、「明日送金すると書いてある」と。レディはニッコリだね。
そこでオレが、「あなたは英語をそれだけ話せるんだから読み書きはどうなの?」と不躾に尋ねてみた。やはり読み書きはできないそうだ。ゲーオちゃんもマイさんも出来ないそうだ。
そんなもんかね。オレ達の時代には読み書き文法から入ったもんだから、むしろ会話より読み書きの方が容易なんだが。
いろいろ話しているうちにこのレディはギックを生業としているらしいと知った。
25才くらいに見えていたが本当は32才だって。
そこへあのドクターが通りがかった。
マイケルさんにはオレから、「彼はニューヨークから来ているドクターです」と紹介すると、
マイケルさんは「何のドクターですか?」と質問。この先は二人の難しい英語だったのでオレにはよく分からなかった。
ドクターはいつもの店に行くと言うので、「OK、オレもあとで追っかけるよ」
そして、ドクターが立ち去った後、マイケルさんが、
「コボリ、彼はブッシ―だよ」。
「ブッシ―とは知らない単語、意味は何ですか?」
「口先人間という意味だよ」
オレも何か怪しいなという気はしていたんだけど、マイケルさんもそう感じたならやはりそうだろう。
オレが想像するに、こういうタイプはその内に姿消すね。
昨晩、そのドクターは来なかった。
ミスターブリスベーンの他に2人のファランがていて、一人がドクターではないか。
驚いたね、こんな所にも出没するとは。でも、偶然ではないと後で知った。
この後、ウェンのアパート前を通りがかると、ちょうど彼が玄関から出て来たところだった。
「何処へ行くの?」
「あそこだよ」
「じゃ、一緒に行こう!」
ウェンは昨年の今頃は失業中だったが、仕事は見つかってマーケットなんたらで働いていると。
そうこうしている内にさっきまで向こうで飲んでいたドクターがやって来てサプライズ。
その訳は、彼は毎日10kmの散歩を日課にしていて、あの辺りも前から知っていたらしい。
これでドクターとは3期連続で会っているし、時々タイ語も交えるから相当タイ通いしているに違いない。
そこで、彼にジョーク調に、「あなたは真面目なドクターですか?」と尋ねると、
「いや、真面目ではないね!」と。
昔、シンガポールに住んでいた時代があって、その頃は毎週末にパタヤに来ていたそうだ。
回数にすれば300回以上ではないかと。スゴイね。
ここで彼流の遊び方を伝授してもらった。これもスゴイ、まぁ、ここでは書けないけど、
ヒントは、「早起きは三文の徳」というところ。
今朝は6:30に起きたら22度とヒンヤリした。
ベランダでネットやっていると鼻水が出てきて止まらない。それにゲリの症状もある。
体調崩したか。
真冬に日本を出て、数時間で真夏の国へ。真夏の国も朝晩は結構冷える。
でも、1時間で鼻水は止まったし、風邪ではなさそうだ。
ジョムティエンの次はナ・ジョムティエン
ナというのはタイ語で「次」と言う意味だけど、そのまま地名にしているのがスゴイ。
ジョムティエンビーチロードの突き辺りまで行って来ました。
どん突きがナ・ジョムティエンという所。
新チャリの5段ギアがどれほどのもんか、遠出して試そうと思ってこのコースを選んだ。
分った事は、1-2段は足の回転を要すので却って疲れる。5段は少ないエネルギーで結構スピード出る。ジョムティエンのポリボックスまで40分掛かっていたが、今回は27分で着いた。
water sport2014のイベントやっていた。早い話が競艇の様なもの。
それに、ビーチサッカー大会も開催中だったが、試合は夕方から始まるらしい。
これより南へは一旦スクンビットへ出るが、海側はプライベートビーチの様で、特に見るべきものも無かろうと断念。
帰路はドンタンビーチの突き当りまで探訪すると、マッサ嬢ならぬボーイがマッサージをやっている。
別名ゲイビーチとも呼ぶそうだ。
砂浜に林立する木立下で、日がな一日を送るのも悪くはないか。
ジョムティエンにはやたらロシア語看板が多かったが、ルーブルが暴落とか。
このままなら数年でロシア語文字が消えるかも。
マッサージ屋のお姉さんは半年前を覚えていた。
彼女らは客商売だから誰彼にも声掛けるが、大概は通過するだけ。
オレは時々立ち止まって相手していたからね。
思い出したのか、「コボリ、アレやって!」と。
デカ耳をかざすと、半年前を知らない新顔のお姉さんは一瞬、何事?の表情。
一発芸だから、タネがバレたら同じ所では使い物にはならないのが残念。
その先に進むと、いつものメンバーの中にウェンを発見。
一年ぶりだが、実はその時、彼とはケンカみたいな言い合いになってね。
でも、あとに残さないところが彼の良いところで、握手で再会。
ニューヨークからインド系アメリカンのドクターも同席していた。彼もこれで3回目だけど、あんな遠い国からよく来るもんだ。
ハースもチョンプーも、他に新顔ファランもいて、この時は満席だった。
ボスのpaは客の少ない時は不機嫌だが、今はホクホク顔で、「コボリ、あとで来て」と。
この後、バー街を流して一時間半後に戻ると、まだ連中らはやっていた。
失礼ながら本当はショボイ飲み屋なんだけど、人通りが多いのとチョンプーのキャラが良いので集まるだろうなと思っていた。
「まだずーっと居るから改めて来るよ」と今日のところは退散。
我々はあなた方の味方だ
隣のテーブルに居たファランはエストニア人と名乗る。
「エストニア?、ハテ何処か?」
そうか、旧ソ連邦のバルト三国の一つと思い出した。
「ソビエト時代は酷かったよ」
「その話し、よく分かるよ!、プーチンを見ての通り、ロシアを良い国と誰も思わない、増してソビエト時代なんて。we,most of all democratic country stand by you,not russia(民主国家の殆どはあなた方の味方だ、ロシアじゃないよ!)」。
初対面でいきなりこんな話が出来るのも此処に来たからだね。
南国の夜はやはり、エキサイティングだ。
半年も経ってないのに所々にマイナーチェンジしている店がある。
Pの店もスッキリと、白を基調とした清潔そうな店になっていた。
訊けばボスも替わったとの事。
テーブルにはファランが5人ほど居て、一人が半年前にいたミスターブリスベーンだった。
大きなテーブルは撤去されていたから座る所がない。
その時、隣家のテーブルに居たおばさんがオレを覚えていて、「来たの?、1歳の男のbabyはブリラムへ行ったよ」と。
立ち話していると、このおばさんには話していないのにある事を知っていた。
日本もそうだが、タイもおばさん連中はうわさ話が好きなんだな。
ちょっと話してみたくなってきたので、「座っていいかい?、ドリンク奢るよ、何飲む?」と言って、話題続行。ウンウン、やはり近所付き合いは大切だと思った。
勘定の120Bを100B札と20B札で払ったつもりだったが、900Bのおつりを持って来た。
「何で?」
「youは千バーツと20バーツ札をくれたよ。千を百バーツと見誤ったんじゃない」。
そうか、酔っぱらって気が緩んだろうな。
でも、新オーナーのマイさんは正直だね。黙っていてもオレは気付かなかったはずだけど。
昨日の朝は寒かった。
朝5時に一旦目が覚めて、温度計見ると22度。
6時半に起きても22度。その内、風が出て来始めて肌寒くなって上着を羽織った。
昼頃になると気温も上昇して半袖でOKです。
夕方になるとまたも寒気。南国も冬の季節なのか。
円安
日本に居る時、日々は円安を実感し得ないが、外国に来るともろに影響受ける。
一昔前の1万円=4000Bが、今は2800Bと、何と3割以上も少ない。
給料や年金が減額されるのと同じだから、3割減が如何に大きいか。
救いは、影響は滞在中だけだが、移住者にとっては辛い時期に入ったか。
でも、4000B時代はあの超円高を招いた暗黒の民主党政権下だったから、戻る事は無いだろう。
家賃、デポジット、自転車代金支払いなどで初日に5万円両替したら14000B。
昔なら20000Bと、その差6000B。この6000Bって結構遣いがってあったが、嘆いても仕方ないから、
強いて節約はしないけど締めて掛からねば・・・
クアラルンプール出発以後はいろいろハプニングがあって、話せば長くなるから後日まとめるとして、
新チャリンコをゲットしました。ひと回り大きい26インチです。
一番欲しかったギアー付で5段式。こんなタイプは普通は走り重視で前籠や荷台は無いのだが、これは付いているからむしろ実用的と思う。2200Bだった。中古にしてこれが高いのか安いのか。
自分的には欲しかった物が全て付いているので満足している。これで遠出も出来そうだ。
早速、慣らしドライブがてら近場を周回すると、
いつもの所にパットがいて5か月ぶりの再会。
有難いね、旧知の仲間だと安心して飲める。
「ハースは来ているの?」と尋ねると、「チョンプーが入院中で、ハースが付き添っている」と。
しかし、この2時間後、通りでハースとチョンプーにバッタリ。何だ、入院ではなかったのか。
いや、入院明けかも。さすがにチョンプーは元気なかったが、精密検査を受けて経過観察中との事。心配してくれて有難うと言っていた。
ウェンも来ているとの事で毎晩遅い時間にやって来るらしい。去年と同じ住まいだと。
では、明日は遅い時間に行ってみようかな。
マルコムさんとも2年ぶりに再会。オレを覚えていた。今週金曜日にはもうイングランドに帰国というのが残念。
グラハム小父さんにも会いたいのだが、1年前に大事故に遭っているから今回はどうだろう。
何の変哲もないこのソイを昔は見向きもしなかったが、視点変えると今ではinternational streetに見える。それだけ外国人の出入りが多いという事。
今滞在は似非国際人と錯覚して・・・
この非日常感を楽しむ為に来たと言っても過言ではない。
夜には遊歩道を流すと、さすがにハイシーズンで人がいっぱい。
ライブバーではファランがノリノリだったね。オレでも口ずさめるメロディだから1本だけのつもりが2本になってしまった。
12月というのに軽装で動き回れるのが南国の夜。
コレだからこそ来た価値があるというもの。
プチ・ロングステイがまた始まりました。
セキュリティで眼鏡ドライバーが危険物と判断され没収されました。
尖った物は全て禁止だと。
「ホラ、この様に眼鏡のフレームネジが緩みがちだから必要なんです」と抗議したが受け入れられず。余り執拗に抗議やって通過させてもらえなかった損だからね。まぁ、しょうがない。
バンコク行きに乗り継ぎ、ドンムアン空港からスワンナ空港へシャトルバスで移動して、アパートには昼過ぎ到着の見込みです。
荷解き終えたら当面の日用品買い出し、今回もお世話になりそうな所に顔出し、挨拶しておこう。
前回は初日から道端で寝込むという失態だったが、同じ失敗は繰り返さない様、逸る気持ちは抑えて・・・、そうでないとロングステイは持たないからね。
現在マレーシア・ローカルタイム、午前6:50(日本時間7:50)。
あと1時間でバンコクに向けてテイクオフです。
(KLIA2は電源が使える)
ラジコンヘリを見て欲しくなったと書いたが、面白い物を見つけた。
ローターが4つ付いたドローン(無人機)で、マルチコプターとかクアッドコプターと呼ぶそうだ。
トイでありながらも空撮可能なカメラ付きで1万円でお釣りがくるとは驚くやら、嬉しいやら。
飛行体が手の平サイズで、たったの51g。
これならスーツケースに収まりそうと、衝動的に買ってしまった。
で、初飛行を試したら、この通り。
安定して飛ばしたりホバリング状態を保つには、微妙なコントロール練習が必要らしい。
ビデオ解像度に関してはこのクラスならこれで十分。
もっと広い場所で練習と近くの公園グランドで試すと、飛び過ぎて戻って来ない。
緊急着陸(墜落)させた所が線路の敷地内で、ちょっと冷や汗ものだった。
旅先にお伴させるつもりだが、ちゃんと撮れる前に壊しそうな気がする。
せめて滞在中まで持ってくれと望むのだが・・・
ここも6年ぶり。
紅葉はここのコントラストが最も鮮やかで見応えある。
野生猿は見掛けなかったが、代わりに鹿が一頭いました(1:57頃)。
この日は好天とあって、とにかく人、人だらけ。
西洋人も、ベトナム語とタイ語も、それに朝鮮語と中国語が飛び交っていた。
ガイドブックで紹介されているのだろう。
南港野鳥園
望遠レンズ構えたバードウオッチャーが数人いた。
さえずりは聴こえるが姿は見えず。見えたのはサギの類だけ。
ラジコンヘリで遊んでいる人に尋ねたら、アマゾンで5000円で買ったとの事。
面白そうな気もするが、飛ばすだけならすぐ飽きるのではないだろうか。
これよりもカメラ搭載可能で空撮できる機種があれば遊べそうだが、
あるにしても高いだろうな。
今秋はポタリング三昧で、記録したGPSロガーを重ねたら、いろんな所に行っていた。
半径20km圏だからチャリンコで可能だったけど、暖かくなる来春には遠出もしたいね。
たとえば、琵琶湖一周は無理としても半周くらいなら可能ではないかと・・・
奈良公園と言えば、人馴れした鹿さん達。
今年生まれと思しきバンビーも。
「鹿さん、鹿さん、せんべいあげる!」と子供たちが遊んでいる。
外国人も喜んでいたね。
誰から煎餅もらえるのか、鹿も知ってるみたいだった。
奈良県庁屋上から360度眺望
ラストは隠れた名所と言われる奈良県庁屋上へ。
東は若草山全景が。西は信貴山、生駒山。南は五重の塔と市内が360度見渡せます。
(BGM:星の界by宗次郎)
初めてデジカメ手にしたのが2003年。
被写体探しにあっちこっち出掛けたものだ。
奈良公園には2004年。その時撮ったのがコレ。
10年ぶりにまた行ってきました。
紅葉が色づき始めたとあったが(10月30日時点)、ちょっと早過ぎたか。
でも、この日の天気は最高だったから良しとしよう。
10時前にJR奈良駅に到着して三条通りを抜けるとそこが奈良公園。
ここから、
猿沢池→興福寺・五重の塔→荒池・浮見堂→飛火野→春日大社→若草山→二月堂・三月堂→東大寺(大仏さん)→奈良県庁舎屋上と、歩いた。
全行程12km余りだが、若草山のアップダウンが堪えたからエネルギー的には15km以上に相当か。
駅に戻るとバテバテで、帰りの電車では寝入ってしまった。
帰宅したのが17時半で暗くなりかけていた。
奈良公園
900年代の文字板があっちこっちに散見されると歴史を感じる。
東大寺正門で子供たちが合唱。屋外で音楽発表会(?)
児童たちの真面目な姿を見るとウルルンなるのは、歳の所為か。
(BGM: I know him so well)
若草山から奈良盆地の眺め
標高342m。南北二つのルートがあって、本日は南側ルートをチョイス。
普段チャリンコで鍛えた足腰だからこのくらいの山はなんのその、と思いきや、
やはりキツかった。
30分程掛けて頂上へ。鹿はこんな高所にも来ていた。
観察していると、にらめっこが好きみたい(4:14頃)。
飴をあげるとお辞儀したように見えたので、ジェスチャーで促すとまたお辞儀(5:07頃)。
こうなると可愛いもんです。
頂上には鶯塚古墳、誰のお墓だろう。
若草山とは後で名づけられて、元は三笠山だったとか。
皇室に三笠宮家が創立されてからは、敬愛すべき宮家の名を登山で踏んづけてはならぬと
若草山に変えたとかで、皇室と奈良との所縁が感じられる。
頂上からの眺めは絶景。奈良平野が盆地であると分かります。
(BGM:若草の丘by本間千代子、純愛の白い砂カラオケ)
気候が良くなるとアウトドアがベター。
HP見ていると「なにわ自転車道」という専用道があるらしく、終点が何と近所になってる。
灯台下暗しとはこの事か。
京都から淀川沿いを下って、神崎川に沿って専用道を走ると終点とあるが、
終点を始発に代えてもいいのではないか。逆コースに走ろうと思ったね。
走りながら気付いたことは、堤防沿いに並ぶ生活圏は殆ど川面下という事。
いつかは来ると言われる東南海地震で大阪湾に津波が押し寄せたら、川を遡る波が堤防を乗り越えると一帯は水没? 想像したくないが被害は甚大なはず・・・
鳥飼大橋まで来ていた。ちょうど一週間前に走った所。
その時は右岸だったから帰路は左岸を走ろうと橋を横断。
長柄橋で市街地に入ったが、車が多いとどうにも走り辛い。
本日も40km走行。
(BGM: 赤い風船)
更なる自転車専用道を発見した、と言っても単に自分が知らなかっただけだが。
国道2号線を過ぎた所で河川敷に進入すると、遮るものが何もない。
目的地定めず、行けるところまで行こうと思ったね。
野球、テニス、サッカーコート、バーベキュー広場などが至る所にあった。
地域のバザール催しもあって、高校生の演奏会も。
ゴルフ場もあった。淀川パブリック? 随分昔に一度来た事があるが、こんな所だったのか。
快適に走れるからこの先も可能だが、帰りも考えてそろそろ引き返さないと。
で、ここはいったいどの辺になるのか、そこに居たご夫婦に尋ねてみた。
「ここは何市辺りですか?」
「摂津市です」
へえ、守口市、吹田市も越えていたとはね。
「この橋の名前は?」
「私たちは通称、ひゃくえん橋と呼んでいます」。
あとで調べると、鳥飼仁和寺大橋有料道路の事らしいから、橋を渡るだけで百円、故に百円橋と呼ぶのではないか。対岸は寝屋川市になる。
GPSロガーをなぞると、あと数キロで枚方市に到達する所まで来ていた。
その先の左岸には樟葉パブリックゴルフ場がある。何を隠そう、ここはゴルフ始め立ての頃、ホームコースみたいにしていて何度来た事か。
当時アジアサーキット最終戦は「樟葉国際オープン」としてここで開催されていた。
ジャンボ尾崎もグレッグノーマンもこの大会でプレイしていて、毎年4月(だったと思う)にはプロの球筋を見て憧れていたものだ。
この道は緊急事態専用道路で車両通行禁止だそうだ。
HPを見ると、京都まで伸ばす強者も居るようで、そうなればママチャリではシンドイ。
ロードサイクルが欲しくなった。
往路は写真、帰路はビデオ中心に撮りました。
(BGM:もしも明日が)
10代後半から20代の頃、王、長嶋、村山、江夏の全盛時代で、TVでしか知らなかったスターが目の前で見れる甲子園球場には年数回は観戦に来ていたものだ。
数年前に改修したそうだが、名物だった蔦がまた全面に這うだろうか。
外周一塁側から三塁側へと半周しました。
鳴尾浜臨海公園は球場から20分程で到着。
釣り場管理室によると、時間帯によっては入れ食いだそうだ。
背後は、小じんまりしていてキレイに整備された公園です。
(BGM: Without You, What Do I Do With Me)
43号線に戻って本日のメイン、武庫川沿いポタリングスタート。
ここは全長約7kmの自転車専用道路がある。ノンストップで、ほぼフラットだから走り易い。
所々に「スピード出し過ぎに注意」と看板があった。
5km程走って樋の口町2丁目辺りで折り返すと、高校生らしきランナー群に出くわす。
この近くに報徳学園があるからそこの生徒達だろうか。
すれ違いざま、男子生徒から「こんにちわ」と言われたが、たぶん教師の誰かに似ていて勘違いしたのかも。
次に、女子生徒からも再び「こんにちわ」と。
もう勘違いとは思えなかった。
知らない人にはちゃんと挨拶しなさいと、学校では教えられているのだろう。
(BGM: Didn't We Almost Have It All)
本日の距離をGPSロガーになぞって距離測すると41kmでした。
余力はまだ残っていたから、風無し、アップダウン無し、凸凹無しの好条件コースを探し出して
更なる距離にチャレンジしようか。
「自転車に乗って一定のエリアを気の向くままにめぐること。
目的地に向け自転車で、ときには何日もかけて長距離を走ることを「サイクリング」というのに対して、ポタリングは、レンタサイクルを利用して観光地めぐりをするようなケースを指す」。
とあるから、今後はポタリングと呼ぶことにする。
●大野川沿い
今の所に越して3年半になるが、北方面はほとんど土地勘無し。どんなところか。
朝から繰り出したがこの時間帯にしては人も居た。
釣りやってる人も。小ぶりなサヨリが釣れていた。
突き当たりは矢倉緑地公園。
ここが市内とは思えない、オアシスといった所。
江戸時代に矢倉九右衛門がこの地を開拓した事から名前が付いたらしい。
(BGM: I Will Be Here - Piano Version by Benny)
●猪名川・藻川コース
尼崎市東部を流れる猪名川と藻川に挟まれた中洲をポタリング。
43号線を神戸方面へ。東本町で右折、2号線に出て杭瀬から北上すると50分で藻川に架かる園田橋に到着。
バラ園に寄ったが花境時期だったか数輪しか咲いておらず、残念。
園田競馬場がこんな所にあると初めて知った(2:48頃))。
目の前を飛行機が発着していたから伊丹空港はすぐ近く。
帰りに隠れた名所と言われる、通称千里川土手に寄ったら数人がカメラ構えていた。
着陸時に頭上を飛ぶ飛行機は迫力満点です。
たぶん、このアングルから撮れるのは此処しかないのかも。
(BGM: Beautiful Girl by Jake Concepcion)
本日のポタリングコース、全28kmでした。
●皆既月食
10/8だったか、TVでやっていたから屋上に出てみるとクッキリと月が・・・
三脚で固定し、8倍速で再生すると・・・まぁ、何とか撮れた。
写真も、こんなのが撮れた。
同級生のT君から連絡あって、「今度の故郷会にMちゃん、Yちゃんも来る。
参加しないか?」と。
Mちゃん、Yちゃんと言えば中学の同級生だから、半世紀ぶりになる。
実は、この会は毎年催しているとは知ってはいたが、参加経験者から、「来るのはおじん・おばんばかりでおもろうないわ」と聞いていたから足が向かなかった。
しかし、いざ自分がその年代に達すると考えも変わる。
お互い姿かたちもすっかり変わっているのだろう。怖いもの見たさに行ってみるか。
ホールに着くとだいぶん集まっていたが、同級生以外は見知らぬ人ばかり。
会費を払おうと名前を告げると受付おばさんが、「アッ、Kちゃん?(オレの本名)」。
おばさんは、「私、小○ミキです」名乗るが、直ぐにはピンとこない。
二言三言交わして、そう言えばそんな名前の女の子が居たのを思い出した。
「神社近くにあったあの家の?・・・へえ!」
ミキさんが5歳年長だが、こんな所でもない限りもう会う事は無かったろうに・・・
いきなりサプライズも、これが序章だった。
せっかくの機会だから他のテーブルも周らないと勿体ない。
同郷M地区のテーブルに移動すると、「私はNI屋の×○。私はHT屋のコウゾウ」
こちらにも驚いた。真向いの家だったもん。当時は屋号で呼んでいた。
先輩だったから多く接した記憶はないが、名前はおぼろげに覚えていたのが救い。
300人以上が参加していたが、これが多いのか少ないのか。
年代は違えど同じ海・山・川を見て育った人同士が故郷から離れた大都会で暮らしていて、今、一堂に会している。オレはパワーを感じたね、多いと。
町長も故郷から馳せ参じていた。
プロの民謡歌手、国村千鳥さんが故郷音頭で盛り上げる。
オラが町の出身だそうだが、知らなかった。
宴のあとは同級生でジャンカラに移して二次会。
打ち上げはもちろん、「高校三年生」と「修学旅行」。
カラオケ終えると外は暗くなりかけていた。
(関係者のみに限定公開しています)
これら一連をビデオに収めたので編集中だが、半分ほど済んだ段階で、結構まとまりあるものになりそうと手応えがある。
完成の暁には、今回サプライズを呉れた人や関係者にDVDにしてプレゼントしようと思っている。
他界者もいる中、こうして再会できたのはお互いまだ運があるという事か。
来年も必ず参加しよう!
期待していた新規就航直行便は往路が0:10/04:00とあって問題なし。
問題は復路の15:20/22:40 。
オンタイムでも最終電車まで50分しかないから、30分でもディレイするとアウト。
タクシーで帰宅となると、何の為にLCC選んだかとなる。
運よく最終電車に乗れても難波からのタクシーも安くはない。
現地で会ったFさんによると、「関空で夜明かして朝一番の電車で帰宅したらどうか。クアラまでの移動時間や狭い機中を我慢するよりも横になって寝れる分、楽なはずだ」と言う。
帰国しているのに空港で夜明かしする発想は無かったね。
で、ちょっと調べたら、関空にはエアポートラウンジがあって、仮眠できるリクライニングシート付の個室があるそうだ。6時間程利用するとして3000円。会員登録すると1500円程度で済むらしい。これはいけそうだ。
人の話はやっぱり聞いてみるもんだと思った。
で、早速、直行便往復が28,460円でゲット出来た。
もうレギュラーエアラインには戻れそうにない。
●デスクトップ機買い替え
XPデスクトップの調子が悪くなり、サポートも打ち切られた事もあってノートをメインにしていたが、画面が小さいから一覧性に欠け、どうにも見辛い。
買い替えを前提に物色していたら、中古のwindows7機が目に留まった。
メモリー4GB、HDD320GB、12,999円のが山積みになっている。
「法人がリース期限切れを下取りに出したのではないか。
まだ十分に使えます、お買い得品です」とはスタッフのセールストーク。
安さに吊られ、ついつい買ってしまった。
付属品は電源ケーブル以外は何も無し。もちろんリカバリーCDも無しだけど、方法はあるらしい。そこは自分で調べてやって下さいと。
まぁいいだろう。PCの仕組みを知る良い機会にもなるだろうから。
起動させると快調です。
W7はXPと大差ないからW8のノートに較べ、使い勝手がいい。
ただし、補償は1ヶ月のみ。
3年持ってくれたらと期待はするのだが・・・
当分は、家ではデスクトップ。旅先でノートと使い分ける事にしよう。
ただ、データーコピーするのが大変だ。
●前川清
9/20ヤマダ電機LAVI難波店でミニコンサートやっていた。
背筋をピッーと伸ばして、えんじ色のスーツが中々格好いい。
彼はトークも上手。
「この歳でまだ仕事させて頂いて有難い」なんて、言っていたのが印象に残る。
(調べたらオレと同い年だった)
大阪にも縁があって、彼の両親は平野区喜連瓜破で終えたとか。
一人一人ほぼ全員と握手。オレもしたけど、案外と大きい手だった。
彼の歌聴いて、プロたる所以感じたね。
録音・撮影禁止とあったのが残念。
オープニングはこの歌だった。
(男と女の欠片)