都構想ならず
投票当日も高島屋前で橋下市長・松井知事が演説やっていたね。オレも行ったが、あれだけ聴衆を集めていたのは小泉元総理の郵政選挙以来か。
支持派の集まりだろうから割り引いて考えなければならないが、その熱気ぶりから維新の勝利と思えたが・・・
街宣車物量では8:2で反対派が圧倒的だった。加えて、お年寄りの口コミが静かに深く浸透していたか。
自民街宣車に辻本が、共産党が相乗りなんて節操の無いのもいいところ。維新潰しなら何でもありだったのか。労組や既得権益層が喜んでいるだろう。
橋下市長は引退だそうだが、あれだけ大ナタ振える人物はもう出ないだろう。
それだけに、たった一万票差とは・・・、大阪が進化できるチャンスだったのに・・・
でも、実態をあからさまにしたのは功績と言える。
せめて夕張市やギリシャ状態にならないことを願うばかり。
ビデオシリーズ - ナジョムティエンサイクリング
着いた時にウォータースポーツとかいうのをやっていた。早い話が競艇の様なもの。
ビーチサッカー大会は昼間は暑いからか、夕方開始となっていた。
後日、ジェラードをこのコースに案内した時、彼も気に入ったようで、「コボリはいろんなコース知ってるな」と言われたので、「そうだよ、昼間は飲まずに健全な生活しようよ」と、お説教(?)しておいた。
2014.12.18.撮影
(BGM: Careless whisper)
住民投票2日前
直近になって、維新vs自民の様相を呈して来た。
自民街宣車は「よく分からない人は反対と書いて投票しましょう」とスピーカーがんがん鳴らすが、よく分からないなら反対せよとは無責任。まるで衆愚扱いではないか。
スーパー前ではおじいさんおばあさん組が、「賛成すれば敬老パスが無くなります」と訴えていたが、この都構想はそんなレベルの問題ではないと思うのだが。
ここに来て、平松(前市長)後援会なるものまでがチラシを配り始めた。復権を目論んでいるのだろうか。
世論調査では反対が上まわっているとか。固定電話による調査では保守的なお年寄りが対象だろうから、結果は蓋を開けるまで誰も判らない。
大阪ローカルでは23時から特番が組まれているが、おそらく全国的に関心事項。
あと50数時間で結果が出る。
仁徳天皇陵古墳・日本庭園(大仙公園)・堺市内展望
堺市は関空に向かう折りに電車が通過する地点だが、距離は20km程しか離れてない。
先日、京都まで80kmやった経験から往復で40kmなんてへっちゃらと思えて、天気の良い日を選んでサイクリングしてきました。
目指すはまず仁徳天皇陵古墳へ。南側に管理事務所があって、ボランティアで観光案内やってる小父さんが数人待機して居たが、特に見所無しと周囲約3kmを一周して大仙公園へ。
公園内にある日本庭園は通常は入場料大人200円も65歳以上は無料とあった。
タダならと入ってみると、綺麗に整備された庭園でした。
新婚さん組が写真撮影していたね。一組は金襴緞子とファランの羽織袴カップルも居た。
最後は堺市役所21階にある展望ホールへ。
天気の良い日は関空や六甲山も見えるとあったが、天気は良かったものの霞がかって遠くまでは見渡せないも、生駒山や金剛山は微かに望めた。
帰路は30号線を北上して、一時間半で家に着いた。
面白くないという人もいるが、この雰囲気がオレは好きだね。
翌日、この大掛かりな舞台装置は撤去されていて跡形も無し。
そして新たに次回公演が2/15と看板があったから、数回/月は公演されてる模様。
次も行ってみたいね。
2015.2.6.撮影
youtubeサーフィンやっていて見つけた。
このファランはプーケットのカマラビーチに住んでいて、もう15年も帰ってないそうだ。
「自分は地球市民」とか言う思考はジェラードに似ている。
48歳にしては老けて見えるが、容貌や軽いノリはデービッド小父さんに似ている。
リスニングの練習にもなりそうなのでsubscribeしておいた。
都構想実現なるか
5/17に大阪都構想・賛否投票が実施される。
早、反対呼び掛け街宣車が周っているが、見たところ共産党のみが街宣車繰り出している。
昨晩のNHKで、橋下(市長)vs柳本(市議)の討論が放映されていたが、柳本は反対の為の反対しか言わないのでは説得力が無い。
他に自民、公明、民主(大阪市議会選で全員落選)も反対を唱えているが、これらも既得権益守護勢力なのか。
統一選での同時世論調査では賛成が反対を僅差で上まっているとか。
実際に蓋を開ければ6:4くらいで賛成多数になると読む。何故なら、よく分からない人はわざわざ反対を投じる為に投票場に出向くとは思えない。
投票率に関わらず一票でも多い方に決まる。
賛成が過半数ならオレに住んでる所は大阪府湾岸区となるそうだ。
慣れない名前だが悪くはない。
早速、期日前投票を済ませておいた。もちろん賛成とね。
ビデオシリーズ - ミニサイアム
ジェラードとJちゃんの3人で行ったスポット。
世界の有名な建築物のミニチュア版というところか。
大きくは欧米ゾーンとアジアゾーンに分かれていて、精巧に作られてあった。
2015.1.28.午後5時頃撮影
と、勝手に命名したんだけど、兵器や警備艇が陳列してあって、さながら博物館公園風。
外国人にも開放している様で、sea foodとかcafeの英語看板が掛かっていた。
検問場所は当初ピクニックコース入口かと思っていたが、サイケーオビーチに繋がる道らしいと判明。
ここまで来るとさすがに海は綺麗だった。
2015.1.17.撮影
(BGM: Saphire played by Malta)
4/23
気候も良くなって来たんで遠出しようと思うのだが、タイで27インチギア付きの味を覚えて以来、どうにも今のママチャリ26インチが物足りない。
近辺で探してみたが、新車で16000円台~とある。タイで買ったのが7000円だったから中古でそのくらいのはないものかと探していたら、寝屋川方面にありました。
一見遠い所だけど昨年秋に走った淀川沿いだから距離感は知ってる。
で、到着するとあったね、程度の良い中古が数台。値段は7800円プラス登録代600円の計8400円。
ところが目的の27インチが少ない。
店員によるといつも木・金に大量に入荷するそうだ。今日はその木曜日だがまだ入荷していない。
土・日ならきっと手頃なのが見つかるだろうと言う。
今度こそ電車で行って帰りは買った自転車で・・・その足で京都付近までも・・・計画中。
おおよその使い方が分かってきたので1500円分のクレジットを購入し、早速試してみた。
ツルルルル・・・・、電話と変わらぬ呼び出し音。
カメラに向かって話しかけると応答はスピーカーから聴こえて、手ぶらで会話できるから楽と言えば楽。
音質は携帯以上、電話機以下というところか。これなら十分実用に耐える。
国内で試して問題ないと知ったので、次にタイへ掛けてみた。
まずはジェラードへ。ローカル時間19時ごろだったが部屋に居ると言う。遅滞なくレスポンスがあるので4200kmも離れているとは思えない。
スカイプ同士なら無料でビデオ電話が可能と伝え、導入を勧めておいたが、彼はこの方面はからっきし疎いから期待するのは無理かも。次に行った時に手取り足取り教えようか。
次にJちゃんに電話。ちょっと前に電話した時は不通だったが、今度は繋がった。
何でも、ソンクラン(タイの正月)で故郷へ帰省していて、ちょうどバス停に着いたところと言ってた。
初試しは国内二件と海外三件で、結構話したつもりだが、それでもクレジットは85円分しか減ってない。
携帯・固定電話へが国内約2円/分、タイ約3円/分で、これがSkype to Skypeならタダだそうだから、次こそビデオ電話だね。
セントラルからノースピアまで流してみた。
2015.2.10撮影
スイスからメールが届いた。
9ヶ月前にマイケルさんにメールをコーチした時はしどろもどろだったが、あれから試行錯誤したんだろうね。ちゃんとメールの体裁に整っていた。
しかも、ビデオチャットやろうと言ってきて、オレより先を行っているではないか。
残念ながら今度はオレの方がその知識がない。
必要な物はwebカメラとヘッドセットらしいから、アマゾンで探して注文すると翌日届いた。
1056円の安物だったがどうしてどうして、映りはこれで十分。
ただ、どうやって接続するかはまだ模索中。
マイケルさんは普段はスイスのローザンヌ住まい。レマン湖畔だから、きっと明媚な所だろうと思う。
うまく繋がったら、次はレマン湖から生中継せよと言おうと思っているが、9000kmも離れた所と繋がるというのは世界の距離が増々近くなった様に思える。
セントラル前に着くとセレモニーの最中だった。
大勢の観客の中に紙コップ入りビールを持ってるドクターを発見。
「コボリ、このビールはタダだよ。あそこで配っているから、もらえば」。
チャーンでもない、シンハーでもない、たぶん新興ビールメーカーの宣伝用か。
オレも列に並んだね。(冒頭部分)
沿道はタイ人やファランでいっぱいだった。
2015.1.25. 16:30頃撮影
ビデオシリーズ - クアッドコプター
実は、欲しかったのはこのくらいのサイズで安定して飛ばせるやつ。
セレモニーの最中にパタヤ警察署の前で飛ばしていた。
2015.1.25. 16:40頃撮影
後日、釣り具備品を探している途中、これと同じものを売ってる店を発見した。
尋ねたら2450Bだった。失った物と同じドローンも売られていて、1950Bだった。
日本より安いから、たぶん、次はここで買うね。
桜ノ宮から大阪城を周ってきました。
さくらの季節だというのに雨ばかり。
今となっては、この日しかなかったか。
2015.4.2. (BGM: Greatest Love Of All)
半年前にも訪れた所だけど、撮り直しのつもりで。
帰路はサインからプラタムナックに出る道を選択。
2015.1.3. 14:30頃撮影
(BGM: wonderful world by Richard Creyderman)
編集はほゞ全部終えたので順次アップの予定です。
バリハイ岬
釣りを兼ねて此処には十数回は来ていた。
おかげで、岩形まで鮮明に記憶に残っている。
2015.1.2. 午前10:30頃撮影
(BGM: L'Italiano)
2/13日記より
ドンムアン行きシャトルが出発する直前に飛び乗ってきたファランはべルバスで横に座っていた人だった。
彼が、「さっきのバスで隣だったね。このシャトル乗り場を見つけ難かった」と言う。
「どうして尋ねてくれなかったんだ」と応じたが、まさかお互いがドンムアン空港に向かうとは思ってないからね。
少し話した所によれば、彼はフロリダ出身のアメリカ人。車も家も処分して旅しながらコンピューター関係の仕事をしていると言い、今の財産はこのバッグとコンピューターだけと言う。
「財産があると管理が大変だ。simple life is best」と返事しておいた。
今回は7ヶ月の旅で、サイゴン(ホーチーミンとは言わず)へ行ってからベトナムを北上する計画らしい。
もう3年もアメリカには帰ってないと言ってた。
ドンムアン→クアラルンプールは定刻通り。
クアラルンプール→関空も前回のようなディレイもなく定刻運航だった。
関空到着1時間に気温4度とアナウンスがあった。
32度から4度へと真っ逆さまの感覚だね。
外気にさらされた途端にブルッときて、電車に乗る前から鼻水が止まらなくなった。
いつもの事だが、関空に降り立つと空港も電車も人々も日本はなんと静かなんだと思う。
秩序ある日本であって良かったと思える瞬間だ。
今回の滞在はこれで終わったが、撮り貯めたビデオは時間掛けてじっくり編集したいね。
それに、見えて来たものがあるので、掘り下げて研究しなければ・・・・
(完)
2/11日記より
夕方6時過ぎに、「今、私がクッキングしているよ。もう出来たからすぐにお出で」とJちゃんから電話があった。
ジェラードにもこの晩は空けておくようにと言ってあったら、既に来ていた。
Jちゃんがクッキングしていたのはノリ巻きだった。巻く道具が無いのでラップで包んで手で押さえて作ったらしく、不恰だが食べれたね。
Jちゃんがスマホでビデオチャット遊び始めた。
そこには友達のポッチャリ姉さんが映っていて、オレに話せと言う。
「ハロー、・・・」
スマホはこんな事ができるのか、驚きだね。
ジェラードも持っていてオーストラリアで700ドルで買ったという。
ニッポンは3100バーツで買ったらしい。
「で、通話料は?」
「ライン、フェースブック・・・」、たぶん無料という事か。
帰国後に当たってみるつもりだが、買うのはタイの方が安いみたいだ。
ジェラードは「我々が出合えたのは奇跡だ。この通りを見つけたのも奇跡、今此処に居る事が奇跡なんだ」とか神がかりな事を言い出す。
いつもの事だが、そんな話をJちゃんに振るからJちゃんは時々癇癪起こす。
そうだよな、どう返事して良いか分からないもんね。
そこでジェラードに言ってやった。「Jもオレも英語が日常語ではないんだ。難しい事言うと頭が痛くなるよ」。
途中でJちゃんがバイクに乗って消えた。
ジェラードは、「Jは戻って来ないよ」と言う。
オレは「戻って来るよ」。
ジェラードは「もし戻って来たら自分が1本奢ろう。戻らなかったらコボリが奢れ」と賭けしたね。
実は、食い物を買い足しに行くとJちゃんが話していたのを知っていたから、この賭けは始めからオレの勝ち。すまんな、ジェラード。
昨晩オレがカラオケでしどろもどろになった事をトーイが知っていた。何で?
というのは、昨晩ムーガターに行った時、生バンドが入っていてJちゃんが歌えと言う。
バンドに「日本の曲演奏できますか?」と尋ねたら「昴」をやれると言う。
歌詞はうろ覚えだから頭の中で復唱してこれで何とか行けそうと思ってマイク握ったね。
ところが出だしは「♭目を閉じて何も見えず・・・」、うろ覚えが祟って途中から頭が真っ白になってしまった。
そうか、こんな事をJちゃんが面白おかしくバラしたんだろうな、余計な事言わんでもいいのに。
それを聞いたトーイがカラオケやろようと言い、タイカラオケを始めた。
ところが日本のカラオケCDはないそうだから、それならオレが作って次回に持って来ようか。
ジェラードも居る事だし、ちょうどパソコン持ってきていたから、「我々はoldiesカラオケやろう」と、オリビアニュートンジョンのlet me be thereを流すと、ジェラードは「これは誰なんだ」と言う。
「オリビアだよ、オーストラリアンが彼女を知らないなんて・・・」。
それならこれはどうだ、all you need is loveを流したね。これも彼には??の風情。
「お前さんが好きなloveの歌だよ。loveをmoneyに言い代えてもいいけどね」とジョーク。
どうやらジェラードはmusicには疎い様ようだ。
今帰国中のシドニーマイケルは知っていたね。
「自分が9歳の時にbeatlesが初めてオーストラリアに来たんだ」と言ってたし、
オレのmusic folderにあるメロディを全部知ってて、口ずさんでいた。
ファランもいろいろだね。
9時になればナムフォンが寝床に着く時間。「オレは明日帰国するから元気でね、また会おう」と言うと、
「コボリが居なくなれば寂しい。必ず戻ってきてね」と挨拶するではないか。
トーイが、「コボリにチューしてあげなさい」と言うと、ほっぺにチューして「おやすみなさい」と。
この子は本当に素直な娘に育ちそうだ。
そろそろ終い支度の時間だが、これが最後だからね。
誰も終わりにしようと言い出さない。
結局11時前まで4時間以上も食べて飲んで喋っていたことになる。
お終いはJちゃんと軽くハグしてお別れの挨拶。これで5人目。
ジェラードともハグして、6人目。
日本に居たならこんな事はないけど、この2ヶ月間で自然と出来るようになったから不思議。
ニッポン、トーイ、アナン、ナムフォンちゃん、Jちゃん、ウェンター、ジェラード、みんな良い人ばかりだった。
ありがとうね。オレは此処を知って次にやる事が見えてきたよ。
本当に、本当に最後の晩餐に相応しいナイスな夜だった。
翌出発日の朝、荷造りしている8時過ぎにジェラードから電話があった。
昨晩バイバイしたはずなんだけど・・・、
「今日のフライトは何時?、日本に着くのは何時?」と訊いて来る。
「必ず戻ってくる。着き次第真っ先にジェラードに電話する。約束するよ」
ジェラードにとってはオレが、オレにとっては彼が・・・、
I think I'd like to keep in touch with you for longと言っておいた。
そして、空港に向かっている車中、今度はJちゃんから電話が掛かってきた。
言いたい事は分っているから、車中では周りもいるので聴かれたくない。
そこで、「今はバスの中で聞き取り難いんだ。空港に着き次第コールバックするから」と言っておいて、ドンムアンに着いてから、「幾度も長い時間付き合ってくれてありがとう、楽しかった。キットゥン・・・」
こりゃ、帰国してからビデオチャット早く用意しないと・・・
2/11日記より
明日の出発に向けて仮荷造りが一段落したところ。
関空到着の明後日の気候は曇りで、最高気温が7度、最低が1度予想とある。
今日の昼間は31度だったのに、真夏から真冬へ逆戻りとは喜べない心境だ。
毎日にシチュエーションがあり、グラハム小父さんが言ってた tommorrow never comeでやってきたからね。濃厚でディープな充実の2ヶ月だった。
ジェラードも、「今の瞬間は二度と無い。時は過ぎ去るのみ」と言っていた。
寝る時は朝が来るのが楽しみだったし、朝になれば夜が来るのが楽しみだった。
若い時代が蘇って来た気分だね。
こんな想いが出来たのもこの地に来て、出会いとふれあいがあったらこそ。
あとで振り返ると今滞在がターニングポイントになるかも知れない。
何故そう感じたかと言えば、ほゞ日本語無しで過ごして来たから、ロングステイを考え始めた頃には想像し得ないエポックメイキングな事。
おかげで、新しい知人や友人も出来て、今後はこの方向で行こうと確信持てた次第。
残すは今晩一夜のみ。もっと居たいところだがキリがないから、後ろ髪引かれながらも余韻を残して一旦オサラバとしよう。
今夜はお別れ晩餐会の予定だが、今の段階からウルルン予感がしている。
2/10日記より
7時過ぎに待ち合わせて連れてってくれた所はムーガターのお店。
Jちゃんには友達連れて来てもいいよと言ってあったが結局、二人だけになってしまった。
これまでは誰かが一緒に居て二人だけというのは無かったから、今宵はデイトみたいなもんか。
悪かないな・・・、
Jちゃんファミリーは兄弟姉妹が8人も居るそうで、スマホに入った写真見せてくれたね。
内二人はそれぞれアイルランド人、韓国人と結婚しているそうだ。
Jちゃんは過去の上に今がある。それはオレも同じで、地球上の人類誰もがそうなんだけど。
先の事考えると頭が痛くなる。サバイジャイを繰り返していた。
サバイとは元気とか気楽の意味で、ジャイとは心。つまり今が楽しめればそれでいい。
マイペンライもこうした考えから生まれた言葉だろうと思った。
ニッポンらが「Jは頭の良いレディだよ」と言ってたのを改めて思い出した。
この地に多いガサツなレディとは違い、所謂トークが可能なタイプだと。
気がつけば22:30と、3時間以上も居たことになる。
タイ語8割英語2割で話したが、この2ヶ月間はタイ語英語のみで過ごしてきたから自分で言うのもなんだけど、ヒアリングが結構上達したと思う。ヒアリングが分ればスピーキングもここに語を挟めばイケるだろうとイメージして話すとコミュニケーションになった。
今日のトークは暫くはアンフォゲッタブルになりそうだ。
2/9日記より
モーラム会場周辺には地元民に人気のおしゃれな店が点在してると聞いていた。
事実、モーラムからの帰り道に0時を過ぎても道路にはみ出してワイワイやってるグループも見かけた。
どんな所か、昼間にゆっくり流して確かめようと思ったね。
ウンウン、何軒かある。今回はもう時間切れだが、次回はその時間帯に来よう。
あと3泊しかないと思うと、この2ヶ月間の過ぎた日々が走馬燈のように浮かんで来た。
で、思い残しがないよう、夕方Jちゃんに電話してみたね。
「コボリです。飲みに行こうよ」
「まだボリサット(会社)にいるから行けない、明日ならOKです」
実は、Jちゃんはジェラードが苦手(英語オンリー)と知っていたので、
「ジェラードが来ない場所にしよう。何処がいい?」
Jちゃんは、「私にアイデアあります。明日電話します」と言う。
今時間から行ってもなあ。1本だけにしようと今回最遅の21時前に行くとニッポンとアナンだけが居て、
アナンがいつものチャーンビールを飲んでいた。
「アナン、あんたはいつも疲れた様子で帰ってくるね。仕事はシンドイの?」
ジョムティエンでセキュリティ関係をやっていて、毎日12時間労働で疲れるそうだ。
アナンはトーイの実弟で、妻子をバンコクに残してここに居候させてもらってる様だ。
妻子の写真を見せてくれたが、娘はべっぴんさんだった。
ニッポンが、「コボリはJと連絡取り合っているのか」と言う。
本当はさっき電話したばかりだが、「明日会う事にしたが、此処では飲まない」と正直言うわけにもいかず、「明日にでも電話してみるよ」と答えておいた。
ニッポン、アナンも揃えて「Jは頭の良い人だよ」と言う。それはオレも知っていて、第一印象がこの地に多いガサツなレディとはちと違う。話せる相手と見ていた。
4人目のハグ
物足りないから、もう1本はまたもWで。
いつもサービス持ってくるレディに、「この2ヶ月間、随分飲ませてもらったがあさって日本に帰る事になった。これまでありがとう」と言うと、レディは名残惜しむかの様にハグの姿勢。
これで今滞在4人目のハグとなった。
2/8日記より
夕方、トーイから呼びかけられた。
「コボリ、今夜私の誕生パーティするから来てね」。
「クラップクラップネーノーン、もちろんだ。で、何歳の誕生日なの?」
「60歳」
予定の時間に着くと背の高いファランも居て、「ハッピーバースデー・スィート・シックスティーン」と歌う。
シックスティーンとシックスティではエライ違いだ。
そこにジェラードもやって来て、一輪花とハート形容器に入った何かをトーイにプレゼントするではないか。気の利くやつだね。
オレも考えないわけではなかったが、そんなの売ってる所も知らないし、時間も無かった。
代わりに、ナムフォンが好きだと言ってた寿司パックを買って持って来た。
教えた日本語で、「これイクラ、これサケ」と呟きながら、イクラを一粒ずつ食べるナムフォン。
嬉しいね、こんだけ喜んでもらえるとは。
トーイの娘のエミーが鍋を作ってくれる。ウドンや豆腐も入れて、タイすき焼きというやつか。
(ウドンや豆腐は、そのままタイ語になっている)
そうこうしている内に隣近所が鍋をもらいに来るとエミーがビニール袋にタレを加えてお裾分けする。
此処ではありふれた光景だが、ジェラードは「オーストラリアではこんな事は絶対にありえない」と言う。
自身も国では隣の家の人がどんな人なのか知らないと言うし、今がたまらなく楽しいと言う。
彼はこの地で異次元を体験しているのかも。
ジェラードはいつものビールではなく、買ってきたワインとsiam satoとかいうタイの酒を飲んでいた。
悪酔いしたのか、
「ヨーロッパがアメリカを盗んだ。スペインが南アメリカを盗んだとか、1949年に日本が数百万人の・・・」
「オイオイ、今は二十一世紀だよ。今でも世界は十分でないが、当時は植民地主義横行の時代で・・・」
で、オレは思ったね。彼の様な歴史観に立つ人々が欧米にもまだ存在している。
慰安婦問題、南京・・・、国連分担金2位国が敵国条項からまだ削除されない等。
ワールドイズノットイナフ。
遅い時間だがもう1本飲みたくてWに行ったら久しぶりにRちゃんが出勤していた。
オレを見つけると挨拶言いながら胸を押し付けて来るではないか。
そんな事したって今日は胸にチップを押し込んでやらないよ。
時計見れば午前0時ちょうど。
今夜も酔っぱらってしまった。
2/8日記より
ビデオをジェラードのパソコンにコピーしてあげる為に約束の10時に彼のアパートに着くと、玄関前のテーブルで待っていた。
「こうやってドラッグ&ドロップだけで済む。簡単でしょう、難しくはないよ」。
10分程で済ませると、この後はする事が無く退屈みたいだった。
「コボリは今日は何する?」
「なんならナジョムティエンへサイクリングでも行こうか?」
「そうしよう」
12時に待ち合わせて出発した。
彼のスピードに合わせたので1時間も掛かったが、昼飯はコンビニで買う事にした。
ファミマで日本語で書かれたおにぎりを発見。2個で50Bだった。
ジェラードも何か買っていたが、店内に同国人が居た様だ。
そこで食べながら二人で長話していた。
言葉足らずのオレより同国人の方がスムーズな会話が出来るだろうし、あえて二人には入らない様にした。
帰路はジョムティエンバー街に寄ってコーラーで休憩。
実は、もう何十回も会っているのだが、お互いプライベートな話はしてなかった。
彼は20代でロンドンを離れてオーストラリアのブリスベーンに移り住んでからもう40年にもなるが、
オーストラリアは退屈な国と言っていた。
パタヤの人々、生活費、タイ語英語、レディ、酒、国の事情、グローバル問題等、いろいろ語り合った。
夜は、昨晩撮ったモーラムのビデオを見せに行くと、奥方トーイがオレが数日前に釣った魚を料理して出してくれた。
自分が釣った魚が目の前にあるのは不思議な気分。味はまぁまぁイケる。
すっかり滞在型生活になっているが、これもあと残り5日。
帰国後の暫くは「愛しき日々」となるのは確実だから、
それを想うと、少し憂鬱だね。
2/7日記より
約束の時間に着くと皆スタンバイOKだった。
結局、Jちゃん、ニッポン、オレの3人でモーラム観賞に行くことにした。
その前にJちゃんは誕生パーティに招かれているのでちょっと顔出してすぐに戻ると言い残して一時バイクで去って行った。
そこへジェラードがいつになく真面目な姿で通りがかったではないか。体調不良で飲んでないと言う。
そこへJちゃんが戻ってきたので、「ジェラードが一緒に行くと言ったらどうする?」と尋くと、
「彼の英語は難しいから、3人だけで行きましょう」と言う。
ジェラードには、「すまんな、予約は3人分だけなんだ」と言い残して会場に向かった。
到着した20:40頃は好きな位置で席取りできたが、22時頃は700-800人程、23時頃は1000人以上に膨れ上がった。
Jちゃんの友達も合流して、ウィスキーで乾杯。
ニッポンが花の首飾りを買って来て、みんなに配って記念撮影。
ショーは宝塚歌劇団の様相。
ダンサーはレディに見えたが、ズームすると殆どがレディボーイと判明。
華やかだ。イサーン地方の人にモーラムが根強い人気があるのが分るような気がしてきた。
ステージの真ん前ではローカルの人々がクネクネダンスを始める。
オレも酔った勢いで仲間に加わった。そのうちJちゃんや友達もクネクネ始める。
ウィスキーが空っぽになったら次はワインが用意されていた。
ビールから始まって、ウィスキー、ワインにクネクネダンス。これは堪えたね。
日付が変わろうとする時間になった頃、「疲れた。もう帰りたいよ」。
Jちゃんは、「あと30分だから居なさいよ」と言う。
でもオレは30分で終わらないと見た。何故なら、こうした場合タイ人は狂うというか、時間など気にしないからね。
翌日、「何時まで居たんだ」と尋ねると、「3時まで居た」と言う。
やはり予想は当たっていて、先に帰ったのは正解だった。
でも本当に、本当に楽しい夜だった。
Jちゃん、ニッポン、ありがとうね。モーラムがイサーン人にとって心の故郷と理解できたし、
好いものを観せてもらったよ。
2/6日記より
べルバスの予約から戻ると、マイケルさんカップルがまだ居た。
実は、釣りから戻った昼も居てマイケルさんに、「コボリ、座れよ」と言われたが、
「まだ昼飯も食べてないんだ。それから帰国用のバス予約に行くから今は遠慮しておくよ」。
あれから何時間も経っているというのに、まだ居るとはね。
もう用事は済んだから付き合おうか。
昨日もオレを見掛けて呼んだそうだが全く気づかなかった。
「本当に?、全然聞こえなかったよ」
「コボリはもう歳だね」とゲーオちゃんは遠慮のないツッコミを言う。
ゲーオちゃんは、「ビザランしてもう1ヶ月居れば」というけどね。
「ソンドゥアンポディー、2ヶ月がちょうどいい。ユーナンナーンサームドゥアンブア、3ヶ月も長くいると退屈だよ、」。
此処は知ってはいたが入ったのは初めて。
ドリンクは安いし、食事も出来る。
気付いたが、ここのお姉さん達は客の話し相手になったりして、えらいフレンドリーだ。
そうか、マイケルさんが最近ここに出没する理由はこれだったんだ。
昼間なら友達とお茶しても良いし、飲み相手が居ない時はここで時間潰し出来るのではないか。
残り日数は少ないが、次回からは寛ぎスポッとして此処もリストに入れておこう。
2/4日記より
滞在も残り10日を切った事だし、見慣れた景色ではあるが、見残しのない様に行っておこう。
プラタムナックから行くのが一番早いが、あの急坂はシンドイ。そこで大回りになるけどタプラヤからビューポイントへ向かった。ここまで来ればついでにブッダヤイ(大仏さん)も見ておかなくては。
夜、Jちゃんから久しぶりに電話があった。本当は久しぶりではないのだが、三日も経つとなんか昔に感じられる。
「ミニサイアムの写真、どうして送ってくれないの?」
「送ったよ、チェックしてくれ」
スマホ取り出すとちゃんと届いていていた。
「写真だけでなく、メッセージも書いたから読んでくれ」と言うと、
Thank youの部分は読めたがあとは頼りなかった。
「大丈夫、あとで辞書で調べるから」とは言ってはいたが。
ナムフォンに日本語の2回目をレッスン。
今日は数字の数え方。
「いいかナムフォン、頭で覚えるだけではダメだよ。よく聴いて真似するんだ。いち・にー・さん・し・・・」
十回ほど真似させたら何とか10まで言えるようになったね。子供は上達が早い。
「ナムフォン、パサーアンキリットガップパサーイープン、トンナイヤーク、英語と日本語とどっちが難しい?」と質問すると、「英語が難しい、日本語が簡単」と答えたが、これは子供でまだ何も知らないから。本当は日本語は世界で最も難しい言語と言ってもいい。
Jちゃんは、「コボリは教え方が上手だね。こちらで日本語教師をやったらどうか」と言う。
Jちゃん自身も単語程度の日本語は知っているが、話せるとは言えない。
あと10回ほどレッスンしたらJちゃんを追い越すのではないか。
でも、残り少ないから時間が無い。
帰路、ジェラードのアパート前を通過したら、彼が子供の遊び相手している。
「ここに居たの?、さっきまでニッポンで飲んでいたよ」。
実は、昨晩はオレは行く所があったのでジェラードを残して先に帰った。
あとで思ったが、居残った彼はタイ語のみで、辛かったのではないかと。
そんなら今夜の寝酒はWは止めにして、ここで済ませようとビアリオを注文。
一緒に居たもう一人のファランは顔は知っているのだが、同席したのは初めて。
マイクさんは通貨の話し、オーストラリアドルが下がっているとか、ユーロがどうたらと。
マネーが一番大切とも。そりゃそうだ。我々は此処では外国人。先立つものはまずマネーだね。
その内、ジェラードが「ダイアナ妃は殺されたんだよ」という話題に。
オレが、「じゃ、犯人は誰?」
「イギリスだよ」
「何故そう思うの?」
「監視ビデオは肝心な部分が欠落している。あれは意図的だ」とか。
今日も遅めの20時台から飲み始めて、今23時で3本目。
なんか酔いが廻るのが早くなっている。50日目で休肝日無しだから疲れているのかも。
あともうわずかだけど、このまま休肝日無しで最終日を迎えそうだ。