この春に京都までサイクリングした折り、あと20kmで琵琶湖の地点まで来ていた。
いつか一周と思っていたが、193kmもあるそうだから1日では無理。
そこで今回は琵琶湖大橋で線引きして湖南周辺を走り抜けよう。
石山駅のレンタサイクル、駅リンくんにはスポーツ車タイプは無いから仕方なくママチャリを借りて、目指すは瀬田川を起点として時計回りに→なぎさ公園→大津港→雄琴温泉→琵琶湖大橋→さざなみ街道→守山市内→瀬田唐橋。
大津港まではサイクリングロードは整備されていたが、以北は狭い歩道のみ。
所々歩道さえも無い箇所があったので、交通量の多い道路では危険と自転車降りて引きずりながら・・・
161号線に比叡山の標識があって、ここから5.3kmらしい。案外近いんだなあ。
浮御堂に寄ってみたが拝観料300円だって。写真撮るだけなのでここはパス。
左手に琵琶湖大橋が見えて来た。ここまで来ればコースの半分来たのも同然。
大橋頂上には観覧所があって、右手進行方向が守山市内。左前方は比良山系と絶景の眺め。
この山の中に琵琶湖バレイ(昔はサンケイバレイと呼ばれ、二十歳代前半頃スキーで来たことがある)があって、冬には雪が積もる。
此処では数人のサイクラ―が写真撮っていた。
初老の夫婦連れに、「守山駅は何処か」と尋ねられたが、ここが初めてのオレが知る訳が無い。
プリント地図に記載がないので「まっすぐ行けば477号線に出るはず。そこなら駅行きバスがあるのではないか」と答えておいた。
湖東に出るとやがてさざなみ街道に入る。
こっちは湖西と違ってサイクリングロードが整備されていた。
西側と違って東側は湖らしい風景。琵琶湖名物のヨシの原風景を眺めながらひたすら南下。
ここから20kmで瀬田唐橋へ出るはず。
途中でおにぎりでもと思っていたが、街道沿いにはコンビニは皆無だった。
約50kmを6時間で走り抜けて、午後3時には石山駅着して自転車返却。
駅前には自転車の前後輪を外してバッグに収めていた者がいた。
軽量、脱着可能なロードバイクというやつだね。
これなら電車に積めるから、少々の遠距離もなんのそのというところか。
天気も良かったし、いい運動になった。
秋が深まる時期にもう一度、今度は湖東を中心に長浜→彦根→近江八幡市コースをやるかも・・・
※ビデオは編集中、後日アップの予定
ジェラードと居た時に彼はこの言葉をよく使っていた。
机上で覚えた英語では良くない言葉と知ったけど、実際はどんな響きのものか。
そこで、彼に直接尋ねてみた。
「youはfuck・・・とよく言うけど、オレの知識では良くない言葉と知っているが、問題ないのか」
ジェラードは説明してくれたが、英語圏での生活経験が無ければ感覚掴むのは難しい。
そこで、こんなクリップを見つけた。
これなら禁句でもなさそう。
そういうシチュエーションがあれば試してみようか。もちろんTPOに応じてだけど。
「BS日本の歌」だったか、幼少期によく聴いていた懐メロが流れて来た。
歌唱力があり、耳に心地良い。
で、この歌手は誰?
「森山愛子?」、知らんな。
でも、この歌唱力なら他のメロディも聴けないものか。
youtubeで探すと、あるわあるわドッサリ出て来た。
19歳時に全国放送で流れたらしいが、この時のがコレ。
喋りとこの歌唱力の差はどうよ。
更に、この時代に彼女はまだ生まれてないにも関わらず、この曲で声を鍛えたとか。
まさに名曲は歳取らないだね。
コンサートあれば聴きに行こうかと思える歌手だ。
花火大会にはもらったTシャツを着て行った。
この時の写真・ビデオをFBに載せたら早速反応があったので、そのままチャットに突入。
そしたら折り返し、ジェンちゃんと一緒と、こんだけ飲んだよとばかりに空瓶並べた写真が送られて来た。
ハハーンそうか、今日は日曜日で二人とも休日だから今の瞬間あそこでビールやってるなと直感。
プロイちゃんは英語がダメだからタイ語翻訳サイトでコピペしながらやったが、何とか通じるもんだ。
googleでは日本語→タイ語より、英語→タイ語の方がより正確に翻訳出来ると判明したが、コピペに時間が掛かる為まどろっこしい。
次はビデオチャットに切り替えて試してみようか。
タダでこんな事が出来るとは便利な世の中になったもんだ。
FBチャット画面抜粋
滞在中はICレコーダーを携帯している。
覚えておきたいフレーズはその場で発音してもらったり、メモ帳代わりにもなるから備忘ツールとして重宝している。
ロシア人アナもこのツールに興味示し、録音・再生の機能を試していたが、オンのままにしてた様で、帰ってから整理していると約40分録音されていた。
アナはそうでもなかったが、カーリーは酔っ払っていたしオレも3本目だったので好き勝手に喋っている。
カーリーに若い頃は何していたかと尋ねると、40年前はイスラエルや中東で働いていたらしい。
生活の為と言っていたが、飲むと恐怖心が消えると言っていたので、もしかして傭兵だったかも。
アナによると、ロシアは貧富の差が激しい。月額がタイバーツで2000Bとか(年金の事かも)。
日本の日常ではあり得ない国際的な出会いが此処にはあって、この地でのプチロングの醍醐味は、こうした出会いと触れ合い。これだねえ、とつくづく思う。
折角だから想い出として、これは残して置くことにしよう。
2015.7.17.夜9:30~11:00頃、3人でトーク
http://f12.voiceblog.jp/data/kobori07/1438556541.mp3
暫くして削除します
帰国日の朝は5時半起床すると、まだ白みきっていない。
最終荷造り済んで、自転車にカバー掛け終えて、
8:00チェックアウト、アパート代清算。
8:30ピックアップ車待ち
9:00-10:30べルバスでパタヤ→スワンナプーム空港へ移動。
11:00-11:55シャトルバスでドンムアン空港へ移動。
12:40エアアジアチェックイン。
12番ゲート待合室ではチェンマイ在住という邦人と話す機会があった。
チェンマイで事業を起こす計画を持っているらしい。
「28歳だが今の年金制度は私達がもらう時代には崩壊してるだろうから、今の内に生活基盤を整えておかないと・・・今の若者は年金は当にしていない」等々。
将来をしっかり見据えてると思った。
ドンムアン空港定刻出発も関空には20分遅れの23時着陸。
23:05までに税関をパスすれば最終電車に間うあう計算していたが、既にこの時点でアウト。
ダッシュで駆け抜ける者もいたが、難波にたどり着くだけなら何とか間に合った人も居たかも。
機内搭乗率は100%(だったと思う)。
入管の並びは外国人カウンターの方が多かったから、この便はそれだけタイ人が多かったという事。
バゲージ受け取り、税関をくぐり抜けたのが23:35だから最終電車に30分程遅かった。
空港泊りを覚悟したら急に空腹を覚えて、24時間営業のすき屋で牛丼を注文。
牛丼自体が久しぶりだった事もあって、久しぶりの和食。とにかく旨かった。
一息ついてから仮眠設備があるエアポートラウンジを訪ねたが、個室は満室との事。
ネット部屋は横になれるような椅子ではなかった。
既に空港泊と決め込んでいる輩もチラホラと、ベンチ椅子で横になってる人も居た。
オレは4階の出発フロアーに移動。フラット椅子の4個並びを選んで夜明けを待った。
疲れていたせいもあってか、グッスリ寝れたね。
所要時間に関してはクアラルンプール経由と大して変わらなかった。
ただ、クアラ経由時間飛行機に閉じ込められるよりも関空で横になれる分だけ楽だったとは言える。
翌朝5:45の始発電車に乗り、午前7時に我が家に到着。
夕方行くとロオッおばさんが、「プロイは既に帰宅して部屋に居る」と言って子供に呼びに行かせた。
すぐにプロイちゃんはやって来て、とりあえずビアリオを注文すると、
「ここで飲む?、それとも私の部屋で?、部屋は何も無いけど・・・」。
実は伏線があって、前日Aさんと3人で飲んでいた時、プロイちゃんの部屋に移ろうかと話していて、結局次にしようという事になっていた。
2階の部屋。本当に何も無かったね。テレビもクーラーも無し。
ただ、部屋は広かった。オレのアパートより3割は広い。
静かで玄関からの眺めも良し。これで本当に3000バーツ?
長期で滞在するなら絶対にこういう所だね。
ベランダで飲んだ。
ノートパソコン持っていて、写真を見せてくれる。
それによるとパタヤに来るまでは故郷でエカサンの先生をやっていたらしい。
小一時間程居て、またおばちゃんの所に戻ってドリンク追加し、飲み直し。
このあとコボリはどうするかと尋くので、「知り合いの所へ帰国の挨拶に行く」と言うと、
「パイドゥアイ、一緒に行く」と言う。
挨拶だけなのに一緒に来てどうする。
ポーンおばさんもそうだったが、プロイちゃんも普段は家と職場の往復だけだから日常に変化がなく、
オレ達外国人が立ち寄るスポットに興味があったのではないか。
次は12月に戻って来る。朝に着くからその日の夕方に集まろうと約束してして、ここでバイバイ。
エミーやブティックファミリーにお別れの挨拶。
ジェラードとサーオもちょうどアパート前に居たので、12月にまた会おうとバイバイ。
お終いはWで最後の寝酒を飲みながら今滞在を振り返った。
いろいろあった様な気もするが、長いようでもアッという間の1ヶ月だった。
昨晩は7時過ぎに突然のスコール。さっきまでの暑さがウソの様に肌寒くなって来た。
その所為か、今朝は28度と快適です。
昨日は午後4時頃から仲間と飲み始めてウィスキーが空になった頃、仕事帰りのプロイちゃんがオレ達を見つけて立ち寄った。職場の同僚と飲んで来たので既にマオマオ(酔っ払い)状態と言う。
それまでのプロイちゃんは控えめな感じだったが、何故か昨日から多弁。
なんでも友達と居る時は多弁になるそうだから、オレ達も友達と認められたという事なのか。
知らない言葉を連発するから、そこは英語でと注文すると、話せませんと言いながらタイ語でブツブツ喋る。
飲食回数、滞在時間共に今回はここが最多だった。
今晩が最後になるが、ジェンちゃん、ダーちゃんは夜からの仕事だから無理だが、プロイちゃんは仕事終え次第来てくれるそうだ。
軽く一杯やって、その後は今回親しくなった人たちへ帰国の挨拶回りして、今1ヶ月のプチ・ロングは終了予定。
今日午後からはすっかり散らかした部屋の掃除やって荷造りしよう。
あと24時間でこの部屋をチェックアウトです。
今朝は厚めの曇り空。
青空よりも今はこの方がいい。
そろそろ集まる頃と行ってみると、ロオッおばさんとその娘と、プロイちゃんが居た。
プロイちゃんがオレに、スアハイ(服をあげる)と言う。
ん?、服をオレに?、どういう意味?
部屋に取りに行って戻ると何と、先週の飲み会で着ていた自分のTシャツではないか。
クリーニングしてあって、香りまで付けてある。タイのクリーニング店は香りサービスもあるのか。
「本当に?、もらっていいの?」
ここでFBを交換。プロイちゃんは英語はダメらしいが、今は翻訳サイトもあるから何とかなるだろう。
10歳、8歳の男児持ちで、近くシーサケット県に一時帰省するそうだ。
「ねえ、コボリはどう思う?、私は自由が好き。二度と結婚はしたくない」等々、
離婚して今は自由の身を満喫していると言う。
ジェンちゃんとダーちゃんが立ち寄って、「すぐに戻ってくるから」とバイクで何処かに消えたが、
終に戻らなかった。
揃えばBBQやるつもりだったが、まぁ、出費しなくて済んだからいいか。
そんなんで飲み会はお流れとなった。
夜、Yさんに今日のお流れの経緯を話すと、「タイ人はそんなもんだよ」と言う。
ドゥディに知り合いファランは4人住んでいるが、このところ一緒に居る姿を見ていない。
ジェラードがいたので久しぶりに1本付き合った。
「コボリはあと3日だね。次が12月に来る」と。有難いね、そう覚えていてくれたとは。
そこにダーズがやって来て、いつもではない雰囲気。
ここには書けないが、同言語同士だからこそ・・・、
ロシア人アナも自国人とは距離を置いてると言ってた。Yさんも同思考、
オレもそういう体験を経たから今の滞在スタイルになって来た。
あと2日間。
今夕はAさんと最後の飲食。
明日は今回知り合ったりお世話になった人への挨拶周り。
明後日朝にはチェックアウト。
あと2週間は欲しいところだが・・・
起床時は6時台と生活リズムは崩さない(?)様にしている。
まず洗濯して、次に朝食のパン齧りながらパソコンオンして、昨日の映像編集、ブログ原案作成、ネットサーフィンとやっていたら大体昼前後になってしまう。
それから自転車で行ける範囲で昼飯へ。
2日続けて同じ所では食べないようにしている。
昼食の後にする事が、行く所が無い時はどうするか。
そんな時は、ちょっと遊びに来たよと気儘に休めるところが3ヵ所ある。
そこらにたむろしている暇な連中を相手にタイ語の練習兼ねて、まったり過ごす。
夕飯は何処で何を食べようかと思案巡らす。
邦人ばかりが集まる和食堂には行かない。ファラン御用達のレストランにも行かない。
テーブルと椅子があって気軽にメシが食べられる所、そのあとはドリンクタイム。
時間が早ければ寝酒はWで、今日までの反省と明日からのsomething newを考える。
このsomething newを考える事自体が、オレは旅行者なんだなあと思ってしまう。
昼飯食べにいつもの道を走るとアナが一人でテーブルに居た。
彼女は簡単なタイ語も話せるから、
「サバイディマイ、昨夜はありがとう。クンミーフェイスブックマイ、facebook持っていますか?」
お互いに持っていてsearchするとヒット。
そこには2011年当時の写真が・・・写真と実物、ちょっと違うような気がしないでもないが、ベストショットを公開しているだろうから、そう感じるだろうか。
原則、人の写真にはモザイク掛けているが、これだけの容姿ならいいかな。
ここだけの話しだけど、このイメージは今は崩れ掛かっている。
ロシア人ってある年齢からブクブクになるんだな。
タラートブッカウでぶっ掛け飯を食べた後に両替1万円=2,738B。
これが最後の両替になる様、出来るだけ出費は抑えておこう。
夕食は又もビッグCで買った寿司パック。
見た目はカラフルだが、普遍的な寿司という味がないというか、美味しくなくなってきた。
寿司はやはり本場日本に限る。
帰路、ドゥディに入ると救急車が立ち往生していた。その先にはパーティやっていて、音響設備や舞台で道路を塞き止めている。
いつも思うが、タイは公共優先の概念がないのか、日本なら即撤去に該当するが、此処はタイか。
これは何日か前にジェラードと話したが、「我々はどこまでいっても外国人。タイ社会に受け入れてもらえない」とこぼしていた。
生い立ちや歴史があるから一概に是是非非は論じられないが、ここタイから見ると日本社会は窮屈に映る。
今日が最後の日曜日で、恒例(4週連続)になった飲み会。
特に時間は決めてないけど、午後には自然と集まるだろうと思っている。
ラーンホンはパーティだった。
がなりたてるのが良いと思っているのか、歌手のマイク音量がmax、ミュージック音量もmax。
Yさんと隣同士で話すもスピーカーの大音響で会話は掻き消されてしまう。
パーティを楽しむどころではなかった。
Yさんには、「すまん、又にしよう」と退散。
帰路、コーナーに差し掛かるとファランの男女が居た。
この道は毎日通るのだが、品の良くなさそうなファランの溜まり場になっていたから敬遠していたが、今はこの二人だけが居る。
男が座らないかとジェスチャーでサイン送って来た。
レディも、そうしなよみたいに首を縦に頷く素振り。
いいけど、英語は上手じゃないよと断った上で同席。
男はフィンランド人のカーリーさん、65歳でもう20年以上も住んでいるそうだ。
レディはロシア人のアナさんで、オレが自転車で通るのを何度も見かけていたと言う。
ロシア人にしては珍しく英語を話せた。
背はオレより高く自称29歳。シャラポワ並みとは言わないが雰囲気があった。
シベリア(英語ではサイベリアと言うらしいが、この時まで知らなかった)から来たと言う。
「ロシア人と話したのはあなたが初めてだ。ロシア人のイメージは英語が殆ど話せないが、あなたは話せる。何処で勉強したの?」と尋ねると、フィリピンで習ったそうだ。
アナとのトークで印象に残ったのは、ロシアは貧富の差が激しい。国は変化しようとしないと嘆いていた。
また、ここに住む自国人とは距離を置いていると言う。
この考えはオレにもよく理解できるから相槌打ったね。
アナは、自分のアパートにはプールがあるからスイミングにお出でよと言う。
でも、どうやって?
アナの友達と言えば入れてくれるそうだ。
まぁ、嫌な奴と思われればそこまで言ってくれないだろうし、言葉だけでも受けておこう。
ちょっと貸してとアナはオレの自転車で周囲をグルグル。
一時間半ほどいたが、なんかエキサイティングな時間だった。
ひょんなことからこの時の会話が約40分間程録音されていた。
差し支えない範囲を後日公開するかも・・・
今朝は起床時29度で快適も、低い雲は時間と共に高くなってしまい、昨夕の雨の影響かムシムシして来た。
昨日入れたばかりなのに、タイヤ空気が半分にへこんでいる。
たぶんアレだろうなと思って控を引っこ抜いてみるとやはり虫ゴムが千切れていた。
半年前はこの虫ゴムが無い為にチューブ丸ごと取り替える羽目になったからね。
こんなこともあろうかと予備を持って来たので助かった。
バス予約を済ませ、ビーチ方面へ抜けるとドルフィン像辺りから大型バスが数珠繋ぎ。
その先遊歩道にはパラセーリングを終えたらしい中国人が歩道全体を占拠している。
大声で話すわ、誰も交通整理しようとしない。ファランも車道通行を余儀なくされるなど迷惑千万。
あゝ、オレは中国人でなくて良かったと思った。
昼間は原則飲まない事にしているが、あまりに暑いので1本だけ飲もうか。
向かうとちょうどジェンちゃんも来たところ。
ジェンちゃんもイケる口なので自分だけで飲む訳にもいかず、「一緒にどう?」
勿論断るはずがない。
1本が2本に、3本となってしまった。
ジェンちゃんは41歳だが、パッと見は20代でも通用しそう。でも、この歳で孫がいるそうだ。
両親も健在で4世代が今生きている。
兄がバイク事故で亡くなり、生きていれば今45歳のはずとか、パタヤに来た経緯など、ドラマを抱えているんだと思った。
途中で風が吹き始めてパラパラと小雨。やがて本降りでザーッと来たがすぐに止んで、この程度でも結構涼になった。
この足でブッカウ方面に繰り出すと、いつもの所にYさんがもうやってる。
残り滞在中に自宅で手料理を振る舞ってくれるそうだからお邪魔してみようか。
センターピアには門みたいな構造物が設営されていた。
パタヤマラソンがこの日曜日に行われるそうで、ここがスタート&ゴール地点。
フルマラソンは午前3時30分にスタートだから先頭集団は6時頃にゴールという事か。
そうだよな、いくら鉄人でも日中37度では限界だろうから。
ブティックはもう4日も空けていた。
トーイが居たので、「マイユーガップジョイディークワールームカオレーオ」と言うと笑っていたが、
この反応によってオレのタイ語が通じているかどうか判断できるからね。
ここでは随分タイ語の勉強させてもらった。
あと5泊。思い残し無いようにしたいとは思うが、let it beで行こうと思ってる。
6時半に目覚めると海の方角はどす黒い雲に覆われている。
今日こそは雨と期待したが何の事はない。雲は消えて10時現在35度と今日も暑くなりそうだ。
昨日は気持ち暑さも和らいだ気がしたのでナジョムティエンまでサイクリングして来ました。
ビーチは干潮気味で遠浅状態も風が強く、海は濁っていました。
遊歩道は大掛かりな整備工事中。5ヶ月後にはどの様に完成するのか、また来るつもり。
アゲインストの風で今日はしんどかった。
サイクリングが堪えたのか、ちょっと横になると気付いたら夜7時。
腹が減ってるような減ってない様な・・・でも、何かを入れておかないと、夜はまだ長いからね。
この時間はBig Cの惣菜の値引きが始まる時間帯。
スパゲティパック29B(正札は39B)を買って、ラーンホンに持ち込み。
ホンおばさんは誰かに似ているなあと思っていたら、あき竹城だった。
タバコをねだるので1本渡すと、「コップンカー、有難う」に対し、「ボーペンヤンドック、エエがな」で応じると、これも受けたね。
Yさんはタイ語も英語も話さないが、何となくコミュニケーション取れている様子。
おばさん達との付き合いも長いだろうから、お互い理解しようとするんだね。
対して、同席のファランは黙り込んだまま。別テーブルのおばちゃんグループにもファランが一人だが会話に入って行けない様子。やはり言葉の壁は大きい。
帰路、ジェラードがおばちゃん達と居たが、ダーズは見えず。
初期の頃はいつも二人一緒の姿を見掛けたが、毎日同じ相手ではネタも尽きるだろうか、
このところダーズをあまり見かけない。
ジェラードが、「あそこで飲んでいたの?」
「いや、あそこはもう4日も行ってないんだ。Jとはブレイクアップしてね・・・タイで生きるのは難しいよ」
「そうか、自分もそう思っているんだ」。
今日午後は帰国用のバス予約に行っておこう。
2015.6.26.午後2時ごろ。
帰宅してFB開くと、
「meはその時間忙しくなりそうだ。7時以降にmeからyouに電話するから来てもらえないか」とメッセージが入っていた。
「その時刻はオレは友達と飲む約束があるからダメだ。延期にしよう」。
どうせ相手は風俗嬢。展開は読めるからね。この手合いはもういい。
散髪屋に向かうとダーズが先客としてちょうど終えたところだった。
「you became good looking guy、いい男になったね」と言うと、「君もなれよ」と応じる。
おばちゃんに髪型は任せるよと言っておいたら、タイ人ヘアー(刈上げ)に仕上がってしまった。
昼飯食べに向かうと、「コボリ―!」。声の方を見遣ると、半年前に会ったおばさん(微笑みの国代表みたいな愛想の良さ)が居て、一緒にゲーオちゃんも居た。
少し離れた所にマイケルさんが難しそうな顔して食事中だった。
この頃マイケルさんは何だかなあ、もう疲れ果てた様に見える。
疲れさせる原因はオレなりに承知しているが、彼が変化に踏み出す勇気があるか。
まずは至難だろうけど、あの年齢ではるばるスイスから来れるだけでも大したもの。
健康年齢はあやかりたいもんだ。
前の家がコンクリート床を工事していて、2日続けで削岩機音のうるさい事。
騒音除けと納涼を兼ねてロオッおばちゃん家に行ってみた。
「次の日曜日もやるんだね」
「あゝやるよ!、これが最後だからね」
「次はガイヤーン(鶏肉)にしたらどうか。美味しいよ!」
「そうしようか」
夜、Big Cで惣菜買いに行ったついでに見ると、火を通して味付けされたガイヤーン丸ごと一羽が118Bで売られていた。ついでにサバコーナーをみると姿無し。今に思えば13B/匹で買えたのはラッキーだったのか。
惣菜を持ち込むと既にYさんはマオマオ状態。
しかしこの店、ドリンク店でもなさそうだがいったい本業は何なのか尋いてみた。
おばちゃんがカタログ持ってきて説明すると、滋養強壮剤や漢方製剤の販売店と判明。
ここも店名を付けてないそうだから、おばちゃんの名前を冠して「ラーンホン」と命名。
名前を付けておくと便利だ。待ち合わせする時など、XXでと言えば一発で判る。
Yさんがバイタク運ちゃんにSPYを奢る。アルコール度5%というが、大丈夫かこんな事して。
運ちゃんは此処をベースにしているから人の動きを知ってる筈と、「あそこはイギリス人とアンがやっていたでしょう。二人共姿見えないが人手に渡ったのか」と尋ねると運ちゃんは、「日本人が・・・、あそこの・・・」
これが本当なら驚きだね。多分雰囲気は一変するだろう。
パタヤはタイ人とファランの街だから、今のままが良いと思うが・・・
BBQは昨晩後始末せずに帰ったから御礼を伝えに行ったら、店番のロオッおばさんは寝ていた。
夕方、ビーチへ行くとキレイな夕焼け。
太陽が水平線に隠れきったのは18:46分だった。
帰路、今回初めてsoi 8を通ったが、まだ早い時間のせいか客は皆無状態。
レディは流し目送ってくるが、「プルンニーナ、明日」と言ってスルー。
見知りのおばさんが又も、お出でお出でと手招きする。
二人が居るテーブルに相席させてもらうと、おばさんが同席の男を指して、コンイープンと言う。
タイ人とばかり思っていたが、「日本人ですか?」。「そうです」。驚いたね。
Yさんは真ん前のPアパートに住んでいてもう4年になり、いつもこの界隈で飲んでいると言う。
オレもこの通りに出没するようになってか3年ほどにもなるが、風貌がタイ人似のせいか全く気付かなかった。
Pアパートは昔訪ねた事があり、オーナーが日本好きな女のはずと告げると、「その通りだ」。
ハワイアンから「4,5人の邦人が住んでいると訊いた事がある」と言うと、
Yさんは、「今の居住日本人は自分一人だけ」と言う。
彼によると、邦人が複数住んでいた時も邦人同士のコミュニケは無いと言ってた。
おばさんがお出での手招きしたのは自分が呼べと指示したからと言うが、オレはそんな事全く知らなかった。
オレの伝票を自分のと重ね、「自分が呼んだんだから、これが日本式だ」と言って払ってくれた。
FBでチャットした仲間と今夕会う事になった。
と言っても、場所はsoi 6のXXと言うからには、多分ゴーゴー嬢だね。
チャットで客寄せ営業して、店に来てもらう算段か。
今滞在はまだゴーゴー行ってないから、目の保養にちょこっと行ってみようか。
BBQ食材を買出しに行くにはまだ早い時間だが、部屋に居ては暑くてたまらん。
早めに行って木陰下で涼もう。
涼しいのは分っているがどれほどか。思い付いて温度計を持って行った。
ベランダが37-38度を行き来していたのに対して、木陰下では33度だった。
この4,5度の差が何と大きい事か。
予定の時間になるとジェンちゃんが皿、箸、醤油を持って現れ、一緒に食材買いにBigCへ。
サバ10匹で130Bだった。途中で炭を買い足して準備OK。
ダーちゃんから、「トーンシア腹痛」で行けないと電話が入り、4人で始めた。
夕方になって邦人仲間が加わり、ダーちゃんも直ったのかやって来て総勢6人でビール、ウィスキー大瓶1本、小瓶1本を空けた。
暗くなり始めた頃、葉っぱに雨音が。でも、降るという程ではなかった。
暗くなって来たので灯りがある所に移して続行。
3時前に火を起こして終わったのが9時前だから、結局6時間も居た事になる。
これで3週連続で毎日曜日の午後から飲み会だったが、いよいよ次が最後の日曜日。みんな集まってくれるそうだ。
この人達と長話したおかげでヒアリングが上達してきた様に感じたが、気のせいかも。
この日は2度もBig Cに行ったね。
寿司コーナーでは売れ行きを見ながら、女性が一人で握っていた。
ディスカウントが始まる遅い時間になって、焼きそばパックを購入し、いつもの所に持ち込み飲みながら食べたが、不味くもないが旨くもなかった。
最後の1本はWで。
飲み終えようとした頃、テーブル席に居たファランがカウンターのオレの横に移り来て、
「外を眺めながら飲みたいんだ、此処いいかい?」。
彼はフィンランド人。北海道、本州、四国、九州と日本の地名を知っていたね。
「すまないが、オレはヘルシンキオリンピック、ノキア、バンドのスプートニクスしか知らないんだ」
自分は69歳と言い、殊更オレと同世代と強調していたね。
「オレは本州の大阪という町から来ました」
彼(まだ名前聞いていない)は二ランコンドに住んでいて、部屋は買い取ったそうだ。
11ヶ月/年はパタヤで、1ヶ月は母国に生活する繰り返しだと言う。
ミアノイ(愛人)は持たない主義と言うから、「それがベターだ、タイレディは問題ある」と意気投合。
タイ語も話せた。
その内、ここで一番若くてキレイなレディがこのファランにちょっかい出してきたから馴染みの様だ。
このレディ、一見若く見えるが本当は30歳前後ではないかと疑っていた事を伝えると、自称23歳、
名前はキーンちゃん、ラオスから来たそうだ。
へえー、それならここよりもゴーゴーか客付きの良いバーに行った方が売れっ子になるだろうに思った。
でも不思議な事に、このレディがペイバーされているのを見たことがない。他のおばさん連中がされているというのにね。
話しが弾んだのに帰るのは勿体ないと小瓶を追加した。
いわゆる話が通ずるジェントルマンだったね。
0時過ぎまで飲んでいた。
先々必要になるかもしれないアイテムの価格調査にBig Cに行ってきた。
スマホは2000B後半から3000B台がゴロゴロと、手を出し易い価格帯。
でも、今回は買わないけどね。
食材コーナーでサバが13B/匹で売られていたのを発見。
明日の飲み会はこのサバをバーベキューにしてはどうかとひらめいた。
ついでに醤油を探すとキッコーマンが140Bと高い。
同じ棚にあったタイ文字で書かれたやつが醤油かどうか分からないので近くの人に、「これはこれと同じ物ですか?」と尋ねたら、「そうです、同じです」。やったね、20Bと1/7価格だ。
あとは七輪と網あれば。これ1回だけの為に買うのも勿体ないし、ロオッおばさん所に行って、あるかどうか聞いてみよう。でも、このタイ語のこの単語は知らない。ネットからデジカメに取り込んだ画像を見せ、「明日これをやりたいんだが、道具ありますか?」。
「ありますよ、そこ、使っていいよ」と。
「人数によって魚の量を決めたいのだが、何人来るだろう」と尋ねると、
「ジェンの部屋は2階のXX号室だから行って直接聞けば」
「オレは外国人の男。ジェンはレディだろう。直接部屋に行くのはまずいでしょう」
おばさんが電話してくれてジェンちゃんは直ぐにやって来た。
相談の結果、明日はレディ3人とオレの4人になる様だ。
で、こないだここで飲んだAさんを誘ってみようかと浮かんだ。
すぐに電話したが、オレの電話機がぼろいのか声が小さく聞き取れない。
帰ってからFBでやりとりする事にした。
Aさんとチャットやってる最中、この前友達登録した人から「nice to meet you」とメッセージが入った。
チャットが初めての体験だというのに同時に2人も相手するハメになるとは。
「初めまして。私は今パタヤに滞在中です」と返信入れると、
「私は今バンコクの家に帰っており、月曜日にパタヤに戻りますので会いませんか?」。
「OK」と返事しておいたが、月曜日はどうなりますか。
FBって、こんな事も出来るんだなあと嬉しくなってマイケルさんに、
「ついにチャットが使えるようになったから、何かメッセージ送って」と送信。
折り返し返信があって、彼の部屋で双方向でビデオチャットを試そうという事になり、着くと「このアパートはwifiがない」と言う。「な~んだ、始めからそう言ってくれればいいのに。
マイケルさんは20日からゲーオちゃんの故郷のコラートへ行くそうだ。
とにかくチャットは結構面白くて使える事は知ったが、バーチャルと現実は区別しておかないとね。
起床時は快晴で30度も、時間と共にグングン上昇。10時で37度前後と、日本の梅雨明け後の猛暑を思わせる。こんなのがもう10日以上も続いている。
洪水になってもいいから雨が降って欲しい気分。
出掛けようとするとカウボーイハットが無い。
昨晩最後に飲んだところはあそこと思い出し寄ってみると、ありました。
昼飯終えたが、このクソ暑い中行く所も無いし、そうだ、あそこの木陰の下で一休みしよう。
店番のおばちゃんも店内は暑いらしく、客が居ない時はここでうたた寝している。
時々、「クンメー、ケークマーハー、おばちゃん、客が来たよ」と言ってオレが起こしてあげたりして。
腹が減っているが毎度のタイご飯も飽きて来た。
ナムフォンちゃんに、「寿司食べる?」
「カー、食べる」
Big Cの寿司コーナーは昼間はズラーッと並んでいたのに殆ど売り切れ状態。人気がある様だ。
この時間帯(20時半頃)はディスカウントしている様で、170Bが100Bに、70Bが35Bに。
2パック買って来て二人で食べると食が進む。何たってコメは日本米だからね。
ラリー食堂は謹慎が解けて今日から再オープン。今時間客はファラン二人だけだが、旧店の様なガサツな連中は寄り付かなくなった。店に応じてそれなりの客が付く様だ。メニュー価格は総じて高め。
寝酒は久しぶりにW。
酔いどれイギリス人が勘定もままならず、女が指示していた。女にいいようにされているのではないか。
同国人らしいファランと目が合って苦笑。
23時に帰着すると、この時間で31℃まで下がっていた。
今日は2本のみ。このくらいがオレにはちょうど良い。
これ以上だと翌朝が堪えるからね。
フライト14日前になったから帰国便web check innをしたところ、ほぼ最後尾の50G席が確定。
両替レートが少しだけ良くなったから1万円=2,780Bだけ替えておいた。
チャット申し込みが来ているがどう操作していいか分からない。
無視したままでは失礼になるだろうから、思い余ってAさんアパートに教えてもらいに行った。
ん~、なるほど、こうやってこうすればビデオチャットが可能などと知った。
双方向で試すと、音声に関してはスカイプの方が上と判明。
場所をオレが秘密していた隠れ家アパートに移して、安酒Hong Thongウィスキーで乾杯。
本当は此処は18時半には店仕舞いするのだが、オレ達2人とタイ人男一人がいるのでおばちゃんは開けてくれたね。
チェックビンするとロオッおばちゃんが、「この日曜日もやるんだね」
「あゝやるよ、ジェン、ダー、プロイちゃんにも伝えておいてくれないか」
「カー、分った」と言ってたね。
いつもの所に行くとシャッター半降ろしにしている。何かあったのかな。
17日目にしてここで飲まなかったのは初めて。
8時で帰るにはまだ早すぎる。
ナムケーンを流すと見知りのおばちゃん連中がお出でお出でをする。
ここは何日か前に1本飲んだところで、その時は「タイ語話せますか?」と訊かれたので、
「プーメダーイ、話せません」とタイ語で答えたら受けたところ。
何処へ行っても同じだし、ここでいいか。
おばちゃんの一人がオレの自転車を触り出したので、
「コレ2200Bで買ったから2000Bで売るよ」
「高~い」
「これがギアーチェンジで」と立ち上がろうとした瞬間、座ってたプラスティック椅子が足元から崩れた。危ないね、63kgの体重如きで壊れる代物なのか。
これを見たおばちゃんが今度は2段重ねにして持って来た。
最後はお決まりの、「1本奢って」
おばちゃん達の生態知っているから、ここはピシャリと、
「マイミーサターンルーイ、ペンコンジョン、貧乏人だからもう一銭も無いんだ」。
暑さを気にしていたら何処へも行けなくなる。
凍らせたペットボトル3本をクーラーバッグに入れて、濡れタオルを肩に巻いて、熱中症対策はバッチリして、貯水湖方面へサイクリングに行って来ました。
スクンビットが工事中でノースまで行ってUターンした為に時間喰った。
一時半頃、ポン村役場前到着。ホールは完成していて、舞台もあり、スポーツも可能の様だ。
多目的ホールというところか。
この先20分くらいの所で昼飯をと思っていたが、無理して途中でぶっ倒れてもイカンし、ここでUターンしようか。
半年前と同じ所でカオパットクン40Bは塩気ぎみ。ところがスープは肉を煮込んだやつで少し甘目とバランスが良い。
おばちゃんはスープに自信があるのか、「味はどう?」。
「スープが絶品だね。何というスープ」
「ナームスー(プ)クティアムー」
覚えておきたいので発音を録音させてもらった。
帰宅してフェイスブック開くとそこにはチャットの申し込みが・・・
エミーが4時間前、Aさん4分前、マイケルさんも19時間前になっている。
この機能は知ってはいたが、まだやったことないので具体的にどうすりゃいいか分からない。
便利と思える反面、恐ろしいとも思ったね。
「知り合いでは?」欄に、昔サックスレッスンを受けた女性インストトラクターや、今は疎遠になっている知り合いも列挙されている。
どうしてそんな事が判るのか、プライベイトもあったもんじゃない。
あまり深入りしたくないね。
テイクアウトしたぶっ掛け飯を食べていると、エミーの旦那やトーイらが話していた。
タイ人同士の会話には入って行けないが、断片的な言葉を繋ぎ合わせると想像できたので、
「もしかすると車代の揉め事話し?」
「そうだ」と。
トーイは仮縫いの糸通しが難しくなった歳だからか、ナムフォンちゃんが手伝っていた。
微笑ましいね。子供は親の背中を見て育つのだろう。きっと良い娘になるだろうと思った。
半年後に来る時の土産は糸通しが楽になる様、拡大鏡(レンズ)にしようか。
たぶん百円ショップでもあるはずだから・・・