ビーチの風景
晴れ渡った朝にジョムティエン方面へサイクリングを考えていたが、10時過ぎの温度計は既に37度まで上昇中。このペースなら午後はどうなる? 恐ろしくなって止めた。
でも、部屋はドアー開けるとベランダに吹き抜けて、クーラー点けるほどでもない。
11時になって1度下がって36度。ベランダに立つと堪らん暑さでもない。
熱中症対策ちゃんとやれば可能ではないか。
11時25分出発。
11時48分ジョムティエン交番所到着まで、過去最速23分で着いた。
ナジョムティエン2まであとは一直線。
干潮なのか引き潮なのがよく判らんが、遠浅状態になっている。
ファランが一人で砂浜を散歩していた。
オレも降りると足跡がクッキリ。
帰りにいつもの食堂は閉店になっていたので隣のおばさんにカオパットありますかと尋ねたら2軒隣を教えてくれた。
ここのは旨かった。たぶん過去3本に指に入るくらいだ。
ロオッおばさん所へ帰りついたら体が火照っている。
原則昼間は飲まない事にしているが、熱さましにギンギンに冷えたやつを選んでもらい、1本やっているとジェンちゃんがコンビニから帰ってきたところで、明日は夕方からざるソバ作ろうと相談。
傍にいたおばんさんの長女(5ヶ月babyの母親)にも明日一緒に食べようと勧めたが、なんかもじもじしていて如何にも田舎人風。これまでずっとサケオ県で育ってきたからまだ都会の生活になれてないだろうな。
しかし今後は3世代同居でここに住むそうだ。
ワンさんがホテルの料理番に移ってからはロオッおばさんが屋台も看ていて、
「コボリ、ドゥラーンノイお店ちょっと見てて」と、自は屋台仕事へ。
見ててと言われても客が来たら「ケークマーイーアム、客が来たよ」と伝えに行くだけだけどね。
遠くに朝焼けあっても近くはどす黒い雲に覆われたりする日もあったが何とか持ちこたえていた。しかし昨晩は雨季の真っただ中を思わせる本降りに遭遇。
Wで会計済ませて帰ろうとすると小雨だが帰りつくまでは随分濡れてしまいそうな雨量。
レディが、「帰れないでしょう、もう1本飲む?」と嬉しそうな表情。
雨が降れば客は帰れず飲み続けるから売り上げが増えるって構図か。
仕方なく追加するとますます激しくなり、前の道路がプチ小川になってしまった。
小一時間ほどで小川が消えた頃家路に就いたが、アパートに着く手前の交差点は低くなっていて冠水のまま。
道の状況は知っているから自転車のタイヤ半分埋もらせても何とか引っ張って帰れたが、
本格的な雨に遭遇したのは10日目にして初めて。
再インストールしたPCは日本語は使えるが、フォントの扱いがうまくゆかない。
windows10だが、タイ版OSのせいだろうか。
メモには使えるからなんとか我慢して、帰国後に再度リカバリーする必要ありだね。
もうひとつ困ったのが表計算ソフトが失われた事。
これはスケジュール管理や家計簿予算を把握するのに欠かせない。
フリーソフトを探し出してインストールしたら英語版で、データー入力して使えるまでするのに
夕方まで掛かった。
自転車で夜の街を流していると見覚えのある顔が・・・、
一年半前まで日本・タイの半々生活していたIさんだった。
実は、オレが半々構想を抱いたのもIさんが切っ掛け。
彼は一年半前に年間契約していたアパートも引き払った。
日本に定住していると思っていたが、なぜ今ここに?
長期のリピーターは卒業したが、奥さんの許しがある時に限り、短期で来てるそうだ。
後日、お茶でもしようとして、時間はまだ9時半で帰るには早すぎる。
最後はまたもWへ。
今日も客少ない。
カウンター席はがら空きで好きなところに座ると、後席テーブルのファランが
「chinese?」。
「no ImJapanese」
すると、言葉尻がはっきりしないが坂本九ちゃんの倖せなら手を叩こうを口ずさみ始めた。
オレがOsakaに住んでいると言うと、SakaiやKobeの地名を持ち出した。住んでたことがあるという。
それなら当時流行歌がこれで、覚えていたのだろうか。
ノルウェイ人で71歳と言ってたが、年齢の割には老けているように見えた。
今日は何の予定もなかったが、流しているだけでも出会いやふれあいはあるもんだね、この町は。
コーヒースティック9本入りパックを39Bで買っていたが、まだずっと居るのだから3倍パックに
したらおまけが5本ついて92B。一本当たり3Bか。
この一杯10円相当のコーヒーから始まる一日に此処に来たプチハピネスを感じる。
ロオッに預けてあるソーメンにまだ手を付けてない。試してみようと思いついた。
生姜はどこで手に入る?ハウスキーパーのノットさんに尋ねると、Big Cまで行けと言う。
たった生姜ひとつの為にそんな遠いところまで行けるか。
果物野菜店を見つけると、たった7Bであった。
沸しから全部自分でやろうと思っていたが、ロオッが手際よくやってくれた。
「これに氷入れるんでしょう?」と。オッ、そこまで知っているのか。
試しだから一束だけにしたが、味は日本で食べるそれと同じで旨い。
ジェンちゃんに電話して、「ソーメン旨いよ、すぐおいで」。
なんたらかんたら言って来なかったから一人で全部食べ終わった頃、ジェンちゃんはやってきた。
こうなればあとは飲むしかない。
飲みながら長話したが、ジェンちゃんも家計的には大変みたいだ。
プロイちゃんの境遇も同じようなもんと言うと、
ダーちゃんも同じとはジェンちゃんの言。
女一人でタイで生きてゆくのは大変だ。
ほろ酔いを冷ましてからアベニュー裏通りを探検。
大通りからひとつ背後になるだけで静かなところだ。
ライブバーを覗いてみたがいまいちで入らず。
最後はやっぱりWにしようか。
客はオレを含めて3,4人程度。
オフシーズンのパタヤ経済はどことも大変だ。
今が雨季の真っただ中なのだろうか。
湿り気程度はあるが本格的な雨日にはまだ遭遇していない。
ひょんなことからミッキーカーチスさんのTwittterを見つけた。
https://twitter.com/MICKEYCURTIS
この3月にプーケットに移住していたそうだ。
あの歳で思い切れるという事は、健康で頭もまだ若いという事か。
しかも、タイ語の勉強に取り組んでいるところがスゴイ。
暫くウォッチしよう。
顛末は後日まとめるとして、とにかくパソコンのない日を一日半過ごした。
ロングステイではいかにパソコンに依存しているか思い知ったね。
クッティオ屋台は母親とその娘らしきが二人でやっていた。
甲斐甲斐しく働く娘が出来上がりを持って来たので、
「ナーラックナ、可愛いね」
「コップンカー、ありがとう」
「ボーペンヤンドック、タイの田舎弁」
すると娘は、イサーン語に反応して
「ウドンの人ですか?」
「そうです、しかし普段は日本に住んでいます」。
この会話が面白かったらしく、母親にたぶん「面白い事言う人よ」と伝えてみたいで、
母親がこっちを見てニッコリ。
翌夕方通ると母親が覚えていて、また来てねと仕草。
夜食にまた寄ってみると、昨晩は出されなかった別皿にもやしと野菜がてんこ盛り。
何気ないやりとりだが、昭和時代のレトロ風情がここにはまだ残っているのが好きなところ。
昨晩ジェラードと飲んでた時、新しい電話番号を教えておいた。
翌日街中走行中に早速電話が掛かって来たが、音のボリュウームが小さいのと周囲の騒めきで聞き取れない。
「今youのアパート近くを走っているから5分以内にそっちに寄る。そこで用件聞かせて」。
玄関に出ていた彼は特に用事でもなく、何しているかと他愛もない話。
オイオイ、そんな事で電話してくるなよと言いたいところだが、退屈らしい。
「これから何処かへ行くのか?」とジェラード。
オレは、「料理の下ごしらえしてある(オニオンスライスを水に浸してあった)。
もう食べ頃だろうよ。それを摘まみにビール飲もうと思ってる。場所は半年前にもYouも参加したパーティの所。一緒に食べる?」。
ジェラードもついてきた。
かつお節買い忘れたので海苔で代用したが、いまいち。
そのうちジェラード彼女もやってきて、明日ラン島に行くがコボリも一緒に行かないかと。
「あそこは中国人だらけだよ。船の中からビーチまであのうるさい中国語を聞かされてはたまらん」と遠慮しておいた。
FBにはBig Cと書いてあったからそこが新しい職場とオレは理解していたが、プ
ロイちゃんはBig Cで待つと言う意味だったらしい。
新しい仕事はホテルとレストランの二つを掛け持ちだそうだが、子供が金の掛かる年齢に達したからだろうか、
タイでは二つを掛け持ちするのは珍しくない。
職場がプラタムナックと遠い所になったのでこのアパートを引き払ったと言う。
持って来たソーメン・麺つゆを見せて料理できるかと尋ねるとプロイちゃんは、「料理した事がない」と言う。
そうだよな、タイは外食が安いから自分で料理する事はないだろう。
アパートにしてキッチンがある部屋は殆ど見かけない。
洗濯に降りて来たジェンちゃんにも尋ねると「出来ない」。
仕方ない。オレが後日振る舞おうと思っているが、タイ人の口に合うだろうか。
散髪してる最中に男が入って来て、オレを知ってると言う。
一年前に男がやっていた食堂でオレが食事したことがあるそうだ。
旨くなかったのでそれっきり忘れていたが、今はこの散髪屋の前に移り変わり、オレがこの散髪屋に入ったところを見てたそうで、自分は客商売なので一度来た客は忘れないと言う。
ちょっとなよなよしていてガトーィ(おかまさん)気味。慣れない頃にはこの人種には違和感覚えたが、当地では自然に受け入れられている。
最近新しく出来たハーバーモールを見学した帰りにロオッに寄ってみると、プロイちゃんが来ていて、明日午前にもう一度来るからコボリに伝えておいてとメッセージ残してさっき帰ったばかりだそうだ。みんなは何処へ行ったか知らないと言ってたが、どうやらまだパタヤに居るみたいだ。
昨日は週末でweekend marketが立つ日なんで、テプラシットのフリーマーケットを見学へ。
何に使う物か訳の分からない機械部品のような物まで売られていた。
陽が暮れた時間にジェラードが一人で飲んでいた。
実は、この道はしょっちゅう通るからその内会えるだろうと、彼にはまだ連絡して無かった。
オレが日本の家を最近引っ越した理由は、今後この地で暮らす期間を増やす為と説明すると、ジェラードは「That's good idea」と賛意示したね。
彼も新しいレディが出来たとかでスマホ写真を見せてもらっているところ、ちょうどその彼女が現れた。2時間程一緒に飲んで、最後に我々の友情が末永く続くようにと握手。
好い時間が流れたね。
新チャリに乗ってまずはロオッの所へ顔見せに。
ボスが居てガッチリ握手。ボスが抱いていたのは5ヶ月目のBabyだそうだ。
お土産に、「ロオッはもう歳だから糸通しが大変だろう」と、ジョークで凹鏡を渡すと、大喜び。
小柄なジェンちゃんにはフリーマーケットで買っておいた子供用リュックを。
Mさんには前回肖像画の御礼にイニシャル入りのシャツ持って来た。
プロイちゃんはここを去って何処かに行ったそうだが、行き先は誰も知らないと。
ジェンちゃんもチーママに昇格して給料も増えたとの事。
ワンさんも近くのホテルで料理番として働いてるらしい。
たった4ヶ月居ない間にいろいろあったみたいだ。
Yさん、Sさんに連絡すると今夕飲もうとなった。
ジェンちゃんも一緒に行くと言うので6時に待ち合わせの約束。しかしジェンちゃんは現れない。
どうせ時間にルーズなタイ人だからと諦めて、Yさんアパートで3人で飲食始めているとジェンちゃんから電話。
「今、何処?、私近くまで来ている」
表通りに出て待っているとやがて現れ、5人で飲食。
Wにも顏出しておかないと。
一口飲み終えたところで急に疲労感を覚え、睡魔に襲われた。
ふり返れば昨日起きてからはフライト中仮眠は熟睡でないし、30数時間以上も身体も頭も動かしていたから疲れは当然。
レディが「あそこで横になれば」と空いてる席の椅子を並べて横になったらそのまま寝入ってしまった。
気が付けばディスコ調のミュージックに天井はミラーボールの光が回っている。
「ここは何処?、今何時?」
目覚めた瞬間、何処かにワープした感覚を覚えた。
時計みると午前3時前だ。
レディが飲み直しを勧めたので小瓶を追加。
この時間でも客はオレを含めてまだ4人もいた。
南国の夜はいつもこんな調子。
おかげで帰宅してベッドに就いたのは午前4時。
いつも初日は羽目はずしやすいから気を付けていたが、やっぱり今回も・・・、
明日からは巡航にしよう。
Web Checkinnで確定していた16G席がHot Seatになっている。
何かの間違いだろうかとアテンダントに確認するとその席で良いそうだ。
足がピーンと伸ばせるから快適。
満席のせいで、空いているHot Seatにアップグレードしたのではないか。ラッキーだね。
暗闇の中を定刻より30分も早くドンムアン空港到着。
タクシーでモーチットバスターミナルへ。
だだっ広いターミナルだがもう3回目だから迷う事無く48番チケット売り場へ直行すると、10分後の5時に発車するというので72番プラットホームに急いだ。
今時期の南国の夜明けは遅い。出発して30分後の5時半ごろになってようやく白み始めた。
高速道路走行中に途中で土砂降りの雨に遭ったが、到着前には晴れ間が見えて来て助かった。
パタヤターミナル着後は客待ちのソンテウが200Bでアパートまで送ると吹っかけてきたが、高いと断るとすぐに100Bに下げる。
それよりも通りで流しを捕まえる方が安上がりと思って大通りを横断すると、そこに居たバイタクが60Bで送ると言う。
おかげで予定時刻よりも一時間半早い7時半にはアパートに到着したが、マネージャーはまだ出勤しておらず30分待てと言われた。
あらまし説明受けた後に3Fの部屋へ。ここから1ヶ月の生活が始まる。
荷解き終え次第、まずは自転車買いに行きたいね。これがないと身動きとれない。
そこらを流すだけなら24インチ1500Bクラスで十分だが、遠出もしたいからここはギア付が欲しい。
ちょっと弾んで26インチギア付新チャリを3190Bで購入。
タイ製だが、ギアなど基幹部品は日本製のSHIMANOブランドとなっている。
日用品買出し終えたら友人知人に電話して無事到着を連絡したら一段落する。
さて、初日は何処からスタートしようか。
7回目のプチロングステイが始まりました。
引っ越してから間もないが早、しばらく留守になる。
15日間以上不在の場合は書面届とあり、申立書に不在の理由を書く欄がある。
そこで、
「この数年間はグローバル視野を広げるべく、諸外国の人々との国際交流・親善を図る活動をライフワークとしていますのでこの度日本を離れ、一時タイ国に滞在します」と仰々しく書いた。
実際は、単に飲み食いするだけなんだけどね。
新しい住まいから関空に向かうのは今回が初めて。
JR・南海のどちらも利用可能で、一時間に6本もあるから乗車時刻を気にせずに済む。
まもなく関空に向かいます。
故障もせず長年動いていた二槽式洗濯機がついにダウン。
富士通ゼネラル製ナイアガラというブランドだが、よくまぁ三十年以上も持ったものだ。
引っ越しに際してこの洗濯機を処分したが、まだ捨てきれないものも多くある。
写真などはデジタル化してあるのでアルバムは不要のはずなんだが、形が無くなると思うと捨てきれない。
あれやこれの二日がかりの引っ越しは大変だったが、なんとか無事完了。
直背後に大きな公園があり、寝起きはまず此処でラジオ体操から1日を始めてもいいかもと思いついて、引っ越した翌日早朝に出向いてみたら既にやってる人が居た。
以来、雨の日が二日ほどあった以外は毎早朝散歩がてらにやっているが、気分爽快。
日課になりそうだ。
自治会活動もある様で早速、一斉清掃、津波避難訓練に参加。
そして、救急救命講習に参加して下さいと促された。
ここでは新人だから出来るだけ催しものには参加して顔馴染みになっておかないとね。
あとは「住めば都」になれるかだね。
あじさい園
ちょうど今頃が季節とあって行って来ました。
長居植物園までチャリンコでひとっ走り。
ここは本当に都会の中のオアシスです。
高校OB会の総会・懇親会開催の案内書が届いて、各々同期生幹事に出席の可否を連絡下さいとあったが幹事名に書かれてある苗字に、「はて、そんな人居たかなあ」と思いつつ電話入れてみたら旧姓YTちゃんだった。
オレはすぐに思い出したが、YTちゃんはオレをはっきり思い出せないと言う。
そうだよな、あれからもう50年も経っているから記憶が薄れても当たり前か。
でも話しているうちに少しずつ思い出した様だ。
YTちゃんはこうだったでしょうと言うと、さすがに同級生だね。50年のブランクは一気に縮まった。
「残念ながらその日は海外滞在なので出席できないが、帰国後に飯でも食べる機会を作りましょう」と提案。
お互い一言では表せない歴史があるだろうしね。
半世紀ぶりに会うのは嬉しいような、怖いような・・・
公営住宅入居者募集に掲げられていた物件の下見に行ってきた。
賃料が格安とあるので応募してみようか。
ところが募集175戸に対して応募者381人と倍率2倍強で、当たらなかった。
後で知ったが、当たっても上位当選でないと希望物件(人気エリア)にはありつけない。
その一週間後に二次抽選会があって、当たらずで元々と軽い気持ちで再応募したら、まさかの当たり。
一次抽選会でリストアップしてた希望6物件の内の6番目のがまだ残っていた。
これで賃料がリーズナブルなら・・・、ある構想がもたげて来た。
今は年の3ヶ月を海外で過ごしている。
これを最大半年まで広げようという構想はあったが不在時の空家賃を増やすことになる。
しかし、これが軽減になれば構想の枠組みは整う。
今後のライフスタイルとして、気候の好い春・秋を日本で、避寒は南国リゾート生活が可能となれば、これはもう贅沢と言っていい。
決断するしかないか。
思い切って引っ越そうかなあ。
エアアジアのビッグセール開始とメールがあって構えていたが、初日からセールチケットは売り切れていた。
ところがシンガポール航空系のLCC、scoot航空が昨年から就航していて、運良くプロモーション価格にありつけた。
機種がドリームライナーと呼ばれる最新型のB787型機。窓が大きく席も広々としているとか。
wifiも使えるとあるがオンデマンドで結構高い。機内食やブランケットも高い。
LCCのメリット活かすには、これらをバッサリ捨てて往路は17000円。
ただ、預け荷物は5kg増やして25kgとしたが、これは食材などを増やすつもり。
帰国便は時間帯が良いAir Asiaのプロモーションチケットが取れて16000円。
これで往復33000円なら納得価格だね。
LCCの味を知るともうレギュラー航空には戻れない。
滞在後半からパソコンバッテリの減りが早いと感じた。
ドンムアン空港ロビーでは、まだ半分も残っているのに突然電源が落ちた。
機中で旅日記の整理と思っていたが、これではどうしようもない。
どうやらバッテリーの寿命が来たみたいだ。
早速、帰国翌日にヤマダLAVI難波店に行ってみたが、「HP製は扱っておりません」。
ビックカメラも在庫は無く、メーカーに問い合わせ在庫があれば取り寄せます。
と、大手量販店は悠長だな。
amazonで取り寄せると翌日夕方には届いた。
このリチウムイオンバッテリーはフル充電してはいけないそうだ。
今までは常にフル充電していたが、無頓着だったか。
寿命伸ばす為の注意事項としては、
・充電は上限80%から下限20%で繰り返す。
・充電する時は充電、放電する時は放電と、小まめな充放電は避ける。
・バッテリー不使用の場合は50%をキープしておく。
・完全放電は寿命縮める。
これで2000回は持つそうだ。
8:00チェックアウト。
9:10パタヤ発バスは10:30にスワンナプーム空港到着と、1時間20分で着いた。
シャトルバスでドンムアン空港へ移動。
機内右隣は三重県鳥羽に30年住んでいるというタイ人のおばさんで、普段は名古屋で降りて鳥羽まで船で帰るそうだが、今回は初めての関空利用。当然電車は間に合わないから空港で朝を待って家路に就くそうだ。
自分はいずれタイに帰るが、息子二人は日本で生まれて日本語しか話せないからタイには住めない。子供とは離れ離れになっても仕方ないと言ってた。
雨の中を定刻に関空到着したが、バゲージが出て来るのが遅く、最終電車に間に合わず。
今日中の帰宅はあきらめた。
2階フロアーは空港泊りを決めた者が既にベンチで横になっていた。
オレは4階の出発フロアーに移動したが、端から端まで探してやっと3人掛けベンチを確保。
24時間空港と唄いながら、これだけLCCが増えてアクセス不便な時間帯に就航となると仮眠設備を拡張しないと苦情でるだろうな。
5:47発の一番列車に乗るつもりでいたが、その時間には起きれず、2番列車で帰宅。
偶々この日は全国的に春の陽気とかで寒さはなく、助かった。
電車内も街中も日本は静かで落ち着いているので安心感はあるが、昨日までの喧騒も捨て難い。
今滞在の知見をベースにある構想が浮かんだが、今はまだ明らかに出来ない。
1,2ヶ月後には方向性が見えてくると思う。
離パタヤまで24時間切った今になって滞在延長すれば良かったかなという気もするが、
1ヶ月後でも同じ気持ちになるだろうし、次に繋げる意味では程好い2ヶ月だったか。
昼飯帰りにYさん宅に寄って、暫しお別れの挨拶。
Oさんは10日前に帰国していて、オレも明日帰国となると、
寂しくなるのでYさんはセカンドハウスがあるスリンに行くそうだ。
大晦日にこの地でスキ焼きごちそうになれるとは夢にも思わなかった。
一緒に釣りしたり、釣った魚を料理して食べたり、本当に楽しかったね。
オレの次回のフライトは既に確定しているので期日伝えると、カレンダーに印していた。
では、次は到着するその日に会いましょう。
本当に最後になってしまったロオッ。
エムさんとジェンちゃんが居て、ジェンちゃんはいきなりハグを求める仕草。
最終日には手料理カレーを作ってくれると言っていたが、それよりもオレの奢りでムーガターをやることに。
材料、タレなどがセットで売られていて500B。
散々楽しませてもらったからね、これくらいはお安い物。
お別れにジェンは目が潤んでいた様な気がしたが、錯覚だったか。
しかし、ロオッおばさんからあとで、「ジェンロンハイ、泣いていた」と聞かされた。
オレは十分に楽しめたが、ジェンちゃん達も同じ思いだったのだろう。
日本に居てはあり得ない非日常を満喫できたからか、たかが2ヶ月間だったがもう半年も日本を留守にしてる感覚がしている。
終わり良ければすべて良し。
暫しのお別れがあるから再会が待ち遠しい。これだろうな。
さて、到着時の関空の予想天候は冬にしては最低気温11度と、これはありがたい。
もし2,3度なら、すっかり弛緩した皮膚が緊張するだろうからね。
ただし同日中に我が家にたどり着けるかはフライト次第。
定刻通りなら空港泊で、翌日朝に帰着となりそう。
そろそろ酔いを感じ始めた頃、エムさんが筒を取り出した。
「開けてみてくれ」
開くとそこには肖像画が・・・、誰の・・・、サプライズだったね、オレを描いていた。
数日前にスマホで写真撮っていたが、その写真を基に画を起こした様だ。
明日来てくれと言ってたのはこの事だったのか、憎い演出するね。
エムさんは自称ペインターと名乗っていたが、ペンキ塗りでなく、画家とここで再確認。
画左端は大阪のOを日の丸国旗とイメージ重ね、●sakaと入れた。右端はエムさんの画家としてのイニシャルと説明受けた。
いいのかなこんなのもらって。ウルウル来るじゃないか。
何かお返しと思ってもこの場では思い付かない。
次に来る時に何か考えなくては・・・、
とりあえずの御礼として、この場でウィスキーボトルをプレゼント。
此処に来ない日はなかった。
2ヶ月間を楽しく滞在出来たのも、この良き仲間に巡り合えたからと思うとラッキーでもあり感謝だね。
次はアパートから少し遠くなるけど、たぶん毎日来るはずと今から思っている。
3日間でじっくり探そうと思っていたが、あっさり初日で見つかった。
べランダからの眺めは良し。
テーブル置けば夜景眺めながらのビアガーデンとしても使えそうだ。
デポジットは不要との事。但し1週間前に確認のメールを送る事。
これで次期アパートが確定しました。
サイクルメーター備品などを取り外した自転車をボスの所へ持って行った。
これで所有権移転完了。なんかサッパリした感じがしないでもない。
腰痛めていたYさんはほぼ全快したそうで、釣り溜めていたバカボンで一杯やろうとお誘いの電話あり、Sさんと3人で遅くまで飲食させてもらった。
帰路で出会ったおばさんは見覚えのある顏。
ラリー食堂以前のオーナーが場所を変え、ここで食堂やっていた。
ラリー食堂は華々しくオープンしたが高価格路線で失敗し閉店だが、このおばさんは細々ながらも生き長らえている。こっちの方を応援したいね。
「残り日数少ないから、次回は必ず寄るから」と言っておいて、
ロオッは4日ぶりに開けたのを知ったから、遅い時間だが誰かがいるかもしれないと向かうと、
エムさんがバイクですれ違いざま、「コボリ、明日5時に来てくれ」
「ミーアッライバーン、何がある?」
「もう帰国だろ」
テーブルにはオームさんとワンさんがまだ居た。
二人共、明日5時にと言ってたから相談してたみたいだ。
ロオッおばさんは寒いを連発して、店仕舞いしたがってる様子。
「もう閉めていいよ、でもワンもオレもまだ飲みたいから」とビール追加して先払いしたら、即シャッター降ろした。
最後はワンさんと二人だけになった。
「ワンさん、次からアパート替わるからもう来れないかもしれないよ」と冗談めかすと、
「何処に?」
「XXXXに」
「ジャッカヤーンハーナティ、自転車で5分じゃないの」
実際は10分掛かるだろうけどね。