遅めの昼飯終えたが外はカンカン照りで、今時間に特に行くところもない。
時間潰しに数日空けているピムちゃん食堂に寄ってみようか。
パーイとダーちゃんが居た。
パーイはマッサー仕事の客が少ない様だ。オレの姿見る度にマッサーマッサー言われてもね。
ダーはあそこのバーは辞めてマネーが無いと言う。
そうこうしているとダーのスマホに電話が掛かってきた。
英語だから相手はファランと判る。いわゆる得意客だね。
「そのファランのビッグパパに援助してもらえよ」
「彼らは電話だけです」。
こんな光景何度も見てきたな。
毎週末はカレーライスの日がある和食堂に向かう途中、邦人組につかまった。
1本が2本に、つい3本に・・・、
変化付けてるようでも同じようなパターンだ。
新規開拓に近場を流してみようとは思うが、今日も快晴で今11時現在32度。
寒さから逃れてきたのはいいがこの照り、少しおさまってくれないかなあ。
それなりの味を出す和食堂が出来たと知り、場所確認に行くとオレがいつも空気入れるバイク屋の真ん前だった。注意深くみておかないと見落としてしまうもんだ。
週3日のみの営業だそうだから、来週にはかつ丼食べに行こうかな。
夕日撮りに出掛けようとするとランドリーにはすでに3人がいた。
「サンセット撮りに行ってくるよ。戻るかどうかわからないが」と言うと、
ピーターがチャリンコハンドルに掛けたショルダーバッグの紐がたるんでいると教えてくれた。
Hard Rock Hotel前辺りビーチで撮り始めたが、水平線は雲に覆われ17:42で雲間に入った。
これなら水平線の落ちるのは17:47、8分頃と推測して、後日また取り直そう。
ラーンホンはおばさん連中ばかりなのでスルーし、戻るとランドリーにはファラン5,6人に増えていた。
小さなワンテーブルにこれ以上は無理。
おばさんたちが使っている食卓テーブルに座らせてもらうと、オレの住むアパートからもファランが次々に。これだけファランだけが集まってくると肩身が狭い。
これで3回目だが段々わかってきた。常連はおそらく昼間は部屋で過ごして夕方になると此処に集まり飲食。終えたら部屋に帰って就寝。この繰り返しみたいだ。
ピーターに毎日何してるかと尋ねたら、「自分の行動エリアは此処からアパートまでの50フィートウォークと週に一回Big Cに行くだけだとジョーク。あとレディなんたらとか・・・、
部屋に戻ってドアー開けると真ん前がパーティ中で大音響。
いつもはベランダ側ドアーは開けて寝るが、閉じると眠れないほどの騒音でもなかった。
寝酒が効いたかも。
今朝は6時半で24.5度と、パンツ一枚姿でベランダに立つと少しヒンヤリする。
しかし8時なるともう30度で、雲一つない青空。来て以来どんより天候ばかりだったが、この空なら夕方にはサンセット撮り試してみようか。
まだ遠出サイクリングはやってないが、それでも実質8日間で107km走った。
その所為かどうか、ハンドルの小刻みな振動が手から肩に伝わり筋肉疲労か、左首から肩にかけて痛みがある。
ロオッところはもう4日も空けているから久しぶりに寄ってみようか。
ジェンちゃんとワンさんが居て、ジェンちゃんは風邪ひいてこの4日ほど店を休んでいるそうだ。
なのに飲んでいる。
「ジェン、そのビール奢るからちょっと肩をマッサージしてくれ」
10分ほどやってもらうと随分軽くなった。
そこにファランの客が現れた。見るとジェラードではないか。こいつは驚いた。
実は、一年前に良いアパートがあると此処を案内したけど乗り気でなかった。
ドイツ人ピーターのBBQパーティにも誘ったが、気に入らない様子だったから、
そのジェラードが来るとは、まさかだね。
思った。出会った二年前の頃とは異なり、同国人も多数でEnglish Speakerはどこにでも居るのに彼はそこには加わろうとしない。
引き籠り症候群になってるように見える。
今回はまだ誘ってないから、オレが此処を根城にしていることを知っていて来たのではないか。
ロオッによると昨晩も来てたそうだ。
何故そう思うかと言うと、ジェラードはタイ語全く話せない。ジェンちゃんやおばさんたちは英語全く話せない。なのに一人で来ても面白くないだろうに。そこにオレが居れば場が持つと思ったんだろうね。あくまで想像なんだけど。
頼りにされているかと思えば嬉しくもあるが、煩わしくもなる。
昨晩からの続きで約束があるから行かねばならないから、「She can speak English very well」とあとはワンさんに相手任せておき、次行ってみると、誰も居なかった。肩すかしか。
そんな日もあるだろう。
#後日聞いたところ、ジェラードは彼女(まだ別れていなかった?)と待ち合わせていたらしい。
一週間過ぎたが、到着した日が早、昔に感じられる。
これをあと12週繰り返せば3ヵ月が過ぎるね。
あと10日後に迫ったパタヤへ引っ越しに際して、アパート予約が取れないとAさんから電話があり、オレの住んでるアパートに空室ないかと言う。尋ねると一室のみ空きあると言うので即代行予約した。良かったね、Aさん。
Oさんらがレディ達と飲んでいた。その中の一人が「19歳になる自分の娘が明日パタヤにくるので見てくれないか」と。
タイ人の思考回路はどなってるんかね。自慢の娘だろうけど、おじさんばかりの酒席にうら若き娘をつれてくるなんて。日本なら金積んでも断わられるだろうに。
どこまで話が本当かわからないが、話のネタになるかもと期待半分で、今晩もちょこっと寄ってみようか。
ここ数日はどんより曇り空ばかり。12月7日午後4時現在のビーチ風景。
一昨日は故プミポン国王の誕生日で休日。
例年ならビーチロードでパレードが開催されているはずだったが・・・、
もうかまだか、時刻は夜の9時。
部屋に戻るのはまだ早いが、今時間から繁華街に出てもなあ。またもWで済ますとしようか。
カウンター席の右端は常連のドイツ人が居て、オレは左端の指定席に。
カウンター前の通りが時々渋滞で車が動かない事があるが、この時はオレの真ん前にレディ3人掛けのバイクが動けなくなった。一番後席の見栄えのするレディと目が合ったので軽く、「ほら、この席空いてるよ」とカウンターに指を立ててジェスチャー。「チューンナン座らないか、ポウジャリエン奢るよ」と声掛けると、まさかのまさか、自分だけバイク降りてやって来て、オレの方が驚いた。予期せぬ展開だ。
実は、デイビッド小父さんやジェラードがやってたのを真似ただけなんだけど、デイビッドはこんなのが上手だった。ジェラードはロシアンレディに片っ端から言葉掛けるもロシアンは英語話せないからか、断れっぱなし。
昔、Jちゃんも、「ジェラードは英語オンリーだから頭痛くなる」と言ってたしね。
やはりこの地でタイ語は武器になる。
レディの名はミンちゃんで、ウボンラチャタニ出身。
始めオレに気兼ねしてか51歳とか言ってたが、「オレは**歳だ、本当の事言えよ」
「31歳」
さっきのバイク3人組でルームシェアーしているそうで、あとは帰って寝るだけだそうだ。
仕事はカラオケ譲みたい。時々シンガポールに出稼ぎ遠征してるようだ。
その所為かドリンクはサンミゲルにしていたね。
日本でなら今時間外出することもないし、こんなシチュエーションあり得ない。
今日みたいな展開があるからこの地は面白く、頭も冴えて歳とらなくて済む。
これだよな。
6時半に起床。ベランダは26度だがパンツ一枚姿では少しヒンヤリする。
こちらに来ても日課にしているラジオ体操を欠かしていない。
しかし朝からネットが繋がらない。
TVニュース、新聞が読めないと同じだからね。
位置変えたり、屋外ても試したがやはり、・・・そこへソーパーさんがやってきて、「全館繋がらない」と苦情が来てるそうだ。
でも10時ごろには復旧した。
実はジェラードにはまだ連絡してない。
居る事を知らせると用事も無いのにしょっちゅう電話かけてくるからめんどくさい。
6日目にして一人でコーヒー飲んでいたね。「ハーイ、フレンド!」と握手。
この通りは何度も往復しているから通常なら見かけないはずはないのだが、この頃は滅多に外出しないとの事。ビールも部屋で済ませて外ではあまり飲まないそうだ。レディとも別れたらしい。
「それなら、普段はyouは何をしてるの?」。
「painting」。
へ~、彼にそんな趣味があるとは知らなかったね。
ランドリーではラッスがおばさん達相手にもう飲んでいた。
「I'll be back」と言っておいて、昨日パタヤ入りしたOさんが居るかもとラーンホンに寄ってみたが、ホンおばさんが、Oさん達はブッカウへ出かけたと言う。
そんならランドリーへ戻ろうか。
ラッスは来週オーストラリアへ一旦帰国して、1月23日にまだ戻ると言う。
92歳になるママに会いに帰るそうだ。高齢だがとても元気でまだ現役で(織物仕事)働いていると。「ママがそんだけ元気だとyouもハッピーでしょう」。「そうだ、ハッピーだ」。
ビール以外に塩焼き魚にパッタイ注文と、ラッスはこの店の売り上げに貢献してるね。
しばらくしてピーターがやって来た。
カンボジアスープが出て来たので連想し、「2か月後にビザ期限がくるのでカンボジアかラオスに一度出国しようかと思っている」と言うと、
彼らも2ヵ月TRビザで、ジョムティエンのイミグレで延長申請してるそうで、そこらはオレたち日本人の資格と全く同じ。
ピーターが、「You are a member of our family、君は我々ファミリーの一員だよ」と言ってくれたね。そう言ってもらえたら嬉しいもんだ。
終り掛けにファランが次々に通りがかる。一人がオレを知ってるみたいな態度するので思わず、「Who are you?、どなたでしたか」。
同じアパート207号室の住人だった。
今時期当地は6時5分頃に白み始める。
そして25分頃には東の空に朝焼けが見える。
10時まではベランダでパソコンやネットやっているが、暑くも寒くもなく快適だ。
これ以後は直射日光が差してくるから部屋に移動。これが午前のパターン。
ピムちゃんからの帰り、いつも自転車で素通りで気付かなかったが食堂らしきを発見。
「ティニーランナハーンロー、ここは食堂ですか?」
食べ物はなく、ビールなどドリンクのみを提供しているそうだ。
軽く静かに飲みたいときはここにしても良いかな。リストに加えておこう。
一旦アパートに戻ると、気になっていたランドリー屋にファランが2人組が居た。
店のおばさんに尋ねると、本業はランドリーだが飲食も提供しているとの事。
このファランに、「ご一緒していいですか」と言うと。「sure、どうぞ」と、つまみのムール貝を食べろと言う。
一人はオーストラリアからのラッスさん、もう一人はロンドンからのピーターさん。
二人ともオレと同年代みたいだ。
「英語はあまり上手じゃないから」と予め断っておくと、ラッスさんは「大丈夫だ、自分も英語は得意じゃないから」とジョークが返る。
ラッスさんは少し耳が不自由という。正直そうな人だ。
このランドリー屋に居候かと想像していたが、この通りの奥のアパートに住んでるそうで、賃料5000Bの広い部屋だそうだ。あの辺りは昔アパート探しで知っているからもしかすると木漏れ日アパート辺りかもしれない。
ピーターさんは子供たちと馴染んでいるようだ。子供らは言語は関係なく、慣れ馴染めているかによるのか、このファランには懐いていた。
2人とも大人しめのジェントルマンで助かった。今後付き合えるかも。
以前Wで話した事のあるファランが通りがかって驚いた。彼もこの通りの住人か。
意外にもこの通りには外国人が結構住んでいて、やはりハイシーズンと実感するね。
今はバンコクに住んでいるAさんは中旬にパタヤに引っ越してくるが、予約したアパートの部屋が確保されているか確認してくれないかと頼まれた。
ハウスキーパーはその予約関係は一切まだ知らされてないらしい。
「友達はベランダ側の部屋を予約したと言ってるけど、ベランダ側部屋は今空いているの?」
「テム、満室です」
この場でAさんに電話してありのまま実情を説明すると、Aさんは不安がった。
今はハイシーズンだから時期が悪いが引っ越し日はもう決まっている。
連休中のオフィスがオープンする6日に最終確認して、「もし空き部屋無しとなればオレの住んでるアパートに空きがあるか尋いといてあげるよ」。
ソーパーさんに尋ねるとほぼ満室だが4階に2部屋のみ空きがあるそうだ。
その事を再度Aさんに電話し終えたところにクリフさんが水補給に現れて再会の握手。
前回の約束通りに「イースト方面にサイクリング行きましょう」と言うと、昨日は自転車でこけたと右肘の傷口を見せる。
「気をつけなさいよ、自転車は危ないんだから。そういうオレも2度こけているから注意はしているけど」
ソーパーさんはその事を覚えていたね。しかも、「昔、コボリはそこのガレージで寝ていた事もあるよ」と。ここは監視カメラがあり、オレが寝込んでいたシーンをあとでビデオで見たらしい。
ところで斜め前はランドリー屋だが、夜な夜なファランが3人ほどで飲んでいる。おそらくファランの誰かが居候していて、ランドリー仕事が終えた後に集まっているのではないか。
その内にオレも仲間に入れてもらおうかと思っているが。
「ピムちゃん、例の頼まれていたわさびふりかけ買って持って来たよ」と電話すると、
「今は出先だから15分でお店に戻ります」
ところが30分待ったが現れない。そうだよな、ここはタイ。タイ人に時間感覚守れと言っても無理な話だ。
仕方なくライおばさんに品物と代金のレシートを託し、いったん戻ろうとするとあの化粧上手なダーちゃんが現れた。ダーちゃんはバーレディ。早速営業攻勢だね。「ペイバー代400B払ってくれたら今日は仕事に行かなくても済むけど・・・」
ここは大袈裟に、しかし笑顔で「そんな大金どこにあるんだ。オレはコンジョン(貧乏人)だよ」とはぐらかしておき、
テンション高いタイ人といつも一緒だと疲れるから今宵のスタートは軽く遊歩道のベンチで一人ビールから。実は、前回にセンターからノースにかけてファランらがやっているのを何度も見かけて、ああ良い雰囲気だなと思ってた。
マークランド傍のコンビニで最安43B(140円)の缶ビール買い、漁火眺めながらのチビリチビリは情緒あったね。
お終いは恒例のWへ。
ところがパーティで満席だったが、見回したところ予想通りにレディは大半が入れ替わっていた。
先は長いからゆっくりした日の落ち着いた時間に来るとしよう。
昨日空気入ればかりなのにもうペシャンコになっている。
パンク以外でこんなこともあろうかと虫ゴム用意して来たが、形状が異なり役に立たないと知った。でも空気入れ直したら持ったから、何だろうなこの現象は。
この足でタバコ屋さんに行き、ブッカウで昼飯食べ終えるとバッグが無いのに気付いた。
部屋に置いてきたかもと、急ぎ戻ると部屋にはやっぱり無い。
寄った先はバイク屋とタバコ店しかない。
バイク屋に行くと見てないと言う。
次にたばこ屋。ここに無ければどこかに置き忘れてもうすでに持ち去られただろうなと想像し、覚悟したね。
「ムッキーポムアーチヤルームグラパウ、さっきここにバッグを置き忘れたかもしれません。ミーマイ、ありませんか?」と言うと、
「シーアッライ、何色?」
「シーキョーウ、緑色です」
「あります」
ああ、助かった。御礼に100B紙幣差し出したが、おばさんは受け取らなかった。
バッグの中身はデジカメ以外にはメモ帳と他人からすれば価値のない物。
デジカメは予備を持ってきているので最悪無くしても構わないが、電話番号など書いてあるメモ帖など自分にとっては喪失感が大きい。
以前も置き忘れたこともあったから、今回はたすき掛け式バッグにして肌身から離さなくて済む様にしたのにこの有様だね。
もっともっと気を付けよう。
10時にはエカマイターミナルに着いたが、パタヤ行きバスは11時発の一時間待ちと混んでるようだ。
2時間でパタヤ着。ビーチ行き乗り合いソンテウは50Bと値上がり。ちょっと前は30Bだったのに。
ホテルは何処かと訊かれたので、「セントラルで降ろしてくれ」と告げたが、もうしかするとホテルまで送り届けるシステムになったのかも。そうでないといきなりの20B値上がりは高すぎる。
早合点し過ぎたかも。
到着予定時間をメールしてあったが1時間も早くアパートに到着。
やはり住み慣れたところが一番いい。我が家に帰ってきた気分になる。
今回は南向き部屋を要望していたら、ベランダは直射日光が差して温度計はなんと何と49度まで上がった。
しかし部屋内は32度とクーラー付けるほどでもなく快適。
「お客様の席は予約時に10D席となっていますが前方の静かな席に変更可能です。如何いたしましょうか?」
じゃそれで頼む。
前方はビジネスクラスで前に壁があって足が延ばせる。ラッキーだね。
搭乗機はB787型機。うわさ通り窓が広くて、エアバスA330型機よりもゆったり感がある。
予定より50分も早く現地時刻21:45に着陸。正味フライト時間は5時間40分だった。
空港タクシーは50B上乗せされるから大通りに出て流しを捕まえた方が安上がり。
同じことを考えてる邦人2人組が居て、ホテルは同じ方向で数百メートルしか離れてないから「それじゃ一緒に同乗しましょうとなった。
ところが2人組の一人が客待ちしているタクシーに声掛けられ、400Bなんたらと交渉している。
「オイオイ、このタクシーはメーター制でないのか」
覗き込むとメーターが付いてない。
経験から、こうした客待ちタクシーは悪質ドライバーが多いと知っているのでトラブル避けるべく「他の車に当たりましょう」
でもその一人はその額でいいそうだ。こうして現地事情に疎い邦人はぼったくられるとも気付かないだろうな。
しかも邦人は英語。ドライバーは数字は英語を解せるが何ともあやふやな交渉姿勢。
そこで、オレがタイ語で「どうして400なんだ。普通は250くらいだろう。車で400なのか、一人当たり400なのかはっきりしてくれ」
結果、車で300B、一人100Bに落ち着いた。
着いた先はネットで予約していたPホテル。
寝るだけだから安宿で十分と一泊1569円のホテルで、余りの安さに不安感が無いでもなかったが、まぁコスパに優れた部屋だったね。ちなみに予約先のリクルート系のじゃらんネットでは700B相当で、これに500円割引きクーポンが付いている。
今後もバンコク泊を余儀なくされる場合はここにしようと思う。
想定外に早く到着したので早速3年ぶりに街を流してみよう。
昔はよく遊んだナナプラザは店の名前は随分変わっているが雰囲気は昔のまま。
カウボーイはこの時間でも満員盛況だった。たださすがに大音量でのミュージックは流れてない。
プミポン国王の逝去で自粛ムードはまだ続いているようだ。
寝酒にビール探したがコンビニは酒コーナーはカギが掛けられている。
周囲のレストランは小瓶で100Bと高い。
何とか安い食堂を探し当て70Bのビールを発見。
これでもパタヤならバー並みの価格だね。
バンコクに長居は無用。
明日は早々にパタヤ入りしよう。
明日のフライトに備えて荷造りをしているところ。
このところずーっとエアアジア専門だったが、往路に関しては売り切れてた為、シンガポール航空系のLCCスクート航空をチョイス。価格的にはエアアジアと大差ないが、バンコク着が夜中と移動に適さないためにやむなくバンコクで一泊する羽目になった。
翌日は移動日で寝るだけだから安宿で十分と思っていたら探せばあるもんだね。ドミトリーやカプセルなら1000円くらいでも泊まれるがもうそんな年齢でもないし、一応プライベート空間が確保できるxxinnを予約。
フライトを含め、これら一連の予約が家に居ながらにしてネットで完結するとは便利な世になったものだ。
さて、搭乗機はドリームライナーと呼ばれる最新鋭のボーイング787型機。
窓が大きくて席間もゆったりしているとか。
定刻通りの到着ならホテルチェックインは0時頃になりそうだがバンコク泊は3年ぶりだから、夜中でも人通りの絶えないナナ駅からソイカウボーイ辺りまで流してみようかと思っている。
搭乗予定のボーイング787型機
通称「新世界」と呼ばれている地域で、昼間から飲んだくれが屯するガラの悪い所と知っていたから、長く大阪に住んではいるが足元付近を通過した事しかなかった。
今ではすっかり観光美化され、中韓人の観光ルートと化している様だった。
すぐ近くの商店街アーケードは懐かしい昭和のレトロ情緒が残ってるところ。
名は聞いていたが、そこがじゃんじゃん横丁と初めて知った。
通天閣展望台から時計回りに360度ビュー。
四天王寺と安居神社(真田幸村戦死の地)
聖徳太子が建立したとされる四天王寺向かう途中に「真田幸村戦死の地」とのぼりが立っていたのに気付いた。
大河ドラマの真田丸が浮かんできて、ちょっと覗いてみようか。
「大阪夏の陣」で幸村公が討ち死にした場所が当にこの場所で最期の言葉が、「この首をとってお前たちの手柄にせよ」と言って絶えたとか。
町中にひっそり残っている小さい神社です。
御堂筋ランウェイ。
毎年違ったイベントをやっているが、今年のそれは御堂筋のど真ん中にランウェイを設け、
リオオリンピックの400mリレー銀メダリストが参加。
カルメラというグループ、初めて知った。
ノリのいいバンドです。
ツーリストビザ申請するのは今回で5回目だが、今年からは申請は事前予約が必要とのこと。
毎度のことでパソコンからプリントアウトして写真貼り付けるだけだから手間暇は掛からない。
とりあえず2ヵ月ビザはゲットしたが、期限前に再度現地で延長申請と、計3ヵ月滞在の準備は整った。
天保山まつり
海遊館辺りから中央突堤プロムナードまで、人・人・人だらけ。
子供の金魚すくいを撮っていたら横からタイ語が聞こえたので、思わずコンタイロー?(タイ人ですか?)。(1分32秒ごろに声が入っている)
こんなローカルの祭りにもタイ人が出没していたとは驚きだった。
相手もこんなところでわずかでもタイ語知る日本人に遭遇するとは思ってもみなかっただろうね。
「これは何の祭りですか」と尋ねられたので、Annual regional festivalと答えたが、これをタイ語で言うのは難しいと「アティバイヤーク説明難しいよ」と言っておいた。
投信を長期保有していたが、元本割れはなかったものの運用成績は年率1%くらいと、期待値年率5%を下回っていた。この間信託報酬を毎年1.5%差っ引かれているから証券会社の取り分の方が多い。
結局、投資信託とは投資家よりも証券販売運用会社の安定収入に寄与するものと結論付けて、すべて売却し、これをNISAで運用した方が確実性があると気付いた。
NISAとは年120万円の投資枠であれば5年間に限り配当金も値上がり益も無税とある。
値上がり期待する銘柄は値下がりのリスクも高いわけだから、ここはリスクの少ない安定したディフェンシブ銘柄と言われる鉄道、食品、銀行などに絞り。
あおぞら銀行、三井住銀、りそな銀行は4-5%の配当もある。
120万円x5%=6万円は年2回の往復フライト額に相当する。
つまり、飛行機代はこれで賄えると思えば、これは大きい。
早速、中間決算配当権利を得る確定日までに銘柄選択終えたいね。
プリンターインクが切れかかったので詰め替えインクを探したら量販店では5700円。
ハードが1万円以下なのに、消耗品が半額以上とは高い。
でも、同品がアマゾンで4000円とあってネットで注文すると翌日には届いた。
パソコンのバッテリ交換も量販店では取り寄せとかで時間かかりそうだったが、アマゾンでは翌日に届いた。
通販は店頭に並べないだけにコストが安いのか、感覚だが10%以上は安い。
量販店で現物確認しておいて、実際に買うのはアマゾン。
デフレ下の生活防衛はこのスタイルが定着しそうだ。
もうひとつはネットオークション。
写真と説明だけの見えない相手と取引するのだから最初は不安だったが、要領が判れば掘り出し物が思った以上の安値で買えるからこれも重宝。
この頃コツが判ってきた。
人気アイテムで応募者が多いと終盤二人が競い合って意地になるだろうか、とんでもない高値で決まる。
こんな場合は類似代替品で応募数の少ない物を、終了間際の5-3分で応募。
最近ではハイビジョン動画が撮れるSONYデジカメを3500円で落札できて、儲け物と思ったね。
タイで入れ替えたOSに日本語ソフトをインストール試みたが、予想通りに文字化け起こしてどうにもならない。
ここは一旦購入時の状態に戻すべく、リカバリすれば済む事と高を括っていたが・・・、
いざ始めると途中からリカバリメディアに反応しなくなった。
数回試した後になんとか初期化成功と思えたが、HDD容量が1/5に減っている上にwifiが使えなくなった。
原因探ったがオレのレベルでは解決不能。
修理屋に当たると見積もり15000円。それもハードデスク壊れているかも知れないので保証はできないという。
現機は3年半前に購入したが、下取り見積もりしてもらうとたったの1500円。
そんならネットはまだ十分使えるはずだから次にタイに行けば800B(2500円)でリカバリやってくれるし、滞在中トラブル時の予備としてタイに置きっ放しにしてもいい。
覚悟決めたね、旅行中のモバイル専用として、中古でいいから程々のを買おうと。
そして調べた結果、中古でも店頭に並べてあるのは結構高く、オークションが良さげ。
ラッキーにも1年落ち物が1/3の価格で落札できた。
ビザ延長したからまる1ヵ月可能だったが、半月で切り上げる事にした。
オリンピック観たかったからね。
タイでも見れないことはないだろうけど、日本選手中心の編成ではないだろうし、やはり日本で見るのが一番。
エアアジアフライト、ドンムアン空港→関空
関空にはほぼ定刻で着陸して難波に着いたのが23:30。
最終バスになんとか間に合って同日中(実際は0時過ぎ)に帰宅したが、玄関ドアー開けるなり部屋から熱気がムー。
連日の猛暑日も部屋閉め切った状態では熱の逃げ場がなかっただろうね。
翌日には早、もっと居ればよかったかなという気がしないでもないが、それはそれ。
またしばらくは平凡な日本の生活になるが、この2週間ほどは日本選手の活躍期待に一喜一憂したいもんだ。
昼飯食べに出かけようとすると隣部屋のファランと鉢合わせ。
「もうチェックアウト?」と言う。
なんで知っているのだろうと思ったが、たぶんハウスキーパーのヌートさんが教えたんだろう。
実はこのファランは初日に着いたときに、「このアパートは日本人もよく利用しているよ」と教えたくれた人で、オレが住み心地を尋ねると「静かで好いアパートだ。自分は気に入ってる」と言ってたね。
「長く居たから帰ると寂しくならないか?」というので、
「今回はもう十分だ。3ヶ月後には戻ってくるからまた会いましょう」
「have a nice trip」
今回知り合った人やお世話になった人に帰国の挨拶に出かけると、途中で移動服販売を発見。
なに?、たった69B(200円)?。思わず買ってしまった。
いつも思うのだが、こうした物品販売でも屋台でも、とんでもない場所で商売してるね。
例えば、カオノイ辺りでは元々人通りすくないのに、更に人気のない所で屋台商売をやっている。
タイ人は何考えてんだか。
この服などもこんだけ安けりゃブッカウなら10分で売り切れてしまうと思うのだが・・・
着いた時、ピムちゃんは電話していたがオレを見た途端に「コボリなんたら」と言い始めたから誰と話してんだろうと思うも、タイ語オンリーなのでさっぱりわからん。
電話終えたピムちゃんの説明は「電話の相手は東京に住んでいるタイ人の友達。そこへちょうどコボリがやってきたので、友達がタイの食材を欲しがっているからコボリに日本まで託して、そこから東京まで郵送してもらえないか」と、その相談をしてたそうだ。
承知すると、ピムちゃんは「ちょっと待って、友達と直接話して」とスマホ渡された。
ラインとかいうアプリでは国際電話はタダだそうで、「ピムちゃんから聞きました。問題ありませんので来週日本へ帰り次第送りますから」。
ピムちゃんが急ぎ繕ったのは3㎏以上はありそうだが、まぁなんとか範囲内で収まりそうだ。
普通帰国時に税関では、「何か頼まれ物はありませんか」と訊かれるけど、これなどその頼まれ物に該当するが、中身は透明なビニール袋に明らかに食材と分かる物。
もちろん素性の知れない人から中身の見えない物なんて絶対に預かれない。
ついで、「次来るときに私にこれ買ってきて」とサンプル示された。
ピムちゃんは東京のタイ料理店で働いていたそうだから日本の味も知っていて、このフリカケをご飯に乗せると美味いんだそうだ。
オレは運び屋になってしまったか。
まぁ、知り合いが増えると頼み頼まれ事も増えるという事だな。
津波寿司という店を発見
今朝は洗濯物広げた途端にザーッと来た。
周囲は明るいから何の前触れもなく突然という感じだったが20分ほどで上がった。
昨日は快晴ではなかったが暑かった。無風状態で空気自体が熱持った感じ。
午後2時のベランダ温度計は38度だったね。
こちらに来て2度目の散髪したら100Bに値上がっていた。40日前は80Bだったのに。
飲酒後に夜食で済ますことがあったが、今夜は先に食べておこう。
海鮮スパゲティが70B(210円)と安かったね。
久しぶりに夜のビーチへ。
いつもの光景だが、何故か暗く感じた。街灯の調整でもしているのかな。
日本で引っ越した先で過ごしたのがまだ三週間。
こちらの新アパートで過ごしたのが六週間と、今時点ではタイに居る時間の方が長くなっている。
そして今思うことは、やはり本拠地は日本に置いて正しかった。
地震が多くても台風が来ようが、四季のある日本は素晴らしい。
期間を区切ることによってどちらも有意義に過ごそうと思うからね。
Rちゃん自分のドリンクをド~ンとオレの横に置いて何か言いたそう。
「ペンアライ、どうしたの?」
同僚のレディが傍に来るとRちゃんは泣き出した。
「何があったかしらないが、飲んで早く寝たほうがいいよ」
レディ同士の言葉の端々から、ファランにスポンサー打ち切られ途方に暮れているのではと想像したりもしたが・・・、
今滞在は他のアパートに浮気しているのをソーパーさんに目撃されてしまったからね。
いつまたどんな形でお世話になるかもしれない。
良好な関係を保つために前アパートに挨拶に行っておこう。
オーナーワイフと話し中に子息のジェイソンが割り込んできた。しかも英語でね。
ナナさんが息子に「この人知ってるの?」
「コボリ、サヌック面白い人だよ」
「Do you remenber?いち、にー、さん」と言うと、
ジェイソンが「よん、ごー、ろく」と続ける。
「で、ジェイソンは何歳になった?」
「3歳と少し」
初めて会ったのが8ヶ月目でまだ歩けもしなかったが、2年余りでこうにもなるとはね。
パパのチュンさんは今はロスでレストラン事業に専念しているから、毎日の様にパパと英語で電話しているのだろうと思った。
オレが初めてアパート体験をした時にバイカーオを父親代わりに面倒みていたバイタクの運ちゃんハムが居たが、今滞在は見かけないから別な場所でバイタク仕事やってるだろうと思っていた。
バイカーオ母娘が一時行方不明になった時にこのハムが連絡先を探し出してくれたお陰もあって、時々ビールをプレゼントしたりしていたが・・・、
「ヘーイ」とお呼びが掛かった方向を見遣るとそのハムではないか。
たぶん見流していたら気づかなかったくらいに恰幅の良かった男が痩せていて驚いた。
病気でもう仕事はやってないと言う。
その激痩せぶりに癌系ではないかと想像したりもするが、オレのタイ語レベルではそれ以上は訊けない。
「チョークディ」としておいたが、まだ若い(多分50歳手前くらい)から回復してもらいたいもんだ。
ウィンドサーフィン大会が開催されるとあってジョムティエンまで行ってきた。
http://www.inspirepattaya.com/pattaya/pattaya-windsurfing-cup-jomtien-beach-monday-1st-august-2016-2/