ナクルアへサイクリング。
ほぼストレートに行ったから40分程で着いた。
パタヤらしさが残っているのはドルフィンから1kmくらいまで。あとは生活の町といった風情かな。
3時半には帰着。飲むにはまだ早いが暑さ冷ましビールやっているとbabyが通りがかるのが見えた。
「バイカーオ(babyの名前)、こっちだよ、おいでー!」呼ぶと方向変えてこちらに。 母親とはこの時が初対面。まだ二十歳だそうだ。
いつも夜しか接してなかったから分からなかったが、今は陽があるからか、ブロンドががってるのが見てとれる。
成長すると次第にはっきり出てくるのかな。 そうなれば、若すぎるが一応ブロンド娘を抱いたことになる。
夕ごはん食べに出かけるとアイルランド人と顔合わせ。この人とはチョンプーの店で何度か一緒になり、自転車の空気入れるバイク屋を教えてもらった。
タイ語で、「どこへ行くんだ、一緒に飲もうよ。(この方はタイ語話せます)」
「そんじゃ、メシ食べてから戻ってくるよ」。
軒下テーブルには他にハワイ出身のアメリカ人、タイ人女性2人、オレの5人。
アメリカンは極近くに住んでいた。オレのアパートから一分もかからない。
「家賃は5000バーツ、諸経費入れても6,000だ。広いし快適だ。教えるよ、ちょっと歩こう」
で、歩いたのはほんの20秒ほど。エッ、そこはオレがこさえたアパートマップにあるやつじゃん。
アメリカンは4階に住んでいて日本人も5,6人居るそうだ。
ここで、アパートの料金仕組みを記述しておこう。
1ヶ月家賃(wifi料金含む) 6500バーツ
電気代 10/unit
水道代 150バーツ
TV代 250バーツ
退出時清掃代 300バーツ
その他、シーツ取り替え、クリーンルームは都度100~200バーツ
余程リッチでない限り日本人もファランもこの程度に住んでいるみたいだ。
「ハワイにはいつ帰るの?」と質問。
「そんな金どこにあるんだ、帰れないよ。ビールは7$とアメリカ一の物価高の州がハワイ、次がニューヨークで、次がロスアンゼルス。そんなところでどうして暮していけるんだ!」だとさ。
他にも、昨今のパタヤの変遷ぶりやそれに伴うタイ人気質も話していて、そこはオレも同感。アジア人もファランも感じるところは同じなんだと安心感覚える。
オレにも分かりやすい英語で話してくれたから結構意気投合して、この最初の一週間目としては一番楽しかったかな。 今日も夕方には来ると言っていたからまた覗いてみよう。
ひょっとしてオレは案外こんなところでやっていけるかもと自信らしき感覚が芽生えたかも。
しかし、在住日本人の嫌な話も見聞した。
このアパートに長期滞在していたMさんは帰国してもう戻る事はないらしい。
ちょっと危なっかしい感じはしていたが、やっぱりそうだったのか。
もう一人はコンビニでビール買っていたところ、此処で飲もうよと話し合かけてきた日本人。5分も経たないうちに「何だい、この人は」と違和感覚えた。ここの日本人村社会でしか生きられないとなるとストレス溜まりそうだ。
「君子危うきに近寄らず」、「友を選ばば書を読みて」というところか。
たった二分半のアップロードに一時間も掛かった。
回線速度はやはり遅いみたいです
Soi Honey May 25th,2013