滞在期限2日前に無事延長申請手続き完了。
これであと1ヵ月滞在できるし、計3ヵ月滞在可能になった。
このあとも滞在したいなら一旦出国すれば可能だが、今回はもう3ヵ月で十分だね。
9時に自転車で出発して9時半にイミグレ着。
受付番号182番もらったが受付嬢は申請書が正しく記入されているかチェックしてない。
ただ必要書式が揃っているかだけをチェックしている様だ。
オレが並んだ時はまだ139番を処理中で時間掛かりそうだから、外に出て一服中に赤い日本国パスポート持った人がいて、立ち話したところ困っている様子。
「分からないところは受付嬢が説明してくれるから尋いてみれば」とアドバイスすると、
「さっき尋いたが何を言っているか理解できない」との事で、英語がさっぱりらしい。
ひな型がある別室を教え、オレは順番待ち。
11時20分に無事延長ビザゲット。
自転車で着いて自転車に跨るまで2時間も要したが、これでビザ問題がクリアとなれば一安心というもの。
FBでプロイちゃんは、「疲れた、疲れ切った」と何度もぼやいていた。
プラタムナックに仕事場を移してからは休みも中々取れず、子供の養育もあって手いっぱいのはず。確かにしんどいだろうなと想像していた。
働き詰めばかりでは気が滅入るだろうから気分転換に、「休みとれたら遊びにお出でよ、ビール奢るよ」とメッセージ送っていたら、明後日夕方に来ると返事があった。
ロオッ店では初期の頃に出会った仲間だから、気心も知れて安心感がある。
2人で3本空けたところでオレはホロッとしているが、プロイちゃんは全然マオ(酔う)でないと言う。
残念な事に7時過ぎから知り合いの誕生パーティに出席するとの事で長居出来ず、
次の休みの来週にまた来ることになった。
74歳はまだ若いのに、残念。
帰国したら遠山の金さんシリーズをまた観たいもんだ。
ぶっかけ飯は出来栄えのおかずをチョイスするだけだから簡単だが、ここの食堂のおばさんは、「今日は何にする?」と蓋を開けて材料見せ、その中から先日旨かったイカのゲソ甘辛煮40Bを選んで昼食済ませたあと、両替から帰る途中にピンちゃんが居て驚いた。
もうパタヤに戻ることは無いと言い切っていたので、「あんたブリラムに帰ったはずでは?」。
3,4日前にまたパタヤに戻って来たと言う。
ピンちゃんはYさん宅に居候の身で、何度かみんなで飲食を共にした間柄。
貌は典型的なイサーン風だが、とにかく開けっ広げで明るく素直な性格。
昨晩のジェラードと共にしたすれっからし女と比べると雲泥の差で、
さすがにYさんのレディを観る目は高い。
ただ不思議なのはYさんはタイ語英語は全くダメなのに、どうやってコミュニケーションとっているのだろう。
半年前の飲食会では、ピンちゃんはブリラムに帰りたい理由など率直にオレには話してくれた。
そのままストレートにYさんに伝えれば波立と、オレの胸に終っておいたが、これからは当人同士の問題だね。
あまり深入りせんとこう。
パタヤ湾の夕景(2017.1.20. 午後6時10分頃)
BGM:朱音 by 平原綾香
東の空からバリハイWater frontまで雲一つない青空とはこの事だろうか、朝から絶好の快晴。
こんな快晴なら5年ぶりにMarkland Hotel屋上からパタヤ湾を撮りなおそうと行ったが、27階のボタン押すもエレベーター動かず。タダで絶景が観れる穴場と思っていたが、知れ渡ってトップレストランがオープンする夕方にしか運行できない様にしたかも。
稀勢の里初優勝横綱昇進ほぼ確定とニュース。
日本人横綱は若乃花以来とか。やはり日本人横綱があってこその大相撲だ。
ラーンホンはここ数日昼も夜もシャッター降ろしている。
元々客少ない所だったから休止にしたのかな。そんな事考えていると、斜め前からコボリとお呼びが掛かった。ジェラードだった。
久しぶりに1本付き合おうか。
一緒に居たのはnew girl friendかと思っていたが、ここでさっき出会ったばかりらしい。
少し話しているとすぐに気づいた。「この女、すれっからしだよ」と。
「日本人なのになんで英語話す?」と絡む。
「youも勉強したから話せるだろうが。オレも同じだよ」。
ジェラードはこんな女をよくも相手にしているもんだと思った。
初代、二代目のgirl friendも知っているが、続かないだろうと思っていたが、その通りになった。
日ごろ彼は、「Thai lady drive me stupid、タイの女が自分をダメにする」と言ってたのに。
まぁ彼には彼の感性があるから全ては自己責任で・・・、
帰りにカラオケホステスのダーちゃんとすれ違い。
時刻はまだ夜8時半ごろだから、「今時間仕事のはずでは?」
「仕事もう終わった、一緒に遊びに行こうよ」。
ホント、仕事なのか遊びなのか、区別がつかない。
日本人的発想で真面目に考えると頭がクラクラしてきそうだ。
もうそんなに長く住んでいたのか、二度目の散髪。
嫌でも鏡の中に自分が見えるが、随分黒くなっている。
話さなければタイ人に見えるのか、先日もロオッ店で若い女性がタイ語で話しかけて来た。
寄付集めと想像したが、エムさんが「この人はタイ人じゃなく、日本人」と告げると急に話止めてしまった。
ジェイサンパパと仲良くしていた若いレディが最近ラウンジに出入りしている。
雇われでもなく、いつの間にか来ていつの間にか居なくなる。
昔ならサービスガールなのか客なのか判別できなかったが、ずばり、フリーランサーだろうな。
この手合いはいろんな所に出没する。外国人が集まりそうな食堂や、飲み屋、マッサージ屋、ビューティーサロンに、業務終えたランドリー店などにも。
彼女らは片言や流暢含めて一様に英語が話せる。
「do you have husband?」 オイオイ、それは「do you have wife?」でないのか。
あるいは、youとIを取り違えて、自分は英語話せると平然としているのも居て様々。
このフリーランサーの狙いは、「あなたの滞在中、あなたの現地妻として振舞います。
ついてはその対価を払って下さい」。有り体に言えばこういう事であろうか。
どこにも所属しないから拘束されず、気楽な稼業だ。
昨日は大阪はみぞれが降ってた模様だが、こちらは今日も天候は崩れそうになく、朝から快晴で9時現在で30度。
4500Km離れてこの落差に、地球は広いっていえば広いか。
その前日カナダ人と話した時は、国はマイナス20度とも言ってた。
センターピアにハーレーダビッドソンを陳列してあった。
下手なところで飲むよりもマイペースで落ち着いて飲めるWが好い。
後席のテーブルにノイジーなファラングループは全員デンマーク人との事。
一人は年3ヵ月だけこのパタヤに住んでると言う。
何が無くてもこの開放的な空間に居るだけで気持ちが晴れる。
これはパタヤにまだ不慣れなKさんと先日話したが、彼をもってしても日本人はバリアーを作ってとても入り込めないと言う。
最大の問題はコミュニケーション。言葉が通じないから同邦で連るむしかない。
この地でも日本人が村社会を作りたがる所以だろうな。
村社会は日本だけで十分。
オレは折角の国際都市をエンジョイしたいな。
特に何がある訳でもないが、ここに来るとゆっくり流れる時空風景がある。
滞在中に一度は必ず行ってるナクルアを流した。
ジェラードアパート真横に雑貨屋が出来ていて小さいテーブルが置いてあり、ジェラードや仲間内が時々集まっていたが、ファラン同士のトークを邪魔することもなかろうとスルーしていた。
夕方にはこのテーブルに一年半前にドゥディに長く住んでいた頭ツルツルのファランがいて、オレを覚えていた。
「(電話中の)この人の母親は日本人だ。ちょっと待て(電話は)すぐ終わるから」
電話終わった彼に、「あなたの母親は日本人って、ホント?」
母ではなく、グランパ(お爺さん)が日本人だそうで、鹿児島出身の倉岡性を名乗り、太ももに漢字で倉岡と刺青を彫ってたから、ウソでもなさそう。
国籍カナダ人の彼が言うには、「自分には日本人の血が流れている。グランパが居なかったら自分はこの世に生まれなかった。これは自分にとって大切な事。いつか鹿児島を訪ねてグランパの故郷を知りたい」と言う。
次に向かう約束があったから短い会話だったが、毎日通過する道だからもしまた会えたら続き話を聞けるかも。
帰りに近く通ったらおばさん達はまだ居たね。
「プルンニープルンニー、あした明日」とかわすと、
「きっとだよ、ゴーホックメダーイナ、嘘はだめだよ」。
初心者の頃ならこんなシチュエーション断れなれなかったと思うが、妙に外国人慣れしたおばさんより、タイ語しか喋れません。今はこっちの方が面白い。
昨日はAさんの引っ越しを手伝い。
元々Aさんは希望の物件はあったが、ハイシーズンで予約がままならず、偶々空きがあったオレのアパートに仮住まいという形だったが、居なくなるとなんとなく寂しいもんだ。
また一人になったか。
でも、引っ越し先もここから近い所で出没エリアは重なるから、また時々は近くで飲み食いしましょう。
レートが少し良くなったので両替に向かうと、「コボリさ~ん!」と呼び掛けられた。
「ん?、あんた誰?」
驚いたね、先月初めに初対面のKさんで、帰国してると思っていたのに。
「エッ、あんたは帰国したはずではなかったの?」
帰国はしたが、正月を日本で過ごして1ヵ月でまたパタヤに舞い戻ったそうだ。
Kさんもバーには興味ないところから、オレの行きつけのWで飲みましょうと案内。
ほろ酔い加減になったところに、Aさんが通り掛かった。
Aさんもいつになく饒舌だったから気分よく飲めたんだろう。
3人で遅くまで語り合った。
おかげでベッドに就いたのは久々に0時超え。
今夜辺りは静かにしたいと今時点では思っているが、午後になれば・・・、
毎度の事だから予想はしていたが、スクンビット越えだけで25分も要した。
普通なら1時間で着くところを昨日は30分も余計に、一時間半も掛かった。
で、着いた先のポン村球戯場や周辺公園は人っ子一人も見えず。
わずかに整備員が数人で公園清掃を行っていただけ。
チョコ持ってきたがこれでは肩すかしだね。
帰りの広場にもカップルが一組居ただけ。
元々都会の喧騒から離れパタヤらしからぬ静かなポイントが気に入ってこのコース見つけたが、
こうも人が少なければ・・・、
帰路はいつものナーンプラブワンではなく、siam country roadを走ると、長距離に渡って工事中でデコボコ道を走る羽目に。おそらく迂回路看板が出ていてもタイ文字が読めないからね。
サイクリングは距離に関係なく、如何にフラットで快適に走れるかによる。
その意味では今日のは疲れた。
シャワー浴びると、ついウトウトで、気が付けば夜。
おかげで今日のビールは1本だけで済んだけどね。
日本は最強寒波襲来とか。
我が家がある大阪も5度風速9mと、雪が舞っている様だ。
こちらは朝9時現在で30度無風とベランダでパンツ一枚でネットやるにはちょうど良い。
もうすぐ直射が差すから部屋に移動しなくては・・・、
昨晩は行きそびれていた59Bステーキ店で夕食。
いつもと同じ味のはずなんだが、なぜか昨晩のはあまり旨く感じられなかった。
夜中にウロウロするのも飽きたから早めに寝酒早めに就寝としようか。
カウンターのオレの右隣りに見知らぬファランが座った。
普通に話せるとでも思ったのか、いきなり
「日本人ですか?」
「自分はアメリカ人」
「アメリカの何処?」
オレは州名を尋いたつもりだが、彼は「軍隊」と言う。
21歳で韓国駐留時代に韓国人と結婚して、今は35歳になる2ドーターはアメリカに住んでいる。
その娘から自分は良くない父親だと言われているという。
沖縄や横田基地駐留経験もあり、日本語も数単語知っていた。
サウジアラビアもドイツも経験あるなど、あとで想像したがアメリカ国内よりも軍隊生活で海外駐留が圧倒的に長いことからミリタリー出身だろうな。
韓国人と離婚してから別な韓国人と恋仲になったが、彼は、「韓国人はクレイジーだ。ナイフで自分を切りつけてきた」と手の人差し指と親指の肉厚の部分を貫通させたと傷跡を見せる。
紆余曲折経てこのパタヤにもう8年も住んでるそうだ。
娘が何言おうが、その歳まで育てたんだから父親の責任は果たした。
問題はあなたが今ハッピーであるかどうか。
「ハッピー」だそうだ。
この男の英語は分かりやすかった。
どうもアメリカ英語の方が耳慣れしていると今さらながら思った。
初対面でも日本人ならこうはならない。ここに住む日本人の多くは訳ありと知っているし、
難しそうな顔してる。お互い様だけどね。
その点、気楽に話せて後腐れの残らないファランとのトーク。
オレはこの方が性に合ってるというか、好きだな。
今日で45日目で、まだ45日間もある。
半年前は45日間滞在だったから、今日が帰国日相当になるわけだが、その点3ヵ月は余裕と言えば余裕だが、長いって言えば長い。
3ヵ月なら生活滞在者になりきるつもりが、オレはまだ旅行者気分から脱しきれないなと思う。
期間を区切っているから、その間に思い出いっぱい作りたい、いろんな人に出会いたい。
日本ではあり得ない経験したいと願望は尽きず。
それが知らず知らずの内に疲労蓄積、39.2度の熱中症にも繋がったのではないかとはAさんの見立てだが、オレもその通りだと思った。
ジェラードが、「川を流れるフローの様に生きれば良い」と言ってたが、後半はこの路線でいこうか。
夕方時間が来れば飲まねばと思って重ねたが、無理することはない。
飲みたくなれば真夜中でも開いているところはいっぱいある。
腹減れば深夜でも動いている屋台もある。
毎日がお祭りのようなリゾート地だが、生活滞在では毎日がお祭りも疲れる。
前半の反省を踏まえ、後半は静かで大人しめに。その点、変化に乏しい生活になるかもしれないが、考えてみればこの時期に温暖な地域で過ごせるだけでも有難いと思わなきゃ。
用意周到に書類準備してジョムティエンのイミグレへ滞在延長申請に行ってきた。
受付嬢は、「あなたの滞在は28日まであるから、前日の27日か26日に申請して下さい」。
前回は期限10日前に手続きしたらスンナリと行ったのに、今回は何故?
時期柄申請者が多かったのは確かだが、混雑を避けるためだったのかな。
予定に空白時間が生じて、それならタプラヤ経由でバリハイの釣り状況視察しておこうか。
釣りはもう2週間も空けていた。着くと岩場には人影無し。前日の雨のせいか、海も濁っている。
帰りにツッコムに寄って携帯電話代替機を視察。
リペアーセンターもあったが、新品売り場へ直行。
余計な機能は要らない。シンプル携帯で結構と550Bで購入。
その場でsim入れ替えてもらうと即使えた。
一昨晩20時ごろから降り始め、この時期には珍しい延々16時間以上に亘って降り続けた。
傘させば食事に出かけられない事もないのだが、面倒になってついつい先延ばし。
その間、音が鳴らない携帯をじっくり弄ってみた。
スカイプから掛けると着信はしているが受信側の音が鳴らない。逆は呼び出し音さえ鳴らない。
夕方にエム、ジェン、ワンさんにたらい回しで診てもらったが誰も解決出来なかった。
おそらくサウンド関係チップが壊れているのだろうと想像。
このPhilippineブランド携帯電話機は安かろう悪かろうと覚悟して499Bで買ったやつだが、正味2ヵ月で半で寿命が尽きたか。
修理も買い替えも大して変わらない値段だろうからね。
この際、スマホにするかガラケーにするか迷う所。
待ち合わせ10分前に着いたらジェンちゃんの姿無し。
電話すると、呼び出し音が鳴らない(オレのサウンドが鳴らないだけで相手には届いているらしい。この電話機もう壊れたか)。
姿現すと、これからフェリーに乗船などの服装ではない。
行けない旨を前もって電話したらしいが、オレの電話機は鳴らなかった。
理由を今さらクドクド訊いても仕方がない、「行くの?行かない?」。
「行かない」
出航30分前にAさんGさんと合流して、
約45分で新しく出来たターウェンビーチ桟橋に到着。
新しくといっても前回オレが来たのは10年以上も前の話だから、新しくもないだろうが。
懸念していた中国人も少なく、とにかくのんびり出来た。
釣れそうな岩場もあったから、次にチャンスがあれば釣り道具持参だね。
昨晩は遅く(実際は本日未明)まで飲んでいたが、目覚めると地面が濡れていたから、明け方に相当量降ってた様子で、全く気付かなかった。
今日は午後からラン島行きだが、雨降らずこのままなら決行予定。
Aさんの友達がパタヤに着いたそうで歓迎夕食会はトッケイ食堂としていたが、店は休みだった。
本当にここは営業したり休んだりと不規則な店で、全く当てにできない。
ここらであとオレが知ってる店と言えば59Bステーキ店か、少し高いがF・food店。
Aさんの提案でそれならロオッにしようとなり、カムバック。
友達のGさんはAさんから聞いていたより、全く普通の人だった。
明日のラン島行きを打ち合わせ相談しているとジェンちゃんが現れた。カラオケ仕事は辞めた様だ。ラン島話にジェンちゃんも参加したいと言い出し、結局明日は4人で行くことに決まった。
ラストはミンちゃんが居るラウンジへ。
ミンちゃんが持っていた外付けスピーカーにスマホのyoutubeに繋げてBeatlesをリクエストすると、Gさんは何とポールマッカートニーのファンというではないか。
数人の仲間内でBGM代わりに流すスピーカーならちょうど良いサイズ。これがたった200Bで買えたと聞いたから、「オレも欲しいから買ってきてくれ」と頼んでおいた。
明日は18時からここでfree foodパーティがあると言う。
それなら、ラン島から流れで夜はここにしようと、早々に明日のスケジュールは固まった。
体調戻ったと感じたから数日ぶりにビーチへ出てみた。
継続して観察していると、砂浜でテント生活やゴザ敷いて寝込んでいたりと、ホームレスの人たちであろうか。
体調戻ればこの4日間セーブしていたアルコールも今夜から解禁だ。
早速夕方には安ウィスキーHong ThongでAさん部屋で乾杯。
仕上げはミンちゃんの居るはずのバーへ向かう事に。
実はAさんは毎晩通っていたそうで、ミンちゃんから、「コボリはどうしているか」と訊かれていたそうだ。
そんならレディスドリンクはオレが負担するから3人で飲もうと意気込んだが、生憎ミンちゃんは不在、肩すかしだね。
でもそれはソレ。結局午前1時前まで飲めて何とも無かったから、もう体調完全回復と考えても良さそうだ。
39度の熱からは半日で解放されたがその後も微熱は続き、食欲もなく身体全体がシャキッとしない。なんたってビールが旨くない。
4日も経ってるのに今晩もこのビールが旨く感じなければ身体になんかの変調来しているはず。
もしそうならば明日はスクンビットノースにある日本語対応可能なバンコクホスピタルで診察受けようと覚悟決め、Wで1本だけ飲むことにした。
空いているカウンター席は同アパートに住むスカルマーフィ似のファランの隣席しかない。
このファランとはハローくらいの挨拶だったが、図体もでっかく怖い顔してるから近寄り難いが、
ちょこっと話したところによれば、イングランドのヨークシャー出身。彼らは自分の国の事をイギリス(Great Britain)とか言わず、構成連邦単位のイングランド、ウェールズ、スコットランドと答える。
比較度数の高いチャーンビールを氷で割るとちょうど良い飲み具合で難なく飲めたから明日の病院行きは必要なさそうだ。
これに先立つ昼前にAさんの部屋訪ね、明後日に遊びに来るというAさんの友達のアテンドを頼まれていたが、「今晩の様子見次第だが明日から1,2日病院通いが必要になるかも知れない」。
39度の熱を見たときに彼は、オレがデング熱にやられたと思ったそうだ。彼自身も経験がありその時は40度の高熱でうなされ10日間の入院を余儀なくされたとか。
普段39,40度の熱なら意識朦朧としているはずだが、そうではなかったので疲労が溜まっていたところに熱中症ではないかと。
たぶんにオレもそう思う。昼間の動き疲れ、夜の飲み疲れ、その分夜はグッスリ眠れるからいいやと思っていたが、単純にそんな話でもないね。
新陳代謝機能も年々衰えているだろうし、自分の年齢と十分に相談しなければとつくづく思った。
今月末にやってくるが、残り30日間をビザランでラオスかカンボジアに一度出国と考えていたものの面倒くさくなって、このまま延長申請だけで済まそうかな。
ロンドンからのピーターもそうするそうだ。
3ヵ月の長丁場だからホアヒンに短期国内旅行も想定していた。
パタヤーホアヒン直行フェリーが就航したそうで、陸路なら6,7時間は掛かるがフェリーなら1時間40分とか。運賃が片道1250Bと、客船が中国製というのが気になるところだが、今回は無理しなくてもいいか。運航実績をみながら問題なければ次回に回してもよい。
そんなんで、来週中にはビザ延長申請を行い、全3ヵ月は当地のみで過ごすことにしよう。
昼前から鼻がグズグズし始めた。風邪かな。
でも段々症状がひどくなり、昼飯のぶっかけ飯を完食出来なかった。
熱があるのは分かっているのでAさんに体温計借りて測ると39.2度。
Aさんはデング熱に掛かったのではないかと言うが、普通39度なら意識朦朧のはず。
でもそうではないから軽い熱中症だと思ったね。
思い当たる節はある。
いつもはベランダに射す直射日光を避けるために10時前には部屋に移動してでネット続けるのだが、この直射が無かったためにずっとベランダで過ごせたから、気付かないうちに床からの照り返し反射熱にやられたんだろうと思った。
それにしても39.2度とは。
もう外出せず、ひたすら濡れタオルで身体を冷やすのみ。
夜中に悪寒を感じたりして寝苦しい日だった。
昼過ぎにビーチへ出てみた。
ファランが惜しむかのようにサンシャインを浴びていて、普段と変わらず。
ピム食堂でサワディピーマイとあいさつすると、ダーがBBQなんたらと・・・、
他に言うことないのかウザい。
Babyの名はナダーと判明。ビデオ撮りで遊ぶ。
帰宅すると前月の光熱費と来月家賃の請求書が入っていて、
電気代11ユニット88B、水道代3ユニット90Bを支払い。
トッケイ食堂のカオパットはボリュームもあり、薄味で日本人にも合う。
注文告げる前に「カオパットクンにする?」と言われ、覚えられたようだ。
昨晩Wでfree foodの世話してた男が愛想するので、この店のボスなのかと尋ねてみた。
ボスは自分のマザーとの事。ドイツに3年間住んでいた。図体大きいからファランか尋ねると自分はタイ人だと言う。
ここには今後もボイボイ(しょっちゅう)来ると言っておいた。
朝食のパンを朝早く買いに行ったら、すでに営業している屋台もあって、元旦らしい雰囲気は全くありません。
2017年最初の言葉がソーパーさんに、「サワディ・ピーマイ、新年おめでとうございます」。
昨日大晦日のタイ式忘年会に12時前に着くと、すでに数人が集まっていてワンさんが手料理を始めているところ。ただルークトゥンを大音量で流すのには閉口するね。
看板屋のゴッドはそんなイメージは全くないが、ギター弾けるという。
始めのパラパラ聞いただけで確かな腕前と確信したね。
11歳でギター初めて、昔はバーでやっていたが、音楽は金にならないので今の看板屋に転身したそうだ。
Aさんと共通の知人パンさんに電話するとようやく繋がったが、パンさんは早口で聞き取れない。そこでワンさんに代わってもらいこちらの意思を英語で伝えると、パンさんは今自宅アパートで飲んでいるという。
「そんならそこに居てくれ、すぐにそっちに行く」。
まだ飲み足りないのかエムさんも一緒に行くというので3人でパンアパートに到着。
ちょうど一年ぶりの再会だった。
夕食はWでfree foodのスパゲッティにありつけたが、午前0時0分までのカウントダウンはまだ時間がある。少し酔い覚まそうとベッドに横になったら、そのまま寝入ってしまい、2016年が終わった。