16時過ぎからビーチ方面にどす黒い雲が現れ風も吹き始めた。
このパターンは必ず雨と確信すると、10分ほどしてまとまった雨になった。
小降りになったところで、傘さし自転車は危ないから徒歩でブッカウ方面へ外出、夕食。
この雨に中に出歩くところもないから、早めの寝酒とするか。
Wに着くと日本人先客が居て、一人はファランを毛嫌いしてる人だった。
ファラン御用達の店によくも来る気になったもんだと思ったが、もうひと方のお伴で渋々だったのだろう。
彼と疎遠になったのは、日本人だけと連るみ、そこに濃密な人間関係を持ち込もうとする。
これはウザいし、タイに来てまで村社会に組み込まれるとは厄介だ。
ゴルフをエンジョイしているKKさんも練習場近くにある和食堂には行かないそうだ。
この類に関わりたくないと言う。
彼は練習の合間に馴染みのファランとも会話するから、日本語なくともストレスは溜まらない。
広くみていると、英語タイ語をある程度駆使できる人はそれなりにタイライフをエンジョイしているが、そうでない人はそれなりに・・・
オレは前者でありたいと思うね。
ゴルフ打ちっぱなしに行こうと思っているのに朝から鼻水が止まらない。
連日暑い南国で風邪を引くとはね。
これ以外に不調は感じないから予定通りにDriving Rangeへ。
日本人も2人いたが、オレの前後はファラン人さんばかり。
迷惑にならない位置にスローモーションカメラなど、2方向に据え付け練習開始。
ドライバーを持つとどうしてもちからが入る。
トップで一度止める感じで、ヘッドの重みを感じた所で遠心力で一気に振り抜く。
段々感じが掴めてきて、低い弾道で真っすぐ飛ぶと気持ちがいい。
あとでスロー再生すると、この感覚がよく分かる。
夕方には微熱がある感じがして買ったばかりの体温計で測ると36.8度。平熱が36.3度くらいだから少し高い程度で、真ん前の薬局で30Bで薬買い、それでも夜はビール。
オレが入店と同時にKenはRに行くからあとで来いと言う。
小一時間ほどしてRの前を通るとKenらはまたWに戻るから今から一緒に飲もうと言う。
「いや風邪ひいたから遠慮しておくよ。また後日」
アパートの件で明日電話すると言ってたが、長期滞在のディスカウント幅が煮詰まらないらしい。
決断はKen次第だね。
今まで20分以上も掛かっていたスクンビット越えが工事が終了して、たったの5分で越えられた。
このコースはおそらく20数回もきているから特に目新しいものはないが、タイの田舎らしきがまだ残っているところでのんびり雰囲気が好い。
この界隈では最も客付きの良かったStar Lightがシャッター降ろしていた。
オフシーズンだから一時的なのかは不明。
一年前はまだ建設中で半年前にオープンしたばかりのスーパーTopsを見学。
ここは昔テント屋台が並んでいたとこだけど近代的なスーパーに生まれ変わっていた。
2Fにはホームセンターもある。
この建物の背後には巨大コンドミニアム群も建設中で、この界隈も変わりつつある。
Topsをスタートしようとすると、ドライブレコーダーカバーの蓋が開き、カメラが消えている。
盗まれたかと一瞬思ったが、近くに落ちていた。
たぶん誰かがバイクでぶつかって衝撃で落ちたと思った。
元通りに装着すると何事も無かったから大丈夫と思っていたら今度は、ハンドルが半ブレーキが掛かった状態で何かへん。そうか、外見はそんな形跡はないが相当な力が加わったのか。
弄っているとバイタクの兄ちゃんが寄ってきて、どれどれ。
なんとハンドルが1回転していたと判明し、戻すと今まで通りで一安心。
ドライブレコーダービデオはスクンビットからブッカウマーケットまで。
毎朝起床時はこのところ27,8度と快適。
午後には部屋は32度となるから天井ファンを回す。
昼飯外出時は体感33-35度と、日本の梅雨明けみたいな気候がずっと続いている。
昨夕Kenから「SMS送ったが読んでくれたか?」と電話があった。
そんなの使った事もないし、操作方法も知らないから、読めるはずがない。
今はRに居るそうでそこで話聞くことにした。
一昨日は日本語ペラペラだったのに、なぜか今は殆ど英語ばかり。
確かにメッセージは届いていたが、そこには「お腹壊していて、飲むだけならOKだがBBQは食べられない」とあった。まぁ無理することもなかろうと、Kenは今晩のBBQは辞退。
すぐ近くのオレの住まい方向を示すと見に行こうとなり、オフィスを教えるとボタン押してオーナーのスーポットさんを呼び出してしまった。
2階の部屋内覧を終えるとKenは気に入ったようで、オーナーに「長期滞在なら割引してもらえるか」などと尋ねていて、オーナーの人柄の良さを褒めていたね。
90%の確率でここに引っ越しを考えると言う。
ソーパーさんが「Kenがここに越してきたならコボリの隣部屋を当てようか?」
「それはヤメてくれ。彼とは異なる階がいいだろう」として、
そろそろBBQの火を入れに行かないと・・・、
結局、Aさん、ワンさん、ゴッドや友達で始め、ジェンちゃんにも電話してBBQ開始。
やっぱり南国では、ワイルドに屋外でBBQが心地よい。
二週間過ぎて1/4が終わった事になるが、既に1ヵ月も過ぎたような感覚になっている。
マンゴスチン40B/Kgの路上売りを発見。今期はまだ食べてなかったがブッカウフルーツ売りはキロ80B、ナクルアマーケットは100B、Big Cは65Bと比較的高止まりだったから、40Bは破格値。
どうしてこんなに差があるんだろう。
特に出かける用事の無い時は昼飯から帰っただけでも汗ビッショリだから、シャワー浴びて玄関ドアー開けっ放し。ベランダ側も開けっ放しだと微風が吹き抜けて、ベッドに横なると心地良くてついウトウト。実にこれが気持ち良くて気が付けば19時と暗くなっている。
こんな場合も安・近・簡のぶっかけ飯とビールで夕食済ませ、久しぶりにニュープラザからソイ7を流してみると、やってる事は昔と同じ。騒々しさと大音響の中に居ると難聴になりそうだ。
昔はよくもこんなスポットに出没してもんだと思った。
ハーヴィーはオレと入れ違いでWから出て来たが、時刻はまだ21時前。彼は早い時間から来て静かに飲んで早く帰るパターン。ドイツ人は早く来て遅くまで居る。お二人とも同様にここがお気に入りみたいだ。
昨晩は遅かったから軽く切り上げよう、と思っても22時になっている。
日本でならこんな時刻に外で飲んでいるなんてあり得ない。
いつもおすそ分け頂いてばかりもなんだから、「材料はオレが買うからBBQやろうよ」。
ワンさんらと明後日にやる事に急遽決まった。
いつものWカウンター指定席に向かうと入り口テーブルからしっかりした日本語で「ここに座りませんか」。そのテーブルに先日話したハーヴィも同席していた。
流暢な日本語の訳を尋ねると、彼はアリゾナフェニックス出身のアメリカ人で名前はKen。
1969年に軍隊で初来日。除隊後に三菱商事に就職してトレード部門に所属、長く東京に住んでいたそうだ。
使わないと忘れるから誰かと日本語で話したかったと言う。
場所をRに移してKenがタブレット叩いて、店内スピーカーから「港町ブルース」を流す。
この時代に東京に住んでいたのだろう。
「これが日本のミュージックだよ」と、ファラン客ばかりの店では演歌はそぐわないね。
そんなのよりChubby Checkerの「Let's twist again」をリクエスト。
これは乗れるね。レディもツイストで応じる。
「金曜日にBBQをするから来ないか」。Kenは一言で承諾。
この店で6PMに待ち合せが決まった。
遠浅沖に浮かぶ雲の流れを記録しようとアクションカメラ携え、ナクルアまで流した。
結果として、このカメラはまだこなれてないからかタイムラプス撮りに失敗した。
夕方に今度は夕日で試したら、まぁまぁ撮れたから次は大丈夫と思う。
時々見かける日本人グループ。まぁ飲め飲めというところかビール注ぎ合って、この地にあってもいかにも日本的。誰かがシーフードといえば一斉に流れる。みんな本当にシーフード食べたいのだろうか。こんな付き合いが煩わしいし、めんどくさい。
単独で行動すると楽だね。好きな時に好きなところへ行けるし、好きなものを食べられる。
簡単・早い・安いで、今宵の夕食はたった250円で済んだ。
1本が終わりそうになったころ、Aさんが現れ追加ビール。Aさんも基本的に単独行動。オレたちはこっちの方が性に合ってるようだ。
まだ記事にはなってないが、当地では不動産仕事がらみで日本人が日本人を欺き、450万円持ち逃げしたとかもっぱらのうわさが流れている。
投資話とか儲け話とか、うまい話がある訳ない。
必要以上に関わらない事。これに尽きるね。
TTカレンシーは3007と表示板。一万円=3000B切るのも時間の問題か。
そうなれば少し締めて掛からないと・・・、
フード付きヘルメット被ったバイクがオレの自転車に横づけしてきたから、つい後退りするとフードから覗かせた顔は何とピムちゃんではないか。
前回後半の二か月は食堂に全く行かなかったから文句でも垂れるのかと一瞬思ったが、「マッサージ屋始めたから来てちょうだい」
「うん、分かった。飯済ませた帰りに寄るよ」
で、帰りに寄った先は知ってる面々ばかり。
ここで詳しい話を聞いたところ、
食堂は止めて、このマッサージ屋を始め、オープンしてまだ2週間。
ライおばさんまで居て、「あんたも施術するの?」
「そうだ」と。ウソだろう、そんな体形ではないだろうよ。
他に食堂にたむろしていたブロンド染めしたおねえさん。Sマッサージから移って来た日本人の恋人がいると言ってたワンおばさんも。
ここはマッサージ受けるより営業終了間際に軒下テーブルで一杯飲む方が良さそうだ。ビール好きなライおばさんもそうしようと言ってたからね。
前回前々回と2回も熱中症にやられたから体温計を備えておこうと思った。
Wのレディに体温計をタイ語で何と言うのか尋ねると、「ティーカイワット」
単語さえ分かれば自分で買い物できるのに、このレディは自分が連れてってあげると来た。
魂胆が見え見えだから「ポムパイスーダイエーン、自分で買いに行けます」。
日本では今は殆ど見かけない水銀式体温計が、たった50B(160円)だった。
昼のぶっかけ飯済ますと隣テーブルのレディ達がかき氷を美味しそうに食べ始めた。
「それ、どこで買えますか?」
「そこ!」。すぐ後ろの屋台だった。
これでたったの15B(50円)。
「ワンさん、良かったらコレ試してみてよ」と、ドライカレーの素を渡した。
ワンさんは料理人だから日本語で書かれてあっても写真だけでどういうものかすぐ分かる。
オレが知ったころはワンさんは屋台だったがホテル料理人に出世してからはロオッの友達のおばさんが引き継いでいた。
屋台と言っても屋根付きテーブルが備わっているから食堂と呼ぶのが相応しいか。
そして今回来てみると、知らないレディとファランのカップルが食堂をやっている。
ファランは厨房でなんか忙しく動いているが、表情が硬くいつも怒ってるような感じで近寄り難い。客商売ならもう少し入り易い雰囲気にしてもらわないと。おそらく思い付きでレディの言い成りでこの商売始めたのではないかと想像したが・・・
夜の10時過ぎに帰って来るとランドリーはBBQやっていて、食べろと言う。
出掛ける時は全くそんな雰囲気は無かったのに、前もって聞いておれば他ではなく、ここで済ませていたのに、今日もマオマオ(酔っぱらった)だった。
朝から小林麻央さん死去のニュースが流れていた。
オレのまだ半分しか生きないのに、痛ましい。
炎天下だが澄み切った青空なら絶好。
という事で今回初遠出は又もナジョムティエンまで。もちろん熱中症対策は十分にしておいて。
バンサレー方面がこれだけクッキリ見えるのは初めてではないか。
帰りにイミグレに寄って延長滞在申請用紙もらう。
サンセットが水平線雲間に入ったのは18:45。
半年前より一時間遅くなっている。
幾度か見たことのある右隣のファランが話しかけて来た。名前はハーヴィ。
アメリカ人でサンフランシスコ出身。生まれはニューヨーク。タイ人妻と7年住んでるそうだ。
住まいはオレと一つ違いのソイで極近い。
何歳に見えるかと訊かれたので63と言うと彼は大喜びで、実際は73歳と言う。
これならまだ当分は元気そうだ。
空き瓶になりかけたころ、Aさんがやって来た。
「このところストレスが溜まっているから、自分の愚痴を聞いてくれる?」と。
「聞くよ!、ストレスためては身体に毒だからね。全部吐き出してしまえば。
時間はたっぷりあるから」
2本、3本目と追加・・・、
もう閉店近い午前1時半まで飲んでいた。
昨夕の雨で埃も沈まったのか、バリハイ方面がクッキリ見える。
一週間目にして服売りのおばさんが元の場所で営業していたのを発見。
ちょっと話すると、韓国へ行ってたそうだ。といっても入国した訳ではなく、入管で「あなたは働きに来ただろう」と不法就労目的と疑われ入国認められず、送還されてチケット代がパーになったと言う。
タイ韓は相互ビザ条約で条件は緩やかだと思っていたが、タイ女性に関しては特に厳しいと聞いた事がある。
「次は日本へ行くよ」
「おいでおいで。オレの所は二部屋あるから一部屋使ってもいいよ」
出まかせ言っておいて、
コンビニで明日の朝食パンを買おうとすると入り口でミンちゃんが通りがかる。
買い物の後はWで飲むと言うと、自分も来ると言うが、バーの仕事はどうしたんだろう。
一年前に知り合った時はスイス人の彼氏とニランに住んでいたが、その後ブレイクして、今はナーンプラブワンに住んでると言う。
その内ミンちゃん知り合いのイギリス人も入店してきてテーブル席に移動。
タイ語英語交えれば何とかなるもんだね。
来て以来のこの一週間では一番飲みごたえのある夜になった。
Yさんは女に一万バーツ送金した途端に音信途絶されたそうだ。
女とは、オレも何度か同席した事のあるピンちゃん。
「5000バーツも出せばここの女は居ついてくれるんだ」と、Yさんは豪語してたね。
「そんな訳ないだろう。あの年頃ならまだ養育費の掛かる子供もいるはず。もしかすると親の面倒も看ているかもしれない。風俗嬢は出稼ぎにこの地に来ているのだから相応の稼ぎを期待しているはずだ」。
事実、ピムちゃんからは「Yさん、お金くれない」とオレにこぼしていたからね。
その事をアドバイスしたが、Yさんは高齢者にありがちな頑固爺さんで、聞く耳持たない。
一万バーツといえば日本では3万程度だが、当地では10万円程の価値がある。
ピンちゃんにしては最後にしてやったりか。
下手にこじれて刃傷沙汰事件も少なくないタイでは、Yさんもその程度なら手切れ金と思って諦めた方がいいと思うけどね。
外国に居るといってもローテ―は変えることなく、朝の目覚めはベランダでラジオ体操を欠かしていない。
昼飯に向かうとS字カーブにあるR-conの女から呼び掛けられ、スイス人が何たらと。
スイスマイケルの事だった。「あの女連れてローザンヌに行ったよ」。
「そうか、そうしたのか。良かった良かった」と、内心ホッとしたね。
というのもマイケルの相手してやるのも面倒に感じていたから、もうその必要はないと思うと安心だ。
ビーチでFBアップ用の写真撮り終えると、今が時期のマンゴスチン食べたくなったが見当たらない。
服売りのおばさん昨日も今日も姿無し。場所を変えているかも。
タラートアルノタイは開業一年でほぼ全滅してた。
帰着するとパイリーンがいたので土産渡す。
15時で34度まで上昇中。日本の梅雨明けみたいだ。
夕方になって約束のワサビを持って行くとちょうどワンさんが居て、「タイ人は辛い物が好きでしょう」と、おまけにカラシもあげたところ、ウェルカムドリンクを1本奢ってくれた。
そこにジェンが現れて奢る羽目に。結局自分で飲んだのと同じ。
ジェンちゃんはまだカラオケ店で働いているそうで、出勤前の化粧をオレの目の前で始めた。
ビデオ撮りしながら、「これyoutubeにアップしてもいいかい?」とからかってみると、意外にも「レオテー、任せる」と返ってきたが、顔にはモザイク掛けるから安心していいよ。
3か月半ぶりにパタヤに戻ってきました。
住み慣れた我が家に戻ってきた気分。
前回までと違って、出迎えてくれたのはオーナー兄のスーポットさん。
部屋は今までの2階から、見晴らしの良い3階に替えてもらってある。
部屋づくり終えると愛車のクリーニングと整備。
所々錆も入っていたが、カバー掛けてあったのでそう痛みもなく、空気入れるとすぐに動かせた。
足が出来ると日用品の買い出しに行きたいね。
ランドリーおばさんが「戻ってきたのね、キットゥン(懐かしい)」
Wでは昼間からオーストラリアの髭爺さんが居て「ヘーイ!」
クリフとも玄関でバッタリ。
ひと息付いたところでAさんに到着を電話すると、早速近くでコーヒー飲もうとなり、プロイカフェへ。
日本味が恋しいだろうと思って持参した大福もちを喜んでくれたね。
パイリーンは転校したそうで、すぐ近くの小学校からちょうど帰ってきたところ。
この娘は物おじしないから、「君にも土産持ってきている。明日あげるからね」と言うと抱き着いてきた。
夕食はタラートブッカウのぶっかけ飯へ。
ここもおばさんがオレを覚えていて、「戻ってきたのね」とハイタッチ。
「これを下さい」
「スパイシーだよ、大丈夫?」
「ルーレーオ、もう知っています」
「昔ここはしょっちゅう来ていたのでこの味も知っているし、おばさんとも馴染みなんだ」と説明すると、隣のレディが普通のタイ語でなんたらかんたら言うが、何言っているか判らなかった。
今回もほぼ毎夜お世話になりそうなラウンジWへ。
Wママが「今日来たの?」と迎えてくれた。いつもと同じでレディは入れ替わり。
常連ドイツ人が居て笑顔でガッチリ握手。彼は英語話せないからオレが一方的に挨拶言うだけだけど、気持ちは通じているね。
二つ隣りには沈没しかけの(オレにはそう見える)オーストラリア人。この人もオレを覚えていてくれた。
深夜フライトから30時間以上も動いていたから疲れていたのか、1本だけで酔いが回って10時過ぎには帰宅就寝。
今回も目立たぬ様にはしゃがぬ様に、ステイそのものをエンジョイしたいと思っている。
自宅出発時に自治会長のKさんと、今回留守期間中の郵便受け整理を頼んであるNさんがちょうど日向ぼっこ中で、Kさんが「土産たのむね」と言う。お二人には何かを考えておこう。
エアアジアのチェックインはスムーズに終えたつもりだったが、セキュリティに向かうと追っかけて来て、「お客様はノービザなので確認したいことがあります。
もう一度カウンターに戻って下さい」
「何が問題ですか?」
予め30日以上の滞在が確定しているのに、30日以内の滞在しか認められてないノービザで入国し、拒否られると送還は搭乗させてきた航空会社に責任が生じるので、念書にサインしてくださいと言う。
ドンムアン空港には定刻より25分速く着陸したが、到着フライトが重なっていたのか、午前3時半でイミグレはメチャ混みで、通過するのに50分も要した。時間はたっぷりあるから構わないけど。
周囲は中国人だらけで大声を発している。もう何回も経験しているがあの馴染めない言語はやはり耳障りだ。
この時期05:20分くらいにようやく白み始め、タイでは珍しく定刻05:40きっかりにパタヤ行きバスは発車した。
数時間前の30度の世界から関空到着した途端に一気に3度の世界へ。
出国時は薄手のジャンパーで十分だったのに、なんば駅舎を出たら寒気の上に風があって、
バス停までの5分間が凍える思いがして、これは堪えた。
でも、無事帰国できたことに勝るものは無しだね。
3ヵ月は長いようでもアッという間だったな。
3ヵ月余り日本に居て再びタイへ。
このローテーションがベストと自分では思っている。
アパートオーナーのチュンさんが父の三回忌で一時帰国して、一年ぶりに再会。
ロサンゼルスのタイレストラン経営が軌道に乗り次第奥方息子を呼び寄せ、アメリカに居を移すと聞いてはいたが、あれから丁度一年経過して順調だそうだ。
オレの帰国二日後には早速3人で渡米、ロスに移り住むと言う。
「では今後の予約は誰とやり取りすればいい?」
あとはこのアパートが売れるまで実兄のスーポットさんが引き継ぐそうだ。
このアパートを利用することになって3年。良きオーナーに巡り合えて運が良かった。
出会いがあれば必ず別れがあり、今がその時か。
チュンさん家族のご多幸を。
バス予約に行ったついでにターミナル真ん前にあるmakroスーパーに寄ってみた。
ここは小売りというよりも業務スーパーみたいで、ビールもカートン単位で売られている。
キリン一番搾り620ml、12本入りが832Bと一本当たり69B。スーパードライもあった。
日本米ササニシキ250B、コシヒカリ359B(5Kg)、ポン酢やめんつゆもあり、和食に拘り自炊する人には重宝ではないか。
ラッスが帰国してからはランドリーの夕方は灯が消えた様だ。
誰も居ないなら、「一本だけね」と飲み始めると、ピム食堂の料理番ライおばさんがバイクで乗り付けて来て、ちょっと気まずい雰囲気。何故ならあそこにはもう50日以上も行ってないから。
「この頃はここで飲むことにしてるんだ」、と言い訳繕ったが本音は、
ダーが、「飲ませろ、喰わせろ」や、パーイが、「コボリ、マッサーマッサー」とばかり。
オレが乗らないと知ると「もう相手しないわよ」みたいにムスーッ。自然に足が遠のいた。
ラーンホンもしかり。
Oさんが、「ここはたかりおばさんばかりじゃねーか」と気付いて遠のいた。
バーなどでも、ドリンク飲ませないなら相手しないわよとばかり、ファランが一人でポツン。
4年前にそれを指摘したハワイアンはこの頃ほとんど外出してないと、同じアパートの住人から聞いた。
タイ人は親切とか、ホスピタリティがどうのと礼賛してた邦人が居たが、今でもそう思っているだろうか。
インさんはドイツに長く住んでいたから今ではドイツ人が一番嫌いだそうだ。
長く居れば、お互い粗も見えてくる。
空港行きバス予約を済ませると、帰国が近いと実感してきた。
日本へ帰れる安堵の気持ちと、すっかり慣れ親しんだ当地を離れる一抹の寂しさが相半ば。
身体は一つしかないから日本で生活するか、こちらで生活するかの択一だけど、比較では日本のそれは単調だ。昨日も今日も、そして明日も明後日も同じだ。
比べてこちらはどうか。新しい出会いや触れ合いがあるし、昨日も今日も同じはまずない。
それが証拠に毎日書ける材料がある。考えようによってはエキサイティングだ。
しかし、年間通じてまたは当地に移住したらどうであろうか。
おそらく単調な生活になると想像する。
それにしても暑い、暑過ぎる。
日本なら真夏は梅雨明けから9月初旬ごろまでの一か月半か。
それがここではもう3ヵ月も続いている。避寒に来たとしてもこうも長く真夏だと、もういいやと思えてくる。
帰国した翌日はもう3月の声で、一ヵ月も経たぬうちに桜便りか。
一年って本当に早い。
そうこうしている内にまた一つ歳重ねる。
いつもは通過するだけのパタヤ南通りをじっくり流していると、ムーガタ店忍者の近くでサイドカーのおばさんからまた道尋かれた。
「ポムマイペンコンタイ、私はタイ人ではありません」。
Honda LPGA Thailandの看板が至る所に。
宮里藍ちゃんが招待選手として参加するそうだから、観戦に行こうかな。
南国らしい好い雰囲気のレストラン。
見慣れた光景だが、段々サンセットがキレイに見える。
ラッキークッキーと遊んで一息してから
今宵ラストの1本はいつものWで。
背後のテーブルに居たbabyに残っていたチョコを「あげていい?」と、ママに断って、Babyには「食べる?」
その内にファランが買ってきたアイスクリームを食べ始めたので、「少しちょうだい」と言うと分けてくれたね。
まん丸いお目々がなんとも愛らしい。
もう7,8度もタイ人と間違われては・・・、
黒くなっているし、服装も半パンTシャツとラフなタイ人とそう変わらないから間違われても不思議ではないかも。
80日目して1000Km走行に到達した。
このペースなら3ヵ月で1150Kmとなりそうで、大阪から東京経由函館までの距離と同等と思えば、我ながら動いてるもんだと思う。
また日本人の嫌な一面見てしまった。
一緒に来た二人だが、一人は帰国してしまった。
帰国せざるを得なかったKさんが気の毒だ。
オレの帰国後に大阪でお茶しようとなっているから、オレなりの見解を伝えるつもり。
久しぶりにビーチ遊歩道でベンチビール。
オレの二つ隣りのファランはすでに空き瓶5本ほど置いていたから「Do you like beer?」と言うと、「no english」だと。何国人だろう。
ベンチからラン島方向見遣ると強い光を放つ金星が目に入ってくる。
あと一週間余りになって、やり残した事ないかとビーナス観ながら巡らすが、今更ジタバタしたってね。
「成るようにしかならん、マイペンライ」。これで行こうか。