パタヤクランSoi 12から入って北上サイクリングをやってきた。
途中に広大な空き地発見。ここなら練習できるかも。しかし、木陰には何故かピックアップトラック型のパトカーが数台停まっている。距離も1.6kmと近いし少し様子を見て可能ならやってみよう。折角持って来て一度も吹かず終いでは勿体ないからね。
昨夜、ネオン街に繰り出すと自転車がパンク。
日本なら500円で修理してくれるがここではどうか。たぶん、50~80バーツくらいと思うが自転車屋までは500mほどある。近くのバイク屋に寄ってみよう。
率のいい両替屋発見。
昨日の時点でTTよりも良かった。今後は此処にしよう。
今晩はバーベキューの予定。
ファランも来るだろうな。それにこのエリアに何故かロシアンが多い。プーチン'ズチュードレン達か。
もうビュッフェ朝食に行くのは止めた。あそこは一見の旅行者が行く所。
せっかくアパート住まいなんだから同じ金落とすなら近所に落とそう。
始めは何処の何者みたいな感じだが翌日も行くと、「また来てくれたのね」で迎えてくれる。この時、「日本人ですか」と訊かれる。間違っても中国人ですか?韓国人ですか?と訊かれた事は無い。
中には、「私たちの国の言葉を覚えてくれて有難う」と仰るご婦人もいた。
昨晩は邦人5人で中華料理を賞味。
トイレは何処ですか?と尋ねると女児(7歳)が、「私に付いて来て」と案内。
「オレ達は日本から来たんだよ」
「日本は何処にあるの?」
「遠いところ」
「私、日本語勉強してるの」
「xxxxx?」
支離滅裂だがちゃんと会話は成立している。
何かの縁だから後日この写真プリントして届けよう。
これも国際交流のひとつだよね。
ここのカオパットガイ(鳥焼き飯)はたった25バーツです。
アメリカンが紹介してくれたPアパートを訪ねてみた。
賃料5700バーツも今は空き無し。来月なら可との事。オフシーズンでも満室というのは人気アパートの様で、彼がお奨めしただけの事はありそう。但しネットが使えないというのは致命的でこれ以上に訊いても無駄だからお暇しようとすると女主人は、オレが日本人と知ったからか、「ちょっと待って、コレ見て」とアルバム持ってきた。富士山をバックにした記念写真が収まっている。もう6回も日本に行っていて最近では2007年が最後。また行きたいと言っていた。日本に好印象を持ってるらしい。タイ人が一番好きな国は日本だとかアンケート調査もあったし、いいねえ、こういう人たちが増えると。
夕食はタウンウォッチングで見つけておいた食堂へ。客多くファランも混じっていたから人気店なんだろう。
で、目の前のゲストハウスは見覚え聞き覚えがある。2,3年ほど前だったか、
日本人が滞在資金全額70万ほどアラブ人に掏られた事件があった。あぁ、此処なんだ。
チャリンコが無ければこんな所には来なかっただろうけどね。
コーナーにあったマンゴスチンは25バーツ/kgと安い。結構酒の摘みになります。
1kg買うと売り子さんが撮ってあげると写してくれた。
そして、いつもの店に持ち込むと人馴れした猫が何故かマンゴ袋に頬づりしてきました。
関空には3時間半前に到着。
列には既に70人程度並んでいた。通路は途中でエコノミー、ネットチェックイン、プレミアムと三つに分かれる。WEBチェックイン済ませていたけど通常と変わらないと思った。
預け荷物はバッグとハードケースに入れたサックスの二個で18.2kgだった。
事前購入した重量をオーバーすると超過金徴収されるそうだ。オレは20kgで申し込んでいたからクリア。
機内持ち込みはPC入れたリュックとショルダーバッグ。7.2kgと200gmオーバーしていたが問題なし。
それから機内持ち込みは56cm以内と制限唄っているが明らかにオーバーサイズもあったからこちらも厳密にという事はないらしい。LCCだから特に座席間が狭いということでもなく、至って普通。
機内食は予めネットで注文しておいた和食が出てきた。
ビールは余っていたドルで払うとおつりはマレーシアリンギで却ってきた。
ブランケット使用は1000円。これもwebで申し込んでおいた。
クアラルンプールには定刻より40分も早く到着。ボーディングブリッジはなく沖留め。歩いてターミナルへ。
で、乗り継ぎの場合はここがポイント。
大勢が行く階段を上るところはマレーシア入国に進むところ。乗り継ぎは階段には向かわず左手にあるTransferに向かう。
ここで乗継手続き、荷物検査に進む。結構並んでいたがそれでも35分で通過した。
ここでもらった乗継便の搭乗券にはY1ゲートとあったが、見渡すとTゲートばかりでYは無し。
スタッフに訪ねるとT6だと教えられる。それなら何故始めからT6にしないかと疑問。
待ち時間は初のwifiでネット試し。接続はチョー簡単でした。電波の一番強いのが上に現れ、そこをクリックするだけで接続完了。なんか拍子抜けだ。
但しセキュリティは保護されてないらしい。
出発時間が近くになってゲートに行くとフライトの表示がない。で、再度このフライトはどこへ行けばいいんだと尋ねると、「此処だ、この道まっすぐ行って左折だ」と。スゴイ長い距離だ。所々にスタッフが立っており誘導しているようだ。次のコーナーでまた尋ねるとまた「この道まっすぐ行って左折だ」だと。最終スタッフがF93に急げと、結局4,5百メートルは歩いた(走った)ろうか。
危うく乗り遅れるところだったが何とか間に合った。
LCCクアラルンプール空港はこんなのか。まぁ一度経験しておけばまごつく事はないけどね。
2時間フライトでドンムアンに定刻着。
ドンムアンは主利用客は国内線の為、国際線はこの時間帯は当機だけ。
おかげでイミグレは短時間で通過。
情報によればエアアジアはこの10月からバンコク直行便就航を申請しているとの事。
認可されるとコスパは更に高まる。
そうなると一番影響を受けるのはタイ航空か。
権益守護に凝り固まったタイ当局の判断が見もの。
今朝は夜中2時頃だったか、大きいスコールがあった。
日の出の頃には晴れたが、おばさん達は箒で水捌けをやっていた。
ここからは昨日の話。
出発の時は違和感無かったが間もなく左側ペダルを踏み込むとガタガタしてきた。
ペダルレバーを固定するナットが緩んでいるのが判明するも周りには自転車屋はおろかバイク屋も見当たらない。さぁ、どうしたものか。レンタカー屋の前で暇そうにしていた兄ちゃんに尋ねたらスパナを持ってきてくれて、これを見ていたもう一人の親父がどれどれワシがやったる、と締めてくれた。大助かり。
イミグレの場所を確認。ちょっと中にも入らせてもらうと昼休み時間帯で一人もいない。
右端に電光板があったから順番待ちが表示されるのだろう。代書屋、コピー屋も左手にあった。次にここに用事があるのは滞在延長する時か。
ジョムティエンを南下、Chaiyapruekを左折して真っ直ぐ行くとスクンビットに出る。これを右折して2kmほどだったか、左手にFloating Marketの看板が見えてきた。
バンコクのそれの様に生活から生まれたものでなく、観光客向けに作った施設と言ってもいいのだろうか。中韓人ばかり。みんな団体で大声張り上げいるわで逃げたくなってきた。実際見るべきものないから20分程で退却したけどね。
その前に気付いていたけど今度は右側ペダルそのものがグニャグニャしてきた。
そして、帰着10km程手前で完全に外れてしまった。なんとか騙しだましで、買った時に見つけておいた修理屋に到着。120バーツだった。
2日目にはサドルの固定金が外れ、9日目にしてこの状態。こんなんであと一か月半持つのだろうか。安かろう悪かろうの見本を買ってしまったかな。
一休みしてチョンプーの店には、アイリッシュ・ノルウェイ、それに黒い南ア人、酔いつぶれたタイ人親爺がいた。普通はこんなメンバーにはタイ人は加わらないもんだがこの親爺、片言英語が話せるもんだからか、ちょっと始末に負えなかった。
アイリッシュは「ワンニーパイナイマー(どこに行ってきた?)。
これには「この自転車で水上マーケットまで行ってきた。20kmは走ったよ!」
みんな驚いていた様子。
ただ今ローカルタイムは5月28日午後3時丁度。アパートのガーデンで書いています。
昨日のFloating Market,Pattayaの様子
ナクルアへサイクリング。
ほぼストレートに行ったから40分程で着いた。
パタヤらしさが残っているのはドルフィンから1kmくらいまで。あとは生活の町といった風情かな。
3時半には帰着。飲むにはまだ早いが暑さ冷ましビールやっているとbabyが通りがかるのが見えた。
「バイカーオ(babyの名前)、こっちだよ、おいでー!」呼ぶと方向変えてこちらに。 母親とはこの時が初対面。まだ二十歳だそうだ。
いつも夜しか接してなかったから分からなかったが、今は陽があるからか、ブロンドががってるのが見てとれる。
成長すると次第にはっきり出てくるのかな。 そうなれば、若すぎるが一応ブロンド娘を抱いたことになる。
夕ごはん食べに出かけるとアイルランド人と顔合わせ。この人とはチョンプーの店で何度か一緒になり、自転車の空気入れるバイク屋を教えてもらった。
タイ語で、「どこへ行くんだ、一緒に飲もうよ。(この方はタイ語話せます)」
「そんじゃ、メシ食べてから戻ってくるよ」。
軒下テーブルには他にハワイ出身のアメリカ人、タイ人女性2人、オレの5人。
アメリカンは極近くに住んでいた。オレのアパートから一分もかからない。
「家賃は5000バーツ、諸経費入れても6,000だ。広いし快適だ。教えるよ、ちょっと歩こう」
で、歩いたのはほんの20秒ほど。エッ、そこはオレがこさえたアパートマップにあるやつじゃん。
アメリカンは4階に住んでいて日本人も5,6人居るそうだ。
ここで、アパートの料金仕組みを記述しておこう。
1ヶ月家賃(wifi料金含む) 6500バーツ
電気代 10/unit
水道代 150バーツ
TV代 250バーツ
退出時清掃代 300バーツ
その他、シーツ取り替え、クリーンルームは都度100~200バーツ
余程リッチでない限り日本人もファランもこの程度に住んでいるみたいだ。
「ハワイにはいつ帰るの?」と質問。
「そんな金どこにあるんだ、帰れないよ。ビールは7$とアメリカ一の物価高の州がハワイ、次がニューヨークで、次がロスアンゼルス。そんなところでどうして暮していけるんだ!」だとさ。
他にも、昨今のパタヤの変遷ぶりやそれに伴うタイ人気質も話していて、そこはオレも同感。アジア人もファランも感じるところは同じなんだと安心感覚える。
オレにも分かりやすい英語で話してくれたから結構意気投合して、この最初の一週間目としては一番楽しかったかな。 今日も夕方には来ると言っていたからまた覗いてみよう。
ひょっとしてオレは案外こんなところでやっていけるかもと自信らしき感覚が芽生えたかも。
しかし、在住日本人の嫌な話も見聞した。
このアパートに長期滞在していたMさんは帰国してもう戻る事はないらしい。
ちょっと危なっかしい感じはしていたが、やっぱりそうだったのか。
もう一人はコンビニでビール買っていたところ、此処で飲もうよと話し合かけてきた日本人。5分も経たないうちに「何だい、この人は」と違和感覚えた。ここの日本人村社会でしか生きられないとなるとストレス溜まりそうだ。
「君子危うきに近寄らず」、「友を選ばば書を読みて」というところか。
たった二分半のアップロードに一時間も掛かった。
回線速度はやはり遅いみたいです
Soi Honey May 25th,2013
●明日はヴィサカブーチャー(仏誕節)といってタイの祝日です。
バーはお休みの上に酒類販売も禁止となります。
このクソ暑いのに飲めないなんて何たるこっちゃと言っても始まらないので、明日に備えて買い置きしておきます。
そうだ、サウスのハイパーマーケットに行ってみよう。
数年前だが小瓶が確か14バーツだった。毎日のこっちゃから節約できるところからね。
そうでないとロングステイはもたない。
●蚊がいない。12月、1月はブンブン飛んでいたのに、この暑さでは蚊もバテ気味か。
●あれば便利かと思って100円ショップの空気入れを持ってきたけどサイズが合っていない。
●チョンプーおばさんが自転車買い上げると申し出てくれた。500~400でどう?と。
期間中使えたらタダであげてもいいと思っていたから商談成立しそう。その前にママと相談して、要ると言えば息子に、まだ7歳だから無理となればおばちゃんに売ろうか。
カチカチに凍らせたペットボトルをクーラーバッグに詰め、帽子はカウボーイハットに、陽除け長袖(女性がよくやっているやつ)を装着するなど暑さ対策は万全で準備完了。慣らしサイクリングへ出発した。
徐々に慣らしてから長めにチャレンジしよう。
通りは大型の商業施設も点在するなどビーチ側の喧騒とはかけ離れている。
緩やかなアップダウンだがこの炎天下ではさすがに堪えるね。
約7kmをゆっくりゆっくり二時間半ほどかけた。
アパートに近くなってきたところで見覚えのある女性とバッタリ。
チョンプー(紫の意味)おばさんではないか。
「いつ来たの?、前と同じアパートなの?、これ私のシスターがやっている店なの、一本飲まない?」
「ほんならちょっと待って、見せたいものあるから」と一旦パソコン取りに戻って前回のビデオを開けると、うんうん、いろんな人が映ってると喜んでくれた。
その中の一コマにブライアン小父さんも映っていて、「これ、あんたの恋人だろう、今はイギリスに帰っているのかい?」と尋ねると、「もう奴の事は言うな!」とさ。
で、聞けば別れたらしい。金の切れ目が縁の切れ目というやつか。ここではよくあるパターンだ。今なら言えるが実はあの二人うまく行かないのではと予感していた。
「オレは日本ではこんな事やっているんだ」とサックスビデオを見せると隣のファラン(ノルウェイ人)も身を乗り出して半信半疑の眼。映像を凝視して見比べながら、「ホントだ、アンタに間違いない、good!,nice!」を連発してくれるではないか。まぁ、お世辞とは分かっているけどネ。
入れ替わり来たファラン(イギリス人、32歳)も面白かった。
「27で結婚してワイフは42歳」だとさ。
5年の生活を経て、今は一人でパタヤ住まいか。
で、「オレは二か月滞在するけど、あんたはいつまでいるつもり?」と尋ねると、
Forever !(永久に)と反ってきた。
買いました。990バーツです。
キャッシャーでは前にいたファランが振り向いて、「いいもの買ったね。イギリスでは5000バーツするよ」、だって。そして「先にどうぞ」と順番譲ってくれた。
近場の移動はこれで十分。当分の愛車になってもらおう。
自転車のいいところは、「あっ、あそこに何かある、何だろう」と寄り道できるところだね。
バイクだと通り過ぎて、ある事さえ気付かない?
それに、炎天下歩くには堪えるが、風を切る分いくらかでも涼しい。
帰国時には息子にあげようか。
まだ7歳だから練習には大き過ぎるかな。
マルカーノ、ブライアン、グラハム小父さん達はもう居なかった。
彼等もみんなリピーターだからね、年末にはまた来るのではないか。
彼らはジェントルマンだから付き合い易い。いつかまた会いたいもんだ。
ソイおばちゃんはもう居なかった。バンコク行ったらしい。
「代わりに18歳娘がいるよ」って別のおばちゃんが・・・
娘と二言三言話すと、「パサータイチャットディー」だって。
なんか、こそばゆい様な。
日の出と共に気温はグングン上昇します。
直射日光に晒してみたら40℃になった。道理で暑いはず。
babyも居ました。
髪は短くして一見別人みたいな感じだけど相変わらず愛らしさは満点です。
別にもう一人の赤ん坊が、こちらはまだ3ヶ月だそうです。
5:30に一度目が覚めたけれど起き上がれない。
昨晩はそんなに飲んではないのだが疲れが溜まっていたのかな。
今回は小ちゃい温度計も持参しました。
午前7:30の時点で既に31度あります。肌感覚だが湿気が体感温度をそれ以上に引き上げているみたい。
部屋は前回マルカーノ小父さんが使っていた隣の部屋です。
ここはべランダが北に面していて前より断然いい。
そうです、日本では南向きが好まれるが、年中常夏の当地では南や、西陽の強さは避けないとね。 まだ1日だけだがおそらく居住人は半数も居ないのでははないか。
本当は昨日の内に石鹸など日用品の買い物するつもりだったがすっかり忘れていた。
おかげで髭も剃れない。
それに、思い出せば昨日朝からまともな食事は摂ってなかったからこれを書いたらブッフェ食堂で朝昼食兼ねて腹いっぱい食べとこ。
Hさんから電話あって現在はバンコクに居るらしく、今日か明日にはパタヤに戻るとの事。
PCには不慣れなHさんだが、今回はオレは持ってきているので手とり足とり教えてあげよう。
今朝はクアラルンプールでちょっと慌てました。
書けば長くなるので後日エアアジア搭乗記にしてまとめます。
アパートには予約メールを2回も送っていたけど応答無しだった。
今は閑散期だから心配はしていなかったが、ダメもとで訪ねてみると空きありました。
そんなら返事ぐらいすりゃといいのにと思うがそこはタイ。
中級クラスホテルでも返事あったり無かったりするからね。
荷解き終えて早速ネット試し。順調に繋がったようです。
在住の友人知人にもメールと電話で着いた旨連絡すると、早くも今晩集まろうと決まった。
その前に知り合いの雑貨屋のおばちゃんから今晩BBQするからと誘われているしね。
長旅の疲れはあってもこういう話は断れないから二つとも参加しよう。
行きたいところはいっぱいあるが、先は長いから初日はそこそこにしておこうか。
前回はエキサイティングな出会いが数あったが、さて今日からはどんな展開が・・・
プチ・ロングステイがスタートしました。
それにして暑ーい。湿気が凄いです。体感40度はありそう。
さて、問題はここから先(青線)に踏み出せるか。
wikimapiaで距離測ると全行程49kmになる。スルーだけなら時速15kmで走れば3時間余りだが、あの炎天下でスタミナ持つかどうか。
今季節の現地気候チェックすると気温は34℃だが、湿度62%に体感温度43℃とあってはほぼ無理。
ここは後日バイクの出番となりそうだ。
問題なければこの道を走りそうだ。
もうひとつ寄り道したいところがRoyal Cliff beach resort Hotel。
数年前に赤シャツ隊が押し寄せて国際会議が中止となり麻生元首相等はヘリポートから脱出したと
いうあのホテルです。
ここは1989年に初めてこの地を訪れた時泊まったリゾートホテルで、プライベートビーチもあり至れり尽くせり。
もう四半世紀前となる。思えばここから始まったんだよな。想い出いっぱい詰まっているから懐かしんで来よう。
此処の、とあるスポットを今回合流予定のMさんやTさんに提案してみようかと密かに練っている。その中身は今はナイショ。まだ彼らには話していないからね。
承諾が得られたなら、もしかすると動画でアップ?かも。
24年前の写真
ウォーキングアーケードは
まだ整備されてなかった
ビーチで泳いでいたのは
オレ達だけ
みんなはプールに浸かっていた
南国ならではのオープンバー
朝食はレストラン部屋でなく
ガーデンテラスで
6人で遊びました
日本語も結構話せるトックさんは当時26歳でカワイかったが、
今では50歳だから、しっかりとおばちゃんになっているはず
ロングステイ・トライアル・プラン二弾目がほぼまとまった。
書類不備を指摘され2回も領事館へ行って何とか取得出来ました。
今回の種類はツーリスト・ビザというやつ。
備忘記録として書いておこう。
必要書類は、
①ビザ申請書1枚(4.5x3.5cm写真添付)
②パスポート原本(残存期間6カ月以上)
③パスポートコピー(写真・有効期限が入っている部分)
④予約航空券(eticket print可)
⑤預金残高証明書(銀行が発行した証明書。通帳のコピーは不可)又は、
年金証書コピー(月額7万円以上必要)
⑥身元保証書(英文)
⑦身元保証人のパスポートコピー又は、運転免許証か保険証のコピー(余白に自筆サイン)
コピーはそれぞれA4サイズで統一の事。
このビザで2か月滞在が可能。更に現地のイミグレで延長滞在申請すれば合わせて3ヶ月滞在可能との事。
その後は一旦国外に出てこれを繰り返せば(所謂ビザ・ランというやつ)年間通して滞在できるそうだ。
トライアルだから取り合えず2ヶ月滞在で様子見としよう。
もっと居たいとなれば延長は難しくなさそうだし、その場合も今回の帰国便は変更可能だから特に問題はなし。
ビザの仕組みは大体分かったが、このところのアベノミクスをどう読むか。
率の良い私営両替商さえ、とうとう3000バーツを下回ってきた。
現在99円が更に10%円安の110円になると想定するといずれ2600バーツ台になるのは不可避?
・・・条件厳しくなって来た。
日本を捨てた日本人
これを見ると考えさせられる。
視点をちょっと変えればもっとアクティブにと、オレ的には思えるが・・・折角の移住がもったいない気がする。
2007年の番組だから以後の円高と相まってもっと増えているのではないだろうか。
打ち込めるものないとロングステイは難しい。
最大の問題は、現在の家をどうするか。
現状のまま払い続けるかそれとも、一旦退去か、悩ましいところ。
解約すれば済む事だがそう簡単には割り切れない。
一時帰国の場合どうするか。いつでも帰れるところがあるというのは心強い。
家賃さえ払っておけば問題はないだろうが空家賃は無駄な気もする。
それを生活費に遣えたら、そりゃ大尽生活とは言えないまでも現地の物価感覚ですれば月10万円の小遣いが増えると例えてもいいのかな。
他に、家財はどうする。トランクルームが利用出来るか等々アレコレ。
早急には結論出さなくてもいいがしっかり考えて後悔しないようにしなければ・・・
「計画は綿密に実行は大胆に」、「案ずるよりも産むが易し」、かも知れない。
●差し迫っての気掛かりは動き出した円安とバーツ高。
一年前は一万円=4000Bだったが、前回は3600Bと一割減った。
現在では3200Bと更に一割減で、併せて二割減は大きい。
どれだけかというと、一ケ月3-4万バーツで生活と仮定すれば去年まではアパート代は差益で賄えた。今は差損で2万円負担を強いられる考えれば如何に為替レートの変動に左右されるか。
アベノミクスは始まったばかりで先の事は誰にも分らない。
一応3000B以下にはならない前提で検討しているが、$=100,120,140円となれば計画は土台から崩れる。
●ビザ問題
日本人は無査証で一ヶ月は滞在できる。2-3ヶ月でもビザ申請すればこれも可能。
50歳以上で年金生活者なら80万バーツ(約240万円)をタイの銀行に預金すれば年間通して滞在できる年金ビザがあるそうだが、将来為替がどう動くか予測できない中ではリスクが大きい。
ところがそこはタイ。それだけ用意せずとも年金ビザが2万バーツでゲット出来ると聞いた。その具体的方法や場所もIさんやWさんから教えてもらった。現に彼等はこのビザで長期滞在しているとの事。
手段はイレギュラーだが、ビザ自体はレギュラーという、正直裏技ってやつだ。
でもイレギュラーはどこまで行ってもイレギュラーだから突然廃止も考慮しておかねば・・・。
●日本語が恋しくならないか(在住日本人考察)
二年続きの年越しでいろんな在住邦人とも出会ったが、邦人同士の横の繋がりは殆ど無いという事がおぼろげながら分った。
和食レストランに集うのはいつも同じ顔ぶれだったし、日本人は村社会作るのが好きなんだなと思う。やっぱり農耕民族だから?
●他に送金問題やら現況届け提出は如何に・・・問題山積だが、
最大の問題は、・・・(続)
そこで再度トライアル実証、プチ・ロングステイにチャレンジしようと思う。二ヶ月滞在はどうだろうか。
今度こそサックス持参するつもりでエアアジアに問い合わせしたら以下の返事があった。
******************************************************************
「機内持ち込み手荷物ひとつ、およびノートパソコン用バッグまたはハンドバッグひとつを機内にお持ち込みいただけます。
機内持ち込み手荷物は、各辺の長さが56cm×36cm×23cm以内で、7kg以下のものとし、前の座席下または頭上の荷物入れに収納できるものでなくてはなりません。
(計2つの荷物を合わせて7キロ以下)
お客様の楽器(アルトサックス約60cmx25cmx20cm3kg位)は規定サイズの長さを超えている部分がありますため、機内持ち込みはできません。
既定の大きさを超える楽器をお持ちの場合は、貨物室での楽器への損傷を防ぐため、
楽器用としてもう1席ご購入いただくことをおすすめします。
追加の仕方につきましては、下記を参照してください。
http://www.airasia.com/ask/template.do?id=338
すでにご予約を頂いております場合は、追加座席を購入される際に必ず横の座席を指定する
必要がありますのでご注意ください。
受託手荷物にされる場合は、下記料金表をご覧ください。
http://www.airasia.com/jp/ja/our-fares/fees-and-charges.page?」
*******************************************************************
器用としてもう1席購入なんて他のエアーラインより高いわ。
ソフトケースで持ち込むものと想定していたが、買った時に元々あったハードケースに入れ替え、預け荷物とすれば問題なさそうだ。
ここで備忘録としてエアアジア料金の仕組みを記しておこう。
LCCならではの料金建てのようだ。
某月某日、関空→クアラルンプール乗り継ぎ→バンコク、深夜フライト、二ヶ月FIXを想定。
往復運賃:¥33.362
受託手荷物20K:片道3,400x2=¥6,800
座席指定:\0(乗れりゃいいから指定しない)
機内食:400x2=¥800
飲み物:缶ビール+水x2=¥1,000
快適セット(ブランケット等):1,500x2=¥3,000
チェックイン手数料:¥1,200
----------------------------------
合計:¥44.962
この次に安いのはANAだが2万円も違うから一ケ月家賃分に相当すると考えればこの差は大きい。
さて、プチ・ロングステイ計画は難なくも本格的な移住・年金生活にはいろんな問題をクリアしなければならない。
これが難題だ。
(続)
と言えば、ピンからキリ、ピンポン、ピン・ストライプ・・・
残念ながら全部ハズレ・・・
これはタイ・イサーン地方の民族楽器を指します。
Hさん宅を訪問した時、「こんなもんやっているんだ」と見せてくれたのがこの「ピン」という楽器。
「これがCDEFで・・・」
「次がGABだろう?」
「何でそんなこと知っとん?」
そりゃ、サックスやっているからオレも簡単な譜面なら読めるわな。
しかし、Hさんはオレ同様にまだ初心者だ。そこで提案。
「お互い、上達したらこの地でバンド組もうじゃないか。もう一人プロ級の楽器奏者を知っているから、3人で・・・」
「そんなんいつになるかわからんでー」
「そりゃそうだな、プロ級のお方は明日にでもできるけど、オレ達はなあ・・・」
プロ級と言ったが、実はTさんはプロそのものだったと知って驚いた。
セミ・リタイアーして、今はこの地でリピーター暮らしだと。
音楽以外は何も知らん。音楽の事なら何でも訊いてと仰る。
「ではお言葉に甘えて質問させていただきます。還暦から始めたサックスは無理があるのでしょうか?」
「それは関係ありません。やった分だけ上達します」
「まだ腹式呼吸ができないけれど・・・」
「それはある日突然出来るようになります。私の生徒に、それだよ、それそれ、出来たじゃないかというのがおります」
なるほど、達人の言葉はやはり重みがある。