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Enjoy アルトサックス・ビギナー日記

試行錯誤のアルトサックス練習記をメインに youtubeにアップロードしたビデオ背景や編集に ついて、またサックスにトライしたいときっかけの地となったタイ王国について書き綴っています。

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The way to T.T

昨晩は日本人4人とマイケルさんカップルのみ。何故かイギリス組は一人もおらず。

一昨晩、soi 11を流していると食堂雑貨屋にファランがたむろしていて、「来ないか」とサイン送っていたのを思い出した。で、昨晩行ってみると客は皆無。
何処の国も飲兵衛は気まぐれなんかな。 

昨日の走行:8km、累計:302kmと、ついに300超達成。

今日は子供たちが言っていたシップイットの日。午後はダオカフェへ行ってみよう。
「あの小父さん、本当に来てくれるかなあ」と、きっと話し合ってると思うから。
写真とチョコ、お菓子も持って行こうか。それに子供たちが撮ったビデオを見せにパソコンも前かごに積んで。
チャリンコでスクンビット横断するのは結構難儀です。

The way to T.T

この前は徒労に終わったから、大回りになるけど今日はモスク通りからsoi 24をたどろうと考えた。
この道はすでに2回も走っているから難無く、soi 24にもスンナリ入れた。
目的地もすぐ発見。
13時半頃だった。大柄のファランがバイクでオレと同時に到着。もしかするとあのファランがオーナーかと後で思った。
昼間だからか客は皆無。間違いないのは値段も相応だし、ここは確実にファラン向けの店。プールサイドにはまったり出来そうなバーコーナー、ライブステージ、スクリーンもあって立派な物。
ただロケーションからすると、これにペイできるほど常連客がやってくるのだろうか。
だとすれば、この近辺にもファランの増殖とは、恐るべし。

レッドカレー(100B)とご飯、ビアレオ(60B)を注文。時間掛かったね。仕込みからやってるかと思った。ライスの量はこれもファラン向けだろうね、多すぎる。
味は、カッ、辛い。結局、1/3は残してしまった。



帰りはこの道なりに進めばカオノイ方面に出るはず。数百メートル進むと、見た事あるような風景が・・・

そうだ、2日前におばちゃんに道を尋ねたところだ。な~んだ、あの道で良かったのか。
あと数百メートル進んでおれば良かったんだけど、オレの土地勘・方向感は間違ってなかったと自身を慰めるしかなく、今日の探訪は無事終了。


Mabyailia 24から入ってsoi 9へ抜ける道で1本作ってみた。
冒頭にカメラがブレているのは犬が近づいて来たからです。
野犬恐怖症になってしまったか
最後の直線に入って数百メートル進んだ右側に道を尋ねた食堂があります。
(BGM: my girl)

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3人内、2人と再会

前日、グラハム小父さんとPアパート前でバッタリ会った。ちょうど1年ぶり。
去年の3人内、残るはマルキンさんだけだが、今期は来てないのかな。

グラハム小父さんとは昨年、「tommorow never come、jonny no cash」で盛り上がった仲。
お互いに覚えていた。
「明日ここで飲もうよ」となって夕方行ってみたら、グラハム小父さんとアジア人男が居た。
小父さんと男はタブレット見て音楽聴いている。画面覗いてみたらハングル文字があったから
KPOPでも見ているかと思った。

気が良いグラハム小父さんは画面見ながら、「ナイス、ナイス」を連発。
オレは男をタイ人だと思っていた。
ところが男は突然、「where are you from」
「i'm Japanse」
「i'm south korean, nice to meet you」と手を差し出す。
グラハム小父さんが居る手前、応じざる得ない。
でも、会話したのはこれだけ。
その内小父さんがボトルを残したまま中座した。
コリアンと2人だけ。共通の話題もないのに、これはまずいぜ。
でも、ここはオレの知ったるエリアで知人もいる。
直ぐにチェックして、ランドリー屋へ移動。姉ちゃんやチワワと会話したり、その内上階に住む母親が子供を抱えて降りて来たから、近づいてビデオ撮らせてもらったりしたね。

ビデオはその時の様子。
 

バンコク・シャットダウン13日

こっちにいると微塵も感じないが、バンコクはエライ事になりそうとか。
母ちゃんツバメは今、バンコクでデモ隊に加わっているらしい。
旗色は黄色とか(反タクシン派)。

13日は主要道路封鎖?、
インラク首相、一旦退陣表明しないと騒動は収まらないか。
それが無ければ、クーデターが14日のうわさも。

タイの行方には関知しないけど、帰国までまだ1ヶ月以上あるが、
せめて空港まで押し寄せない様願うばかり・・・

以下、ニュース記事を抜粋
反政府派は13日のデモで、政府総合庁舎、高架電車BTSアソーク駅前、ルムピニ公園、パトゥムワン交差点(MBKセンター前)、ラチャプラソン交差点(セントラルワールド前)、戦勝記念塔(BTSビクトリーモニュメント駅)、ラープラーオ5差路の7カ所を占拠する計画。

反タクシン元首相・反タイ政府派がバンコク封鎖を目指す大規模なデモ「バンコク・シャットダウン」を計画している13日、バンコク都内の病院、銀行、ショッピングセンター(SC)、コンビニエンスストア、証券取引所などは通常通り営業する予定だ。

バンコク郊外のスワンナプーム空港当局は搭乗する便の出発時刻の遅くとも4時間前には空港に向かい、高架電車BTS、エアポートリンク、地下鉄MRTなどを利用するよう呼びかけている。


 

15本飲んだのは、

今朝は23度と、今滞在朝の気温としては最高。昨日昼は31度まで上昇と、寒気団は完全に去った模様。
そんな日中、昨日探訪に要した距離は10km(累計273km)。ついにT.Tにたどり着いた。
(この項後日書く予定)

15本飲んだのは、
マンチェスターからやって来たイングランドカップルでした。
6時頃来た時はイギリス人仲間5人ほどがやっていた。
オレも付き合い、1本だけ飲んで中座し、遊歩道へ。

今回はこの辺りもあまり来なくなったが、半年前まではタレー姉ちゃんとの会話はタイ語練習に有用と知って、スラングや卑猥語も教えてもらったもんだ。

途中でHさんから、今帰って来たところで母ちゃんとこでやっていると。
ほんなら今からそっち行くわ。
着くと、カップルだけがまだ居た。
あれから時間も経っているし、前には空き瓶がズラリ。
「もうだいぶん飲んだでしょう、何本くらい?」
「10本かそこら」
4人でbeatlesやら何やら話した。
ファランレディは酔っぱらった勢いでか、訊いてないことまで喋り出す。
「この相方は私を強くずっと抱きしめてくれるからハッピーだ」と。
そうですか、御馳走様。
母ちゃんも売り上げ増えて気分いいのか、シャッター降ろそうとしない。
結局、0時直前まで開けていた。
翌日、あのカップルは何本飲んだのと母ちゃんに訊いてみたら、
「15本」
「レディが10本で、男が5本だっただろうよ」とは、同席していた他のイギリス人の感想。

さすがにこの二晩はカップルは姿を見せていなかったが、昨晩はやって来た。
そして、このテーブルには新たなイギリス人が参加。
差し詰めイギリスナイトとなって、オレ達は肩身狭かった。


 
 チャリンコパワーで見つけた
 

テーマは、ふ・れ・あ・い - チョコ編

今朝7時の気温は22度。
昨日昼間はダークサイドを漕いでいたら汗だくと、真夏並み。
オレの腕は皮がメクれてきた。それだけ直射日光に晒されてるという事か。
ようやく寒気団も去った模様。こうでないと避寒を求めて南国に来た意味が無い、良し・よし。


テーマは、ふ・れ・あ・い - チョコ編

ここのアパートに住んでいるファランの言語はフランス語らしいと解ってきた。
1階突き当りの部屋の前で一人で泣いているファラン系女児を発見。
「チョコあげるから、泣かないで」。
女児は泣き止んだが、知らん人からそう言われてもね、警戒表情がありあり。
その時撮った写真がコレ。


後日、クリーンスタッフおばちゃんが別な女児の相手をしていた。
ここでもおばちゃんに、「チョコあげてもいい?」
女児はワーイをしながら手を伸ばしてきた。可愛いもんだ。
そして、おばちゃんが、「この子は写真の子だよ」と。
「エッ、」、目を疑った。
髪型が全く違う。それにあの警戒心丸出しの表情とも違う。
アパートオーナーのチュンさんが言うには、「この子はスゴイ我儘だよ」と。
なんでも自分でハサミ使って自分の髪の毛を切ったそうな。
見苦しいので理髪店へ連れて行き、整髪したから印象が違うのだと。
そして3度目に会った時は自ら、「チョコくれ」と要求する。
「クンチューアライクラップあなたの名前は何ですか?」
「パイリーン、3歳」
「ポムチューコボリ、ヤークジャペンプアンガップクン、ヤールームナ、コボリです、君と友達になりたいな、忘れないでね」。
この頃にはもうすっかり懐いていた

Hさん新アパートを訪問すると階下ではいつも5人の子供が遊んでいる。
ここで箱開けると2粒しか残ってない。子供は3人、さぁどうするか。バナナを食べていた子以外の2人にあげたら3人全員が階段まで付いて来て困ったね。
「次に来る時もっと持ってくるからね、待っていなさい」
たぶん子供達には今後はオレがチョコに見えるのではないだろうか。

子供達とのふ・れ・あ・い・はチョコが役立ちます。

Mabprachan reservoir - la guinguette club編

昨晩はキレイな三日月がくっきりと
   

このところ生活パターンが定まってきた。
午前中はパソコン。
ネット、ブログ更新やメール、それに映像編集が最も時間取られる。
カット、ペースト、音楽挿入してレンダリングすると3分物でも1時間掛かる。
それをyoutubeにアップすると、更に一時間半も掛かる(日本の我が家は5分)。
タイのwifiはアップロードは速度が遅いようだ。
だから起きるなりすぐレンダリングとアップロードを仕掛けておいて、その間に髭剃り、洗濯、朝食、雑用を済ますようにしている。

午後からはふれあいを求めて探訪に出掛ける。
半年前、アパート探し途中に寄ったソイ17のフード店を覗くとタイ語で、
「随分見かけなかったねえ、何処かに行っていたの?」
このおばちゃんとは1回だけなのに覚えていてくれたのか。
「日本に帰っていたんだ、住んでないよ」
瘡蓋見て、「その傷どうしたの、ちゃんと薬塗ってるの?」
「これ60Bで買ったけど、良い薬かい?」とチューブを見せると、
「良いの買ったね」。
この店、おばちゃんが一人で切り盛りしていて、大通りに面していないから静か。
ちょっと高めなのが難点だけど、
「明日は鶏肉スープ作る日だから、また来てね」。
英語もスムーズに話せる中々のインテリおばちゃんです。
このおばちゃんから聞いた。
コンビニで売られている最安ビールcheersブランドは、ハイネケン同等(系列、子会社?)だそうです。


Mabprachan reservoir - la guinguette club編

ロングサイクリングだったから体力に余裕があれば帰路に寄ってみようと思っていたスポット。
小さい入口から入ると外見から観たイメージとは大違い。
東屋風な屋根に大きめのスツール。それにキレイなプールもあり、ファランがまったりとしていた。
こうした場面、本当にファランは恰好好いなあと思う。

ビアチャーンでリラックスしている最中、突然制服姿の男女数人が固まってやって来た。その中の一人がオレの席にきて資料を見せながらいきなりタイ語でなんたらと。「私はタイ人でありません。英語で話して下さい」。
女は単語程度しか話せなかったが、資料を見るとどうやら身障者子供支援の募金活動してる団体らしいと推測できる。「つまり、寄付をして下さいということだね」。女はうなづいた。
50バーツ紙幣を渡すと次の客へと一人一人に要請している。あれでは客は断れん。
ウマい募金活動するもんだなあと感心した。


そして、此処を離れようとしたら自転車がパンクして、この日の苦難が始まった。

Mabprachan reservoir - 住んでみたい

昨日は、20日目にして何もしない休養日とした。
おかげで一日の出費はたった225B。食事二回、ビール2本、テンモー2切れ、これだけなんだけど、偶にはいいか。
でも、なにもしないと言っても部屋に籠っているわけではない。昼ビーチへ行ってみたらテント村は昨日撤去されて広々としている。その分人が少なく見えたが錯覚か。
それに、セントラルからバリハイ丘が見渡せない。チャイナからPM2.5がここまで流れているとは思わないが、昼間こんなにモヤったの見たのは初めて。



夕方、母ちゃんの店でビアチャーン1本。日本人はオレだけ(あとでHさんがコーラー飲みに来たが)。
あのフィアンセもやって来た。
「オレがドイツ語で知っているのは、ダンケシェンと、イッヒリッヒリーベくらいだけど、合っているかい?」
「ちょっと違う」と発音直された。
楠田枝里子似がやって来たね。この方この前初めてみた女性だ。
Hさんは、「だいぶん歳こいとるで」と言っていたが、たぶんそう。しかもキレイなストレートヘアーはカツラに見えるのだが。
いろんな国籍、新おばちゃん達も現れるなと、ここに居るだけでも結構一期一会が楽しめる。

その足でブッカウへ流すとハースが一人で居ました。
このところウェンを見かけないが、拠点を替えたのだろうか。
ハースが、「飲もうよ」
オレが逆に、「好い店を見つけたんだ(母ちゃんの店の事)、行ってみないか。ここから500mのところだけど」
これにはハースが返事する前にチョンプーとシスターが「ノー」と遮る。

ブッカウバーが閑散としていた。R-conは壊滅。左端にファランが一人いただけ。8時頃だったからまだ早すぎたかも。その通りをセカンドへ抜けても同じだった。姉ちゃん達はヒマ持て余し気味だが、所々ファランが大挙して集まってる店もある。
遊歩道も似た様なもんだった。整備前は座るところがあって外国人とレディの怪しげな会話光景を散見していたものだったが、整備後は座るところが無い。

今更ゴーゴーに行ってもね。
やっぱりWに戻ろうか。
この夜は何故か此処も客少なし。
で、座るといつもの通り、注文してないのにビアチャーンとアイスが届いた。
10時には部屋に帰ったが、偶にはこんな日もあっていいか。

Mabprachan reservoir - 住んでみたい編


そろそろ飯を。
food&drinkのある看板の店に行くと食い物は隣の店と紹介された。
ビアチャーン小60Bとシーフード焼き飯(60B)を注文したね。待ってる間に奥からファランが現れた。


「ようこそ、日本人ですか?」
もし、韓国人・中国人ですかと聞かれたらこの店には二度と来ないだろうけど・・・
彼はイングランドからでこの店のオーナー。ビジネスとしてやってるそうだ。
「日本も寒いでしょう?」
「そうです、だから日本をエスケイプして来たんですよ」
「その気持ち分るよ、イギリスも今頃の気候はテレブルだ」と。
今回は飯とビール小瓶だけで済ませたが、屋外のバーカウンターは好い雰囲気だった。
お姉ちゃん達は客が居ないせいもあって所在無げにしていたが、もしこの近辺に宿借りていたなら夜風に吹かれながら飲むビールは格別なはず。喧騒パタヤにもこんな所があるんだな。
試しに一週間ぐらい住んでみようかと思わせるくらい絶好のポイントを探し当てた気分になった。

 

同床異夢の感



サンマを摘まみに会食が終盤に差し掛かった頃、
見た事のあるレディがやって来た。

エッ?、ドイツに渡ったはずのフィアンセではないか。
「どうしたの?、元日のフライトでハノーバーで新生活始めたと思っていたのに」
「こちらで2,3ヶ月言葉の勉強をしてから行くことにしたの」

そこで彼女、携帯取り出した。もちろん通話相手は誕生パーティ主役のカーステンさん。
I love youなんたらと・・・
暫くして、「コボリも此処にいるよ」と言いながら携帯を振り、オレに話せと言う。
こんな時何を話せばいいんだ。
「Hi,I'm kobori。ドイツに無事着いたらしいね、良かった。あのビデオ、ドイツでちゃんと見れるかい?・・・」
これに対するカーステンの返事が聴き取れない。
対面でゆっくり話してもらえれば大方理解できるが、音声だけでは心許ない。オレのレベルは所詮この程度。しかもドイツ訛りだし、オレも酔っぱらっていてはね。
フィアンセに電話戻すと、なんたらかんたらと最後の言葉が、「100万バーツ送ってね」だった。
真相は解らないが、「この国際結婚、たぶんウマく行かないね」とは、あとで仲間内のヒソヒソ話。

数日前にもファランと、タイでは珍しい?淑女然としたレディのカップルがオレ達にテーブルに同席となった。始めは和気あいあいと、ところがアルコールが進んだ頃、男が「take me home!」と言って険悪な雰囲気になって席を立ち、歩き始めた。レディがあとを追っかける。暫くしてレディが一人で何事も無かったかの様に平然として戻ってきた。何があったか知らないけれど、この淑女を翌日、違う場所で見かけた。

外国人とタイレディのカップル。
同床異夢の感を更に強くした。

昨日の走行、ジョムティエンまで18km 累積:226km
Jomthien Bar Street

Mabprachan reservoir - 家族に乾杯スタイルトーク編

天気は好いのだけど、モヤが掛かったような空気です。
2014年元旦の夕陽。



Mabprachan reservoir - 家族に乾杯スタイルトーク編


ここから南へ数キロの所にサイアムカントリーオールドコースがあって2,3年前宮里藍ちゃんがLPGA大会で優勝した所。今年も2月に行われるそうだが、オレは直前に帰国とあって残念。
英語看板はあちこちで散見したからこのエリアにもファランが多く住んでいるという事だね。



釣り人発見。

「ハロー、トックプラー?こんにちわ、魚釣り?」
「トックアライロー何が釣れるの?」
見せてもらったら30cm強の魚がイケス籠に。仕掛けのエサはチヌを釣る時のような肉団子を針の上から固めて池に垂らす。
魚の名前は現地で「ラン」というそうだ。
釣る瞬間をビデオ撮りさせてもらう了解を得て10分ほど構えていたが釣果なし。
「シエチャイ・オッガートナー残念この次ね」と先に進めた。


水際広場で子供を遊ばせていた親子(孫連れ?)を発見、近づいた。
「ハロー、ワンニーアッガーディ・ドゥレンガップルークマイこんにちわ、好い天気ですね、お子さんとさんと散歩ですか」とオレから話しかけた。
「日本人ですか?、南無妙法蓮華経で一度日本へ行った事があります。日本はキレイで私は好きです」と。嬉しいね、こういう人たちに出会えると。
彼は片言日本語と、少し英語も話せた。
「タイに何年住んでいるんですか?」
「いや、住んではいません。長期のホリディを取りながら来たり帰ったりしてるだけです」。
「イントネーションが自然だから住んでいるもんだと思っていました」
4声発音は難しいが、イントネーションについてはPアパートのお姉さんや他の人からも「チャットディ」と言われた事がある。つまり、覚え立ての頃にカセットテープが擦り切れるほど聴いて真似てを繰り返していた事が今になって役立っているようだ。
でも、あんまり長話になると馬脚を現してしまうからね。
最後に子供に「チョーブチョコレートマイ、チョコ好きですか?」と言ったら警戒心からか、ウンともスンとも返事しない。パパがそのまま訊き直すと女児は頷たね。パパにも一つ、オレも一緒に食べた。
いい空気が流れた一期一会だったな。

  

サワディ・ピー・マイ 2014

また一つ歳を重ねると思えばおめでたくはないけれど、ここは義理で、


サワディ・ピー・マイ、新年おめでとうございます


大晦日の夕方、仲間内で飲み始めた。


ビデオ撮りが頭にあったから早めに切り上げ、一旦部屋に戻り酔いを醒まして行くつもりが
ウトウトしてしまい、気がつけばカウントダウン開始40分前。
自転車飛ばしたら15分前に到着と、危うくセーフだった。

昨晩の新年祝い花火ショーはノースから撮った。
過去2回はサウス付近だったので大変な混雑だったが、ノースはそれほどでもないと推測していたらその通りだった。
おかげでチャリンコでも帰路はスイスイ。ナムケーン、ドゥディも所々で新年カラオケやっていた。


さっき周辺を流してみたけどカウントダウン時の喧騒は跡形もない。平和です。
日本の様に社寺にお参りするわけでもなく、正月の雰囲気は全くありません。


新年祝い花火2014(正味7分のショーでした)

2013年の大晦日

1/4が過ぎて疲れも出て来た。
7時に目覚めたが身体が動かない。
昼間は走って夜は飲食の連日だから、これでは残り3/4が持たない。
少しペースを落とそう。昨日まで186km走行。

あと十数時間で2014年を迎える。
昨日はカウントダウン花火撮影ポイントを探しに出掛けた。
遊歩道はテント村と化し、二人が横になって歩けないほど。
花火見物で殺到するポイントに何故このタイミングに設置するのか、タイ人の考えは解らない。
テントが途切れたノースピア辺りが良さげ。
少し南のビーチ・チェアーで寝そべって撮るのも良し。





今年もなんとか乗り切れたかな。
では、来年も良き年でありますように・・・


 真ん前のバーがパーティやっていた(アパート近くのラウンジWから)
 

希望

タラートブッカウでぶっ掛け飯を食べようとチョンプー店の前を通過するとチョンプーとシスターが同時に、「コボリッ」と。
「な~んだ、昼間から飲んで行けなら要らんでえ」
ところが、「バイカーオが昨日此処に来ていたの」
あの母娘はもうこの地には居ないと思っていただけに、これには驚いた。
「そんで、今何処に居るか訊いた?、電話番号は?」
「知らない、そんな話はしなかった」

二人共、オレが作ったDVD実物を見せながら母娘の動静を尋ねた事を知っているはずなのに、一言「コボリがDVD持って来てパタヤに来てるよ」と伝えてくれなかったのか。
それに、昨晩もハース、ハワイアンと一緒に居たのに、その数時間前に来ていたのなら何故その時に伝えてくれなかったのか。

とにかくまだパタヤに居るらしいと推測できたので、「次来たら連絡してくれ、これがオレの電話番号だ」。

あと残り40数日の間に現れるかも知れない。イヤ今回は無かったとしても何年か後に何処かで遭遇する可能性は無きにしも非ず。希望が出て来た。

Mabprachan reservoir - 出発編

これは貯水池の意味で、湖の様だ。

ヨシ、最長の30kmにチャレンジだ!、今日こそ行ってみよう。
朝11時前にペダル踏み出したね。
左折してスクンビットに入った途端、イヤなものを目撃してしまった。
ガシャンという音と共に人とバイクが右斜め前方に投げ出された。
100kmは出してる道と知っていたから後続車に轢かれれたのでないかと一瞬目を背けた。
おそらく後続車に追突されたか、横の車と接触だったか。
後続車も急ブレーキで停車。被害者は道路上に暫く横たわったまま。
数人が道路わきに運んでいたが、外傷は見られなかった。
こんな場合我々外国人はどうしようもない。容体を尋ねることもできないし、精々肩を貸すぐらいしかできない。
更に数人が加わりレスキュー措置していたから、無事であればいいのだが・・・

ナーンプラブワンの交差点まで約40分で到着。
ここまで道程の半分以上来ていることになる。この辺りから車量が少なくなってスーイスイ
進める。この分なら一時間そこそこで目的地到着となるのではないか。


どんなイメージになるか、1本作ってみた。
ところが早速、「一部の国でブロックされています」と表示されている。
BGMが、いわゆる著作権違反というやつだ。
一部の国とは?、日本で再生できるだろうか。

強制送還されたデイブ

14日目にして色黒おばさんがそこに居たが、このおばさんの「あなたが買ってやりなさい」の件以来、印象悪く、苦手なタイプにしている。
でも、ハースがお出でお出でするし、ハワイアンは半年前に飲み合った仲間だから仕方ない、1本付き合うとするか。

ハースは、「何故もっと早い時間に来ないんだ。明日はドリンク奢るから早めに来い」と言い残してチョンプーとこの後何処かへ消えた。
残りは色黒、ハワイアン、オレの3人だけ。

色黒が席を外してる間にハワイアンに訊いてみた。
「半年前に我々はあそこの軒先で飲んでいたでしょう。その時いつも一緒だった片腕のアイリッシュをずーっと見かけないけど、此処にはもう住んでないの?」
「彼はビザ期限後も居続け6ヶ月の不法滞在で強制送還された。今はアイアランドに居るはず」。
そうなのか、半年前にはここに永住すると説明していたが、その時点でビザは失効していたのか。

何日か前にシスターに尋ねたところ、「今月末に戻って来る」と聞いていたが、強制送還だったなら相当期間入国禁止になるはず。タイ人おばちゃん情報もあやふやだな。

加えてハワイアンは、「デイブは(アイリッシュの名前)、この女をワイフとしているが、実はワイフはもう一人のハズを持っている。つまり二人のハズだ。デイブはそのことを知ってない」。

タイではよくある話だな。騙したヤツが悪いのか、騙されたヤツが悪いのか。

この後バー街を流してみたが、もうひとつ乗り気になれず、地元に戻ろう。
途中で屋台摘まみを40B買ってWに着くと、注文してないのに直ぐにビアチャーンとアイスが届いた。
「オレ、まだなーんも言ってないぜ」
「ユーはいつもコレでしょう。用意しておいたの、へへへ」
そうか、もう馴染み客として見てくれてるのか。

本日の走行9km、累計161km。

 

パンクのあと

日中はT-シャツで十分だけど、夕方からは急に冷え込む。
今朝6:40で17度。2階ベランダは足元が冷えます。

ついにやりましたね、貯水湖まで30kmサイクリング。

 
 

道中出会った人々と「家族に乾杯」ふれあいトークもどきも、少し出来たかな。
写真はその人たちの一部。




この項は後日書くとして、

今は自転車がパンクした件を書きます。
帰路、走行が若干重くなった感はあったのだが・・・
LG店をチェックして自転車にまたがったらペシャンコ。
空気漏れかそれともパンクか。
15分ほど歩いてバイク販売店で空気入れたら元通りになった。
そうか、単なる空気漏れで良かった。これで帰れる。
ところが5分も持たずまたペシャンコ。
やっぱりパンクだ。次のバイク屋で修理を頼むと、以前パンクした張ゴムがはがれていた。
修理マンはその張ゴムをはがそうとライターで火を点けたら、
更に穴が広がって修理どころではなくなった。もうチューブを取り替えるしかない。
ここのバイク屋では自転車用は扱ってないそうだ。
なら、次のバイク屋で、次の・次の・・・、結局どこも自転車用は扱ってないとの事。
段々気分滅入ってきたね。あと何キロあるんだ。
歩きました。歩くしかない知ってる自転車専門店に着くまではたとえ暗くなろうとも。

実は、LG店に居る時、Hさんから電話あって「今日は休肝日にしよう」と提案があったから、後で思えば幸い。もし、いつものだったら予定時間に間に合ったかどうか。

結局、専門店に着いたら暗み始めていた。
あとでキョリ測したら7.5kmを自転車引きずっていた事になる。
この際タイヤも取り替えて300Bの出費でした。


 
 
遠出に自転車は不向きなのか。しかし、チャリンコパワーも捨て難い。
必ずまた行くところだから、どちらにするか思案中。

病院行く程ではないけど

数日前この傷は、今は結構な瘡蓋になってる。

原因は酔っ払い運転。わずかな距離の間に2回もこけた。
舗装が途切れたところで1回こけ、アパートの着いてガレージでスタンドを立てた途端、自転車ごと倒れてしまった。倒れついでにこのまま少し休もうと直ぐには起き上がらず横になっていると(この間、多分5分)、ファランと連れのレディに、「are you all right?」と起こされた。

翌日、パクソイで営業やってるパンケーキ屋台のおばちゃんが、「ウーイ、あんた昨夜はだいぶん酔っぱらっていたね」と。


そうか、そんなにフラフラだったのか。
心配してくれて有難う。お礼にパンケーキ注文します。で、作るところを撮らせてもらった。
 

    一句、「自転車でも、なめてはイカンぜ、飲酒運転」。
 

クリスマスパーティ

16時過ぎに着いたら、「遅いわー、もう食い物無いでえ」と言われた。

Hさんが追加で買いに行って鶏肉でBBQ続行。



ちょっと目まぐるしい夜だったかな。
暗くなった頃、前を通りがかった車から「コボリッ」。振り向くとjoshuaとママが居て驚いた。
メールで15日に行く旨知らせていたが、滞在後半に飯でも行こうと思っていたからまだ電話していなかったのでちょっとバツ悪い。
「ポーンおばさんと日時場所を相談して決めたらオレはいつでも、明日でも明後日でもOKだ」と伝えておいたから早速今晩辺りを提案してくると思う。

これを見ていたマイケルさん、
「あんたは英語よりタイ語の方がウマいな」だって。
「そんなことはない。単語を並べているだけ。大切な時はやはり英語だよ」。

佳境の時間になってから突然、ママのRと常連のPが取っ組み合いのケンカをおっ始めた。
Rの気性は半年前のピーター事件である程度知っていた。ガサツなPにはオレは好印象持ってない。
しかし、目の前で取っ組み合い。止めに入ろうと言うとHさんが、
「止めとけやめとけ、あいつらは気が済むまでやらないと収まりがつかんから」。
他のレディが止めに入ったからオレ達は傍観するのみ。女同士の喧嘩はスゴイね。

で、Pが間もなくして去って行った。
ところが、ほとぼりが冷めたのか、Pが舞い戻って来た。
ママと数語話した後、Pは泣きながら、ママは慰めるかのように、お互い抱擁し合うではないか。
ちょっと感動したね。反省する術を知っているから、二人ともエライ。

1時間後、そのPとはAストリートでバッタリ遭遇。彼女ここで働いていたのか。
「コボリ、入ってよ」
「花火のビデオ撮りに行くところだから無理だよ」。

午前中にイベント時間帯を調べにバリハイへ行ったら、プレ花火は20:45-21:00となっていた。
で、時間に合わせて20:40にセントラルピアに着いたら、既に始まっているではないか。
慌ててカメラ取り出し、三脚装着する間も無かった。
結局、20:45には終わったが、此処はタイ。
正確に遂行する日本人から見たらブーイング出そうだけどね。



この後、さあ、夜の徘徊を始めるとするか。
チャリンコでざーっと周回するもどこも、ヒト・ひと・人だらけ。
遊歩道もテント張りの屋店で隙間がない。

なら、アパート近くに戻って寝酒とするか。
いつものラウンジへ、


レディはサンタ・ハット被っていたね。
顔見ながら、「美しい、なんて美しんだ!」と言ってやった。
デヘ―と、レディは照れていた。
「オレはハットが美しいと言ったんだ、あなたのことじゃないよ!」。
レディはプイッ。
腹いせに、「ドリンク奢ってちょうだい!」だと。
からかうと出費を強いられると学習したクリスマスの夜でした。

キス(し)マス

初対面のレディからいきなりそう言われてもね。
それが一人だけでなく何人もから言われると何か、おかしい・・・
そうか、クリスマスの事か。
タイ語のクセもだいぶん知ってるつもりだったが、クリをキと発音するんだな、タイ語は。

仲間と飲食終えて、昨晩約束したチョンプーの店に移動したら、居ましたあのメンバーが。
早速パソコン取り出してビデオ見せたね。
ハースさんは、「これはオレじゃないか、ははは。
これはマルカーノ(本当はマルキンと呼ぶそうだ)だ。」
そして、バイカーオも一緒に映っていて、あの母娘が消えた事を彼らも残念がっていた。

Beatlesを流した。
今日のハモリは「twist and shout」。♭アー・アー・アー・アー、・・・・・・・
ウェンは、「私は日本人と話した事がない。あんたが初めてだよ。ユーは本当にナイスガイだ」と。
そこで言ってやった。
「イヤ、バッドガイだ。何故なら、グッドガイは天国に、バッドガイはパタヤに行くと書いたTシャツを見かけるだろう。オレは今パタヤに居るからバッドガイだよ」
これは結構受けたね。

と、ここまでは夜の話し。

明るい時間帯にまたダークサイド探検に出掛けた(このビデオはロングなので帰国後にアップ予定)。

奥まった方まで行くと車量は急に減り、サイクリングも快適。それに寒いから汗かく程に気温も上昇。
BSに入店。店内暗く、プール一台にファランが一人でやっている。あと二人のファランがお互い離れた場所でレディと話していた。ここは間が持てなかったので早々に退散。

更に進むと、有った。ビアチャーンが40B、大でも55B。値上げはこの辺りまでは浸透していないのかな。
BNも良さそう。入店はしなかったが昼間からファランが多いというのはそれなりの理由がありそうだ。

観察していると見えて来るね。客はファランばかりだけど、ビーチ周辺にたむろする連中とはちと違う。
紳士然とした方や歳も随分召した方達が住む地域と見受けた。



本日の走行:12kmで、累積:95kmとなった。

 昨晩のイブナイト   R-conからMade in Thailand barにかけてスゴイ人出だった。
 
 

クリスマスイブ

ブッカウ方面は久しぶり。と言っても2日空けただけだが・・・

いつもはチョンプーの店手前で左折するのだが、「コボリ」とチョンプーの声以外にファランが手招きしている。irishは今帰国中だから、此処でオレを知っているファランとは誰?・・・
なんとブライアンさんでした。ちょうど一年ぶりの再会。彼らとは毎晩一緒だったからね、覚えていてくれたようだ。初めてのアパート体験、彼らのおかげでアパート生活の楽しさを知ったと言っても過言でない。

「去年は65歳と言ってたから今は66歳でしょう。オレも65歳。お互い年寄りだなあ…ハハハ」
ブライアンさんとはオレの勘違いで、本当の名前はハースさんだった。
それにもう一人若いイングランド人(43歳)もいて、この方もジェントルマンだった。
「オレはイギリスに好いイメージを持っている。ビートルズを輩出する国が悪いはずがない」
すると若いウェンさんは「どんな歌知ってる?」
例えば、「you may say i'm a dreamer・・・・・」。
一緒にハミングしたね。

オレの為にか、ゆっくりと分かり易い英語で話すので助かる。
ハースさんからは「you are good man」と言われてちょっぴり嬉しかったな。

「次はいつ会える?」
「毎晩此処に来るよ」
そうか、では今晩パソコン持って行こう。一年前に撮ったビデオを見せたら喜んでくれるのではないかと・・・

今日はクリスマスイブ
いくつかのバーはイブパーティと称してタダ飯振る舞うはずから明るい内にチェックしておこう。

それに、明日からはバリハイ広場で年末イベントが始まるはず。
打ち上げ花火の予行演習は去年は20:30だったが今年も同じか、スケジュール看板を見ておこう。
そこまで見に行くならその前に釣りを試したいね。
去年はサヨリみたいなのがバンバ釣れていた。オレは投げ釣り用の浮きが無かったので小魚が数匹しか釣れなかったが今度はちゃんと用意してある。明日朝は8時前には到着できる様にしておこうか。

セントラルデパートの中庭には巨大なツリーが、ロイヤルガーデンも2014年のネオンが掛かっていて、南国の年末らしい空気が漂っている。これで3年連続だけどこの雰囲気は中々捨て難い。

そろそろ本番花火ショー撮影のポジションも探しておかなくては。
パタヤ湾が一望できるDusit Hotelの中庭がベストポジションと思えるが泊り客でなくても入れるのだろうか。若しくはMarkland Hotelの屋上も思いついたが、早めに着けば良いポジションに有りつけるかも知れない。

パピーは18日目。帝王切開で生まれ、動物病院を退院したそうで今日が初対面。
 
 

マイケルさんアパート家のパピー。

国際都市

今朝は20度と寒さもちょっぴり和らいだ。
ここまでで終わってくれたら良いが、現在午前10:30。爽やかな風が心地良い。


この街の在住外国人は欧米系が圧倒的だ。

メジャースポットではアジア人も見かけるが殆どが短期の旅行者ばかり。
邦人も短期で、ロングステイヤーはホンの一握り。
外国の地で、しかもロングステイとなるとやはり言葉の壁は大きいのか、Nレストランは邦人村と化している。

が、物は考えようだな。
壁があるからと言って邦人だけで籠ってしまうと折角の国際都市を楽しめない。

先駆のロングステイヤーから邦人同居アパート構想を持ちかけられたが、以下の返信メールを送って、断っておいた。
(自分のを公開するから問題なしだよね)
*************
邦人同居の件一見良さげ、しかし、
日本人だけで付き合うと村社会になる恐れありますね。
村社会に慣れると世間を狭め結果、退屈窮屈を感じる懸念があります。

ロングステイに退屈は大敵です。退屈感じない為には立ち入れるコミュニティ領域をできるだけ広げておく。ことパタヤに関して言えば、私はおばちゃんやファラン相手でも苦になりませんし、むしろインディー・トン・ラップ(歓迎)ですね。
折角の国際都市を楽しまない手はないでしょう。

ロングステイを楽しむ為には間口を広げ、世間を広げておく。つまり、タイ人、ファラン、邦人とも全方位で、節度ある適度な距離感をキープしつつ交流する。
立地物件もこれに則した住環境が望ましい。
な~んて、前2ヶ月トライアルで感じ取りました。
*************

日本人としか付き合えないこの方と昨日論争おっぱじめた。
英語は全くダメ、タイ語も独り善がり語だからコミュニケーション取れない。
故に日本人と、金払えば相手してくれるバー姉ちゃんに相手してもらうしかないのは、
かわいそうと言えばかわいそうだが、他にも問題抱えてる人物と判断し、「もうイイや」と結論付けた昨晩でした。


アップ出来た。
カオノイからカオタロへ抜ける道
(BGM:Mr. Tambourine Man)

19.5km

が、昨日の走行距離。
ダークサイド第二弾としてNernplubwanを流した。

アパートを出発して間もなく手頃な食堂を発見。
何があるのか、飲めるのか、訊いてみようとしたら、向こうから「こんにちわ」と。
「エッ、あなた日本語話せる?」
「少し話せます」
「友達連れて来て飲んだり食べたりしたいがここで出来るかい?」
「ここは料理だけです。ビールはコンビニで買って持ち込みして下さい」

名前はピムちゃん。写真撮りたいと言うと、
「私、きれいじゃないから」
「ルーレーオもう知っているよ」
と言ったら、笑顔で睨まれたね。


PMさん、アパートから5分くらいで歩いて行けます。
もしかすると第三会場になり得るかも・・・


その足でサイクリングへ、
チャリンコは平坦な道なら結構な距離も平気。堪えるのはアップダウンだね。
でもここは無理せず歩くぐらいな感じでやれば相当伸ばせる。
フムフム、寺が見えてきたからあそこを右折だな。ちゃんと秘密のマップ作ってきたから未踏の地でありながらも手に取るように解る。
2軒ほど寄ってみたけど昼のまだ早い時間だったからか盛り上がりに欠ける。
ダークサイドと呼ぶからには時間帯もダークになってが良いだろうな。

昼飯はjoyjoy近くの食堂でここでも分かり易いカオパットにした。45Bと高めだけどその分ボリュームはたっぷり。旨かったね。
帰路は緩やかな下り坂で楽チン。途中でタラートに寄り道したりしてね。

帰ってから今日のコースを測ってみたら19.5kmになっていた。
ツカレ?、心地良い疲れだったね。この分なら30kmも可能かも知れない。
とすると第三弾目コースのレイクまでもチャリンコで行けるかな。
それともバイクにするか、Hさんに100Bレンタルバイク屋を紹介してもらおうと思っている。

ひとつの国際交流

3日前に行われたパーティの主役はドイツ人。彼の誕生パーティとかで、フードは全部奢りと、オレ達はタダ飯にありつけた。
結構盛り上がっていたのでビデオ撮りしたね。


そして編集し終えたので昨夕見せに行った。そしたらカーステンさん(主役)が気に入って、「このビデオ欲しい、メールで送ってもらえないか」と。
「メールではサイズ大きすぎて無理だ」
ここで助っ人タイ人登場。「USBにコピーしたら」と本当にメモリー持っていた。
目の前でコピーして彼のパソコンで再生するとどうもうまく行かないらしい。
そこで提案。「ドイツに帰国してからやってもうまく行かなかったら訊いてくれ」とメルアド教えておいた。


彼が何故このビデオを欲しがったか。それは彼にとって当面最後のタイだったからと思う。
1/1のフライトで二人ともドイツに渡り、隣のタイレディと結婚、ハノーバーで新生活始めると。
彼はまだ現役で57歳。65歳で年金をもらえる時になったら再び居をタイに移す計画らしい。

いろいろ話たね。
タイに来たのは10年前が最初。そしてこれが3回目だそうだ。
「エッ、3回目で結婚? good luck on your future!」

オレが趣味でやっていたのが想い出に役立つならそれもひとつの国際交流、ふれあいではないか。
なーんちゃって。

半年もすると、

人も店も少しずつ入れ替わるのは知っていたけど、ひとつ残念な(オレにとって)知らせが。
それは楽しみにしていたバイカーオがもうこの地には居ないと聞いた。
母親と共にこつ然と姿消したそうだ。

バイカーオの面倒みていた父親代わりのバイタク運ちゃんに訊いても、行方知らずとの事。
せっかくDVD作って持ってきたのに捨てるしかないのか。

しかし意外でもない。母子の境遇を想うと、いつかはそんな日が来そうな予感がしていたから・・・

二期二会で終わってしまったが随分楽しい想いをさせてもらったから感謝しよう。

母娘共に何処かで幸せな人生送ってもらいたいと願うばかり。

ダークサイド

朝夕は本当に寒い。日本の11月下旬くらいか。
でも日中になると初秋くらいと過ごしやすい。

カオノーイ、カオタロへサイクリング、早速行って来たね。
初めてのコースだけどそんな気はしない、何故か?
street viewで見ていたから雰囲気距離感は大体掴めていた。

何処かで昼飯をと思っていたから此処でもいいか。
まずはカーター小父さんが紹介していたRレストランパブへ。
メニュー見せてもらったら、ヒェー高い。
例えば、スパゲティが170B。オレが偶に行くN店は90B(これでも高いと思っている)というのに。
ぶっかけご飯に慣れているとこんなレストランは敷居が高い。
ファランが8人居たね。たぶんイギリス人の溜まり場となっているのか、値段もイギリス並み?
で、食べれそうな一番安いのをオーダーした。



Sバー
ついにこんな所くんだりまで来てしまったか。
ホント本当、何も無い所で、見渡す先にはジャングルが(?)、
ファランの二人連れとオレが同時に入店。
ママのラッタナさんがオレのところにやって来た。
いろいろ情報もらった。こんな時はタイ語が役立つね。
「明日も来てよ」
「何キロメートルあると思ってるんだ、無理だ」



感性は人それぞれ。自分の目で見て、直接聞いて話してみないと生の情報は得られない。
何も無い所が気に入ったから、遠いけど何度か来る事になりそう。

本日のサイクリング距離:13.8km

台北は雨だった

中華航空搭乗&移動記

関空→台北→バンコク
2時間前に関空到着して即チェックイン。出発待ちは喫茶室「金剛」でコーヒータイム。
ここはゴールドカード所有者はソフトドリンクが無料、新聞もあるし時間つぶしには手頃。

A330機は定刻出発で、台北桃園空港に定刻着。
1990年、湾岸戦争勃発は台北到着の翌朝テレビで知ったね。
あれ以来か、ここの空港を利用するのは。

日本発着便は全て第二ターミナル利用だそうだ。
乗継便の第一ターミナルへの移動はスカイトレインを利用。駅まで結構歩いた。
(関空の北ウィングと南ウィング出発ゲートに移動する乗り物とほぼ同じで無人運行)
ここで保安検査受けてあとは出発を待つのみ。機外に出てから乗継ロビーまでの移動は20分程度だった。


乗継便も定刻出発の案内があり、早めに機内に入ったがどうした事か、全く動かない。
結局、1時間近くも機内に閉じ込められたまま、30分遅れで出発。

このフライト、結構日本人搭乗者も多かった。

台北→BKKは3時間40分のフライトでスワンナには当然30分遅れの17:10に着陸。
機外に出るまでの、イミグレ通過するまでの、ターンテーブルで荷物ピックアップ出来るまでの時間を予測すると何とか18時発のバスに乗れそうと楽観していたが、荷物拾えたのが17:55で5分しかない。
税関の前で急ぎ足すると怪しまれる恐れありと、ここだけ普通にあるいて、1階乗り場カウンターに急ぐと18時ちょうど。乗客は一人もおらずチケット売りレディだけ。しまった、やはり間に合わなかったのか。

初日だからね。現地到着が遅れると想像したら損した気分になって来た。


で、「次のバスは何時?」 
レディは「ナウ!、あのバス」と指差したね。
出発直前だった。オレの為に再び荷物室開けて詰め込み、5分遅れで発車。

運ちゃん飛ばしていたね。今度は予定よりも20分早くパタヤ着。
途中下車したところにバイタクや荷物車が待ち受けていが結構高い、100Bとか。

でもここまでくれば、かって知ったる道。わき目も振らずソンテウで10Bと安上がり移動でした。

アパート到着すると管理人が待ち受けていました。

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自己紹介:
還暦になってサックス練習始めました。正確には20年前に志した当時の夢を今度こそ貫徹したいと強く念じつつ、時間のある限り練習に励んでいます。あの響き渡るきらめく様なサウンドが出せる日は来るのか。
きっと来るはず。何かいい事が待っていそうな期待を込めて・・・・・

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