年間通して住んでいたなら生活ペースもまた違うだろうし、どんな面持ちになるだろうか。
そんな一端を感じ取ろうとトライアルをしているが、後で振り返ると2ヶ月なんて短期でしかない。
その短期を効率よく立ち回るにはテーマ―を絞ろう。
今回のテーマは未知の領域ダークサイドの探検と、ふれあいトーク。
あとで調べたら19日も行っていたから、3日に1度は行っていた事になる。
逸る心勇んで最初に訪ねたスポットがSレストラン&バー。
ホントに何も無いところにある一軒家だった。
先客が数人居て、こんな場所にもファランが進出とは驚き。
ファラン同士はワンテーブルで雑談中で、ビーチ周辺にたむろする連中とは違い高齢者が多く、
トークそのものを楽しんでる様に見える。
数年前にホアヒンに行った時、ゲストハウスを紹介してくれたノルウェイ人は昔はパタヤ専門だったらしい。しかし、「あの街は喧しくてクレイジーだ。私は静かなこのホアヒンが気に入って移って来た」と言っていた。オレもそうだが喧騒は煩わしい。だから落ち着いてゆったり過ごせるこうしたエリアに目が向く、というところか。
ラッタナママはオレの席に来て相手になってもらった。
ママに質問、「あのファラン連中はこの辺りに住んでいるの?」
「そう、住んでいます。度々来てくれます」。
オレが少しタイ語を話すと教えたのか、奥で皿洗いを終えたレディもやって来た。
ラッタナは、「私の様に黒いのと彼女の様に白いのとどっちが好み?」
「日本人は色白を好むね」と返事すると、
「テイクアウトしてイイよ」だって。
続けて、この辺りの遊び方とかいろいろ教えてもらった。
そこの部分のトークはカットしてね。
Sレストラン&バーへの道(BGM:酔っぱらっちゃった)
帰国後一記目に、「ロストバゲージ」で、「小さな親切大きなお世話」と書いてしまったが、
「親切」と判明しました。
というのは、バッグカバー側の小物入れにプリント物を入れていたが、インクが滲んでいた。
積み替え中に雨にさらされていたと推測出来る。ナイロンカバーはやはり親切だったと理解したね。
早とちりしてはイカン。
友・レディ・お店
仲間との会食席に見知らぬレディ達が居た。
初対面なのにこのレディ達、いやに馴れ馴れしく構ってくる。
当初はフレンドリーと映ったが・・・、
次も、その次もレディ達は同じ顔ぶれが集まる。
この人達、何者?、ホステスさん?
やがて、ホステスではなく、強いて言えば客、いやフリーランサーらしいというのが判ってきた。
客人同士ならお互い干渉せずに飲んでいればいいのだが、やたらチョッカイ出して来る。
「コボリ、飲んでますか!、ギャハハハ!!!」とハイテンション。
いつもこの調子では、初期のフレンドリーは消えてしまい、段々ウザくなって来た。
そして、ガサツに映る。
多国籍が集まって来たりしてそれなりに楽しめた所ではあるが、過渡期のお店だったかな。
友は選ぶべし、レディも選ぶべし、お店も選ぶべしというオレの持論は固まりつつ・・・
独断、偏見です。
半年後に3人組みは居なかった。
代わりにアイルランドからのデイブやハワイアン、ノルウェイなどと知り合えた。
観察すると、ブッカウから東方面はロングステイヤーのエリアらしく、同じ輩を見掛ける。
店先は変えても大体が近場を徘徊しているみたいだ。
で、顔合わせる内に自然にハローとか言い合えるようになったね。
中には「座らないか、一緒に飲まないか」とシグナルを送って来る人がいる。
彼らも基本的にすることの無い日々を送っているから、いつも同じメンバーで同じ話よりも、
偶には毛色の異なる人種とも接したいのだろうか。
有難いことにはオレにも分かる言語を使ってくれる事だね。
中には母国で話すスラング交えた言葉を投げかけてくるとさっぱり分からない。
仲間と会食を終えてもまだ早い時刻。これから何処へ行こうか。
今までならバー街へ繰り出していたが、何処へ行っても同じでは飽き気味だ。
そうだ、あそこへ行こう、あそこなら誰か居るはず。そこにはやはり誰かが居た。
この地に住む外国人は圧倒的にファランがマジョリティ。
この人達とも接するのが自然だろうな。
こうして、もう一つのコミュニティが生まれつつあった。
今回滞在日数の半分以上は通ったARN村のWも常連ばかりの店。
その内にお互いに、「ヤー!」を交わすようになって、席を一緒する事もあった。
これだ、コレこれ、バーで無駄金落とすよりこっちの方がよっぽど面白い。
臆する事無く接すればファランとも知り合い友達になれると知ったね。
そして、自分の溶け込めるコミュニティを持つ事、居場所がある事が如何にポイントか。
ロングステイはこれが無ければ退屈極まりないし、続かないと思った。
もしもアパートを紹介してくれたsomが居なかったら、それがPアパートでなかったら、そこに紳士なイギリス3人組が居なかったら、オレも日本語以外に喋れなかったら、
こうしたコミュニティに在りつけなかったのではないか。
その意味では運が良かった。
トライアル5ヶ月滞在の感想として、要は自分のリズムで、自分の馴染めるコミュニティを持つ事が快適なロングステイ送れるコツかと思っている。
2歳半当時のSomの息子Joshua。
今は7歳だが、この時を覚えていると言ってた。
プチ・ロングステイはこれまで、1ヶ月、2ヶ月、2ヶ月と計3回、5ヶ月を過ごした。
初回の1ヶ月は仲間に恵まれたおかげでアッという間に過ぎた。
次の2ヶ月は時間は倍ある。膨大な時間を如何に過ごすか。
暇潰しにサックス持参したが、結果的には無用の長物だった。
そして直近の2ヶ月はある程度ペースも分ってきたから、自分也のプランを練った。
そんな経験を通じて、長丁場こなすには・・・、
プチ・ロング始めるまでは、図体のデカイ金髪野郎はいったい何を考えてんだか程度にしか思ってなくて、ファランとトークなんて想像すらしなかった。
Pアパート初日の深夜、ガーデンでビールやっていると金髪が近づいて来て、「あいつら全くクレイジーだ」と呟いた。
ランドリー軒下で騒いでいるのを知っていたから、そこから出てきた彼に、「あなたも一緒に騒いでいたでしょう、クレイジー仲間じゃないの?」と返すと、「オッ、そうだったな!」と笑った。
「日本人?、話せる?」
「ほんの少しだけど」
で、「今日来たばかりでアパート体験は初めて。1ヶ月滞在する」事など、自己紹介した。
彼もこのアパート住まいで同じ2階フロアーと言っていた。
初めてトークしたファランがこのマルキンさんで、ロングステイ予備軍と自称するオレにいろいろとアドバイスくれたね。「タイで不動産は絶対に買うな、必ず騙される。女にも気をつけろ、財産を失った多くの同国人を見てきた」等々。
この日以後、バー徘徊から帰って寝酒はガーデンとすると、そこには決まってイギリス人3人組、
マルキン、ハース、グラハム小父さんと、チョンプーおばさん達が居た。
住人は他にもいるのに、集まるのは何故かこの人達とオレの5,6人だけ。
毎日顔合わせる内にお互いのパーソナリティも分って来るようになる。
グラハム小父さんは面白かった。
「明日は無いと思え」とか、「齢だから薬が必要だけれどバイアグラは効かない。私にはインドネシア産の薬がピッタリでネットで注文したが、(ここで部屋に戻ってインボイスを取り出してきては)、ホラ、この通りにマネーは送ったけど物が届かないんだ」とかね。
ハースも、「昔は毎晩バーへ通っていたがレディスドリンク含めると高くつく。そんなに金持ちじゃないんだ。ここで飲んでる方が良い」と。
話している内に、「そうか、考えてる事はファランもオレ達と変わらんではないか」と思えてきた。
オレ程度でも結構通じるなら構える必要はない。
こうしてアパート生活の楽しさを教えてくれたのがこのファラン達だったから、良き出会いだったと思っている。
この頃はまだ、パラサイトおばちゃんやフリーランサーには気付いていなかった。
そして、半年後。初の2ヶ月滞在を経験してハッキリしてきた事がある。
それは、長丁場をこなすには自分也のコミュニティを持つ事が肝要という事。
2012.12.25.バイカーオとマルキン、オレの3人で、ガーデンにて。
(未承諾に付き近々削除予定)
●お相撲さんの居る街
3月場所に入ってからほぼ毎日すれ違う。
あんなのが二人で横になって歩くと歩道は占拠されてしまうが、そこは教育されているのか
大概が一人で、二人連れでも真横に連れだっている事はまずない。
一昨日だったか、引退した高見盛とすれ違ったが、彼は上背もあってやはりデカかった。
●免許証更新申請
に行って来た。
一年半前のパスポート更新の時もそう感じたが、5年前の写真と見比べるとふっくら感が減少していて、爺さん顔になりつつあると思うこの頃。
●2014年10分前
あの感動から早3ヶ月近くになろうとしている。
前回はノースから。その前2回はサウスから撮ったが、次はバリハイの背後、つまりview pointからと考えたりもするが、帰りが大変だろうな。
2014年10分前のビーチ
カウントダウン後のビーチ
所々に瀟洒な邸宅があるが、わずかに岸辺で釣り人や広場でくつろぐ人々が居た程度で、
道端では人々は殆ど見かけない。
ビーチ周辺の喧騒しか知らない者には想像もつかない風景だった。
レストラン・バーが点在していたが、総じて高めだからファラン向けだろうな。
でも、(昼間しか知らないが)採算とれる程の客入りあるだろうか。
喧騒に飽きたらこんな所に住んでみるのも一興。
もし別荘持てるならこんな場所に・・・夢のまた夢か・・・
4:15頃、赤い鳥居の先3km程行くとゴルフ場siam country clubがあります。
今回はLPGA大会直前に帰国したが、いつかは藍ちゃんら日本人選手を応援に行ってみたい。
(BGM:Children's Dream played by Kaori Kobayashi)
来冬分を先走って予約したが、今夏分も確定させた。
いつもの事だが、最終画面で「確定支払」をクリックする時は緊張する。
日付間違ってないか、フライト間違ってないか、ホントにこの期日でいいのか、等々とね。
エアアジアで37,323円だった。
これが高いか安いか。
実は、もっと安く買える方法もあります。
それは、年数回あるbig sale中に運良くありつけると、1年先を先買いするならという条件付きだけど往復3万円を切る価格で買える。
要領も分ってきたから次回big saleでは来夏分も先走り買いするかも・・・
チャリンコの話
今回走ったのが総計611km。
前回はデーター取ってないけど感覚では500kmは走ったと思うから、4ヶ月で延べ1000km以上を1500B(本体1000B、タイヤチューブ交換、修理等)で楽しめたとなればコスパは十分で、元は取れている。
終盤の頃、さてこのチャリンコどうしようか。
処分しても構わないのだけど、まだ使えそうだ。
ダメ元でアパートオーナーに尋ねてみたら預かりOKだと。
(この状態でガレージに置いた)
ガレージにはいつも3台が駐輪してあった。1台がオレので、2台がファラン所有らしい。
街中でも結構チャリンコで走っているのを見掛けた。
中にはスポーツタイプでスイスイ走っていたから20km以上/時速は出していたのではないか。
あんなのはいくらぐらいするものかと調べに行ったら、チェンジギアー付が3500Bであった。
次に買い換えるならワンサイズ大きい26インチの、そんなタイプにしようと思っている。
チャリンコに拘るのは、なんせ便利だから。
スクンビット以西、ノース・サウス間の生活圏移動ならこれで十分。
おかげでソンテウには今回も一度も乗る事は無かった。
プチ・ロングステイにパソコンとチャリンコは欠かせなくなった。
Mabprachan reservoir南東付近(BGM: Stop the Music played by The Ventures)
駐輪で罰金取られて以来、近くの家電量販店に置くようにしている。
そこに行くのはいつも府立体育館前を通るのだが、名称がボディメーカーコロシアムとなっていた。
命名権っていうやつか、ヘンな名前!
オールド世代にはやはり、「大相撲3月場所府立体育館」がピンと来る。
ポーンおばさん流、タイ式ホスピタリティ
4人でシーフードレストランに行った時の事。
ポーンおばさんはトムヤムクンを鍋からすくって装ってくれる。
クンをひとくち食べたらクンを補給。マッシュルーム食べたら直ぐに補給。
その間ずーっとペチャクチャ喋りながら、「美味しい?、もっと食べる?」等々。
そう気を回されるとこっちが気疲れする。
こうした場合、ポーンおばさんに限らずタイ人はハイテンションだから、調子合わせるのが大変。
これがタイ式ホスピタリティなんだろうけど、本音洩らせば静かに食べさせてくれと言いたい。
最初に会ったのが7年ほど前。そん時は40代始めと言っていたが、相応に見えていた。
半年前にミュージックバーに一緒した時は、実は50歳とバラした。
そして今回、「お前さん、本当は幾つなの?」
「57歳」
オイオイ、半年で7歳も歳とったのかよ。
でも、そうは見えない。現役で働いている所為なのか。
ポーンおばさんは職場とアパートの往復だけだから、この街はあまり知らないとの事。
「コボリの方が詳しいから案内してもらおうかしら」と言っていたが、
おばさんが一番楽しい時間は、友達と食べて、飲んで。お喋りしてる時、だそうだ。
ビッグポーンはプーケットへ行ってキャッシャーやってる。デーンはテキサスに行った。
somが年央にイギリスなら旧知の知り合いはこのリトルポーンだけになってしまう。
う~ん、時は流れる・・・それぞれにみんな歳とったという事だろう。
(2007.4.29)ポーンおばさんと初対面時、ナクルアにある中国寺院のなんたら慰霊祭に(無理やり)参加させられた。
そして今回、確かあの辺りだったとウロウロしていたらありました。
ランポー公園タラートから東へ歩いて5分の所に。
エアアジアのビッグセールでプロモーション価格が総額で33000円台とあった。
クアラルンプール乗継は空港間移動を含めると時間掛かってあまり乗り気になれないけれど、安さに惹かれてついつい買ってしまった。
まぁ、1ヶ月分アパート代相当が節約できると思えば、多少の遠回りは我慢しよう。
まだ10か月先の事だけど、これで4年連続カウントダウン花火に参観できる事が確定しました。
30kmコース3本を
こなした。
2本はmabprachanコースで、1本はmimosaコース。
この中で最も楽だったのがmimosaコースで、理由はアップダウンが少なかったから。
mabprachanコースもシンドイという程ではなかった。何故なら、坂は押して無理せず流れに任せたからと思う。この方法なら40kmも可能と思われる。
平均では時速12kmぐらいかな。40kmなら3時間強か。いけそうだ。
12/27はふれあいトークを楽しみながらやったから片道2時間ほど掛けた。
2/2は道草せずに進んだら1時間15分で到達。
都度ポイントで、「ただ今何時何分、○×を通過中」とレコーダーに記録しておいて、整理してマップ上に記すとこんなのが出来た。
後年ふり返ると、「あん時はこんな事やれていたのか、まだ体力あって若かった」になるだろうか。
Mabprachan riservior南西付近 (BGM:simon says)
翌早朝のフライトに備えて夕方、バンコクに着いた。
素泊まりでいいからとMホテルを予約していた。
ところが、800バーツの部屋はベッドが半分占める程と狭い。
クローゼットも無し。ロケーションが良いだけに、このエリアでは800ならこんなもんか。
まぁ、寝るだけだからいいや。
wifiはロビーと、レストランで使えるとの事(部屋は不可)。
ガーデンレストランでメシ食いながらネットやっていると、画面に興味を示したファラン顔の坊やが、「タムアライユー何してんの?」とやって来て、チョコあげると喜んでいた。
喰い終えると近くのジャーマンビアへ。
ここも昔はよく遊んだところだが、この日は客入りは少なかった。
ここもビアチャーン小瓶が95Bとなっていて、パタヤの50Bに慣れているとスゴク高い。
ホテルに戻る道の両脇には怪しいネオンが・・・
それらしきレディが待機しているところから・・・、想像した。
デモ隊に遭遇
久しぶりのバンコクだから懐かしいところをあっちこっち周りたい。
カウボーイに向かうとsoi 19でバリケード張っていた。
バリケードに入るには手荷物チェックされる。
「なにも無いよ、このデジカメぐらいだ」で、通してもらい進んだ。
その先から巨大なスクリーンと、ガンガン音が、
アソク交差点は東西南北半径100M以上に亘り占拠状態だった。
老若男女がリーダーの演説に呼応して気勢上げている。
テントで寝泊りしているのか、ペブリ方向にはドームも出現している。
シャットダウン作戦から1ヶ月でまだこの状態とは、
大動脈がこんなマヒでは経済的損失も大きかろう
明日の空港行きはスクンビットでタクシー拾うからsoi19で左折だろうなと想像していたら、
その通りだった。
元を質せばインラクが実兄のタクシンに恩赦を与える法案を上程したのが発端。
縁故、側近、身内政治がまかり通るタイの政治。
選挙で勝つには勝っても、数で押し切るほどタイの民主主義は熟してないと思う。
インラク首相も首相府を離れて、新たな執務室は明らかにしてないとか。
このアソクから北へ3km程離れたラチャプラソン交差点が激しい。
爆発物で幼子の犠牲者も出て来たとなれば、政変の声が聞かれるのも、そろそろかも・・・
2014.2.11.午後9時頃のアソク交差点の様子(0:49頃がBTSアソク駅方向)
帰国数日前に東京都心は45年ぶりの積雪で、空港が麻痺とニュースが流れていた。
間もなくそんな寒い所へ帰るんだなと思うも、そんなのは覚悟できている。
実際に関空に降り立った時は6度だったけど心構えはできているから堪えなかった。
そして帰国2日目の朝に窓越しから見えるのはボタン雪で、屋根道路には積もっていた。
この雪景色も、偶には好いものだと思う。
ところが予期せぬ寒さには堪えたね。
南国のこの地でこんな寒気に包まれるとは思ってもいなかった。
12/21のパーティーの夜、マイケルさんやオレも半そでに短パンで、
ブルブルしながらもなんとか過ごせた。
ところが、ゲーオちゃんは辛抱堪らんと厚着を取りに帰ったから、
タイ人にとっては我慢できなかったろうね。
方やフィンランド人は、国は今時期マイナス31度だからこんなの暖かいとのたまう。
連日の寒さで、夜は長ズボンにジャンパーを重ねる事もしばしば。
おかげで、風邪ひいて3日程ロスしてしまった。
動き回れて防寒着兼用のトレーナー類が来期以降は必須かも。
帰国2日目に我が家から見た雪景色(2014.2.14.午前9時前)
帰国から早10日が過ぎて、パタヤが遠くなりにけり。
いつもながらタイモードからジャパンモードに戻すには時間が掛かる。
滞在中、よく働いてくれたノートPCが帰国と同時にダウン。
というのは、バンコクを飛び立ち後、機内で起動したらUSBマウスが動かず。
帰宅して電源入れると今度は充電ランプが点灯せずと、ついに入院(修理出し)させて一昨日
退院してきました。
ハイビジョン編集はwindows8が欠かせないから、これが無ければ先に進めない。
で、撮ったビデオ3時間と写真660枚を基に、日記メモと照らしながらボチボチ再開しよう。
ロストバゲージか
関空には定刻に着陸。
ターンテーブルに排出されるバゲージを待ったが、オレのが中々出てこない。
疎らになったところで係員に尋ねた。
「私のバッグが出てきません」
「どんな形状ですか?」
「かくかくしかじかの・・・」
「では、見てきます」
カーテン裏に行って戻ってきて、
「残っていませんでした」
ターンテーブルから降ろされてまだ引き取り手がないバッグが床に3個あった。
係員が、「この中にありませんか?」
一つに半透明ナイロン袋に収まっている形大きさが似ているバッグがあった。
で、結び目を解いてみると、なんとオレのではないか。
いったい誰が何の為にナイロン袋を?
像想していなかったので全く気付かなかった。
確かに台北空港では雨が降っていたが、それなら他の人のもそうしていたはず。
誰かが小さな親切でやったのなら大きなお世話だったね。
遅くなるほど外は冷えてくるから気は逸っていたのに、これで電車2本は遅れた。
初和食は関空からの帰路スーパーに寄って、肉じゃが70B、餃子80B、牛丼80Bの占めて230Bを買って家路に着いた。
(2ヶ月も居るとバーツ建てで考えてしまう)
ドアー開けてブレーカー上げると電気は点いたが、ガスは一旦停止手続きをしていたから使えない。
当初の帰宅予定時刻が午後2時頃だったから5時頃に点検供用開始となるよう出発前に手配していたが、予定機がフライトキャンセルで数時間遅れた為に点検立会いに間に合わなかった。
この時期に湯が使えないなんて、と思っても今の時間からガス屋さんが来てくれる訳でもないし、
でも電気だけでも使えてよかったよ。チンしてなんとか食べれたし、暖も取れたからね。
ライフラインとはよく言ったもの。
電気・ガスの有り難味を知った。
雨の台北桃園空港に着陸寸前(2014.2.12.午前11:50頃)
最後の朝を迎えた。
午後には当地を離れてバンコクで一泊し、明早朝の空港行きに備える事にした。
ここに居られるのもあと数時間。
最終荷造り終えたら、見慣れた(見飽きた)光景ではあるが、周辺をひとっ走りしてからおさらばすることにしよう。
昨日、ピムちゃんに帰国の挨拶に行ったら、次来るときにソーメン・ツユ・ラー油を、お金払うから買って来て欲しいと頼まれた。
スティーブは4月にイングランドに帰り、スタートさせたばかりの店はアンに任せて、8月に戻って来るとの事。「また会おう、ナイスな出会いだった」と彼は言っていた。
いいねえ。彼らはアジア人を見下しているという邦人もいたが、少なくともスティーブはリスペクトを持って接してくれた英国紳士と映る。
夕方にはsomママとjoshuaが会いに来てくれた。
ビザ関係が順調なら母息子はイギリスに渡ってしまうから、次に来た時はもう居ない可能性が大だが、この日の話では5月はまだ此処に居るようだ。そして2年でまた戻って来るとの事。
joshuaには、「オレがイギリスに遊びに行った時はテイクケーしてくれよ」と頼んでおいたが、今の齢ではピンときてないようだった。
今はテキサスに住んでいるデーンとsomとの電話に、共通の話題として時々オレの名前が出てくるそうだが、こそばゆく感じる。
そしてsomからは、「私達これからもずっと友達でいましょうよ」と、暫しのお別れとしたが感動的な時間だった。
ハースは居なかったので、シスターにオレのメッセージ託した。
ウェンもおらず、パットにメッセージ託した。
する事(挨拶)終えたらスッキリしたね。無性に飲みたくなった。
で、最後はやっぱりWへ。
ワンダおばちゃんにも挨拶。
ここでは初めて日本人と会った。近くのコンドーに宿とっていてソンクラーン明けまですむそうだ。
何度か顔合わせた程度のちょっと怖い感じのスキンヘッドファランが来た。
お互いに、「ヤー!」。
「オレ、明日日本に帰るんだ」
ファランも、「オレも明日イギリスに帰るんだ」と。
「コレ食べないか」と差し出してきたのが虫の揚げ物。
「遠慮するよ」というとこのファランは自分の口に放り込んだ。
とにかく、今回もなんとか無事で、有終の美で結べたかな、と自分では思っている。
明日は寒い日本か。
大阪の予想最高気温が9度なら、自宅に着く夜には5度くらいになっているかな。
想像しただけで身体がブルってきそう。
暖かい南国で頭も身体も弛緩しきっているから、風邪には気をつけないとね。
2ヶ月旅の垢を落とした頃には、また想い出話で再開しようと思っている。
少し休みます。
行き先変更してバリハイ岬へサイクリング。
その足でプラタムナックを坂越えして紳士の殿堂キンナリーへ行って来た。
帰路タプラヤロードはほゞ下り坂で楽チン。
このコース16kmと、これで600km超えた。我ながらようやるよ、この歳で。
帰国前カウントダウン始まっているから思い残し無い様にしたかった。
そのひとつが、久しく無縁だったウォーキングストリート。オーソドックスにhappyに入店するとほぼ満席。ファラン:アジア人は5:5若しくは、4:6でアジア人が多い。そのアジア人は殆どが日本人と見たが、この地で唯一日本人が幅を利かせられるスポットか。
店内もマイナーチェンジしていて、バーファイン700、レディースドリンク130Bと値上がっていた。
少し間を空けるとこれだからね。
最後はまたもWへ
いつになく賑わっていた。タイレディにファランおばちゃんが踊っている。男も加わって、その内ワンダおばちゃんがオレにも踊れと催促したが、もうそんなパワーは残っていなかった。
アパートの戻ったのは0時過ぎていた。
今朝は最後の洗濯。夕方には乾くだろうからそれを待って荷造りしよう。
今日の内に今回知り合いお世話になった方、食堂のおばちゃん達、夜にはハースやウェンにパット、スティーブにも帰国の挨拶に行こう。
終わってみれば2ヶ月なんてアッという間
イヤな事や楽しかった事、感動も、今回もいろいろあった。
何も無いのは一見良さげ。でも、それでは面白くないから、終り良ければ全てヨシとしよう。
最後の日曜日を静かな朝で迎えた。
と言うのは、平日は毎朝7時頃から学校のスピーカーから大音量が流れて来る。
8:05頃から国歌斉唱が始まり、授業内容によってか、その後も延々と続く場合もある。
始めはウルサイと思っていたが慣れだね。国歌のメロディがすっかり頭に入った。
好いメロディだと思うよ、タイの国歌は。
ライブバーは昨夜で6日連続で入店。
レベル的にはお金を払ってまで聞きたいとは思わないと昨晩一緒した音楽に造形深いOさんと意見が一致。ただ、知ってるoldiesが流れると自然と聴き入るね。
600超えなるか
昨日昼間のダークサイドサイクリングが8.8km。
夜のライブバー徘徊などで約5km移動して、今時点での累計距離は584kmとなって、600間近。
例えば今日辺りmabprachanへ一っ走りすれば一気に超える。
残ったチョコ1枚半を前籠に積んで、ラストランやってみようかと思案中。
ただ今、またカオノイのstar lightに来てこれを書いています。
その前にダオカフェに寄ったけど、あの子供たちは居なかった。
特に行く当てはないけれど、当分の見納めだからね。
何度も走ったこの道を目に焼き付けておこうと思っている。
このあとはカオタロを抜け、途中のBN辺りで一杯やるかも。
14:38、star lightにて
ブログも連続55日書いているが、都度題材を思いつくもんだと我ながら思う。
それは毎日なにがしらの変化があるからで、その変化を求めてやって来たから題材に困る事はないけど、ただ滞在疲れと相まって書くのがシンドクなって来たのも事実。
でも、こちらで書けるのは泣いても笑ってもあと4回だから、最後のひと踏ん張りとしようか。
帰国後はしばらく休みたい心境。
ミック・ジャガー似
今宵の寝酒もWにしよう。
着くといつものカウンターには初見のファランが座っていた。
注文を言わなくても持って来るレディが、「あっちの席にする?」と目配せすると、そのファランが、「こんにちわ」と。
「一人?、一緒いい?」。
オーストラリア人と自己紹介し、「国ではトヨタ、ホンダ等日本製品で溢れている。どうしたら日本は優秀な製品を作れるんだ?」等、外人特有の褒め殺しっていうやつか。
その内、ファラン二人組が入って来た。で、瞬間思ったね。アッ、ミック・ジャガーだ。
左からオーストラリア、国籍不明、ドイツ、スウェーデン(ミック・ジャガー)で、
国籍不明以外はみんな初対面。
0:17頃にmick jagur, look at meと言っているのはオレです。
(承諾得てないので、数日置いて削除予定)
ライブバーからの帰路、ハースがチョンプー店を後にしてるところでバッタリ。
ハースが、「最近来ないな。奢るから明日早い時間に来いよ」と。
で、6時半ごろ行ってみたらシスターが、「散髪に行ったきりまだ戻って来てない」と。
「そうか、あとで来る」と言い残して、その間に邦人仲間とビール1本。
7時半ごろ行ったら居ました居ました、ハースと新顔ファラン、それにウェンの3人が。
ウェンとはあれ以来で、とても気にしていて、後悔の気持ちを伝えてきた。
「もう終わった事だ。せっかくハースが奢ってくれるのだから、忘れて楽しく飲もう」。
でも、ウェンはその間にもare you all right?を連発していた。
ウェンは現在失業の身だから長居している。来月帰国したら職探しから始めると言っていた。
ハースとチョンプーは10年以上も付き合っているそうだ。彼も年1回、次はnovemberに来タイの予定とか。そして二人共この界隈に宿をとるそうだから、お互い健康体である限り、一年内にまた再会できそうだ。
ウェンとはちょっとした事はあってもたったそれだけ。「雨降って地固まる」で、友情が続けられるパーソナリティと見た。
新顔はニューヨークからで、ドクターと名乗っていた。なんでも千葉大学で教えた経験があり、片言日本語も発してた。
ファランに奢ってもらったのは初めて。
日常ではあり得ない国際親善がここでは日常茶飯。好いねえこんなの。
誰がなんと言おうとも今後も、ファラン、おばちゃん、邦人と、全方位で付き合いたいもんだ。
ただし、フリーランサーおばちゃんには気をつけろとは学習したよ。
フライトキャンセル
中華航空から、「搭乗予定便がキャンセルになった。ついては同日早朝発便に振り替える」と
メールがあった。
そうなら前日BKKで一泊か、同日未明にタクシーチャーターして空港直行とするか二つに一つの選択肢しかない。
総合的に勘案してタクシーチャーターする事に決めた。
これで、あと5昼夜過ごせる事になった。
ほゞ2ヶ月滞在して、正直言えば疲労感もある。
この地に慣れてるとは言え、よその国であるし、我が家でもないところから致し方ないか。
これで、2ヶ月滞在を2回体験した事になる。
過ごし方、ペース配分にも考慮しながらやって来たが、次は?
2ヶ月は長すぎるような、1ヶ月では物足りないような・・・
桜の頃には輪郭が浮かんで来るだろうか。
今滞在初めて散髪した。
日本なら仕様あれこれ聞かれるが、此処では「短くカットしてくれ、任せる」と伝えたら、刈り込み入れてタイ人スタイルになってしまった。
70バーツにチップ10プラスして80B。円に換算すると250円か、安いな。
ピムちゃんとこに残してあったビール1本を飲み乾してきた。
ピムちゃんに、次来るときはソーメンとつゆを買ってきて欲しいと頼まれた。
日本に7年も住んでいたというからソーメンが好きだっただろうな。
ディスコに連れてって
3夜連続でライブバーに行って来た。
前2夜は道端カウンターに、今夜は中席の口パクレディのカウンターに着席。
レディが、「日本人でしょう?」
「メチャーイ、ペンコンヨーラマン、いいえ、私はドイツ人です」と、見え透いた軽いジョークで始まった。
レディの名前はサーサちゃん、30歳だって。
その内、左と右のレディも寄って来たりして、「アジア人は相手にしないのよ」とは大違い。
結局コミュニケーションが取れたからだと思う。
驚いたことには2日続けでオレがチャリンコをあそこに止めてあのカウンターに座っていた事を知っていたというから、レディ達は客の動きをちゃんと見ているという事か。さすがプロフェッショナル。
サーサちゃんにディスコに連れて行けとせがまれたけど、タイ人のそれは留まる事を知らない、当に踊り狂うというのを知っているから、「オッガートナー、次の機会に」として置いた。
顔見知りになると集られると知っているから今晩はどうしようか。
セントラルの、昔ドルフィン像があった辺りでこんな飾り付けがあった。
マイクモールのビーチ側でやっていた。
2月に入って寒気も去ったようだ。
6:30で23度、昼は直射日光が射さないベランダでも30度まで上がるから、直射下では体感35度くらにはなっているだろうか。
今季節日本の一桁気温を想像すると、・・・ここは天国に思えて来た。
そんな暑さの中、チャリンコ漕いでジョムティエン発空港行きのバス予約に行って来たが、
3日前から受け付けるとの事で、徒労に終わった。
チャリンコは少々の距離はなんのその。堪えるのはアップダウンだ。
で、帰りは比較的フラットなテップラシットからスクンビット経由にすると、遠回りになるもこちらの方が楽だった。
またwonderfulに行って来た。
昨晩の口パクシグナルレディは見えず。
仕方なく昨晩と同じ位置でライブバンド聴きながら一方、ファランとレディのコミュニケーション取り方や間合いを観察していた。
で、思ったね。
「私らはアジア人は相手にしないのよ」って書いたけど、あれはオレの勘違い。
始めからドリンク奢ってワイワイやれば相手してくれる。
ただ、ドリンク奢りたくなるようなレディは中々見つからないから敬遠してただけだ。
客もいろいろ、レディもいろいろ・・・
いつの間にかあのレディを発見。昨晩と同じカウンターでファランのドリンクにありついていた。
割って入るわけにいかず、もう時間だなと思った頃、レディと視線が合った。瞬間see you tomo・・と口パクすると、レディもsee you、と。
南国の夜は、「酒とレディに、ミュージック」、
これかなあ。
仲間との会食終えたのは手頃な時間だが、南国の夜は長いから部屋に直行するには勿体ない。
まずaction streetに行ってみた。う~ん、閑散気味。
隣のR-con blue oceanがある2階建てのバーも訪ねてみたが、2階は全店閉店。1階も超閑散としてた。
この類のバーは何処も同じでパターンが読めるから無駄にマネー遣う必要もなかろう。
そうだ、レディはもう要らないから、今宵はライブミュージックに入り浸ろう。
こんな時チャリンコは便利。Uターンして5分でwonderful 2に到着した。
いつもは満席なのに、この時間は2割程度空いている。
1年前までは度々入った店だが、客筋はほゞファランオンリーで、アジア人はまず見掛けない。
いつも満席に近かったからレディも忙しく、「私らはアジア人は相手にしないのよ」にオレには映っていた。
前方カウンターの中に眩いレディが2人ほど居たのを知っていたが、listening to musicに集中のつもりで、この夜は敢えて道端に面したバンドが正面に見渡せるカウンターに陣取った。
しかし、その眩いレディの一人が、「こっちの席に移って来ない?」とオレに向けて口パクでジェスチャーするではないか。こんなの初めてだ。
で、この時印籠を取り出して、「アライナ、何ですか?」とやったら大受けだったね。
印籠とは何を隠そう、デカ耳の事です。
移ってもいいのだけど、ドリンク奢れ、あとの話も想像つく。
(眩いレディを隠し撮りです)
観察していると、レディはカウンター毎に担当しているみたいで他のカウンターに移動できないようだ。そうか、それで手招きジェスチャーなのか。
暫くARN村に籠っていたから、久しぶりに華やかな世界に触れると初期の頃を思い出して血が騒ぎ始めた面持になったね。
そのARN村に戻る途中、後ろから「コボリ」と。
振り返るとAちゃんではないか。
オレ達がまだあそこで飲んでいるではとやって来たそうだ。
「なら、あそこで飲もうではないか」と、この夜の寝酒はまたもW店となった。
彼はその後soi 6に向かうと言っていたが、そこら辺の話しを次聞かせてもらえるだろうか。
(Aちゃん、こんな事書いても良かったかな?)
で、残すは全昼夜過ごせるのは今日を含んで一週間しかないから、村も華やか世界も思い残すことなく堪能したいな。
だったら今夜も行ってみようか。
その時、満席でまた「アジア人は相手にしないのよ」になるか、「アラ、また来てくれたのね」になるか、その後の展開は、オレにも読めない。
バンド前に大柄ファラン2人が論争していたのでカメラを上に向け、音だけ拾った。