二日続けて朝から晴天日。
昼頃までビデオ編集とブログ原文で時間掛かった。
遅めの昼飯をタラートブッカウのぶっ掛け飯にしようと向かったが、取壊されて更地になっていた。
一昨日は此処で食べたから、たぶん昨日一日での工事だったか。
早い・安い・旨いと三拍子揃っていたので重宝していたのに。
いつもの所にマイケルさんがいたが、何かふくれっ面。
どうしたんだろう、あれでは寄り難い。
一緒に居たヤーオさん(ジェラードのガールフレンド)が、「コボリ、友達はあそこのコーヒーショップに居るよ」と言う。
そこにはジェラード、大男、小柄のスウェーデン人の3人が居た。
ここで初めて大男の名前を尋いた。オーストラリア人と思っていたが、イギリスのポーツマス出身で名前はダーズさん。昨日は独演会だったのに今は何とおとなしいしい事か。
ジェラードが、「コボリ、I need your help」と言う。
コンピューターが壊れ掛かっているので、ファイルを全部ハードディスクにバックアップしてくれないか。ビール奢るから」と。
早速部屋に入ってスイッチオン。
見ればディスプレイに縞が入っているが、これはたぶんディスプレーだけの問題。
「これは本体の問題ではないね。ディスプレーが壊れ掛かっているだけだよ」。
Musicは5000ファイルもあるなど。そして同名ファイルが別フォルダに入っているなど全く整理されて無い。自分でやったのかと尋ねるとマイケルがやってくれたと言う。
「とにかく今の状態をそっくりそのままこのハードディスクにコピーしとくよ」
ファイル転送している間、ベランダに立つとビーチ方向正面に金星がきれいに見える。
こんな時、ジェラードが言いそうな事は知っているので機先を制し、
「あなたは金星から来たのか、オレは火星からで、偶々この惑星アースに来たから知り合ったんだ」とジョーク。
ジェラードの兄弟は4人でみんなenglishに住んでいると言う。シスターは孫も居るが、自分はこの選択肢しかなかった。川を流れるフローの様に生きればいいと言う。
最後のファイルは残り3時間と表示が出たが、そんなにまで付き合っておれない。
「表示が出たら常にyesをクリックするように言い残してひとまず退散。
時間は掛かるだろうが、明日以後に人任せでなく自分で整理した方がいいとアドバイスしておいた。
夜風当たりに遊歩道に出てみると人でいっぱい。
ここで一年前に会ったFさんに遭遇。一週間目にして初めて日本語を話した。
マイク前でファランがギターで歌っていた。知ってるメロディだったから自転車に跨ったままで軽く口ずさむと、そばに居た女がチップ払えと言う。
「財布置いて来たから持ち合わせないんだよ」と退散。
そんなこんなんで早、一週間が過ぎようとしている。
こちらに来て以来ずっと愚図ついた天候だったが、6日目して初の朝から晴天日。
好天なのは良いのだけど暑くて外に出る気もなれん。
でも、昼飯食べに行かないいけないし・・・
ぶっ掛け飯に向かっている途中、「待てよ、あそこでメシ食べられるとおばちゃんが言っていたな」と思い出して、方向転換。
着くとおばちゃんが居て、ジェンちゃんは洗濯中だった。
此処で手っ取り早いカオパットで昼飯済ませた。
ビール注文すると別のレディがやって来たので3人で乾杯。
これだとコップ一杯分でビール1本が空になってしまい、5,6本はアッという間。
高くつくからHong Thongという安タイウィスキーに変更。
レディの名はプロイちゃん。シーサケット出身で39才と言う。
「シーサケットは良いところだよ。カンボジアに近くてここよりウンと涼しい」
「でも、バービアはないだろう」とからかうと、「何も無いところです。でも、飲める所はあります」。
サイアムサワッディホテルでオフィスワークをやっていて、日曜日は休みでここに来たらしい。
おばちゃんが、「ここは暑いでしょう。向こうの木陰の下は涼しいよ。テーブルがあるからそっちに移った方がいい」。
ほろ酔いになったところでカラオケしようとなり、ジェンちゃんのバイクのケツに乗りパソコン取りに部屋に戻った。
ジェンちゃんはカラオケ店に勤めているだけあって日本の歌も知っていた。
二人共今日は休みだからまだ飲みたかった様だが、オレはここで酔い潰れてしまうわけにはいかない。次もあるしね。
来週日曜日にもう一度集まろうととして、今日はこれで散会。
ドゥディに戻るとジェラードと大男が、しかもマイケルさんカップルも隣テーブルに居るではないか。
こうなれば素通りする訳にはいかない。
ところがマイケルさんは少しご機嫌ななめみたいだったからジェラードのテーブルに座った。
一緒に居た大男(まだ名前訊いてないので大男と呼ぶ)が、喋るわ、喋るわ、しかもラウドボイスで、まるで彼の独演会。
店のレディが「赤ん坊が寝ているから静かにして」と注文して来た。
オレも、「オレのレベルではあなたの英語は聞き取れない」と言うと、瞬間抑えるがすぐ元に戻る。
ガールフレンドを指して「この人はナイスレディだよ。ジェラードもグッドガイだ。ただ、ユーは飲んだら人が変わってしまう」。
オレも、「ジェラードには言ってあるんだ。せめて自転車にビール積む様な事はすんなと」
後ろのマイケルさんは依然ムスッーとしている。
段々分ってきたが、彼ももう歳だから誰かに話し相手にもらいたんだね。それは日本人もファランも同じで歳とればみんなそうなって来る。
オレ流の気配りでマイケルさんテーブルに移り、「マイケルさん、この頃調子はどう?、あの大男が一人で喋るからオレのレベルでは理解出来ないんだ」
マイケルさんは、「自分の英語と大男の英語が、コボリにはどっちが聞き取れる?」
「そりゃ断然マイケルさんだよ」
「彼は喋っているだけだ。意味のあることを喋ってない」と言う。
「へえー、ファランは意味のないことを喋るんもんなんだね」。
少しご機嫌戻ったところで、
マイケルさんが、「コボリは今日何処へ行ってた?、何してた?」
「さっきまでレディ2人とビールやウィスキー飲んでカラオケやったりしてたったの261B・・・楽しかったよ」
自分の知らないスポットに興味津々気に、「それは何処なんだ」と身を乗り出して聴いてくる。
「その内連れて行くよ」と言ったものの、そこは他のファランはまず来ない所だから、マイケルさんはゲーオちゃんかオレしかコミュニケーション取れない。
たぶん、ツマラナイとなる可能性大。
オレ的には安く遊べて、何よりも隠れ家的な雰囲気が気に入っているのだが。
一旦アパートに戻ると、オーナーとソーパーさんが居て、ソーパーさんが「コボリが女と・・・フ・フ・フ」。
気付かなかったが、ジェンちゃんとパソコン取りに来たのを何処からか見られていたのか。
それなら、すぐに出て行ったところも見れば良かったのに。
昨日午前中はシトシト雨で何処へも行けず。
止んだ午後にタラートブッカウで昼食のぶっ掛け飯を食べ終えて一服していると、
プイと表情するおばさんがいた。直ぐに判ったね、キーマオソイだと。
口は悪く態度がデカいが、憎めないおばさんだ。
その後ろを歩いていたのがパットだった。いや~、久しぶりと握手。
来て既に2週間過ぎ、あと6週間滞在するという。
ピーターもそうだったがファランは週単位で物事考える様だ。
次は12月だと、オレの時期によく重なる人だ。
ジェンちゃん所に行ってみた。
おばさんが一人だけ居たので、「オレ、覚えている?」。
そしたら奥からジェンちゃんが現れた。仕事は夜のカラオケ店なので今の時間は此処にいるそうだ。
昼間は原則飲まないことにしているが、二人で1本だけならまぁいいか。
明日(日曜日)は仕事は休みと2度も強調しているところをみると、明日は此処で飲もうという事なのかと思ったが、明日は明日の風が吹く・・・
夕方、ジェラード等がカップル二組で雑談していたね。
その中の一人のレディにもしかしてジェラードのガールフレンド?と尋ねるとレディが、「そうです」と。
「今晩何処へ行く?、何する?」
「今夜は開店祝いパーティに誘われているからそっちへ行こうと思っている。一緒に来ないか?」
ジェラードは知らなかったそうだ。
「なら、自分も行く。そこで会おう」と。
7時頃に行くと満席気味。ジェラードたちも既に来ていた。
ガールフレンドに、「ジェラードとはどうやって知り合ったの?」と尋ねると、シドニーマイケルの紹介だったらしい。そう言えばマイケルのワイフはカラシン出身でこのガールフレンドもカラシン出身。合点いったね。
前の大男が、「マイケルを知っているだろう?、11年前に彼をタイに引き込んだのは自分なんだ」と言う。
へえー、みんな繋がっているんだね。
隣席のカーリーヘアーの男は見た事ある。
オレから、「あなたドイツ人でしょう。以前会った事あるよ」。
「そうドイツ人だが、何故知ってる?、何処で会った?」。
「1年半ほど前、Wでミックジャガーも一緒に居て・・・」
オレのミックジャガーの発音が悪いのか、ピンときてないみたいだった。
この後、Wおばさんも現れたので、「この人の店で会ったんだよ」と言うと、彼も思い出した様だ。
「ドイツと日本は2次大戦で同盟国だったんだ。我々は協力し合おう。もう一つの同盟国イタリアは靴でアメリカを蹴り上げてやったんだ」と笑わす。この靴と言うのはブランドを指した意味だと思った。
ビデオ回しているとこちらに向かってワーイをするファランおばさんを発見。近づいてアップロードの承諾を求めたら「問題ありません」と。オーストラリアのパースから来たという気のいいおばさんだったね。何処かでまた会えたら一緒に飲みたいもんだ。
トーイ等の席に移るとハンサムな男がいて、トーイが「この人はこの辺りのボスだ」と言うではないか。パタヤ市役所に勤務しているという。担当管轄がこのエリアという意味だと思った。
店の経営者はタイ人レディ。ファラン等の支援はなく、自分でやってるそうだ。
店に名前は無く、自分の名前はラリーと言うから、「では、今後「ランナハーンラリー(ラりー食堂)と呼ぶことにするよ」と言うと、それで良いそうだ。
昨夜のパーティー模様
朝方の風雨も止んだ。
曇り空でそんなに暑くないから今回初の遠出サイクリングやろう。
と言っても片道13km程だが。
行き先はナジョムティエンsoi 2。
半年前は天気は良かったものの遠くまで見渡せなかったが、今日は雨上がりのせいか、バンアンプ―やバンサレー辺りまで見える。
いつもは誰かが居るはずのテーブルに誰も見えず。
ところが奥でトーイとニッポンが2人だけでカラオケデュエットやっていたね。
タイの演歌だから知る訳もないが、「コボリも一緒にやる?」。
今回DVD作って持って来たのが役に立ったね。版を入れ替えた。
港町ブルースはニッポンも知っていたので、タイ語と日本語でコラボ。
アナンも帰って来て、一杯後に参加。
このメンバーではアナンが最も上手だったみたい。
カラオケ好きと言うニッポンはこの後一人で歌っていたね。
今朝は目覚めると海側の西の方向からどす黒い雲が東に流れている。
おそらく雨になるだろうと予想していると、7時半頃から強めの風雨になった。
1時間ほどで止んだけど、今10時半現在蒸し暑くなってきた。
昨日は遊歩道を流してみた。
同じ事をやってるファランもいたね。
曇り空だから直射日光は無いが、ノースピアに来ると空気自体が熱を持ったように暑い。
帰宅してシャワー浴びると、腹の周りが日焼けの様に赤くなっている。
薄手のTシャツくらいでは熱が通ってしまうのか。でも、厚手はもっと暑くなるだろうし・・・
帰宅したらアパートオーナーのワイフ、ナナさんが「コボリさん、ランブータン食べる?」
もらうと、まぁドッサリと、一人では食べきれない量だ。
半分を袋に分けて、ナムフォンちゃんに持って行った。
「解いたらこれもあげるよ」と知恵の輪を渡すと、トライするがうまく行かない。
これを見ていたファラン(オーストラリア人)が、どれどれと5分程で解いたね。
七時半頃、突然のスコールが来て中に移動。
このファランはシドニーの南にある人口100万都市に住んでいて、今回はカンチャナブリ1週間、パタヤ1週間だそうだ。
彼によるとオーストラリアの経済は良くないらしい。
仕事は住宅リフォームをやっていて、ペンキ塗りもやるとスマホの写真見せてくれたね。
この8月で60歳になるそうだが、年金の資格で何か月かは国内に居住していないといけないとか。
そう言えば今は帰国中のシドニーマイケルもそんな事言っていて、オレが来る1ヶ月前に1週間だけ滞在。次は来年の5月でないと来れないと言っていた。
此処は隣近所組しか来ないと思っていたが、彼はジョムティエンのタプラヤから来たらしい。
「how did you come to know here? 何であんな所から此処まで?」
「それを話せば長くなる。昔アユタヤにいた時バイク事故があって・・・」
ウンウン、本当にロングストーリーだった。
物静かに話すジェントルマンだったね。
6:30に目が覚めると室温29℃。天井ファン廻しているからクーラー無しでも快適。
ところが7時になるとベランダには直射日光が射しこむ。こうなるともうたまらん。
日陰になる壁際にテーブル移してネット続行。
昨晩は何処かに置き忘れたタオルを買い求めて雑貨屋に行くと99B。タイにしては高いなと思いつつ、買ってしまった。
その足でBig Cへ半パン買いに行くと同等タオルが1/2~1/3で売られている。しまった。
センターピアに出てみると人は誰もおらず。オフシーズンとはいえ、北側を占拠していたロシア人も全く見えない。
昨晩Jちゃんは明日は来れないと言ってたからそのつもりで居たが、夕方に電話があって、ニッポンがアユタヤから帰って来たから来ないかと言う。実は、昨日到着した時には彼は入院中の子供の為に帰省していて、いつ戻れるか判らないと聞いていた。
アナンもちょうど仕事から帰って来たところで、昨晩置いて来た日本酒の封を切って乾杯。
ジェラードが通りがかったが彼はマッサージに行くと言って寄らず。
昨晩はヘビーな夜だったから軽く済ましたね。
もう巡航速度にしよう。
R-con StreetからMade in Thailandバー街を流すと何処も超閑散。黄色い声で呼び掛けられるが、「プルンニーナ、明日」と言いながら素通り。
この時間になるとセンターピアは昼間と違って、暇なファランとレディの溜まり場と化す。
live barを覗いたが、飽きた感あり。
帰路ドゥディに警察車両がパトライト廻していた。十数人ほど人が居たが何かあったのだろうか。
アパートの面々には、「今日から1ヶ月よろしくね」と挨拶して、愛車とも4ヵ月半ぶりに再会。
荷解き終えたら早速街中へ繰り出したいね。
すっかり馴染んだ道だが半年もすると廃業した店や、オーナーが変わったもある。
マイ店は廃業していたね。実はたぶんそうなるとは予想していた。
ジェラードの住むアパート前におばちゃんが居たので、「彼は部屋に居ますか?」と尋ねると、
「さっき病院に行った」と言う。オレは直感したね、飲み過ぎが祟ったのではないかと。
先に進むとトーイに見つかった。
「Jに連絡したの?」
「いや、まだだ。この携帯が期限切れだから新しくsim買ってから電話するよ」と言うと、
「コレ使いなさい」と自分の携帯で掛けてくれた。
夕方に会う約束して、コンビニでsimカードを求めると、パスポートが必要との事。
日本でも身分証明が必要な事からタイでもそうなったんだろうね。パスポート取りに帰って50バーツで新番号取得。
初日の夜は長くなりそうだから部屋で一旦休息していると昼飯をまだ食べてないのに気付いた。
途中のあそこにはマイケルさんカップルが居るのでは思いつつ傍を通るとやはり居たね。
1週間前に来て、今回は3ヶ月の滞在だそうだ。
1本付き合い話しているとゲーオちゃんが「廃業したXXは今は○○で働いている」等、教えてくれる。
そこにJちゃんから電話が掛かって来た。なーんだ、夕方にしては早過ぎるぞ。
小物だが一応全員に土産を持って来たので一旦部屋に取りに戻る。
奥方トーイにはこさえたカラオケDVDを、「後日これでカラオケやろうよ」と渡した。
ナムフォンちゃんにはクレヨンにスケッチブックと、好物と言ってたドラ焼きを、
面々には100円ショップグッズと、ニッポンとアナンには日本酒を・・・
そこへエミーとウェンタが顔出して来た。申し訳ないが二人には用意して無かった。
ジェラードはこの頃滅多に来ないと聞いたので、「よっしゃ、今からオレが電話してみる」。
「今、ニッポンの所にJと居る。気が向いたらお出でよ」と言っておくと、やがて自転車に乗ってやって来たね。
「It's been a while. How have you been doing while I was not here.久しぶりだね。オレが居ない間どうしてた?」
なんたらかんたら言ってたが、変わった事と言えば最近レディと同居を始めたらしい。まだ2週間目だと。
お土産のクーラーバッグを喜んでくれた。「youは自転車だろう。ハンドルに引っ提げておけば便利だよ。いつでも冷たい水が飲めるからね。但し、ビールは入れない様に・・・」
これを見ていたJちゃんが、
「それ、私も欲しい」と言うので、こんな事もあろうかとスペアーを買ってきてある。
トーイにカラオケDVDのコンテンツを説明すると、今やってみようという事になった。
お題メロディはあの「昴」。
始めは嫌がっていたJちゃんもタイ語で完璧に唄うではないか。他に港町ブルースも唄える。
後ろからナムフォンちゃんが興味津々げに見ていたし、これで乗ったね。
ジェラードには、「ファラン用のメロディもあるよ。一緒にやろう」。
「let me there in the monrning・・・・」。ジェラードは、はっきり言えばよく音を外し気味。
その分オレがカバーすると、ウェンターが拍手するなど、気が付けばもう5時間以上も飲んで歌ってトークしている。
2軒隣が新オーナーのレストランになるそうで、終り頃になってこのオーナーが土曜日に開店祝いパーティーするから来てねと言う。
Wにも挨拶しておかなくては。
レディは大半が入れ替わっていて、知ってるのはRちゃんともう一人だけ。
Wおばちゃんからは「戻って来たのね」と言われたが、そうだよな、当に戻ったが相応しい。
思えば今日未明に飛行機に乗ってから24時間以上も動いていたから、やはり疲れがドッと出て、グッスリ寝れたね。初日としてはまずまずのスタートというところか。
これまでのクアラルンプール経由でなく、直行便が就航したとは有り難い。
LCCはビッグセールで買えば、レギュラー航空に較べて約半額と超格安です。
今回のは10か月前のセール中に買っていたので往復で28460円と、大阪―東京とほぼ同じ価格。
関空を定刻の午前0時過ぎに離陸すると暫くして、揺れ始めた。
中には気分悪くなってゲロッてる人も数人いた。アテンダントはポリ袋を用意して配っていたからね。
未明4時前にドンムアン空港到着。
まだ暗闇の中をタクシーで北バスターミナルへ移動。
このターミナルも、このルートも初めての体験。
始発バスに乗れて午前8時にパタヤに到着。
6度目のプチ・ロングステイがスタートしました。
2/13日記より
ドンムアン行きシャトルが出発する直前に飛び乗ってきたファランはべルバスで横に座っていた人だった。
彼が、「さっきのバスで隣だったね。このシャトル乗り場を見つけ難かった」と言う。
「どうして尋ねてくれなかったんだ」と応じたが、まさかお互いがドンムアン空港に向かうとは思ってないからね。
少し話した所によれば、彼はフロリダ出身のアメリカ人。車も家も処分して旅しながらコンピューター関係の仕事をしていると言い、今の財産はこのバッグとコンピューターだけと言う。
「財産があると管理が大変だ。simple life is best」と返事しておいた。
今回は7ヶ月の旅で、サイゴン(ホーチーミンとは言わず)へ行ってからベトナムを北上する計画らしい。
もう3年もアメリカには帰ってないと言ってた。
ドンムアン→クアラルンプールは定刻通り。
クアラルンプール→関空も前回のようなディレイもなく定刻運航だった。
関空到着1時間に気温4度とアナウンスがあった。
32度から4度へと真っ逆さまの感覚だね。
外気にさらされた途端にブルッときて、電車に乗る前から鼻水が止まらなくなった。
いつもの事だが、関空に降り立つと空港も電車も人々も日本はなんと静かなんだと思う。
秩序ある日本であって良かったと思える瞬間だ。
今回の滞在はこれで終わったが、撮り貯めたビデオは時間掛けてじっくり編集したいね。
それに、見えて来たものがあるので、掘り下げて研究しなければ・・・・
(完)
2/11日記より
夕方6時過ぎに、「今、私がクッキングしているよ。もう出来たからすぐにお出で」とJちゃんから電話があった。
ジェラードにもこの晩は空けておくようにと言ってあったら、既に来ていた。
Jちゃんがクッキングしていたのはノリ巻きだった。巻く道具が無いのでラップで包んで手で押さえて作ったらしく、不恰だが食べれたね。
Jちゃんがスマホでビデオチャット遊び始めた。
そこには友達のポッチャリ姉さんが映っていて、オレに話せと言う。
「ハロー、・・・」
スマホはこんな事ができるのか、驚きだね。
ジェラードも持っていてオーストラリアで700ドルで買ったという。
ニッポンは3100バーツで買ったらしい。
「で、通話料は?」
「ライン、フェースブック・・・」、たぶん無料という事か。
帰国後に当たってみるつもりだが、買うのはタイの方が安いみたいだ。
ジェラードは「我々が出合えたのは奇跡だ。この通りを見つけたのも奇跡、今此処に居る事が奇跡なんだ」とか神がかりな事を言い出す。
いつもの事だが、そんな話をJちゃんに振るからJちゃんは時々癇癪起こす。
そうだよな、どう返事して良いか分からないもんね。
そこでジェラードに言ってやった。「Jもオレも英語が日常語ではないんだ。難しい事言うと頭が痛くなるよ」。
途中でJちゃんがバイクに乗って消えた。
ジェラードは、「Jは戻って来ないよ」と言う。
オレは「戻って来るよ」。
ジェラードは「もし戻って来たら自分が1本奢ろう。戻らなかったらコボリが奢れ」と賭けしたね。
実は、食い物を買い足しに行くとJちゃんが話していたのを知っていたから、この賭けは始めからオレの勝ち。すまんな、ジェラード。
昨晩オレがカラオケでしどろもどろになった事をトーイが知っていた。何で?
というのは、昨晩ムーガターに行った時、生バンドが入っていてJちゃんが歌えと言う。
バンドに「日本の曲演奏できますか?」と尋ねたら「昴」をやれると言う。
歌詞はうろ覚えだから頭の中で復唱してこれで何とか行けそうと思ってマイク握ったね。
ところが出だしは「♭目を閉じて何も見えず・・・」、うろ覚えが祟って途中から頭が真っ白になってしまった。
そうか、こんな事をJちゃんが面白おかしくバラしたんだろうな、余計な事言わんでもいいのに。
それを聞いたトーイがカラオケやろようと言い、タイカラオケを始めた。
ところが日本のカラオケCDはないそうだから、それならオレが作って次回に持って来ようか。
ジェラードも居る事だし、ちょうどパソコン持ってきていたから、「我々はoldiesカラオケやろう」と、オリビアニュートンジョンのlet me be thereを流すと、ジェラードは「これは誰なんだ」と言う。
「オリビアだよ、オーストラリアンが彼女を知らないなんて・・・」。
それならこれはどうだ、all you need is loveを流したね。これも彼には??の風情。
「お前さんが好きなloveの歌だよ。loveをmoneyに言い代えてもいいけどね」とジョーク。
どうやらジェラードはmusicには疎い様ようだ。
今帰国中のシドニーマイケルは知っていたね。
「自分が9歳の時にbeatlesが初めてオーストラリアに来たんだ」と言ってたし、
オレのmusic folderにあるメロディを全部知ってて、口ずさんでいた。
ファランもいろいろだね。
9時になればナムフォンが寝床に着く時間。「オレは明日帰国するから元気でね、また会おう」と言うと、
「コボリが居なくなれば寂しい。必ず戻ってきてね」と挨拶するではないか。
トーイが、「コボリにチューしてあげなさい」と言うと、ほっぺにチューして「おやすみなさい」と。
この子は本当に素直な娘に育ちそうだ。
そろそろ終い支度の時間だが、これが最後だからね。
誰も終わりにしようと言い出さない。
結局11時前まで4時間以上も食べて飲んで喋っていたことになる。
お終いはJちゃんと軽くハグしてお別れの挨拶。これで5人目。
ジェラードともハグして、6人目。
日本に居たならこんな事はないけど、この2ヶ月間で自然と出来るようになったから不思議。
ニッポン、トーイ、アナン、ナムフォンちゃん、Jちゃん、ウェンター、ジェラード、みんな良い人ばかりだった。
ありがとうね。オレは此処を知って次にやる事が見えてきたよ。
本当に、本当に最後の晩餐に相応しいナイスな夜だった。
翌出発日の朝、荷造りしている8時過ぎにジェラードから電話があった。
昨晩バイバイしたはずなんだけど・・・、
「今日のフライトは何時?、日本に着くのは何時?」と訊いて来る。
「必ず戻ってくる。着き次第真っ先にジェラードに電話する。約束するよ」
ジェラードにとってはオレが、オレにとっては彼が・・・、
I think I'd like to keep in touch with you for longと言っておいた。
そして、空港に向かっている車中、今度はJちゃんから電話が掛かってきた。
言いたい事は分っているから、車中では周りもいるので聴かれたくない。
そこで、「今はバスの中で聞き取り難いんだ。空港に着き次第コールバックするから」と言っておいて、ドンムアンに着いてから、「幾度も長い時間付き合ってくれてありがとう、楽しかった。キットゥン・・・」
こりゃ、帰国してからビデオチャット早く用意しないと・・・
2/11日記より
明日の出発に向けて仮荷造りが一段落したところ。
関空到着の明後日の気候は曇りで、最高気温が7度、最低が1度予想とある。
今日の昼間は31度だったのに、真夏から真冬へ逆戻りとは喜べない心境だ。
毎日にシチュエーションがあり、グラハム小父さんが言ってた tommorrow never comeでやってきたからね。濃厚でディープな充実の2ヶ月だった。
ジェラードも、「今の瞬間は二度と無い。時は過ぎ去るのみ」と言っていた。
寝る時は朝が来るのが楽しみだったし、朝になれば夜が来るのが楽しみだった。
若い時代が蘇って来た気分だね。
こんな想いが出来たのもこの地に来て、出会いとふれあいがあったらこそ。
あとで振り返ると今滞在がターニングポイントになるかも知れない。
何故そう感じたかと言えば、ほゞ日本語無しで過ごして来たから、ロングステイを考え始めた頃には想像し得ないエポックメイキングな事。
おかげで、新しい知人や友人も出来て、今後はこの方向で行こうと確信持てた次第。
残すは今晩一夜のみ。もっと居たいところだがキリがないから、後ろ髪引かれながらも余韻を残して一旦オサラバとしよう。
今夜はお別れ晩餐会の予定だが、今の段階からウルルン予感がしている。
2/10日記より
7時過ぎに待ち合わせて連れてってくれた所はムーガターのお店。
Jちゃんには友達連れて来てもいいよと言ってあったが結局、二人だけになってしまった。
これまでは誰かが一緒に居て二人だけというのは無かったから、今宵はデイトみたいなもんか。
悪かないな・・・、
Jちゃんファミリーは兄弟姉妹が8人も居るそうで、スマホに入った写真見せてくれたね。
内二人はそれぞれアイルランド人、韓国人と結婚しているそうだ。
Jちゃんは過去の上に今がある。それはオレも同じで、地球上の人類誰もがそうなんだけど。
先の事考えると頭が痛くなる。サバイジャイを繰り返していた。
サバイとは元気とか気楽の意味で、ジャイとは心。つまり今が楽しめればそれでいい。
マイペンライもこうした考えから生まれた言葉だろうと思った。
ニッポンらが「Jは頭の良いレディだよ」と言ってたのを改めて思い出した。
この地に多いガサツなレディとは違い、所謂トークが可能なタイプだと。
気がつけば22:30と、3時間以上も居たことになる。
タイ語8割英語2割で話したが、この2ヶ月間はタイ語英語のみで過ごしてきたから自分で言うのもなんだけど、ヒアリングが結構上達したと思う。ヒアリングが分ればスピーキングもここに語を挟めばイケるだろうとイメージして話すとコミュニケーションになった。
今日のトークは暫くはアンフォゲッタブルになりそうだ。
2/9日記より
モーラム会場周辺には地元民に人気のおしゃれな店が点在してると聞いていた。
事実、モーラムからの帰り道に0時を過ぎても道路にはみ出してワイワイやってるグループも見かけた。
どんな所か、昼間にゆっくり流して確かめようと思ったね。
ウンウン、何軒かある。今回はもう時間切れだが、次回はその時間帯に来よう。
あと3泊しかないと思うと、この2ヶ月間の過ぎた日々が走馬燈のように浮かんで来た。
で、思い残しがないよう、夕方Jちゃんに電話してみたね。
「コボリです。飲みに行こうよ」
「まだボリサット(会社)にいるから行けない、明日ならOKです」
実は、Jちゃんはジェラードが苦手(英語オンリー)と知っていたので、
「ジェラードが来ない場所にしよう。何処がいい?」
Jちゃんは、「私にアイデアあります。明日電話します」と言う。
今時間から行ってもなあ。1本だけにしようと今回最遅の21時前に行くとニッポンとアナンだけが居て、
アナンがいつものチャーンビールを飲んでいた。
「アナン、あんたはいつも疲れた様子で帰ってくるね。仕事はシンドイの?」
ジョムティエンでセキュリティ関係をやっていて、毎日12時間労働で疲れるそうだ。
アナンはトーイの実弟で、妻子をバンコクに残してここに居候させてもらってる様だ。
妻子の写真を見せてくれたが、娘はべっぴんさんだった。
ニッポンが、「コボリはJと連絡取り合っているのか」と言う。
本当はさっき電話したばかりだが、「明日会う事にしたが、此処では飲まない」と正直言うわけにもいかず、「明日にでも電話してみるよ」と答えておいた。
ニッポン、アナンも揃えて「Jは頭の良い人だよ」と言う。それはオレも知っていて、第一印象がこの地に多いガサツなレディとはちと違う。話せる相手と見ていた。
4人目のハグ
物足りないから、もう1本はまたもWで。
いつもサービス持ってくるレディに、「この2ヶ月間、随分飲ませてもらったがあさって日本に帰る事になった。これまでありがとう」と言うと、レディは名残惜しむかの様にハグの姿勢。
これで今滞在4人目のハグとなった。
2/8日記より
夕方、トーイから呼びかけられた。
「コボリ、今夜私の誕生パーティするから来てね」。
「クラップクラップネーノーン、もちろんだ。で、何歳の誕生日なの?」
「60歳」
予定の時間に着くと背の高いファランも居て、「ハッピーバースデー・スィート・シックスティーン」と歌う。
シックスティーンとシックスティではエライ違いだ。
そこにジェラードもやって来て、一輪花とハート形容器に入った何かをトーイにプレゼントするではないか。気の利くやつだね。
オレも考えないわけではなかったが、そんなの売ってる所も知らないし、時間も無かった。
代わりに、ナムフォンが好きだと言ってた寿司パックを買って持って来た。
教えた日本語で、「これイクラ、これサケ」と呟きながら、イクラを一粒ずつ食べるナムフォン。
嬉しいね、こんだけ喜んでもらえるとは。
トーイの娘のエミーが鍋を作ってくれる。ウドンや豆腐も入れて、タイすき焼きというやつか。
(ウドンや豆腐は、そのままタイ語になっている)
そうこうしている内に隣近所が鍋をもらいに来るとエミーがビニール袋にタレを加えてお裾分けする。
此処ではありふれた光景だが、ジェラードは「オーストラリアではこんな事は絶対にありえない」と言う。
自身も国では隣の家の人がどんな人なのか知らないと言うし、今がたまらなく楽しいと言う。
彼はこの地で異次元を体験しているのかも。
ジェラードはいつものビールではなく、買ってきたワインとsiam satoとかいうタイの酒を飲んでいた。
悪酔いしたのか、
「ヨーロッパがアメリカを盗んだ。スペインが南アメリカを盗んだとか、1949年に日本が数百万人の・・・」
「オイオイ、今は二十一世紀だよ。今でも世界は十分でないが、当時は植民地主義横行の時代で・・・」
で、オレは思ったね。彼の様な歴史観に立つ人々が欧米にもまだ存在している。
慰安婦問題、南京・・・、国連分担金2位国が敵国条項からまだ削除されない等。
ワールドイズノットイナフ。
遅い時間だがもう1本飲みたくてWに行ったら久しぶりにRちゃんが出勤していた。
オレを見つけると挨拶言いながら胸を押し付けて来るではないか。
そんな事したって今日は胸にチップを押し込んでやらないよ。
時計見れば午前0時ちょうど。
今夜も酔っぱらってしまった。
2/8日記より
ビデオをジェラードのパソコンにコピーしてあげる為に約束の10時に彼のアパートに着くと、玄関前のテーブルで待っていた。
「こうやってドラッグ&ドロップだけで済む。簡単でしょう、難しくはないよ」。
10分程で済ませると、この後はする事が無く退屈みたいだった。
「コボリは今日は何する?」
「なんならナジョムティエンへサイクリングでも行こうか?」
「そうしよう」
12時に待ち合わせて出発した。
彼のスピードに合わせたので1時間も掛かったが、昼飯はコンビニで買う事にした。
ファミマで日本語で書かれたおにぎりを発見。2個で50Bだった。
ジェラードも何か買っていたが、店内に同国人が居た様だ。
そこで食べながら二人で長話していた。
言葉足らずのオレより同国人の方がスムーズな会話が出来るだろうし、あえて二人には入らない様にした。
帰路はジョムティエンバー街に寄ってコーラーで休憩。
実は、もう何十回も会っているのだが、お互いプライベートな話はしてなかった。
彼は20代でロンドンを離れてオーストラリアのブリスベーンに移り住んでからもう40年にもなるが、
オーストラリアは退屈な国と言っていた。
パタヤの人々、生活費、タイ語英語、レディ、酒、国の事情、グローバル問題等、いろいろ語り合った。
夜は、昨晩撮ったモーラムのビデオを見せに行くと、奥方トーイがオレが数日前に釣った魚を料理して出してくれた。
自分が釣った魚が目の前にあるのは不思議な気分。味はまぁまぁイケる。
すっかり滞在型生活になっているが、これもあと残り5日。
帰国後の暫くは「愛しき日々」となるのは確実だから、
それを想うと、少し憂鬱だね。
2/7日記より
約束の時間に着くと皆スタンバイOKだった。
結局、Jちゃん、ニッポン、オレの3人でモーラム観賞に行くことにした。
その前にJちゃんは誕生パーティに招かれているのでちょっと顔出してすぐに戻ると言い残して一時バイクで去って行った。
そこへジェラードがいつになく真面目な姿で通りがかったではないか。体調不良で飲んでないと言う。
そこへJちゃんが戻ってきたので、「ジェラードが一緒に行くと言ったらどうする?」と尋くと、
「彼の英語は難しいから、3人だけで行きましょう」と言う。
ジェラードには、「すまんな、予約は3人分だけなんだ」と言い残して会場に向かった。
到着した20:40頃は好きな位置で席取りできたが、22時頃は700-800人程、23時頃は1000人以上に膨れ上がった。
Jちゃんの友達も合流して、ウィスキーで乾杯。
ニッポンが花の首飾りを買って来て、みんなに配って記念撮影。
ショーは宝塚歌劇団の様相。
ダンサーはレディに見えたが、ズームすると殆どがレディボーイと判明。
華やかだ。イサーン地方の人にモーラムが根強い人気があるのが分るような気がしてきた。
ステージの真ん前ではローカルの人々がクネクネダンスを始める。
オレも酔った勢いで仲間に加わった。そのうちJちゃんや友達もクネクネ始める。
ウィスキーが空っぽになったら次はワインが用意されていた。
ビールから始まって、ウィスキー、ワインにクネクネダンス。これは堪えたね。
日付が変わろうとする時間になった頃、「疲れた。もう帰りたいよ」。
Jちゃんは、「あと30分だから居なさいよ」と言う。
でもオレは30分で終わらないと見た。何故なら、こうした場合タイ人は狂うというか、時間など気にしないからね。
翌日、「何時まで居たんだ」と尋ねると、「3時まで居た」と言う。
やはり予想は当たっていて、先に帰ったのは正解だった。
でも本当に、本当に楽しい夜だった。
Jちゃん、ニッポン、ありがとうね。モーラムがイサーン人にとって心の故郷と理解できたし、
好いものを観せてもらったよ。
2/6日記より
べルバスの予約から戻ると、マイケルさんカップルがまだ居た。
実は、釣りから戻った昼も居てマイケルさんに、「コボリ、座れよ」と言われたが、
「まだ昼飯も食べてないんだ。それから帰国用のバス予約に行くから今は遠慮しておくよ」。
あれから何時間も経っているというのに、まだ居るとはね。
もう用事は済んだから付き合おうか。
昨日もオレを見掛けて呼んだそうだが全く気づかなかった。
「本当に?、全然聞こえなかったよ」
「コボリはもう歳だね」とゲーオちゃんは遠慮のないツッコミを言う。
ゲーオちゃんは、「ビザランしてもう1ヶ月居れば」というけどね。
「ソンドゥアンポディー、2ヶ月がちょうどいい。ユーナンナーンサームドゥアンブア、3ヶ月も長くいると退屈だよ、」。
此処は知ってはいたが入ったのは初めて。
ドリンクは安いし、食事も出来る。
気付いたが、ここのお姉さん達は客の話し相手になったりして、えらいフレンドリーだ。
そうか、マイケルさんが最近ここに出没する理由はこれだったんだ。
昼間なら友達とお茶しても良いし、飲み相手が居ない時はここで時間潰し出来るのではないか。
残り日数は少ないが、次回からは寛ぎスポッとして此処もリストに入れておこう。
2/4日記より
滞在も残り10日を切った事だし、見慣れた景色ではあるが、見残しのない様に行っておこう。
プラタムナックから行くのが一番早いが、あの急坂はシンドイ。そこで大回りになるけどタプラヤからビューポイントへ向かった。ここまで来ればついでにブッダヤイ(大仏さん)も見ておかなくては。
夜、Jちゃんから久しぶりに電話があった。本当は久しぶりではないのだが、三日も経つとなんか昔に感じられる。
「ミニサイアムの写真、どうして送ってくれないの?」
「送ったよ、チェックしてくれ」
スマホ取り出すとちゃんと届いていていた。
「写真だけでなく、メッセージも書いたから読んでくれ」と言うと、
Thank youの部分は読めたがあとは頼りなかった。
「大丈夫、あとで辞書で調べるから」とは言ってはいたが。
ナムフォンに日本語の2回目をレッスン。
今日は数字の数え方。
「いいかナムフォン、頭で覚えるだけではダメだよ。よく聴いて真似するんだ。いち・にー・さん・し・・・」
十回ほど真似させたら何とか10まで言えるようになったね。子供は上達が早い。
「ナムフォン、パサーアンキリットガップパサーイープン、トンナイヤーク、英語と日本語とどっちが難しい?」と質問すると、「英語が難しい、日本語が簡単」と答えたが、これは子供でまだ何も知らないから。本当は日本語は世界で最も難しい言語と言ってもいい。
Jちゃんは、「コボリは教え方が上手だね。こちらで日本語教師をやったらどうか」と言う。
Jちゃん自身も単語程度の日本語は知っているが、話せるとは言えない。
あと10回ほどレッスンしたらJちゃんを追い越すのではないか。
でも、残り少ないから時間が無い。
帰路、ジェラードのアパート前を通過したら、彼が子供の遊び相手している。
「ここに居たの?、さっきまでニッポンで飲んでいたよ」。
実は、昨晩はオレは行く所があったのでジェラードを残して先に帰った。
あとで思ったが、居残った彼はタイ語のみで、辛かったのではないかと。
そんなら今夜の寝酒はWは止めにして、ここで済ませようとビアリオを注文。
一緒に居たもう一人のファランは顔は知っているのだが、同席したのは初めて。
マイクさんは通貨の話し、オーストラリアドルが下がっているとか、ユーロがどうたらと。
マネーが一番大切とも。そりゃそうだ。我々は此処では外国人。先立つものはまずマネーだね。
その内、ジェラードが「ダイアナ妃は殺されたんだよ」という話題に。
オレが、「じゃ、犯人は誰?」
「イギリスだよ」
「何故そう思うの?」
「監視ビデオは肝心な部分が欠落している。あれは意図的だ」とか。
今日も遅めの20時台から飲み始めて、今23時で3本目。
なんか酔いが廻るのが早くなっている。50日目で休肝日無しだから疲れているのかも。
あともうわずかだけど、このまま休肝日無しで最終日を迎えそうだ。
2/3日記より
この頃のスイスマイケルさん行き付けの店が判明。
彼にとっては結構遅い時間(21時頃)に、オレ達を見つけると「ヘーイ、コボリ、最近付き合いが悪いな」とツッコミ入れて来る。
マイケルさんはまだ陽のある時間から飲み始める。
彼に合わせると4,5時間は飲む羽目になるから、最近オレは遅い時間からにしていた。
彼には「早すぎるよ、夜は長いんだから遅い時間からがいい」と言ってあるのだが。
でも悪いから今晩辺りは彼の時間に付き合おうか。
これに先立つ夕方、ジェラードが珍しくビールではなくコーヒーを飲んでいた。
「そうだ、それでいいんだよ、昼間は飲まない方がいい」
彼は朝から飲んでる時があり、ナジョムティエンサイクリングはキャンセルにしたり、釣り日はまだ用意すらしてなかったからね。アルコールが身体から抜けないのは健康にも良くないと勧めておいた。
で、8時過ぎにはあそこへ行っているから、気が向いたらお出でと言っておいた。
この地には英語圏ファランがいっぱい居るから、そっちへ行った方がスムーズな会話が出来そうなものだが、何故か8時にはオレ達の所にやって来た。彼に言わせると、「コミュニケーションにおいて言語の違いは問題ではない」とのたまう。
オレの英語は文章英語だから、ですます調でないと理解出来ない。スラングや比喩的な慣用句で表現されるとさっぱり分からない。で、この頃はオレのレベルに合わせてくれる様になったのが嬉しいところ。
「お前さんの本当の母国はイギリスか、オーストラリアか、どっちなんだ」
「今はタイだよ」と笑わせる。
「昨日、釣りから別れてから何してた?」と尋ねると、
「レディを400B・・・、ママさんに・・・」。オッと、この先はナイショ。
「2/11が実質的に最後の日だから、夜は空けておいてくれ。これがオレの次回の日程だ。
すでにフライトは取ってある」と紙に書いて渡した。
まだ幾度も一緒するだろうけど、当地離れ難く、計画していたホアヒン行きは中止して空港直行にする事に決めた。
2/1日記より
約束の時間に着くとジェラードはテーブルにビールの入ったコンビニ袋を置いて、既に1本飲んでいる。
オイオイ、釣りに行く時間だというのに。
話聞くと、なんでも今朝方吐いたそうだ。
「行くの、行かないの」と迫ると、「たぶん・・、行く」。
まいったな、これで30分も待たされた。
岩場には釣り人二人がいたが間もなく帰ってしまったから釣果は期待できないと思った。
小一時間やったが、予想道理に釣果はゼロ。
合言葉は、「ニッポンへ行こう」
2週間前に帰国したシドニーマイケルとエーン、ジェラードと集まる時の合言葉は、「ニッポンへ行こう」だった。ニッポンとは店の親父の名前の事で、店にも名前はあるのだが難しい発音で覚えられない。
そこで覚えやすいニッポンとなった。
連日の飲み疲れもあって、今宵は一人で軽く済ませたいと遅い時間に行くと誰も居なかった。
奥方トーイが、「ナムフォンに日本語教えてやってくれないか」と言う。
トーイが英語と日本語を教えてるらしい。
ナムフォンがノート持ってきて開くと、そこにはタイ語、ひらがな、英語が書かれている。
「オーケー、ナムフォン、ルームボッティヌン(それではレッスン1から始めよう)」
数語教えてから、
「ファンディディプート、ファンディディプート、リピート、よく聴いて話す、よく聴いて話す、これを繰り返すんだ」
子供の頭は柔らかいのだろうか、数回繰り返すと自然な発音に近くなってきた。
「ゲンマークオークシアンチャットディ、上手だ、発音がしっかりしているぞ)」
終りは覚えたての日本語で、「おやすみなさい」とナムフォンは言った。
良い娘になりそうだ。
次回に何か土産を持ってくると約束したが、タイ語⇔日本語の本が浮かんできた。
2/1日記より
ネット屋プリントに向かう途中、コーナー付近で「コボリ!」とお呼びがかかる。
声の方向を見遣ると、ジェラードがコインランドリーに居た。
「この前の写真メールで送ったけど、見た?」
「いや、まだ受け取ってない」。
おかしいなあ。で、彼の部屋に上がり、見せてもらうと本当に届いてない。
アドレスが間違っていたのか。
それならと、オレのメモリーカードから直接彼のパソコンにダウンロードしてあげようと言うと、
「ダウンロード方法知ってるの?」。
オイオイ、パソコン持っていてダウンロード知らないとは何事ぞ!
彼が喜んだのはミニサイアムと、mabprachanサイクリングのムービーで、それをコピーして欲しいと言う。
お安い御用だ。きっと想い出になると思うよ。
「今日は何をする?」
「今日は予定ないけど、明日辺り釣りはどう?」
ジェラードもリールだけは持って来ており、竿はこちらで買うつもりだったらしい。
で、急遽釣具屋へ案内すると彼は250Bの竿を買った。
しかし、釣りはやった事がないと言う。オイオイ大丈夫か、仕掛けは作ってあげたが。
ファランの握手はバカちから
今宵の寝酒は又もWとすると、先日Oさんと一緒した時に隣だったファランがまたやって来た。
その時も、「youはいつもジャッカヤーン(タイ語で自転車の意)で前を通っているから知ってるよ」。
今夜もオレのカウンター隣に席取り、「youは元気だね。毎日どのくらい走っているの?」
「少なくとも10kmは走っているね」。
彼は北海道の名前を知っていた。「北海道から南端まで何kmくらい?」、「たぶん二千キロ以上」。
「オー、big countryだ。自分の国はsmallだ」と言う。
このファランはデンマーク人で、ピーターさん。
今回は5ヶ月滞在。年齢も当てっこすると同い年と判明。
ゆっくりと喋ってくれるから分かり易い。国では普段デンマーク語で話しているそうで、近隣のノルウェーもスウェーデンも言語は違うが似ているそうだ。
彼は「自分は年金生活者で、バーツに換算すると1100B/日になるが、あなたはどう?」と言う。
「今は円が安くなっているから900B/日相当になる」と答えると、「この地でこれだけあれば十分だよ」と言っていた。
そして、ピーターさんは昔サンフランシスコに20年ほど住んでいたそうだ。
オレも25年前に西海岸を周遊したことがあり、金門橋、アルカトラズ島、Fishermans wharfの思い出を話すと、当然ながら全部知っていたね。
彼の右隣のファランも毎晩やって来る人で、ハルクホーガンみたいな髭を生やしている。
この人とも話していたが英語でないのは明らかだったから、
「もしかして同じデンマーク語?」と尋ねると、「そうだ」。
ここでホーガンと握手すると、ばか力で握る。手の大きさはオレの1.3倍はあったからね。
デンマークに来ることがあればこれで連絡してくれと、メールアドレス書いて寄こした。
その下に、LAESOE ISLANDと書いて、ここに住んでいるのだと言う。人口1800人の島だそうだ。
帰宅してからググると、レソ島というのがあるから、たぶんコレだね。
ピーターさんは明日も明後日も来るね。
Wはwifi使えるからパソコン持参でグーグルアースで遊んでみようかと、チラッと思い付いた。
1/26日記より
道挟んだ真ん前が長屋と言おうかテラスハウスと言おうか、屋根の上にベランダがあってファランがまったりしたり、時々長時間酒盛りやっている。
アパートでもなさそうだが、どうやってここにたどり着いただろうか。
ラッキー(犬の名)の家に住むファランは釣り好きの様で、舟釣りに行ったと70ー80㎝はあろうか、大物釣果を持って来た。。それをソーパーさんが捌くと、パイリーンが横でキャッキャ喜んでいた。
このエリアはおばさん達、ファラン、子供がうまく共生している。
オレん所は前回もそうだったがフランス人が住んでいる。
一人が新しい自転車を買って来てソーパーさんに空気入れを手伝ってもらっていた。
「ミャクシーボクー、たぶん有難うの意味」に対して、ソーパーさんはこれもフランス語で応じていた。
スゴイな、ソーパーさんは。英語の他にフランス語も話せるなんて。
オレの知ってるフランス語は、「ボンソワール、マドモアゼルだけだ」と言うと、これもミャクシーボクーで返って来た。
置き場には現在チャリンコが4台あって1台はカバー被せてあり、今は3台が動いている。
日本サイズの小さい空気入れポンプがあるバイク屋を見つけた。
これで空気入れの心配はもう必要なし。やっぱり数当たってみるもんだ。
Wにいつもの時間に寄ってみると満席で座る所無し。
昨日一昨日も3割程度の入りだったのに、客の動向は分からんもんだ。
時間潰してから来ようとノース方面へ流してみる。
こんな時はチャリンコは本当に便利だ。
1/30日記より
早くも残り2週間となり、帰国便のweb check inn手続きを済ませた。
この段階で席が決まり、クアラルンプール行きはガラガラで窓側席が、クアラ→関空は満席で左側からも右側からも5列目。つまり、まん真ん中席となった。
窮屈そうだが、6時間程度だから我慢しよう。
昨晩は20時過ぎと遅めのスタート。
というのも、ニッポンらがバンコクでの葬式を済ませてから開店すると聞いていたので、この時間をメドにしていた。
シャッター上げたばかりのテーブルにナムフォンちゃんがいて、タイ語で、「コボリ、・・・」と。
残念ながら理解出来なかったが、日々懐いていたのは感じていたから、
「次来る時にナムフォンに小さなお土産を持ってくるね」と約束した。
奥方トーイからタイのカレンダー今年度版をもらった。
今滞在後半はここをベースにしたが、良き家族に恵まれて本当にラッキーだったと思ってる。
1/25日記より
今日は16時からビーチストリートでイベント、Bed Race 2015があるから見に行きたい。
昨日はジェンちゃんとすれ違いだったから、もしかして今日16時に待ってるかも知れないと思えたので、おばちゃんに伝えておかなくては。
「ガルナーボークジェンワー・・・、ジェンが来たら、コボリはイベント見に行くので今日は来れない。
明日の16時に来るから、その時一緒に飲みましょうとジェンに伝えて下さい」
おばちゃんは「カー・カー」と完璧に理解してくれたね。
イベントが終わって帰路、スイスマイケルさんがベランダに居るのを発見。
「ヤー、マイケル!」と呼びかけると、
彼は、「そこに居てくれ、今降りる」とすぐにやって来た。
いろんな話すと、来週はビザランでカンボジアへ日帰りで行くらしい。
そして3ヶ月滞在はブアー(退屈)と言ってたし、自分も疲れたがパートナーも疲れたと言ってると。
そんなんで次回はまだ決めてないそうだが、オレは6月のチケットを既に買ってあると伝えておいた。
思うに、マイケルさんは足を持たないから近辺を散策しても基本的に毎日同じ暮らし。
オレはネットやってブログも書いて、時間があれば釣りに行ったり、サイクリングで遠出もやってるからブアーと感じる暇がない。年齢もあるだろうが、そろそろ工夫すべきではないだろうか。
「オレの帰国後はこの自転車を使ってもいいよ」と伝えたが、興味ないらしい。
奥方トーイの実兄が亡くなり、明後日バンコクで葬儀の為に2,3日閉店と言う。
トーイが、「コボリ、ちょっと来て」と部屋に招き入れる。
壁には自分の子供と家族の写真が掲げられていた。
子供は4人で、長女が隣のランドリーを経営。2番目がポリス関係。3番目は忘れた。4番目が末っ子のナムフォーンだと。アナンの娘だと思っていたが、トーイの娘と判明。
そして自身の結婚式の写真も見せてくれた。
この頃は客としてだけではなく家族の様に、「腹減ってないか、一緒に食べよう」とか言ってくれる。
食べた時はビール代以外にチップ20B置くが、多いのか少ないのか。
生活滞在とはこんなもんだろうな。
この頃はバーはおろか、ブッカウがすっかり遠のいてしまった。