一週間過ぎたが、到着した日が早、昔に感じられる。
これをあと12週繰り返せば3ヵ月が過ぎるね。
あと10日後に迫ったパタヤへ引っ越しに際して、アパート予約が取れないとAさんから電話があり、オレの住んでるアパートに空室ないかと言う。尋ねると一室のみ空きあると言うので即代行予約した。良かったね、Aさん。
Oさんらがレディ達と飲んでいた。その中の一人が「19歳になる自分の娘が明日パタヤにくるので見てくれないか」と。
タイ人の思考回路はどなってるんかね。自慢の娘だろうけど、おじさんばかりの酒席にうら若き娘をつれてくるなんて。日本なら金積んでも断わられるだろうに。
どこまで話が本当かわからないが、話のネタになるかもと期待半分で、今晩もちょこっと寄ってみようか。
ここ数日はどんより曇り空ばかり。12月7日午後4時現在のビーチ風景。
一昨日は故プミポン国王の誕生日で休日。
例年ならビーチロードでパレードが開催されているはずだったが・・・、
もうかまだか、時刻は夜の9時。
部屋に戻るのはまだ早いが、今時間から繁華街に出てもなあ。またもWで済ますとしようか。
カウンター席の右端は常連のドイツ人が居て、オレは左端の指定席に。
カウンター前の通りが時々渋滞で車が動かない事があるが、この時はオレの真ん前にレディ3人掛けのバイクが動けなくなった。一番後席の見栄えのするレディと目が合ったので軽く、「ほら、この席空いてるよ」とカウンターに指を立ててジェスチャー。「チューンナン座らないか、ポウジャリエン奢るよ」と声掛けると、まさかのまさか、自分だけバイク降りてやって来て、オレの方が驚いた。予期せぬ展開だ。
実は、デイビッド小父さんやジェラードがやってたのを真似ただけなんだけど、デイビッドはこんなのが上手だった。ジェラードはロシアンレディに片っ端から言葉掛けるもロシアンは英語話せないからか、断れっぱなし。
昔、Jちゃんも、「ジェラードは英語オンリーだから頭痛くなる」と言ってたしね。
やはりこの地でタイ語は武器になる。
レディの名はミンちゃんで、ウボンラチャタニ出身。
始めオレに気兼ねしてか51歳とか言ってたが、「オレは**歳だ、本当の事言えよ」
「31歳」
さっきのバイク3人組でルームシェアーしているそうで、あとは帰って寝るだけだそうだ。
仕事はカラオケ譲みたい。時々シンガポールに出稼ぎ遠征してるようだ。
その所為かドリンクはサンミゲルにしていたね。
日本でなら今時間外出することもないし、こんなシチュエーションあり得ない。
今日みたいな展開があるからこの地は面白く、頭も冴えて歳とらなくて済む。
これだよな。
6時半に起床。ベランダは26度だがパンツ一枚姿では少しヒンヤリする。
こちらに来ても日課にしているラジオ体操を欠かしていない。
しかし朝からネットが繋がらない。
TVニュース、新聞が読めないと同じだからね。
位置変えたり、屋外ても試したがやはり、・・・そこへソーパーさんがやってきて、「全館繋がらない」と苦情が来てるそうだ。
でも10時ごろには復旧した。
実はジェラードにはまだ連絡してない。
居る事を知らせると用事も無いのにしょっちゅう電話かけてくるからめんどくさい。
6日目にして一人でコーヒー飲んでいたね。「ハーイ、フレンド!」と握手。
この通りは何度も往復しているから通常なら見かけないはずはないのだが、この頃は滅多に外出しないとの事。ビールも部屋で済ませて外ではあまり飲まないそうだ。レディとも別れたらしい。
「それなら、普段はyouは何をしてるの?」。
「painting」。
へ~、彼にそんな趣味があるとは知らなかったね。
ランドリーではラッスがおばさん達相手にもう飲んでいた。
「I'll be back」と言っておいて、昨日パタヤ入りしたOさんが居るかもとラーンホンに寄ってみたが、ホンおばさんが、Oさん達はブッカウへ出かけたと言う。
そんならランドリーへ戻ろうか。
ラッスは来週オーストラリアへ一旦帰国して、1月23日にまだ戻ると言う。
92歳になるママに会いに帰るそうだ。高齢だがとても元気でまだ現役で(織物仕事)働いていると。「ママがそんだけ元気だとyouもハッピーでしょう」。「そうだ、ハッピーだ」。
ビール以外に塩焼き魚にパッタイ注文と、ラッスはこの店の売り上げに貢献してるね。
しばらくしてピーターがやって来た。
カンボジアスープが出て来たので連想し、「2か月後にビザ期限がくるのでカンボジアかラオスに一度出国しようかと思っている」と言うと、
彼らも2ヵ月TRビザで、ジョムティエンのイミグレで延長申請してるそうで、そこらはオレたち日本人の資格と全く同じ。
ピーターが、「You are a member of our family、君は我々ファミリーの一員だよ」と言ってくれたね。そう言ってもらえたら嬉しいもんだ。
終り掛けにファランが次々に通りがかる。一人がオレを知ってるみたいな態度するので思わず、「Who are you?、どなたでしたか」。
同じアパート207号室の住人だった。
今時期当地は6時5分頃に白み始める。
そして25分頃には東の空に朝焼けが見える。
10時まではベランダでパソコンやネットやっているが、暑くも寒くもなく快適だ。
これ以後は直射日光が差してくるから部屋に移動。これが午前のパターン。
ピムちゃんからの帰り、いつも自転車で素通りで気付かなかったが食堂らしきを発見。
「ティニーランナハーンロー、ここは食堂ですか?」
食べ物はなく、ビールなどドリンクのみを提供しているそうだ。
軽く静かに飲みたいときはここにしても良いかな。リストに加えておこう。
一旦アパートに戻ると、気になっていたランドリー屋にファランが2人組が居た。
店のおばさんに尋ねると、本業はランドリーだが飲食も提供しているとの事。
このファランに、「ご一緒していいですか」と言うと。「sure、どうぞ」と、つまみのムール貝を食べろと言う。
一人はオーストラリアからのラッスさん、もう一人はロンドンからのピーターさん。
二人ともオレと同年代みたいだ。
「英語はあまり上手じゃないから」と予め断っておくと、ラッスさんは「大丈夫だ、自分も英語は得意じゃないから」とジョークが返る。
ラッスさんは少し耳が不自由という。正直そうな人だ。
このランドリー屋に居候かと想像していたが、この通りの奥のアパートに住んでるそうで、賃料5000Bの広い部屋だそうだ。あの辺りは昔アパート探しで知っているからもしかすると木漏れ日アパート辺りかもしれない。
ピーターさんは子供たちと馴染んでいるようだ。子供らは言語は関係なく、慣れ馴染めているかによるのか、このファランには懐いていた。
2人とも大人しめのジェントルマンで助かった。今後付き合えるかも。
以前Wで話した事のあるファランが通りがかって驚いた。彼もこの通りの住人か。
意外にもこの通りには外国人が結構住んでいて、やはりハイシーズンと実感するね。
今はバンコクに住んでいるAさんは中旬にパタヤに引っ越してくるが、予約したアパートの部屋が確保されているか確認してくれないかと頼まれた。
ハウスキーパーはその予約関係は一切まだ知らされてないらしい。
「友達はベランダ側の部屋を予約したと言ってるけど、ベランダ側部屋は今空いているの?」
「テム、満室です」
この場でAさんに電話してありのまま実情を説明すると、Aさんは不安がった。
今はハイシーズンだから時期が悪いが引っ越し日はもう決まっている。
連休中のオフィスがオープンする6日に最終確認して、「もし空き部屋無しとなればオレの住んでるアパートに空きがあるか尋いといてあげるよ」。
ソーパーさんに尋ねるとほぼ満室だが4階に2部屋のみ空きがあるそうだ。
その事を再度Aさんに電話し終えたところにクリフさんが水補給に現れて再会の握手。
前回の約束通りに「イースト方面にサイクリング行きましょう」と言うと、昨日は自転車でこけたと右肘の傷口を見せる。
「気をつけなさいよ、自転車は危ないんだから。そういうオレも2度こけているから注意はしているけど」
ソーパーさんはその事を覚えていたね。しかも、「昔、コボリはそこのガレージで寝ていた事もあるよ」と。ここは監視カメラがあり、オレが寝込んでいたシーンをあとでビデオで見たらしい。
ところで斜め前はランドリー屋だが、夜な夜なファランが3人ほどで飲んでいる。おそらくファランの誰かが居候していて、ランドリー仕事が終えた後に集まっているのではないか。
その内にオレも仲間に入れてもらおうかと思っているが。
「ピムちゃん、例の頼まれていたわさびふりかけ買って持って来たよ」と電話すると、
「今は出先だから15分でお店に戻ります」
ところが30分待ったが現れない。そうだよな、ここはタイ。タイ人に時間感覚守れと言っても無理な話だ。
仕方なくライおばさんに品物と代金のレシートを託し、いったん戻ろうとするとあの化粧上手なダーちゃんが現れた。ダーちゃんはバーレディ。早速営業攻勢だね。「ペイバー代400B払ってくれたら今日は仕事に行かなくても済むけど・・・」
ここは大袈裟に、しかし笑顔で「そんな大金どこにあるんだ。オレはコンジョン(貧乏人)だよ」とはぐらかしておき、
テンション高いタイ人といつも一緒だと疲れるから今宵のスタートは軽く遊歩道のベンチで一人ビールから。実は、前回にセンターからノースにかけてファランらがやっているのを何度も見かけて、ああ良い雰囲気だなと思ってた。
マークランド傍のコンビニで最安43B(140円)の缶ビール買い、漁火眺めながらのチビリチビリは情緒あったね。
お終いは恒例のWへ。
ところがパーティで満席だったが、見回したところ予想通りにレディは大半が入れ替わっていた。
先は長いからゆっくりした日の落ち着いた時間に来るとしよう。
昨日空気入ればかりなのにもうペシャンコになっている。
パンク以外でこんなこともあろうかと虫ゴム用意して来たが、形状が異なり役に立たないと知った。でも空気入れ直したら持ったから、何だろうなこの現象は。
この足でタバコ屋さんに行き、ブッカウで昼飯食べ終えるとバッグが無いのに気付いた。
部屋に置いてきたかもと、急ぎ戻ると部屋にはやっぱり無い。
寄った先はバイク屋とタバコ店しかない。
バイク屋に行くと見てないと言う。
次にたばこ屋。ここに無ければどこかに置き忘れてもうすでに持ち去られただろうなと想像し、覚悟したね。
「ムッキーポムアーチヤルームグラパウ、さっきここにバッグを置き忘れたかもしれません。ミーマイ、ありませんか?」と言うと、
「シーアッライ、何色?」
「シーキョーウ、緑色です」
「あります」
ああ、助かった。御礼に100B紙幣差し出したが、おばさんは受け取らなかった。
バッグの中身はデジカメ以外にはメモ帳と他人からすれば価値のない物。
デジカメは予備を持ってきているので最悪無くしても構わないが、電話番号など書いてあるメモ帖など自分にとっては喪失感が大きい。
以前も置き忘れたこともあったから、今回はたすき掛け式バッグにして肌身から離さなくて済む様にしたのにこの有様だね。
もっともっと気を付けよう。
10時にはエカマイターミナルに着いたが、パタヤ行きバスは11時発の一時間待ちと混んでるようだ。
2時間でパタヤ着。ビーチ行き乗り合いソンテウは50Bと値上がり。ちょっと前は30Bだったのに。
ホテルは何処かと訊かれたので、「セントラルで降ろしてくれ」と告げたが、もうしかするとホテルまで送り届けるシステムになったのかも。そうでないといきなりの20B値上がりは高すぎる。
早合点し過ぎたかも。
到着予定時間をメールしてあったが1時間も早くアパートに到着。
やはり住み慣れたところが一番いい。我が家に帰ってきた気分になる。
今回は南向き部屋を要望していたら、ベランダは直射日光が差して温度計はなんと何と49度まで上がった。
しかし部屋内は32度とクーラー付けるほどでもなく快適。
「お客様の席は予約時に10D席となっていますが前方の静かな席に変更可能です。如何いたしましょうか?」
じゃそれで頼む。
前方はビジネスクラスで前に壁があって足が延ばせる。ラッキーだね。
搭乗機はB787型機。うわさ通り窓が広くて、エアバスA330型機よりもゆったり感がある。
予定より50分も早く現地時刻21:45に着陸。正味フライト時間は5時間40分だった。
空港タクシーは50B上乗せされるから大通りに出て流しを捕まえた方が安上がり。
同じことを考えてる邦人2人組が居て、ホテルは同じ方向で数百メートルしか離れてないから「それじゃ一緒に同乗しましょうとなった。
ところが2人組の一人が客待ちしているタクシーに声掛けられ、400Bなんたらと交渉している。
「オイオイ、このタクシーはメーター制でないのか」
覗き込むとメーターが付いてない。
経験から、こうした客待ちタクシーは悪質ドライバーが多いと知っているのでトラブル避けるべく「他の車に当たりましょう」
でもその一人はその額でいいそうだ。こうして現地事情に疎い邦人はぼったくられるとも気付かないだろうな。
しかも邦人は英語。ドライバーは数字は英語を解せるが何ともあやふやな交渉姿勢。
そこで、オレがタイ語で「どうして400なんだ。普通は250くらいだろう。車で400なのか、一人当たり400なのかはっきりしてくれ」
結果、車で300B、一人100Bに落ち着いた。
着いた先はネットで予約していたPホテル。
寝るだけだから安宿で十分と一泊1569円のホテルで、余りの安さに不安感が無いでもなかったが、まぁコスパに優れた部屋だったね。ちなみに予約先のリクルート系のじゃらんネットでは700B相当で、これに500円割引きクーポンが付いている。
今後もバンコク泊を余儀なくされる場合はここにしようと思う。
想定外に早く到着したので早速3年ぶりに街を流してみよう。
昔はよく遊んだナナプラザは店の名前は随分変わっているが雰囲気は昔のまま。
カウボーイはこの時間でも満員盛況だった。たださすがに大音量でのミュージックは流れてない。
プミポン国王の逝去で自粛ムードはまだ続いているようだ。
寝酒にビール探したがコンビニは酒コーナーはカギが掛けられている。
周囲のレストランは小瓶で100Bと高い。
何とか安い食堂を探し当て70Bのビールを発見。
これでもパタヤならバー並みの価格だね。
バンコクに長居は無用。
明日は早々にパタヤ入りしよう。
明日のフライトに備えて荷造りをしているところ。
このところずーっとエアアジア専門だったが、往路に関しては売り切れてた為、シンガポール航空系のLCCスクート航空をチョイス。価格的にはエアアジアと大差ないが、バンコク着が夜中と移動に適さないためにやむなくバンコクで一泊する羽目になった。
翌日は移動日で寝るだけだから安宿で十分と思っていたら探せばあるもんだね。ドミトリーやカプセルなら1000円くらいでも泊まれるがもうそんな年齢でもないし、一応プライベート空間が確保できるxxinnを予約。
フライトを含め、これら一連の予約が家に居ながらにしてネットで完結するとは便利な世になったものだ。
さて、搭乗機はドリームライナーと呼ばれる最新鋭のボーイング787型機。
窓が大きくて席間もゆったりしているとか。
定刻通りの到着ならホテルチェックインは0時頃になりそうだがバンコク泊は3年ぶりだから、夜中でも人通りの絶えないナナ駅からソイカウボーイ辺りまで流してみようかと思っている。
搭乗予定のボーイング787型機
ビザ延長したからまる1ヵ月可能だったが、半月で切り上げる事にした。
オリンピック観たかったからね。
タイでも見れないことはないだろうけど、日本選手中心の編成ではないだろうし、やはり日本で見るのが一番。
エアアジアフライト、ドンムアン空港→関空
関空にはほぼ定刻で着陸して難波に着いたのが23:30。
最終バスになんとか間に合って同日中(実際は0時過ぎ)に帰宅したが、玄関ドアー開けるなり部屋から熱気がムー。
連日の猛暑日も部屋閉め切った状態では熱の逃げ場がなかっただろうね。
翌日には早、もっと居ればよかったかなという気がしないでもないが、それはそれ。
またしばらくは平凡な日本の生活になるが、この2週間ほどは日本選手の活躍期待に一喜一憂したいもんだ。
昼飯食べに出かけようとすると隣部屋のファランと鉢合わせ。
「もうチェックアウト?」と言う。
なんで知っているのだろうと思ったが、たぶんハウスキーパーのヌートさんが教えたんだろう。
実はこのファランは初日に着いたときに、「このアパートは日本人もよく利用しているよ」と教えたくれた人で、オレが住み心地を尋ねると「静かで好いアパートだ。自分は気に入ってる」と言ってたね。
「長く居たから帰ると寂しくならないか?」というので、
「今回はもう十分だ。3ヶ月後には戻ってくるからまた会いましょう」
「have a nice trip」
今回知り合った人やお世話になった人に帰国の挨拶に出かけると、途中で移動服販売を発見。
なに?、たった69B(200円)?。思わず買ってしまった。
いつも思うのだが、こうした物品販売でも屋台でも、とんでもない場所で商売してるね。
例えば、カオノイ辺りでは元々人通りすくないのに、更に人気のない所で屋台商売をやっている。
タイ人は何考えてんだか。
この服などもこんだけ安けりゃブッカウなら10分で売り切れてしまうと思うのだが・・・
着いた時、ピムちゃんは電話していたがオレを見た途端に「コボリなんたら」と言い始めたから誰と話してんだろうと思うも、タイ語オンリーなのでさっぱりわからん。
電話終えたピムちゃんの説明は「電話の相手は東京に住んでいるタイ人の友達。そこへちょうどコボリがやってきたので、友達がタイの食材を欲しがっているからコボリに日本まで託して、そこから東京まで郵送してもらえないか」と、その相談をしてたそうだ。
承知すると、ピムちゃんは「ちょっと待って、友達と直接話して」とスマホ渡された。
ラインとかいうアプリでは国際電話はタダだそうで、「ピムちゃんから聞きました。問題ありませんので来週日本へ帰り次第送りますから」。
ピムちゃんが急ぎ繕ったのは3㎏以上はありそうだが、まぁなんとか範囲内で収まりそうだ。
普通帰国時に税関では、「何か頼まれ物はありませんか」と訊かれるけど、これなどその頼まれ物に該当するが、中身は透明なビニール袋に明らかに食材と分かる物。
もちろん素性の知れない人から中身の見えない物なんて絶対に預かれない。
ついで、「次来るときに私にこれ買ってきて」とサンプル示された。
ピムちゃんは東京のタイ料理店で働いていたそうだから日本の味も知っていて、このフリカケをご飯に乗せると美味いんだそうだ。
オレは運び屋になってしまったか。
まぁ、知り合いが増えると頼み頼まれ事も増えるという事だな。
津波寿司という店を発見
今朝は洗濯物広げた途端にザーッと来た。
周囲は明るいから何の前触れもなく突然という感じだったが20分ほどで上がった。
昨日は快晴ではなかったが暑かった。無風状態で空気自体が熱持った感じ。
午後2時のベランダ温度計は38度だったね。
こちらに来て2度目の散髪したら100Bに値上がっていた。40日前は80Bだったのに。
飲酒後に夜食で済ますことがあったが、今夜は先に食べておこう。
海鮮スパゲティが70B(210円)と安かったね。
久しぶりに夜のビーチへ。
いつもの光景だが、何故か暗く感じた。街灯の調整でもしているのかな。
日本で引っ越した先で過ごしたのがまだ三週間。
こちらの新アパートで過ごしたのが六週間と、今時点ではタイに居る時間の方が長くなっている。
そして今思うことは、やはり本拠地は日本に置いて正しかった。
地震が多くても台風が来ようが、四季のある日本は素晴らしい。
期間を区切ることによってどちらも有意義に過ごそうと思うからね。
Rちゃん自分のドリンクをド~ンとオレの横に置いて何か言いたそう。
「ペンアライ、どうしたの?」
同僚のレディが傍に来るとRちゃんは泣き出した。
「何があったかしらないが、飲んで早く寝たほうがいいよ」
レディ同士の言葉の端々から、ファランにスポンサー打ち切られ途方に暮れているのではと想像したりもしたが・・・、
今滞在は他のアパートに浮気しているのをソーパーさんに目撃されてしまったからね。
いつまたどんな形でお世話になるかもしれない。
良好な関係を保つために前アパートに挨拶に行っておこう。
オーナーワイフと話し中に子息のジェイソンが割り込んできた。しかも英語でね。
ナナさんが息子に「この人知ってるの?」
「コボリ、サヌック面白い人だよ」
「Do you remenber?いち、にー、さん」と言うと、
ジェイソンが「よん、ごー、ろく」と続ける。
「で、ジェイソンは何歳になった?」
「3歳と少し」
初めて会ったのが8ヶ月目でまだ歩けもしなかったが、2年余りでこうにもなるとはね。
パパのチュンさんは今はロスでレストラン事業に専念しているから、毎日の様にパパと英語で電話しているのだろうと思った。
オレが初めてアパート体験をした時にバイカーオを父親代わりに面倒みていたバイタクの運ちゃんハムが居たが、今滞在は見かけないから別な場所でバイタク仕事やってるだろうと思っていた。
バイカーオ母娘が一時行方不明になった時にこのハムが連絡先を探し出してくれたお陰もあって、時々ビールをプレゼントしたりしていたが・・・、
「ヘーイ」とお呼びが掛かった方向を見遣るとそのハムではないか。
たぶん見流していたら気づかなかったくらいに恰幅の良かった男が痩せていて驚いた。
病気でもう仕事はやってないと言う。
その激痩せぶりに癌系ではないかと想像したりもするが、オレのタイ語レベルではそれ以上は訊けない。
「チョークディ」としておいたが、まだ若い(多分50歳手前くらい)から回復してもらいたいもんだ。
ウィンドサーフィン大会が開催されるとあってジョムティエンまで行ってきた。
http://www.inspirepattaya.com/pattaya/pattaya-windsurfing-cup-jomtien-beach-monday-1st-august-2016-2/
昨日は正午ごろ、空は明るいのにここだけ突然うなりを上げるようなスコール。
でもすぐに止んだけどね。
昨晩は雨で予定が狂ったから今日こそはピムちゃん食堂へ。
ところがシャッター降ろしていた。
近所のおばさんに尋ねると、用事でシャッター降ろしているだけだと。
仕方ない。コンビニビール1本飲み干すと、先に夕食済ませておこうとカレーライスの日がある和食堂へ。
早めの寝酒とするか。
戻ると、可愛い声で、「コボリー」と、パイリーンだ。
パイリーンがオレを呼び止めるのは、オレがチョコ飴持っているのを知っているから。
連れの友達にもあげるとおばちゃんが子供たちにワーイをしなさいと教える。
この子供のヒザを折ったワーイ姿は何とも愛らしい。
カウンター指定席からクリフが見えた。
手を振ると方向変えてオレの席にやって来た。
彼は飲めないからコーラーを注文。始めてパーソナルな話ししたね。
前回は3月まで滞在していて、イギリスで半年過ごしたあと戻って来ると聞いていたが、半年どころかなんと2か月で舞い戻ってきて来年3月までの10か月間滞在すると言う。
彼はニューキャッスル出身でスコットランドボーダーに近いところだそうだ。
ウォーキングもバーにも一切行かず、ここの前を通るのは友達の家に行くそうだ。
パイリーン母娘と親しいクリフによると、ソーパーさんがフランス語話せるのは以前フランスに4年ほど住んでいたそうだ。その時に出来た子供がパイリーンらしい。
で、父親は今どこに? そこまでは訊かないけど、長く生きてりゃ人生いろんな歴史があろうというもの。
今日は2本だけだが、随分酔っ払った感がある。
連日だから体力弱まっているかも。
今後はセーブ心がけよう。
南国の日差しはキツイ。
上半身のシャツも熱を通すのか、腰回り以外は黒々となってきた。
鏡の前に立つと、本当にオレ?と疑いたくなるくらいにね。
昨日から3日間、ビーチロードでSeafood Festival開催とあって行ってきた。
若い娘さんが売り込みをしていたが、この黒さがタイ人と映ったのか、オレにもタイ語で。
しかし単語プラームックはネイティブ発音じゃないとすぐに気づいたようで、「これは日本にもありますか?日本語で何と言いますか?」
「イカ。日本人が来たらイカはいかがですかと呼び掛けて」と教えると2,3回やって自然なイントネーションになった。若い娘は覚えが早い。
ザーッと一回りした頃に雨になりそうな予感がして傘を取りに帰ろうとしたが間に合わなかった。
ラーンホンまで一気に走りそこで雨宿りと思っていたが着いた頃には半濡れ状態。
まぁしょうがない。雨上がりを待つ間1本飲もうか。
この1時間で予定が狂った。
本当はピムちゃん食堂で飲むつもりだったが、この時間はもう閉店が近い。
またもWにするか。
今滞在中途から中国系的レディがここで働き始めているが、どこか影がありそうな雰囲気。
尋ねるとやはり父が中国人、母がタイ人だそうだ。
メーホンソン、ウドン、ウボンラチャタニと転々していたと言う。影がありそうなのはこのせいかとも想像したが・・・、
パッと見25歳くらいに思っていたが、なんと40歳だと。
ラオスのキーンちゃんとムクダーハン娘はここでスポンサー見つけて出世して行った。
Rちゃんも送金受けてる様だし、この中国娘は如何に?
たぶん半年後にはここにはいないだろうけど。
起きるのが段々早くなっている。
いつもの方向に朝焼け。今日も暑くなりそうと想像していたが、明けると共に雲に覆われて気温的には快適。このままで留まってくれたらいいのだが。
朝のルーティンで真っ先に見るのが為替動向。
比較安定通貨として買われているのが円だそうで円高気味だが、このメリットは大きい。
例えば今滞在初日に買った自転車が半年前の為替レートで考えると、タダでゲット出来たと同然。
今滞在分バーツは手当て済みなので一喜一憂することはないが、チャンス次第で次期予算分も手当しようと構えているのだが、まぁ成り行きだね。
気が付けばイギリスポンドが急落してる様だ。
EU離脱が決まり国力低下と先読みするのは早計か。
ついこの前までは190円台が今は130円台。この地で出会うファランはイギリス人が圧倒的に多いが、将来はバランスが崩れるかも。
通貨急落と言えばロシア・ルーブルで一時期5割も急落したそうだ。
プラタムナックからジョムティエンに掛けてロシア語看板が今でも溢れているが当のロシア人グループは殆ど見かけない。
日本円に例えるなら、1万円=3000Bが1500Bになったとしたら、
そこそこの年金受給者なら殆どが日本に引き上げるだろうな。
通貨は相対的に動くからall or nothingとはならないが、現在の円は居心地の良い水準であると思っている。
今日はまだ知らない道を流してみようか。
スクンビットからポティサーンロードに入ってナクルアへ抜けるコース。
何の変哲もない道だろうなと想像してたらその通りだった。
ただ、暑かった。
帰宅してシャワー浴びて横になったら心地よい疲れでウトウトしてしまい、もう動きたくないと思った。
夕方になって、さぁ今晩の1本目はどこにしようか巡らしていると消去的に、もうあそこしかないか。
ピムちゃんたちは数人で鍋囲んでいたね。
気の置けないタイ人仲間内で居るのが一番だから、ここは遠慮して木立下のマーブルテーブルでチビリチビリ。
本音は屋内よりも南国的情緒たっぷりな開放的空間が好きだからこっちの方がいい。
チビリやりながら、今はバンコクに住んでいるAさんに電話してみた。
Aさんもパタヤ願望があるが、時期がハイシーズン真っただ中になる可能性があり、手ごろなアパートが取れるかどうか。
その場合オレが先行して滞在中ならば代わりに探しておいてあげるとしたが、新しい電話機は期待以上に良い。indoorとoutdoorが設定できて、なんと音がクリアーな事。
こんなんだったらもっと早くに買っておくべきだった。
そのうち鍋のお裾分けが届いた。
軽く1本で済まそうと思ってたのに、これで追加ビールが必要になった。
追加は1本で十分だが誰か飲むかもと思って2本にして戻ると先日マッサージ受けたパーイさんがいたね。
まだ仕事中だが、今日は客が一人もつかず、ここで腹ごしらえしたらすぐに店に戻ると言う。まぁ、これで元気つけてと1本上げた。
寝酒にはまだ早い時間。
LKメトロなど周ってみたら、いかにローカルで過ごしていたか。ブッカウは大都会だった。
モンキーバナナ買っていつものWへ。
このバナナを題材に面白い話があったが、人は話してみないとわからないものだ。
ここは長話になるのでまた後日。
帰路、ロオッと見知りのおばさんとバッタリ。
実はロオッのところへはもう1週間も行ってない。別に嫌になったわけでもなく、ピムちゃん食堂という、より楽しめるところが見つかっただけなんだけど・・・、
おそらくジェンちゃんもエムさんも、コボリに何かあったんかなあと思われているかも。
今晩辺りはちょっと寄ってみようか。
昨夕の風景
Wに時間はまだ早すぎる。
時間調整でプードル犬のラッキーに遊んでもらおうと前アパート近くに向かうとおばちゃん二人組が話してた。
今の会話はオレのレベルでも聞き取れた。
一人は日本へ旅行計画していると言う。
おばちゃん同士で韓国との比較論を話していたね。ラッキーおばさんが韓国はどうのこうの。
日本にすべきとか。まさかオレが目の前に居るからではないだろうが、韓国人気質を的確に捉えていた。
WでRちゃん見たのは久しぶり。
以前の住まいはオレの前アパートに近い妹宅に居候だったが、今はソイXXのアパートに一人で住んでいて仕事はしてなく、時々ここに遊びに来ると言う。
ハハーン、ファランのスポンサーが見つかり仕送りしてもらっているのだなと察したね。
「コボリはおんな居ないの?」
「居たらここで毎晩飲めなくなるじゃないか」
「どうして、嫌いなの?」
「ユーガッププーインタイナーラムカーン」と答えたら、笑い転げた。
今回もスイスマイケルさんにも会ったが、もう疲れ果てていた。
ジェラードも新彼女に乗り換えたが、どうにもマッチしてないように見える。
しかも、She drive me crazyとオレには言ってるのに・・・、
どうにもファランの考えてることはわからん。
まぁ、人は人、自分は自分だね。
長居して嫌になった頃は日本に帰る。
日本で退屈を感じた頃にはまた遊びに来る。
That's the best way of lifestyle for me.
昼飯帰りにサードを流していると、「コボリさーん」と聞こえた。
んー?、誰?、
声の方向にピムちゃんがマッサージ店の軒下テーブルでおばさん達と駄弁っている。
自分の食堂とは結構離れていて、しかも昼飯稼ぎ時に、なんでこんな所に居る?
たぶんお店はライおばさんに任せ、自分はここには遊びに来ている様だ。
この人、私の友達だからマッサージする時はこのパーイさんを指名してあげてねと聞いていたから翌日早速向かった。
タイマッサーコースを選択。1時間みっちりやってもらったら身体が軽くなったが、施術するレディは重労働だね。一日3人も客取ればくたくたになるのではないか。
150Bにチップ50B計200B(約600円)置いたが、日本でのそれなら10倍はするね。
終えてドアー出ると昨日もいた気立ての良さげなおばさんと少々会話。
日本人の恋人が居て名前はスズキ。年1回1ヶ月滞在するそうだが、年齢は70歳だと。
その年齢で恋人と称するレディが居るという事は・・・、日本で枯れたご老人になるよりずっと良い。
ジェンちゃんのカラオケ店にはこれまた85歳の日本人客が来てるそうだ。
失礼ながらもその御年で外国まで行ける気力体力があり、色恋をエンジョイできるのは考えようによっては幸せな人たちかも。
その年齢に達した頃にオレはどうしているかなと思ってしまう。
カンカン照りで、暑くなりそうだ。
昨日も昼食終えてカンカン照りの中をコーパイ→テプラシットソイ8→リージョナルランド→バリハイ桟橋と、小一時間ほど流してきた。
帰宅して、シャワー浴びて横になると心地よい疲れと相まってついウトウト。
和食堂は土日がカレーライスの日で、先週は行きそびれたから今日こそは。
先日Wで一緒した邦人組もほぼ同時入店で、Dさんは早くも明日帰国だそうだ。
ここは日本のTVが同時放送生で観られる。ちょうど田中角栄元首相の栄光から転落への軌跡をドラマ仕立てでやっていて、つい見入ってしまった。
ピムちゃん食堂は営業時間とっくに過ぎて過ぎているのだが、ビール好きのライおばさんがいたので、「まだ閉めないならビール買ってきてもいい?」と尋ねると、OKだそうだ。
ピムちゃんはオレの自転車を預かると言う。
自身は車を持っているのだが、近くのスーパーへはチャリンコの方が便利だと。
そうだな、雨風にさらして置きっ放しよりも適当に使ってもらって方がよさそうだ。
Wの前を見知りのファランが通りかかった。
半年前にパイリーン親子と仲良くしてたFさんだ。
カウンター越しに、「ハーイ、ミスター、オレ覚えてる?」
「知ってるとも、自転車の・・・」
彼もイースト方面にサイクリングしてると聞いていたので、「12月にまた来るのでそん時は一緒にサイクリングしましょう」
「ぜひそうしよう。あの湖、名前は何だっかな」
「Mabprachanでしょ」
彼も湖東まで行っていたと知ったね。
名前は訊いてなかったのでFさんとしていたが、クリフさんだった。
今朝も起きたら道が濡れていたから、夜中に降ってた模様だ。
昨日は快晴で午前10時で36度と暑かった。
しかし、15、16時台になると熱気がかなり薄らぎ室内も過ごしやすい
17時ごろまでパソコンしたりウトウトしていたが、ピムちゃん所に預けてあるビールを飲み切ってしまおうか。
食堂には数人居て、こうした食堂は単に食べさせるだけの店でなく、近隣住民のコミュニティになっている。
タイ人同士で会話中に言葉が十分でないオレが同じテーブルに居るだけでも気を遣わせるから、屋外のマーブルテーブルでチビリやっていると、少し離れたところに半切りドラム缶が見える。
あれはBBQに使えるではないか。
それを言うと、ピムちゃんは「いつでもいいよ。何なら来週日曜日はどう?」
やりとり聞いていた初対面のナディア譲(おばさん)が自分も参加させてと言う。
「どうぞ、ところであなたはどんな仕事?」
「仕事なし、お金も無し」
タイ人に割り勘で負担してもらおうとは思わないが、「友達呼んできてもいいよ」と言っておいた。
数時間後にWのカウンターで飲んでいると、料理番のラーイおばさんがセブンを行ったり来たり。
訊けば飲んでるそうだ。あとで行くかもしれないと言っておいて、9時半ごろ覗いてみると、
おばさんはこれが5本目だと。
BBQの日に一人でそんなに飲まれてはかなわん。
ビール1本くらいにして、あとは安酒Hong Thongウィスキーで済ませてもらえたら有難いのだが・・・
滞在型旅スタイルにしてからは1ヶ月なんてアッという間だ。
当初通りなら今時間は空港へ向かうバスの中だが、延長して良かった。
3日続けての未明雷雨は今日は無く、朝から入道雲がニョキニョキ。
日本の梅雨明け真夏日と同じだね。
2日続けての禁酒日が明けて、華やかさが戻ってきた。
ステーキ店も単なる食堂なのにビールが提供できないばかりにこの間休店してたからね。
おしゃれな店が点在すると聞いたサード北方面を流したが、昼間は殆どシャッター降ろしたまま。
ディスコハリウッドからソイ12に入り、手ごろな食堂で遅めの昼食はガパーオカイダーオ。
60Bだが、量が多かった。
Wも常連組に加えて先日言葉交わした邦人組が居た。
カウンターから移動してテーブルに一緒させてもらい、しばし雑談。
想像した通り、一人はこの近くのホテル滞在だそうだが、もうじき帰国との事。
もう一方はタイ語ペラペラ。
ここは短期旅行者ならまず来ない所だが、お二方ともこのWを気にいってるようだった。