15ヶ月ぶりに再会したBabyは3歳10ヶ月になっていてずいぶん成長していた。
顔を枕で隠して恥ずかしがっていたが、「オレ達を覚えているか?」にはハッキリと「覚えている」と。
しかもオレの名前も口に出してくれた。ママが教えたのだろう。
成長を感じたのは体格もそうだが、自分の意思を表現できるようになったからと思う。
瞬時もじっとしておらず、やんちゃBabyになる気配濃厚。ママの本当の苦労はこれからか。
2日間に亘って数時間を一緒に過ごし、最後のバイバイの瞬間、Babyはママの手を振り払ってオレ達に駆け寄ってきた。Babyなりに名残惜しかったか、それとももっと遊んで欲しかっただけなのか?、とにかく、ウルウルしてきた一瞬でもあった。
このシーンも含め、Hさんに撮ってもらったビデオの編集が終えたのでDVD化して、今週中には届けようと思う。Babyには是非ママと一緒に観てもらいたいもんだ。これだと来年も会わないわけには行かないな。
今回は最初から、又途中からご一緒した方々との出会いがあった。ビデオ後半で数枚挿入してみたが、構いませんよね、モザイク掛けてあるし(笑)。これを機に遠くない将来、彼の地でまた再会できること期待しています。
BGMには92年頃、路上で買ったカセットテープに入っていた中から"The River of dream "をピックアップ挿入。当時gogoで盛んに流れていて、重低音がイカしたMusicなので、ウーハスピーカーで聴けば想い出が蘇る?かも。
その足でルンピニ公園入り口に向かうと、ここがあんなに荒れ狂っていたかと想像できないくらいな静さ。
まばらに人影が見えるが、以前と同じ平和な風景そのものだった。
公園をまっすぐ北に向かうと今回のデモ騒動で最大の被害を被ったCentral Worldに出る。
電車でなら2駅あるから相当な距離ではあるが、この道が占拠されていたんだなと左右を眺めながら歩くともう着いてしまった。
「和解」、言葉にすれば一言で済むけど実践はどうか。
現地の人から直接訊くと、「絶対タクシン派を応援します」と、幾度となく耳にした。
タイは今、難しいポジションに立ったような・・・・・
到着翌日の午前と夜、2回に亘ってタクシン橋に出向いた。
桟橋ではPrivate Boatをチャーターする様勧められたが、そんなの無視。
Public boatの方がたった14バーツ(40円)でリバークルーズが楽しめる。
ワット・アルンは時間が早かったせいもあろうが観光客は極少。名所の70度階段には一人も見かけない。
下船後にニューロード界隈を散策。ステートタワーなど当時にはなかったビル郡ができてはいたが、基本的には中国商人街が連なる昔の雰囲気が残っていた。
ミレニアム・ヒルトンやペニンシュラもあとに建設されたホテル郡。
夜景撮影はオレだけかと思っていたが数人がパチパチやっていた。
本当は動画でアップしたかったけど画質がいまいちで、精細度ではデジカメに分がありそう。
写真では雲も写っているから薄暮時間帯と思われるも、実際は20時過ぎています。
三脚で固定して長秒シャッター(4~8秒で)でやったらこんなのが撮れた次第。
準備完了。あとは一晩寝て関空へ向かうのみとなった。
帰国は成田へ。
明日夜のパラグアイ戦は観戦したい。
数年前、対ロシア戦で1-0で勝った時、ファラン(西洋人)・タイ人共に日本を応援していて嬉しかったのを思い出した。ファランが集まっていてスクリーンが備わってるスポーツバーがあればサッカー中継をやっているはず。今回も仲間に入れてもらおうかな。
そんな訳で暫く休みですが、
ネット接続快適ならば途中現地レポート交えるかもしれません。
久しぶりに国際電話してみた。
相手は昨年、奇跡的に再会したbabyの母親。ティニータムルアットルンピニ。クン〇〇チャイマイクラップ (こちらはルンピニ警察署です。〇〇さんですか?)と、茶化してみたが、本物でないことはすぐに見破られた。
babyは今は学校に行ってると言っていたから幼稚園児になったということか。
来週の来タイを楽しみにしているそうだ。
昨年はいっぱい遊んであげた(もらった?)が、あの時が2歳7ヶ月で今回は3歳10ヶ月か。覚えているかな、オレ達の事を。今回もめーいっぱい遊んでもらおう。昨年同様に今回もビデオ撮りをHさんにお願いしようかな。
サックスの練習もしたいけど気はそぞろ。頭の中は既にタイ・モードになっている。
今度の参院選は初めて期日前投票になりそうだ。
再来週の今日は出発の日。
準備の一環として、耳慣らしの為にとタイ語会話集をMP3に入れてみた。
Listningはまぁなんとか・・・ところがSpeakingがとっさに浮かんでこない。
言語は日々接してないと忘れていくみたいだ。
私的にはタイ語には適度な抑揚があってMusicのようにも聞こえるのだが。
あと二週間。サックス練習もだが、こちらの言語もremind特訓しなくては・・・
教本から一部ピックアップしてみた。
電話で友人を食事に誘う設定で、以下の会話をしています。
タイ語はどう響くのだろうか。
-------------------------------------------------
ハロー、けい子さんですか? 私、みち子です。お元気ですか?
元気です、あなたはどう?
私も元気ですよ。一緒に食事したくて連絡しているですけど。
いつですか?
今週土曜は空いていますか?
土曜日ですか? 何時に?
夕方5時ごろでいいですか?
いいわ、何処で会いましょうか?
デシュタニホテルのロビーでいいですか?
わかりました。では土曜日に会いましょう。
またタイの地を踏むことになる。
フライト確定時点では、デモ隊が荒れ狂っていたバンコクはスルーし、ホアヒン直行を予定していた。
ここのビーチでは毎年Music Festivalが開催されていて、今年は6月いっぱいまでと思っていたが、
再チェックすると到着の10日前には終わってしまうみたい。
ほんならこの際、スルーばかりだったバンコクも久しぶりに滞在するのも悪くないと思えてきた。
写真は22年前のタイ旅行で泊まったシャングリラホテル2410号室から撮った眼下のチャオプラヤー川。
当時はパックツアーだからこんな高級ホテル泊まれたけど、今なら雲の上。もう二度とないと思う。
ネットで見るとここら辺りの景色も随分変わっているようだ。サマーセット・モームが常宿したというオリエンタルホテルに続くニューロード界隈はいかにもタイらしい町並みが印象に残っているが今はどうだろうか。
とにかくこの界隈を散策してみよう、昔と比較、想い出しながら・・・
ここまで来るならチャオプラヤー・クルーズもやってみよう。ワットアルンで下船して、傾斜角70度と思しき階段を今も登れるか。22年前のそれは降りた途端にひざの踊りが始まってなかなか止まらなかったが・・・
もう一つは今回のデモ隊で騒然としたシーロム、ルンピニ公園、ラチャダムリ、南側半分焼失したセントラルワールドも歩いてみよう。空気・質感を味わうには徒歩が一番。ただ南国の炎天下で体力が持つかだが・・・
ついでにその先にあるバイヨークスカイ展望台は今回ぜひ訪ねたいスポット。高さ300mから一望するバンコク市内はどのように映るのだろうか。きっと大都会ぶりが実感できるものと期待している。
鍵は部屋の中にある。スタッフが来る朝までベランダで寝るしかないのかと思い始めると酔いも醒めてきた。
さあ、どうする・・・
考えあぐねた結果ベランダ伝いの隣室に泊り客が居るかもしれないと思いつき、身を伸ばしてノックしてみた。
すると昼間レセプションで見かけた年配のタイ人女性が不機嫌そうな表情ながらも事情聞いてくれて内側から部屋に入ってもらい、開放された。あの瞬間の安堵の気分は例えようがなかった。
翌朝、改めて御礼を伝えようと飴一袋を携え隣室をノックしたら何と、そこにはブロンドヘアーの女性二人連れが居て、何の御用ですか?と。「キツネに摘まれた」とは正しくこの瞬間のオレ。
今でもあのハウスの造りはどうなっているんだろうかと、時々思い出す。
旅館に相当するだろうか。タイには首都のみならず地方都市にも外国人客を当て込んだこの手の宿が沢山ある。
最初の頃はホテル利用だったが、リピートするに連れ宿代出費がバカにならないと知り、恐る恐るこのゲストハウスなるものを利用してみた。が、意外や、結構快適だった。レストランなど設備はないが外食すれば良いだけのこと。現地では何を食べているのか、どんな味付けが好みなのか、食堂や屋台では生活観が感じられ、パックツアーでは味わえない趣がある。
写真はホアヒンのゲストハウス室内。エアコンや温水シャワーもあり、これで一泊550バーツ(約1650円)。
ホテル一泊分でここなら4、5日も滞在できる。ただ、そこはゲストハウスで、24時間オープンとは限らない。
夜中はスタッフ不在と予め聞いてはいたが、0時過ぎて部屋に戻り、ベランダに出てみた。そして緊急事態が発生した。
少し強めだが海風が心地よい。突然、ドアーが風にあおられてつっかい棒が外れ、バタンと閉じてしまった。ところがノブが回らない。そう、ここはオートロックになっていてベランダ側からは開かないと初めて知った。内に閉じ込められるとは聞く話だが外に閉じ込められるとは・・・(続)
デモ隊は解散したが、物理的、精神的にも大きな傷跡を残したようだ。
放火され、南側がほぼ全焼したセントラルワールドは当初ワールド・トレード・センターと呼ばれていた。
北側に入居する伊勢丹、紀伊国屋、日本食レストラン歌行灯等は無傷だったらしいが、南側はダメージが大きく、ゼン・デパートは建替えらしい。
他にもイベントホール、映画館、8階にはタイ初のスケートリンク場が開設されるなど、バンコク市民にとってランドマーク的存在で、私的にも馴染み深いところだ。(写真は2004年と2009年に撮ったもの)
とりあえず予定の訪タイには支障なさそうだから一安心だが、今回の事件を機にタイは大きく変わりそうな予感がする。社会の仕組みまで変化するのか。Land of Smileは変わって欲しくないが・・・
タイ国際航空が日本就航50周年記念として格安チケットを発売している。
一時、デモ隊撤収の兆しが見えたので収束に向かうと判断し、今がチャンスとばかりに来月末のフライトを確定させてしまったが、ここに来てバンコク情勢は一変、NHKのトップニュースに取り挙げられる始末で、外務省は渡航の延期勧告まで発令した。う~ン、早まった!、のか?
当初から今回もバンコクはスルーの計画だから旅程の変更が必要とまでとは思わないが、それでも到着日&帰国前日のみバンコク泊を考えていた。
仮に事態が好転しなければ予定しているバンコクの常宿先は変更しなければならない。
代案として、バンコクは寄らず、空港→リゾート地を直行・直帰も一考しなくては。
もうひとつ気になるのはバンコクから遠く離れているレムチャバン港に赤シャツ隊が集結し始めたというニュース。ここは東部工業地帯に直結する通称、ラヨーン・パタヤ街道と呼ばれる産業幹線道路。いよいよ地方にも広がるのか?
力づくで収まるのか。間違えばゲリラ化の観測もあり、実はこれが一番怖い。
ドイツのレポーターなどからは全く先が読めないと懸念する報道もあった。
まだ40日も先だから収束に向かうとはずと希望的楽観視しているが、俺にとっては年一回の正月・盆・GWが同時にやって来るようなもの。安心して旅行できる国に戻ってもらいたいものだ。タクシンさん、今は娘とルイ・ヴィトンでショッピングの場合ではありません。
バンコクがエライ事になってきた。
ビジネス街のシーロム通りで、しかもパッポンやタニヤの歓楽街を抱えるサラデーン駅に爆発物投げ込むとは・・・それでもデモ隊はピケ張っていて、治安当局が排除に躊躇しているとは呆れる。
タクシン氏はネット映像で登場するなどデモ隊を煽り、鼓舞していたが、コントロール効かない事態に発展した深刻さに危機感抱いているのか、ここに来て控えている模様だ。
元来タイにはバンコクという別な国があるとも形容されていたが、タクシン氏の登場によってパンドラの箱を開けてしまった感がある。
バンコクの騒動とは世々に、リゾート地は今日も平穏な模様。
20年前のヒット曲、「サバイサバイ」に急遽ビデオ撮りした。
久し振りにタイに関する四方山話をひとつ。
タイではタクシー会社というものが存在せず、日本の様にxxタクシーとかの社名はない。ドライバーは個人事業主で、車は一日いくらでレンタルされ、諸経費を上回る売り上げがあれば利益、下回れば赤字ということになる。
タクシー業のライセンスは必要な様で、フロントガラスに写真入証明書が貼り付けてある。が、これはいい加減なもの。写真とは別人が運転してる場合もある。訊ねると、「この人は今日はマイサバイ(病気)だから代わりに運転している」と・・。
帰国日、いつもの様にタクシーを拾い、「空港まで」と告げると、「うん、分かった」てな調子でうなずく。ところが高速道入り口に寄ろうとしないので、「運ちゃん、空港だよ、分かってんの?」と言うと、「空港は行った事がない」と返事。そんなら何故乗車させたんだと言いたいところだが、言っても無駄だと知った。言葉交わすと様子がおかしい。運転しながら身体を揺らしているし、目はトロンとしている。酒のニオイはしないので直感で、タイでは珍しくないクスリのせいだろうと理解した。「もう空港は行かないから降りる、停めてくれ」と告げるも、運ちゃん言うことを聞かない。車間距離が定まらない走行ぶりに、この状態で高速道に入ってしまえばどうなるか、一瞬凍りついた。
ところがこの事態、バンコクが世界に誇る「渋滞」が救ってくれた。隣席の友人に、「次の信号か渋滞で停まったら左右のドアーを同時に開けて飛び出そう」と、話しかけ。いち・にい・さん・で無事脱出成功するも冷や汗ものだった。
タイは東南アジアでは安全といわれているが、事件・事故・共に、人口比ですれば日本の数倍はある。
関空に降り立つと、なんと静かで落ち着いた街だ。日本人であって良かったと、いつも思う。